第23話 影に日向に備える時間
「ほあぁぁ……なんか、なんかヒラヒラが凄くこう、ヒラヒラしてて凄いんだけど」
濃紺と白を基調とするドレスを前に、イアルは目を丸くして、語彙を喪失していた。
およそ、彼女には全く馴染みのないものだろうとは思う。今身につけている私の普段着でさえ、最初は落ち着かない様子だったのだから。
とはいえ、イアルが不慣れであることなど、店の者には全く関係ないのだが。
「今流行しているレトロスタイルでございます。お気に召しませんか?」
「え!? ええと、私にはあんまり、よくわからないと言いますか……」
イアルがどんな生活をしてきたのかはわからない。ただ、少なくとも私と生きる世界が違ったのは間違いなく、品のあるミイラ店員に迫られると、こちらへ助けを求めるように視線を流してくる。
庇護欲、と言えばいいだろうか。彼女にはそういうものを引き立てるような雰囲気があり、多分黄ばんだあの骨もそれにやられたのだろう。
私は努めて平静を装いつつ、こくんと小さく頷いた。
「こちらを1着と、それからもう1つ。動きやすく着用者を環境から守れるようなものを」
「い、いやいやいやいや! そんなのを頼むようなお店じゃないと思うんだけど――」
「でしたら、こちらのアウトドアスタイルなどは如何でしょう?」
「あるのぉ!?」
店員の素早い動きに、イアルは跳び上がっていたが、私は当然と目を伏せる。
ただ上品なだけの店なら私が、否穂芒の家が目を留めることはない。そういう対応力を含め、ここは為政者から認められた場所なのだ。エクスプローラー向けの衣装くらい、パッと出せなくてどうする。
「どうぞ試着をなさいませ。さて、素宮は――」
男性メンタル型アンデッド向けの一角へ視線を流す。アレもまた庶民、ないしは貧民であろうから、イアル程とは言わずとも苦戦しているだろうと思っての事だったが。
「肩周りのプロテクターは今の位置で調整してくれ。それから、背中と胸の周りは最初の注文通りに」
「承知いたしました。お連れ様は、もう1着動きやすい物をお選びになられましたが、旦那様は如何なさいますか?」
「ならブラックレザーの上下を頼む。今着てるダブルライダースと似た物で、できれば、荒っぽい扱いに耐える奴がいい」
「承知致しました。少々お待ち下さい」
呆気にとられた、と言っていい。スキンカバーで身体を覆ったゾンビであろう店員を相手に、迷うことなく指示を出したかと思えば、特に慌てる風でもなくこちらを振り返ってくるのだから。
「育ちが悪いと仰っていた割に、随分と手慣れているのですね」
「必要な注文をつけるくらい誰にだって出来る。予算を気にしなくていいなら尚更だろう」
「イアルは、随分慌てていましたが」
「アレは世間知らずだからな。俺はそうじゃないってだけだ」
煤けたレザージャケットを羽織りなおしながら、スケルトンはカチンと顎を鳴らす。
他に理由なんてない。そう言いたげだったが故、余計に私の中では疑念が強くなる。
この骨男は、一体何者なのか。どんな経歴を持ち、何をして長い時を過ごしてきたのか。
――ヌルコーディング。お前は一体。
私がそう口に出そうとした時、奥の試着室からむっつりとした声が聞こえてきた。
「また私のこと子ども扱いしてぇ」
素宮と共にゆっくり振り返った先。そこではカーテンに浮かぶ生首が、不満げな表情を作ってこちらを覗いていた。
意思を持つ防腐死体で、自分用のサブボディ、と店員には説明しているし、ここの者達は客の余計な事情を詮索しない。それが高貴な者と接するために必要であることを彼らは知っており、また徹底しているからこそ信用できる。
とはいえ、流石に少々不用心な気がしてならず、隣では骸骨が、はぁ、とため息をのような声を転がせた。
「……そんな格好で凄まれてもな。まぁいい、顔出したついでだ。前に渡した拳銃貸せ」
「え? うん、はい」
もぞもぞとカーテンの向こうで身体を揺すったかと思えば、青白いながら滑らかな肌を持つ細腕がそっと素宮へ向かって伸びる。
