第26話 貴きが故

 乗車より2日目。

 窓から見えるのは、トンネルトンネルひたすらトンネル。

 大自然をも従わせようとした人類文明の残滓は、今なお崩れない洞穴を以て、険しく高い山脈を貫き通している。

 その中を進む鉄の棺桶は、自らの吐き出す煙に巻かれぬよう、速度を弛めることはなく、車窓から零れる光を帯として進んでいた。


「お嬢様、そろそろ」


「ええ」


 時計を見ないバンハルドの言葉に、穂芒もまた確認なしに立ち上がる。

 主従の間に固い信頼関係があるのはわかるが、いざ見せつけられると、信じすぎていて逆に気持ち悪いとさえ思ってしまった。


「……金持ちの日常ってのは、存外と忙しいもんらしいな」


「どうかお気になさらず。成すべき振る舞いに努めているだけのことですので」


 至極当然と言い放ち、影のような穂芒はくるりと俺の隣へ向き直る。


「イアル、また拘束してしまって申し訳ありませんが」


「あ、うん。大丈夫だよ。じゃあ素宮さん、行ってくるね」


 憑依状態前提という環境に、イアルの方もそこそこ順応しているらしい。躊躇いなく穂芒を体の中へ溶け込ませると、どうにもお淑やか過ぎる一礼を残し、コンパートメントを出ていった。

 貧乏暇なしと言うが、金があっても忙しいやつは忙しいらしい。尤も、忙しさ質には大きな差がありそうだが。

 まぁ、1人で居られるのは気楽でいい。ただでさえ、これまでもこの先も、仕事を終えるまで子守りからは解放されないのだ。レールを叩く列車の音を子守唄にするのも飽きてきたとはいえ、今の贅沢を満喫しなくてはバチが当たるというもの。

 そう思ってヴィダ酒に手を伸ばした時、控えめなノックがコンパートメントに転がり込んだ。


「ルームサービスでございます」


 時計を見れば、昨日とピタリ同じ時間。鉄道員として叩き込まれた習慣なのかもしれないが、それにしたって律儀な奴だ。

 そういうスタンスは嫌いじゃない。この際新聞でも頼むか、と俺は下男を装い扉を開けた。



 ■



 美しく揺れるモクテルの向こうで、四角い顔をした男は、磨きあげられたように輝く骨の手を組んで、細い視線をこちらへ向けた。


「産業の目処があられる、と?」


 満総裁の低い声に、私は目礼を持って答える。


「先日も申し上げた通り、まだ朧気なものですが」


「興味深いお話だ。この変化を嫌う社会において、どのように経済を刺激されるおつもりなのか。具体的なものであるのなら、是非とも我が社にも噛ませて頂きたいものですが」


「ありがとう存じます。ですが、今はまだ賭けの段階。その双肩に重い責を担われる総裁であればこそ、とてもご期待に沿うことはできないでしょう」


 父と親交のあった彼ならば、義理から支援を打ち出してくれるかもしれない。

 甘えるは容易い事。しかし、穂芒が穂芒として立つために、根無し草のまま援助を受ける訳には行かないのだと、私は緩く首を振った。

 何より、自分の中に芽生えた可能性はまだ、誰びとにも、恩義ある満が相手であっても、打ち明ける訳には行かない。

 ただ、彼はますます興味を深めたらしく、ほほぅと言って顎を撫でた。


「しかし、博打というのは、勝算なくテーブルに着くものではありますまい。全てとは申しませんが、せめてベットをした先に、貴女がどのような結果を望んでおられるのか。その片鱗だけでも、ご教授頂けませんかな?」


