第21話 エンドースメント
「……ハイコープス、ですか」
自分には不釣り合いなロイヤルルームの中。また黒い影に戻ったレイスの娘が、そんなことを呟く。
どうやら、一度憑依した身体への出入りはそう難しくないことらしい。
また、憑依ショックで気を失っていた家主の方も、穂芒が言っていた通り、間もなく目を覚ましており、唐突なドレス姿にモジモジしていた。残念ながら、話題の衝撃が大きすぎるあまり、誰にも気にされていなかったが。
「まさかそのような種が、新たに生み出されていようとは思いませんでした。バンハルド?」
「私も聞いたことがございません。加えて、にわかに信じ難い話ですな。未だ、カタクームプロジェクトの研究を続け得る者があろうとは」
レヴナントもまた、内容は違えど同じ系列の研究成果であるためか、バンハルドの言葉には実感が籠っている。
否、欠片でも過去の記憶がある者ならば、誰であろうと疑ってしかるべき話だろう。第四セントラルは遥か昔にネクロポリスへと姿を変えたのだから。
しかし、イアルはハッキリと首を横に振る。
「嘘なんて言わないよ。それに、こだまは私の体が普通じゃないって思ったから、こんなこと聞いたんでしょ?」
「……そうですね。事実、イアルの身体はどのような処理を施された死体よりも柔らかく、しなやかで、霊体としてある我が身と変わらないように思えましたから」
「そんなに違うものなのか」
ハイコープスの身体について、俺は外見が人間と酷似しており、かつゾンビのように部分的な腐食欠損を起こさず、ミイラのように干物のようになることがない、という程度の理解しかない。
そう考えると、実際に自身の身体として扱えるレイスの感想というのは、とても興味深い物に思え、俺は僅かに身を乗り出した。
「あ、あうう……そういうことハッキリ言わないで欲しいな。ちょっと恥ずかしいよ」
一方、自分の身体を好き勝手に評価されたイアルは、黒いフリルで顔を隠して縮こまっていたが。
「不躾を申しました。どうか忘れてくださいまし」
同性だからこそ、気持ちが分かるという部分かも知れない。穂芒は小さく頭を下げ、身体に関する話題を断ち切った。
「アンタが納得できたなら、それでいいだろう。俺たちは明朝ここを発つ。それまで、精々イアルの体で休ませてもらうんだな」
せっかくの高級宿だ。他に話がないのなら、しっかり身体を休ませてもらいたい。ただでさえ、身の丈に合わないルームサービスまで頼んでいるのだから。
しかし、妙に柔らかいベッドへ転がろうとすれば、凛とした声が鋭く突き刺さった。
「お待ちを。このまま貴方方を見送ったとなれば、穂芒の家名に泥を塗るも同義」
穂芒にとって、家名の誇りは自らの存在よりも重い物。それはここまでの短い付き合いでよく理解してはいる。
だが、正直に言って面倒臭い。全く気持ちを理解できないとは言わないが、そんなものに拘ったところで、死体が人間に戻れるという訳でも無し。
俺やイアルが気にしなければ、名誉もクソもないだろう。そう切り捨てて終わりにしようとしたのだが、俺が下顎骨を鳴らすより先に、穂芒は自らの膝を折っていた。
「身勝手を承知の上で、名誉挽回の機会を頂きたく、どうか」
「わわわっ!? そんな、やめてよ! 昨日のことなら、もう気にしてないから!」
「否、使用人の勝手を許したのは主たる私の責。加えて、危険を省みずこの身に手を差し伸べていただいた貴女の恩。どちらも言葉1つを以って終いとするには余りあります」
「そんなことないんだけど……ええと、ええと……」
イアルの善良さは、持たざる者が蔓延る砂漠において誇るべきであり、穂芒の高潔さはあらゆる支配者層が見習わねばならぬものだろう。
だが、互いの頑固さが故か。どうにも妥協という言葉に行きつかないらしく、傍から眺める俺はあまりのアホ臭さに、背もたれへ身体を投げだし視線を天井へ向けた。
「ノってやれよイアル。詫びに何を寄越すつもりか知らんが、聞くくらい構わんだろう」
「……素宮さんがそれ言う?」
「お前の時と違って、損することはないだろうからな。それで?」
ジトリと向けられた青い視線を無視し、俺は未だ膝を折ったままの穂芒へ水を向ける。
不服気なイアルには悪いが、さっさと話をつけてもらって休みを満喫させてもらいたいのだ。加えて、あまりお嬢様の立場を考えない行動をとり続けると、忠義に溢れるレヴナントが沸騰しかねない。