彼はその手からホルスターに入ったままの大型拳銃を受け取ると、何も言わずに踵を返した。
「どちらへ?」
「少しぶらついてくるだけだ。夜には戻る。それまで、そっちのチンチクリンは任せた」
「だから言い方! もぉ、酷いなぁ」
頬を膨らせるイアルに手を振りながら、骸骨はフラフラと店を出て行ってしまう。
だが、あの男が目的もなく動くものだろうか。そんな疑問が、実体のない脳裏を過り。
「穂芒様、商品のお届けは如何いたしましょう?」
「……ホテル・マァスタバへ願います。必ず、明日の朝までに届けるように」
考えた所で答えなど出せるまい、と私は店員へ向き直った。
■
薄汚れたビルの並ぶ大通りを、ポケットに手を突っ込んだまま歩く。
人間が居た頃は、別段珍しくもないオフィス街だったのだろう。それでも、今は砂の町より遥かに多くのアンデッドが暮らす場所であり、労働者の死体共は仲間と笑いあう者も、絶望したかのように無言を貫く者も同じように道を行く。
廃墟然とした見た目でも、過去に人間だった無意識が幻想にしがみ付いているだけだとしても、ここはやはり都市なのだ。
黄ばんだ骨の1体が紛れ込んだところで、誰も気にしない。ごみごみした空間で目を付けることもない。
――相変わらず、ここも空虚だな。
第4セントラルから逃げ続けていたあの日。貨物の中から転がり出て死体に紛れたあの日と、この景色は何も変わらない。
外的要因が無ければ、変われようはずがないのだ。アンデッドという、存在そのものが滞った者たちの町が。
俺は細い路地を曲がり、あちこちで崩れている都市高速のガード下へ潜り込んだ。
錆びた配管から垂れ落ちる水が割れたアスファルトを濡らし、鼠のような何かが暗がりからちょろちょろと走り出る。
瓦礫に住む連中でさえ、近づきたがらないような薄暗く淀んだ空間。その一角に、切れて傾いたネオンをそのままに、シャッターを半分だけ開けた建物があった。
身体を屈めて入口とも言えない入口を潜る。
「……誰だ」
低くしわがれた声に、裸電球が瞬いた。
「見た通りだ」
ゴトリ、と金属の重い音がする。
これでも歓迎されている方だろう。何せ、暗がりからうっそりと姿を現してくれるのだから。
「死にぞこないが。砂漠でも灰にならなんだか」
「お互い様だろ、
古い知り合いは、プシュウ、と圧の抜ける音と共に俺の前に立つ。
サイバネティクスによって置き換えられた腕脚には、生物であった痕跡すら微塵もなく、武骨な配管やハーネスが回され、オーバーオールに包まれる動体へと繋がれている。唯一、こいつが完全なロボットでないと分かる部分は、縫合痕がハッキリと残る頭だけ。半分ほど焦げ付いた肌から、アンデッドとしての種族は判別できず、ただ黒い溶接用グラスが輝いていた。
「脱走兵。何故戻ってきた」
「雇い主の野暮用でね。尤も、ここは通過地点だが」
重々しい動きで、パッチワークは鉄骨で作られているスツールへと腰を下ろすと、とても器用な動きができそうには見えないマニピュレータで、壁から繋がっている細いホースを手に取り、先端を軽く口に加えた。
配管は暗闇の中へ伸びており、その先は見えないが、所謂水煙草の類だと聞いたことがある。店、と呼ぶべきか相変わらず悩むガラクタ置き場に、道具類が全く置かれていないのは、その奥で錆びついた火気厳禁を示す看板の為だろう。
安全意識などあるようには見えない癖に、妙な所だけこだわるのは相変わらずと言った所か。継ぎ接ぎ野郎はぶはぁと煙を吐きつつ、作業机の上に肘をついた。
「酔狂なことだ。アレほど離れたがっていたお前が、今更何の希望を抱いている」
「仕事と割り切れば、何だってできる。そういうもんだろ。俺も、アンタも」
毛のない眉が跳ね、溶接グラスがこちらを睨む。
だが、アンダーグラウンドに暮らす者で、これを否定できる者など居ないだろう。だからこそ、肩を組んで笑える大通りよりも、陽の光がほとんど届かないガード下の方が居心地がいいのだ。
ガラクタ置き場を根城とするパッチワークも、過去この場所へ骨身を寄せた自分も。