 思っていたより食い付きがいい、と私は目を細める。その裏にあるのが善意か好奇心か、はたまた別の感情かは、判断できそうにないが。


「……強いて申し上げるとしたら、アンデッドという種の常識を、根底から覆し得る魔法の矢、と」


「これはこれは……随分と大きく出られましたな。経済や社会の変革ではなく、我らの種そのものに触れる程の何かとは」


「ご支援賜れるのであれば幸いですが、何分途方の無いこと。故に今はまだ、穂芒の娘が何某か成さんと企てているということのみを、存じておいて頂ければ幸いです」


「成程。まさに途方もない、ですなぁ」


 驚いたように、あるいは呆れたように、彼はふぅと肩を落とす。一方、体の中にあるイアルの意志が、小さく首を傾げたように思えた。

 魔法の矢は未だ空想の物に過ぎず、利潤を求める企業にとっては、蜃気楼ほどの価値もないだろう。

 だが、満は大きく息を吐くと、膝に手を置いて深々頭を下げた。


「鋼の如き再興への意志は、よくよく見せて頂いた。孤高なるお姿には全く敬服します」


 おじさま、と。古い古い呼び方が喉の奥から出かかった。もしも満が、昔と変わらず居てくれるならば、これほど心強いことは無い。

 久しぶりに、心の中で穏やかな何かが芽吹いた気がした。

 膝の上に握り込まれた、白い拳を見るまでは。


「なれど、意志とは裏返せば執着とも成りうる。執着は過ぎれば身を滅ぼします。ことに貴女様は、ご自身の価値に気付いておられない」


 寒風が青葉を染め、花を散らすように、冷たい何かが心の奥底に落ちる。

 呑まれるな、という警鐘が、父の声で聞こえた気さえした。


「私は穂芒の末席です。その価値は、継ぐべき使命を成すことでのみ定まるもの。他で揺らぐことはございません」


「……本当に、あの頃から何らお変わりないのですな。嬉しくもあり、虚しくもある」


「申しわけありませんが、総裁の仰られる意味が理解できません」


 ここで確信した。彼の大きなため息は、驚嘆ではなく呆れの方だ。

 理解を得られずとも、寂しさなど感じはしない。ただただ、空虚な気持ちだけが胸の中に浮かぶだけ。


「貴女はレイスだ。我々とはあまりにも異なる。その出自に、お姿に、お声に、どれほどの価値があるとお考えか」


「私は私。それ以上でもそれ以下でもございません」


「高潔さは不変であると?」


「如何にも。そうでなければ、貴きと呼ばれるべき所以など、あってはならぬものでしょう」


「その言霊が社会を、経済を、下層の者達の心さえ変えるとしても、ですか?」


 固い表情のワイトには、それでも昔のよしみがあったのだろう。どこか説得するように、ドンとテーブルに軽い拳を下ろす。

 ただ、最後の一言が私から、彼への期待一切を拭い去ってしまった。

 あれほど硬い信頼関係を結んでいるように見えたアンデッドでさえ、所詮は、と。


「……結局貴方も、私の内なる声を望まれるのですね」


「世の中は変わらねばなりません。今に蔓延る死者自らが、その性質を持って社会の惰性を打ち破る気概を持たねば、発展などありえないのです。どうか私に、いや我が鉄路に、そのお力をお貸しください。さすればこの満、お家の再興にも全身全霊を持って支援させて頂きましょうや!」


 力の入る満の言葉。だが力とは、作用する相手があってこそ価値のあるもの。

 私には既に、凪いだような諦念と、幾星霜の日々に感じていたものと似た後悔しか残されておらず、そこにはどんな言葉も響きはしない。


「アンデッドは己の意思があればこそ、生者が如く振る舞える。その意思を縛り付けるレイスの声は、死者としての尊厳さえ奪い、傀儡としてしまいかねない危険なもの。我らがどのような立場にあろうとも、易々と用いて良いものではありません」


「あぁ、お父上が思い出されますな。高潔であり、しかし何も変わらない。変えられない者の答えだ」


「亡き父の意志を、この身が正しく受け継いでいること、嬉しく存じます。それが我らの、守るべき矜持なればこそ」


 キッパリと言い切る。たとえ無頼の境遇に身を落とそうとも、守るべき矜持を奪うことは何者にもできはしない。

 私の態度から、満は絶対を悟ったのだろう。眉間を押さえながら、ゆっくりとソファの背もたれに体を沈めた。


「……貴女であれば、聞き分けてくださるかと思いましたが、残念です」


「貴方には感謝しております。故にこそ、お互いの道は交わらぬ方が建設的というものでしょう。本日は私のような小娘を相手に、このような場を設けて頂き、ありがとうございました」


