コフィン・エクスプレス

第22話 ルーファスシティ

 荒れ地に生えた廃墟の群れ。

 抉れ崩れたコンクリートからは、何本も束ねられた鉄筋が覗き、あるいは鉄骨がむき出しとなったまま、赤茶色の体を乾いた風に晒している。


「鉄の森、か」


 誰が名付けたのか知らないが、ピックアップトラックの助手席から見えるこの様相は、確かに森と言えなくもない。

 残念ながら、青々と葉を茂らせる木々などは、どこにもないのだが。


「アンデッドが増えてきたね」


「この辺りにおいては、現在最大の都市ですから」


 後部座席から聞こえてくる女の声は2つ分。どうやら、今は体を貸していないらしい。

 一度憑依されてからというもの、イアルはその衝撃に慣れたと言っていた。それが普通なのか、あるいはハイコープスが特別そういう物なのかはわからないが、以来穂芒は適当に憑依と離脱を繰り返している。


「流石に目立つな」


 磨かれた黒塗りの車など、如何に都市とは言っても早々目にするものではない。

 市街地の外にまで溢れる労働者たちは、多くの者が興味深そうに、しかし関わり合いにはならぬよう、遠巻きからこちらを覗いている。

 ただ、ハンドルを握るものは、奇異の目すら誇らしいと口元に笑みを浮かべた。


「注目は当然でしょう。お嬢様と共に移動しているということを、ゆめゆめお忘れなきよう」


 最早、崇拝とでも言うべきか。

 孔しか残っていない顔面でありながら、なおも鼻につくバンハルドの言葉に、俺は車のドアへと肘をついた。


「……この際だから聞いておくが、お前は道化を演じてるのか、本物の間抜けなのか、俺を馬鹿にしてるのか、どれだ」


「最後の1つでしたら、当てはまるやもしれませんな」


「そりゃどうも。灰に還りたいんなら素直にそう言えよ緑青野郎」


「ほっ。たかがスケルトン如きに、この私が二度も不覚を取ると?」


「あまり気が長い方じゃないんでね。ここでもう一度試してみるか」


 視線は合わせない。向こうもそうしていただろう。

 車内が狭かろうが、死体の溢れる町中だろうが関係ない。ただ、どちらが先に動くか、というだけの時間。

 だが、そのピリついた空気は、もぉ! という気の抜けた声に一瞬で霧散した。


「ダメだよ素宮さん。こうして手伝ってくれてるんだから、仲良くしないと」


「バンハルド、お前もです。私たちはイアルに償わねばならない立場。にも関わらず、よもやこれ以上なお無礼な振る舞いを重ねようなどと考えているのですか?」


 背後から突き刺さる視線に、俺は骨身に籠っていた力を解く。同時に、隣からも殺気が失せたのがわかった。


「申し訳ございません。ついつい抑えられず」


 男の口調は柔らかく、まるで先ほどまでのやり取りが嘘だったかのように感じられる。

 だが、こいつの本性は口調通りの紳士とは程遠い。おかげで、猫を被るというレベルではない豹変ぶりに、俺は小さく下顎骨を鳴らした。


「使用人様ってのはどうにも、上辺を取り繕うのがお上手らしい」


「そーみーやーさーんー……」


 肩越しに吐息を感じると思えば、知らぬ間にベールを纏った頭がヘッドレストのすぐ後ろまで迫ってきていた。

 表情は見えないが、中身はこちらを睨みつけていたことだろう。そのらしい姿に、俺はふっと肩を竦める。


「育ちが悪いもんでな」


 そう言った途端、黒い手袋にポカポカと肩を叩かれた。痛くも痒くもないが、お嬢様然とした恰好の奴との不似合いさにため息が出る。


 ――逆立ちさせたところで、こいつに穂芒の真似事は無理だろうな。


 イアルは決して、落ち着きのない奴、という訳ではない。ただ、如何せん不器用な節が目立つこともあり、お嬢様のスペアボディとして振舞えるかと言われると、その答えはNOだろう。下手に演技などさせようものなら、足をもつれさせるのが関の山だ。

 尤もそういう真っすぐな部分は、彼女らしい美点でもあるのだが。


「イアル、前を」


 穂芒の声と共に、車が道端へと停まる。

 ボロボロになったビルが立ち並ぶ中、突如現れたぽっかりと空いた広場。その中央奥に鎮座するのは、蒲鉾型をした大きな建物である。


「あれが駅?」


「左様にございます。鉄の森を、この地域最大の都市たらしむるものとも」


 バンハルドの説明に誇張はない。周囲のビルが鉄筋むき出しで、あちこちの壁面は剥がれガラスも失われて久しい中、装飾の施されたコンクリートや、美しい立像が今なお形を留めていることが、その証左だ。

 俺が第四セントラルから少しでも遠くにと逃げていたあの日と、その姿は何も変わらない。手入れに勤しむアンデッドたちは、果たしてどれほどの間、駅の壁を柱を床を磨き続け、補修し続けているのだろうか。

 ともあれ、その美しさは俺にとって何の価値もない。むしろ、思い出したくない類の記憶であり、軽い身体を革張りのシートへ預けた。


「お手並み拝見だ。お嬢さん」


「造作もございません」


「仰せのままに」


 つい、と細い影の手が伸ばされれば、バンハルドは流れるように運転席を立つ。

 目立つ燕尾服姿の紳士が現れれば、広場のアンデッド達は関わり合いにならないよう道を譲って距離を取り、しかしチラチラとその様子は伺っている。

 車への反応も含め、なんとも低い立場の者達らしい動きだろう。俺にも彼らの気持ちはよくわかるし、なんならここに座っていなければ、同じようにバンハルドを視線で追っていたに違いない。