腰から握り慣れた
「フン……長く使ってないようだな」
「まともに暮らしていれば、必要ないだろ」
「まともな奴が、砂漠の官品まで持ち込むのか?」
「アンタに詮索癖があったとは驚きだ」
こちらから視線を外したまま、パッチワークは左のマニピュレータで俺の背を指す。
相変わらず、油断のできない男だ。溶接グラスに何が仕込まれているのか知らないが、この暗がりで俺の背負うショットガンを、迷いなく砂漠の町が正式採用している物だと言い当てるとは。
しかし、ショットガンの方については大して用事がない。というのも、元が新品同然だった上、管理していたのが几帳面な井白であるため、俺の手で施せる分の調整整備で十分なのである。
背中から降ろそうとしなければ、パッチワークも用無しと見て興味を失ったらしい。拳銃のスライドを動かしながら、くいと顎をしゃくった。
「金は」
「これで足りるだろ。消耗品もいくつか貰うぞ」
机の上に放り投げた革袋から、砂の町で使われるクレジットが零れ落ちる。
井白から貰った予算のほぼ全て。本来なら、これを元手に鉄の森で暫く稼ぐ予定だったが、それも新しいスポンサー様のおかげで必要がなくなった。
パッチワークが、奇妙な物を見たような表情を口元に浮かべたのも一瞬。背中から生える、細いアームで12と刻印された箱を俺の前に持ってくる。
「他の注文はあるか」
「なら、これを」
最初から必要な物の目星はつけている。
俺は鉄屑に埋もれた棚の中から、幾つかの商品を作業台の上に置き、その最後に褪せたオレンジ色の箱を滑らせた。
刹那、パッチワークの動きが固まる。銃器を触っている時の彼には、滅多にないことだ。
「……お前、戦争でもする気か?」
「ただの備えさ。全部行き当たりばったりなモンでな」
元々ここに転がり込んでいたこともあり、隠し場所なら大体知っている。
一種の禁制品。だが、どうせガードの目など、アンダーグラウンドまではほとんど届かない。加えて、禁制ながら流通があるということは、たとえ稀でも必要とする者が存在する証左であろう。
今回が俺だったというだけの事。尤も、絶対に使うと決まった訳でもないが。
パッチワークは大きく鼻から息を吐く。その表情は変わらなかったが、珍しく憂うかのように、自ら不完全な状態の拳銃を机に降ろした。
「解せんな。影の女はお前の差し金だろうに」
棚から引きずり出したシェルホルダーを握る手が自然と止まった。
ガード下は色々な情報が流れる場所であることは知っている。だが、俺が鉄の森に入ってからまだ半日も経っていない。それも、知っているのが情報屋の類ではなく、世捨て人手前の偏屈死体だ。
パッチワークの方を振り返れば、黒い溶接グラスと視線が交差する。男はムッと口を結んだまま、微動だにしなかった。
「……何の話だ」
「もう噂が回ってる。古い連中の中だと、行方知れずの姫様が帰ってきただのと、騒ぎ立てる間抜けも居るくらいだ。同時に現れたのは偶然じゃなかろう」
穂芒が車から出たのは、アパレルショップへの僅かな間だけ。他は常にミラーガラスで覆われたピックアップトラックの中に居り、外から彼女が何者かを伺い見る隙などほとんどなかったはず。
それでもなお、噂が回っているのだとしたら、あまり楽しい話ではないだろう。強いて言えば、何も知らず無警戒で過ごすよりは多少マシという程度か。
肺のない体から、フーと息を吐く真似ごとを1つ。俺はパッチワークから視線を逸らしつつ、シェルホルダーへと赤いショットシェルを嵌めこむ作業を再開した。
「だとしても、アンタには関係のない話だろう」
「ない。関係も、興味も」
俺の知るパッチワークらしい回答に、肩から僅かに力が抜ける。
ならどうしてそんなことを、と。聞きかけたところで、彼の視線に言葉が出なかった。
どこかで、ジジッとネオン管が鳴った気がする。
「だが、駅の連中は違う。アレと関わるつもりなら、精々用心するんだな」
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