 席を立った私は、ドレスの裾を小さく持ち上げ、深く深く頭を下げる。

 せめてこの部屋を出るまでは、救われた大恩を忘れぬように、誇りを持ってと。

 だが、私が踵を返したところで、外から開かれぬはずの貫通扉が、ガチャリと音を立てた。


「お帰りにはちと早いですなぁらリトルレディ?」


「私の道を塞ごうとは、なんのつもりです?」


 不躾にカーペットを踏みしめ、私の前に立ち塞がったのは、つぎはぎだらけのみすぼらしいスリーピーススーツに身を包んだゾンビだった。

 背の高い肉体は、何度も補修を繰り返しているのだろう。種族の割に腐敗の進行は抑えられており、黒いテンガロンハットの奥では金の差し歯が輝いている。

 その雰囲気から、ただの無頼で無いことはすぐに分かった。背後でギシリとソファが鳴ればなおのこと。


「貴女は既に一度失われた影だ。それをどう扱うかは、拾い上げた私にこそ権利があるというもの」


「……それはいささか、暴論が過ぎるかと存じますが」


「古い友の娘さんだ。手荒な真似はしたくありません。どうかこれ以上、我を通すのは御止め下さい」


 満は柔らかな物腰を崩さず、表情には憂いすら滲んでいる。お陰で大切なことを1つ思い出した。


 ――そうでしたね。貴方は我々と違う。生きる死者となってより、定められた貴きでは。


 前言を撤回しよう。彼はレイスの力にすり寄ってきた有象無象ではない。これまでの言葉に嘘は無く、おじさまと呼んだいつかの日から、変わらぬままの方なのだと信じられる。

 なればこそ、私はその手を払わねばならない。


「無用な争いは避けるべきかと存じます。よもや、バンハルドを知らぬはずがないと思いますが」


 私の使用人は強い。並のアンデッドでは、太刀打ち出来ぬほど。そうなるよう作られた種族だ。

 お忘れですか、と小さく首を傾げてみせる。しかし、これに細い笑いを零したのは、用心棒かなにかであろうゾンビの方だった。


「その考え方はいけませんなぁ。歴史が語るとおり、力を図る上で重視すべきは質より数。さらに申し上げれば、双方併せ持つ者が敵に居ないと、何故言い切れるんですかね?」


 ゴロリと音を立て、再び貫通扉が開かれる。そこから現れたのは、この車両を警護していたミイラの乗務員と、扉枠に突っかかりそうなほど大柄なパッチワークグール。

 そして、真逆な見た目の2体の間には、力無く横たわる青白い姿があった。


「っ……バンハルド……!」


 動揺は僅かながら声に乗る。

 争うような音は聞こえなかった。となると、バンハルドは奇襲されたのだろう。だが、それにしてもレヴナントを軽々倒すとなれば、この2体は見た目通りではないのだろう。

 当然、その指揮を執るスリーピースゾンビもだ。


「おぉ怖い怖い。ガワは防腐死体でも、中身はレイスってだけあって、睨まれたら流石にブルっちまいますわ。ですがご安心を。見ての通り、灰になっちゃいませんから、ね?」


 堪忍堪忍と両手を広げて1歩退くゾンビ。睨んだつもりは無かったが、私の視線は自然と鋭くなっていたらしい。

 言葉通りの恐怖など、微塵も感じてはいないだろうが。


「貴女を守るナイトはもう居ない。どうか、御身を大切になされよ」


 後ろからの穏やかな声に、私は小さく息を吐いた。

 柔らかい手を握る。何者とも争った事がないような体に、ごめんなさいと心の中で謝って。


「平伏せよ」


 私は喉では無い場所から、空気をさざ波のように震わせた。


「ぬぐ……っ!?」


 目には見えない力。レイスが特別と言われる理由の片鱗。

 それはまるで、重力が急激に大きくなったかのように、声の届く範囲に居たアンデッド全員を、その場へ膝まづかせた。


「か……はっ……こ、このチビ、本気で……!?」


「私は誇りある穂芒の末席。他者の意識を塗り替えるような真似を戒めてあれど、外敵を払い除けるほどの力さえないと思われるのは心外です」


 焦りの形相でこちらを見上げる用心棒。それを一瞥してから、私はゆっくりと満の前へ歩み寄る。


「我が身すら守れぬようで、貴きなどおこがましい。父上は仰いませんでしたか? 満総裁?」


 バンハルドは優秀な使用人であり戦士だが、父が彼をこの身に仕えさぜたのは、言霊を使わせない為の安全装置としての意味合いが強かっただろう。

 私は未だ、その禁を破ってはいない。意識を塗り替えてしまうような力を使わずとも、金縛りを与えるくらいは容易なことなのだから。

 情を心の奥底に秘めたまま、私が冷たい表情で満を睥睨すれば、膝を着いた彼は軋むように顔を上げ、ぎこちない笑みをこちらへ向けた。


「は、はは……仰っていましたとも。何度も何度も……」


 喉の奥が微かに詰まる。

 最早止めないと、ただ私をこの部屋から帰すと言ってくれれば、それだけでいい。これ以上、彼を苦しめるようなことはしたくないのだ。

 けれど、それは私の願望に過ぎなかったのだろう。


「故に、こそ」


 情は反応を鈍らせる。彼の目に宿った燃えるような意志に、私がほんの一瞬躊躇ったせいかもしれない。

 満が動かせたのは片腕だけ。それも軋むような動きだったが、何かを起こすには十分だったらしい。

 骨の手の中で瞬いた青白い光に、私は影である本当の身体が、吸いこまれるような感覚を覚えた。


「っ……!? これは……!?」


「我々とて、切札の1つ2つは用意しておりますとも。出来ることならば、貴女に使いたくはありませんでしたが」


 体を振ったところで抗うことは叶わず、光は影を蝕み、私の意識が肉体から剥がれされていく。

 同時に声の力も解けたのか、悲しげな男の顔が前に浮かんでいた。それは勝利の確信に他ならない。


 ――イアル、貴女だけでも。


 どうか逃げ延びて。それから、巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。

 私の声が彼女に届くことはなかっただろう。最後まで繋がっていた意識すら、僅かな間すら耐えること叶わずプッツリと切れ、支えを失った意識は光の中へと溶けて行った。

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