第19話 身を持たぬ者の宿命

「身体探し?」


 蝋燭の揺れる小部屋の中、イアルはカクンと首を傾げる。


「左様にございます。物質としての身を持たぬ霊体型アンデッドは、少しづつ存在が希薄化し、やがては消滅しまうもの。長く霊体のままであられるお嬢様は、既に陽射しにすら耐えられぬ程弱られておりまして」


「だから、新鮮そうなイアルに目をつけた、か」


 正座させられたバンハルドを前に、俺は繋ぎ直した腕を確認しながら、フンとありもしない鼻を鳴らした。

 今まで霊体型と接する機会などほとんどなかったが、その特徴に関しては聞き覚えもある。紳士然としたレヴナントが手段を選ばない行動に出たことも含め、穂芒こだまの状態が手段を選べぬほどに悪化していることは疑いようもないだろう。


「事情はわかったが、いくつか疑問がある。まずはアンタのことだ、穂芒」


「なんなりと」


 俺が顔を巡らせれば、影をドレスのように纏う少女霊は、感情の読めない大きな目をゆっくりと閉じて応じる。

 そういう所作の1つ1つこそ、疑問の発端なのだが。


「何故レイスがこんな場所に居る? 霊体型アンデッドの上位種ともなれば、庶民以下を見下すような立場だろう」


 身体の構造はともかくとして、見た目の上だけならば、ハイコープスと並んで人間と変わらないアンデッド。

 アンデッド化が避けられないことを悟った人間たちは、往年の姿を保ち続けることを強く望んでいた。しかし、今を彷徨う死体たちを見ればわかる通り、誰しもがそうなれたわけではない。むしろ、権利を得られる者はほんの一握りだったと言うべきだろう。

 他の死体を乗っ取る力や、アンデッドの意識に影響を与える強力な声を持つことも含め、彼らのほとんどは死者の世界でも支配層となっているはず。少なくとも、俺が見聞きしたことのある範囲では、自分と同じようなドブ攫いや、汗を流して働く市民の中に霊体型の姿を見たことはない。

 ではこの女は何なのか。訝し気に首を傾げて見せれば、それを執事は侮辱と受け取ったらしい。彼はドンと床を鳴らして膝を立てた。


「言葉に気をつけなされよ。それとも、まだ先程の続きがしたいと申されるか」


「黙りなさいバンハルド。此度のことは、一切の責はこちらあるのです。今の我らには、無礼を責める権利などありません」


 主にぴしゃりと言い切られてしまえば、使用人がそれ以上物申すことなどできず、バンハルドは苦々し気に引き下がる。

 その姿を見据えた後、穂芒は赤い瞳で俺を見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「仰る通り、私は元々都市を統べる一族の末席でありました。死者を阻む山脈を越えた先にて、長く栄えた鉱山都市をご存じですか?」


「覚えがある。確か、霊石の鉱脈が見つかって発展した町だったとか」


「左様です。しかし、霊石とは霊脈に連なるもの。如何に細心の注意を払えど、災害の危険は常につきまといます。その脅威を、我が一族は甘く見積っておりました」


 霊石といえば、アンデッドが活動を続けるために必要な、生命エネルギーを宿した鉱物の総称である。

 アンジェライムやソウリウムといった魂魄植物などと同じく、アンデッド達はこれを食品として利用する。ただし、魂魄植物と違って、庶民以下が容易く手に入れられるものでは無いが。

 畑作をせずとも大量に採れる高級食材。それが都市に莫大な利益をもたらす事は想像に難くない。穂芒のような支配層からすれば、まさしく金の成る木だっただろう。

 だが、彼女はそれを悔いるかのように、ゆるゆると首を横に振った。


「刺激された霊脈が引き起こしたのは、急激かつ局地的な地殻変動です。僅か一晩の内に都市の全ては土中へと呑み込まれ、その場所は何も無い平らな大地へと回帰しました。逃げ延びた私とバンハルドだけを残して」


「成程、身体を持っていない訳だ」


「ええと、繋がりが見えないんだけど、どういうこと?」


 俺はすぐに理由を察することができたものの、イアルは世間知らずが故か。難しそうな顔をして首を傾げる。

 とはいえ、大して難しい話でもない。当事者でなくとも説明ができるくらいには。


「霊体型の特徴だ。スペクターやレイスってのは基本、死体に憑依して活動するんだが、他のアンデッドと違って借り物の体は、どうしたって劣化していく。だから、防腐死体のケア用設備やら交換用ボディのストックやらが必要になるんだが、どっちも支配者層以外には荷が重い。そうだな?」


「仰る通りです。都市と共に、私の体やメンテナンス用の設備は失われました。最後の身体は長く耐えてくれましたが、数年前にいよいよ憑依していられなくなり、以後は霊体として過ごす他なく」