 当然、執事の方はそんな有象無象を気にした様子もなく悠然と歩を進め、ドアマンらしい鉄道職員に導かれて、駅の中へと消えていった。


「元とはいえ、流石に支配者層様だな」


「えっ? バンハルドさんは、ただ駅に入っていっただけ、だよね?」


「その時点で格の違いは歴然だ。俺たちなら、まず間違いなく入る前に止められる。どうにかして警備の目を掻い潜ったとしても、結局は窓口の係員につまみ出されるのがオチだ」


 誰でも使える公共交通機関。鉄道がそう呼ばれていたのは、遥か過去の話だ。

 線路や車両を含む設備が残っている場所が稀有であるのは勿論のこと。特に唯一の山越え手段であるこの鉄道は、特権的とも言える立場をフルに活用し、旅客運用を町同士の外交や商業取引のための空間としている。

 要するに、逆立ちしてもクレジットの束を出せないような連中は、端から客として見ていないということである。


「……元々、素宮さんも鉄道を使うつもりだったんだよね?」


「他に山を越える方法がないからな」


「でも、駅にも入れて貰えないなら、どうしようもないじゃない」


 後ろから青い半眼に睨まれる。本当に考えなどあったのか、とでも言いたげに。

 尤も、説明を面倒臭がったのは自分である以上、そう来るだろうことも想像はついており、俺は振り返らないまま、親指の骨で横を指し示した。


「向こうに木箱が積んであるの、見えるか」


「え? うん」


 煌びやかな正面入口から離れた先。そこでは薄汚れた作業着を着た死体の群れが、赤茶けたハンドリフトを押してうろつき、古ぼけたフォークリフトがエンジンを唸らせながらパレットを持ち上げ、黒煙を噴き上げる三輪トラックへと荷物を載せている。

 隣り合う雰囲気の明暗は、知らない者が見れば同じ施設とは思えないだろう。

 ただ、同じように首を傾げはすれど、イアルと穂芒ではその意味が違っていた様だ。


「あちらは、旅客用のターミナルではありませんが」


 流石はお嬢様。鉄道を利用する機会も多かったのだろう。駅の構造は、実体のない頭にもキッチリ収められているらしい。


「ここの鉄道職員からすれば、俺達みたいな流れは客じゃない。だが、安月給で働かされる作業服組はこっち側だ。だからこそ、そこそこの金さえ握らせてやれば、多少は融通が利かせてくれる奴も少なくない」


「成程、面白いお考えですね」


 穂芒の感想は言葉通りの感心か、あるいは無法者に対する侮蔑なのか。淡々とした声色から判断することは出来そうもない。

 一方、イアルの方は分かりやすく、ええ? とあからさまに退いたような声を出した。


「それって、見つかった時怒られないの?」


「違法乗車で鉄道保安官に拘束された場合、悪質と見なされれば数年の懲罰労働が課せられる場合があります」


「安心しろよ。保安官の虫の居所が余程悪くない限り、そんな重罰を受けることはない。精々、1ヵ月程度檻に放り込まれるくらいだ」


「……私、こだまと会えて本当に良かったと思ってる」


 ルームミラー越しに後部座席を覗けば、イアルはゲンナリした様子で触れられない友人に身体を寄せ、その頭を、実態のない影の少女がフワフワと撫でていた。獣耳のように跳ねたイアルの髪が、手の動きに合わせて揺れるのは、いわゆるポルターガイスト的な力によるものだろう。


 ――とはいえ、俺は誰に礼を言うべきなんだろうな。出資者様ご本人か、それともソイツを引っ掛けてきた、トラブルメーカーの雇い主様か。


 後部座席の連中に気付かれないよう、俺はフッと笑いを零す。

 元々の予定なら、ここで極限の節制生活をしながら、3ヶ月以上は働かねばならない計算だった。それでようやく得られるのが、博打とも言える荷扱掛の買収だ。

 たとえこれら全てが上手く行ったとしても、その先に待っているのは息を潜め続けなければならない荷物車か、暗闇に支配された環境の悪い貨物車で、山越えの長距離列車を過ごすという苦行だった。

 それが、いきなり旅客として扱われるようになるのだから、未来とは分からないものである。廃墟での殴り合いと撃ち合いを差し引いても、これなら正直割に合うと思えるくらいには。

 そんなことを考えていた矢先、コンコンと窓をノックする音が車内へと転がった。

 当然、俺の隣では無い。ぐるりと髑髏を回してみれば、穂芒が既にパワーウィンドウを半分ほど下げていた。


「お嬢様、券の手配が整いました。明日の昼頃に出発する便となります」


「では、この先は予定通りに」


「承知いたしました」


 短い事務的な会話を終えれば、バンハルドは大股に運転席へと戻ってくる。

 当然、俺とイアルには、この緑青野郎が何を承知したのかなど分かるはずもなく、揃って首を傾げるしかないのだが。


「おい、ここまで道を任せっきりだったのは認めるが、まさか先の予定までサプライズで行くつもりか?」


「ご安心ください。旅券を押えた今、そちらに必要なことなど、1つしかございませんので」

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