「出資を」
あまりにも短い穂芒の言葉。
しかし、俺はゆっくりと天井から影へと髑髏を向けねばならなかった。
「……はぁ?」
「この先、ネクロポリスへ向かうなら、鉄の森より鉄道を使うことになりましょう。しかし、かの鉄道の主たる目的は貨物輸送で旅客輸送は僅かばかり。それも中産階級層以上の交流を目的とするものが殆どで、総じて乗車券は高価なものとなります」
背骨がざわついた。
言われるまでもない、実際に過去の自分が通った道なのだから。
わざわざそれを口に出したという事は。
「まさか、アンタが払うって言うのか?」
「ドレスコードに見合う衣装も用意致しましょう。失礼ながら、今の装いでは乗車券の購入すら難しいかと存じます故。加えて、後の旅備えもお任せ下さればと」
渡りに船とは言うが、そこは如何に没落したとはいえ金持ちなのだろう。途方もない話に唖然としたのも束の間。
「だっ、だだだダメだよそんなの! 受け取れな――むぐもががもが!?」
飛び出したイアルを全力で引っ捕まえ、骨身の全力をもって小さな口を塞ぐ。
その動きは荒っぽく、腕の中でイアルはバタバタと暴れたが、それでも俺は努めて冷静に姿勢を正し、穂芒へ向かって顎を鳴らした。
「交渉成立だ。これまでの事は、一切水に流そう」
「感謝致します」
それはこっちの台詞だ、と言いたかったが、鷹揚と頷くに留める。出資者の回復した尊厳を、わざわざ砕くような真似はするべきでないだろう。
ただ、膝を折っていた影もこれで満足するかと思いきや。
「重ねて、お願いがもう1つ」
「なんだ」
「もしお邪魔でなければ、私達もトンネルの向こうまで、ご一緒させて頂きたいのです。勝手知ったる道ですので、多少はお役に立てることもあるでしょう」
出資で話がついたからか、謝罪ではなく御願いと来た。ピッと正された座り姿勢ながら、先ほど違って深々頭を下げるような様子はない。
とはいえ、彼女の望みは探るまでもない単純なものだったが。
「手伝いついでに、もう暫くイアルの体に居候させて欲しい、か?」
「……仰る通りです。恥ずかしながら、霊体が全快に至るまで、一昼夜ではとても足らぬようでして」
それもまた、霊体のままで長く過ごし続けていた反動なのだろう。バッテリーのように急速充電とはいかないらしく、穂芒は自らの手をそっと撫で、それを見るバンハルドは憂うような表情を作っていた。
ふぅ、と息をつく振りを1つ。押さえていた手の力を軽く緩める。
「だそうだ。家賃としては割のいい話だと思うが、どうする?」
「ぷぁッ! そんなの、断るわけないじゃない! こだまはお友達なんだから!」
俺の拘束を逃れたイアルは、頬を膨らせながら俺を睨む。
和解済みとはいえ、元誘拐犯とその被害者が友達とは。中々珍妙な展開になったものだと思う。
尤も、似たような考えに至ったのは俺だけでなかったらしく、豪華なコンテナハウスの中は静寂に包まれた。
「あれ? わ、私、もしかして変なこと言ったかな?」
誰からもリアクションが無かったことが不安になったのだろう。イアルはキョロキョロと全員の顔を順に眺めていく。
それに応えたのは、小さく咳ばらいをする声だった。
「いいえ、変ではありません。貴女の厚意に最大の感謝を、イアル」
このお嬢様は、可能な限り表情を動かさないようにする訓練でも受けているのか。澄まし顔のまま、瞼を落として影のようなドレスの裾を摘み上げる。
ただ何となく、俺にはその声が今までより嬉しそうだった気がしており、バンハルドも乾いた口角を小さく持ち上げていた。
「ではお嬢様、私は旅支度を整えて参ります」
「よしなに」
■
セルモーターがケンケンケンと目覚めの声を立てる。
磨き上げられた黒いピックアップトラックは、この時代において中々お目にかかれる物ではない。だが、そこらのボロでお嬢様を運ぶ訳にもいかないのだろう。
助手席のパワーウインドウを下げた俺は、コンテナハウスの主に声を投げる。
「世話になったな、エコウ」
「そこはお互い様よ。いいお客様を相手に、こっちもちゃーんと儲けさせてもらったから。ついでに、都合のいい下働きも捕まえられたし」
オネエの大柄骸骨はそう言って、身体に巻かれたチェーンをジャラリと鳴らす。その音がトラウマとなっているのか、隣へ並んだ新たな2体の従業員は揃って肩を震わせた。
「あのぉ、これっていつ開放してもらえるんですかね」
「あら、もう逃げたいのかしらン? ちょっと教育が足りないわねぇ」
薄く顎を開いたエコウに、背格好が凸凹な兄弟アンデッドはブンブンと首を横に振る。
デッドワゴンの施設を意図的に損傷させた罪は、俺が考えているより相当に重いらしい。弁償は勿論、一定期間の無償奉仕まで強いられているのだから。
企業の法という鎖に縛られた彼らの様子を、後部座席から眺めていたイアルは、あはは、と困ったように笑う。
「あの、エコウさん? あんまり無理させないであげてね」
「んまっ! アンタたち聞いた? お優しい天使様のお言葉よッ」
「「その節は、ホントすんませんでした」」
理由はよくわからないが、エコウはイアルのことを気に入っているらしい。彼女を持ち上げるよう白い掌を向ければ、今回の元凶となったアンデッド兄弟が揃って平伏する。
とりあえずは、これで彼らがゴロツキから更生できることを祈っておくとしよう。二度と会うこともないだろうが。
「そうだ、お前。兄貴の方だ」
「へい! なんでございましょう!」
「その頭の奴、予備持ってるか?」
「え? えぇ、そりゃまぁ、1つ2つはありますけど……」
「なら今被ってる奴を寄越せ。それで俺に喧嘩売った分も手打ちにしてやる」
そう言った途端、彼の動きは素早かった。多分、余程エコウに躾けられた結果なのだろう。
勢いよくガスマスクを脱ぐと、腰も低くこちらへそれを渡してくる。今まで気づかなかったが、その顔は包帯にグルグルと覆われていた。
「お前、ミイラだったのか」
「いや顔も見せずに申し訳ねぇ。どうにも敏感肌って奴でして。こいつでよろしいですか」
面白いことを言う奴だ。どんな季節でも関係なく肌は乾き切っているであろうに。
俺は差し出されたガスマスクを受け取って、面体を確認する。少なくとも、どこかしらが酷く損傷しているようには見えない。
「ああ、十分だ。エコウ」
懐から取り出した砂のクレジットを親指で弾く。
俺がしてやれることといえばこれくらいだ。
「あら、チップなんてどういう風の吹き回し?」
「ただの気分だ。そこの従業員のサービスは、中々悪くなかったんでな」
「恐縮ですわ。是非、またのご利用を」
「ああ。また、いつかな」
エコウがこちらの意図を察してくれたかはわからない。ただ、深々と腰を折る店主に俺が軽く手を振れば、話はそれで終わりだった。
ピックアップトラックは砂礫の上を穏やかに走り出し、まもなくトレーラー溜まりはクレーターの中で見えなくなった。
予期せぬ状況ではあるが、この足があれば1日分の惰眠など問題にもならないだろう。ハンドルを握るバンハルドの隣、俺は革張りのシートへ深く背中を預けた。
「イアル、マスク貸せ」
「え? 何急に」
イアルは困惑した様子だったが、いいから、と念を押して後ろへ手を差し出せば、樹脂の感触が指先へ触れた。
だだっ広い砂漠を行くのだ。それも車内に居る間なら、顔を晒していたとてそこまで問題にもなりはしない。
――偶然としちゃ、出来過ぎなんだろうが。
2つの面体それぞれの丸いレンズを見比べ、俺はカタリと小さく顎を鳴らす。
防毒という本来の役割など、当の昔に失われているだろう。そもそも、イアルが身に着ける上で気密性はそこまで重要でもない。
似たようなモデルなのだ。見栄えは多少悪くなるだろうが、素性を隠せる程度に直すことはできるだろう。
鉄の森に至るまでの手慰みとしては悪くない。
「思いのほか、気遣っているのですね。イアルのこと」
「えっ? 何が?」
唐突に零れた穂芒の声に、俺はピタリと手を止める。反応から察するに、名指しされたイアルの方は真意を測りかねているらしい。
「……余計なトラブルを呼び込みたくないだけだ」
「では、そういう事にしておきましょうか」
口調は変わらないのに、穂芒の声はどことなく楽し気に聞こえてくるから腹が立つ。
だが、腹が立つという事はすなわち、全くの外れではないということになる。
――気遣う、か。俺には似合わん言葉だが。
手の中のガスマスクから視線を上げる。頭蓋骨がヘッドレストを軽く叩いた。
「面倒臭いのが、悪いとは言えんのかもな」
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