「それで、私を……」


 はぁー、とイアルは感嘆するように息を吐く。危うく体を乗っ取られかけていたというのに、呑気なものである。

 とはいえ、世間知らず娘の考えなどこの際どうでもよく、俺は暗い眼孔を影のような娘へと向けた。


「しかし、わからんな。俺の記憶が間違っていなければ、霊体型は体を乗っ取れるはずだ。何故、こいつの身体を奪わなかった」


 俺はレイスが持つ全ての力を知っている訳では無い。だが、他者の肉体を奪うことに関しては、己を維持し続けるために必須な力。あるいは本能と言ってもいいはず。何の意図があって、と聞きたくなるのは当然だろう。

 そんな俺の問に対し、穂芒は澄まし顔を崩すことなく、さも当然と言い放つ。


「私は誇りある穂芒の末席です。盗人のような真似をせねば永らえられぬ魂魄であるならば、時の流れの中で消えゆくに任せることを選びましょう」


 誇り。

 なんと良家のお嬢様らしい物言いであろうか。アンデッドと化してもなお、雲の上の存在というのは変わらず、自らを特別とする価値観を維持し続けているらしい。


「大層な御意志を揺るがせないために、執事が裏で強硬手段に出た、と」


「面目次第もございません」


 全く理解できない、とまでは言わないが、そのあまりにも頑なな姿勢には正直呆れてしまった。

 なんなら、小さくなるバンハルドの方に、僅かながら同情したくなったくらいだ。

 しかし、俺が手の施しようがないと肩を竦めていれば、今度はイアルがハテナと首を傾げる。


「あれ? でも、こだまは私が目を覚ますまで、私の意識があるなんて知らなかったんだよね? どうして憑依しようとしなかったの?」


「……試みはしたのです。しかし、先にも申し上げた通り、私が行うのはあくまで魂亡き身体への憑依。内に閉じられた意識があれば、うまくいかぬのは当然のことでしょう」


 凛と澄ました穂芒の表情が、ほんの僅かながら曇ったように見えた。

 内心は機会を逸した悔しさか、あるいは、持ち主のある身体へ侵入を試みたことへの後悔か。どちらにせよ、消滅することへの恐怖を完全に覆い隠すことなど、どれほど気品を持ったところで不可能だろう。

 だからこそ、バンハルドは堪えられぬと声を上げた。


「お言葉ですがお嬢様! 御身は最早、陽も浴びれぬほどに弱られておりまする。このままでは本当に早晩――」


「それでも、他者より奪うことはまかりなりません。たとえこの世に何を残せぬとも、我が家名を貶めることだけは、決して」


「なればどうか、どうかこの身を!」


「分かっているでしょうバンハルド。性の違いは霊体にとって大きな障害となる。それに、貴方の心は受け取っているつもりですよ」


 穂芒はキリリと引き締めた表情で、しかし視線には暖かな感情を乗せて、そう言いきってみせる。

 このご令嬢は気高い。故に、呪いのような誇りを抱いて消滅するのだろう。全く大した覚悟だ。

 外野の自分たちには、口を挟む権利などない。否、こちらのすべきことは、今回の件をどこで手打ちとするかを提示し、穂芒がしがみつく誇りとやらを守ってやることだろう。

 と、思ったのだが。


「ねぇ、素宮さん。閉じられた意識って、何かわかる?」


 俺の雇い主様は、どうやら自分と正反対のオツムをお持ちらしい。何かを訴えようとしている青い瞳からは、隠す気のない真剣さがヒシヒシと伝わってくる。

 馬鹿正直、と言い換えるべきかもしれないが。


「それを知ったところでどうする? お前が身代わりになってやるとでも言うのか?」


「だって、放っておけないじゃない。こんなに困ってるのに」


「己惚れるなよ。お前が成すべきことはなんだ。この世のあらゆるアンデッドを救って回ることか? 違うだろ」


「それは、そうだけど……そうなんだけどぉ……」


 そう言って彼女は自らの顔を押えながら、うむむむと唸り出す。

 全くもって、お人好しな娘である。あの狂人的な部分を持つウン・モーソレムと暮らしていたというのが、嘘なのではないかと疑ってしまうほどに。

 あるいは、そこがこいつの生まれ持つ根っこなのだろう。

 突き放すように諦めを促す俺の言葉に、長く長く悩んではいたものの、やがて吹っ切れたように、やっぱりダメだ! と声を上げた。


「見て見ぬ振りなんて私にはできない。どうしても、できないよ」


「さっきまで誘拐されてたってのに、めでたい頭してるな」


 お前は被害者なんだぞ、と最後の抵抗を試みる。そう言ったところで、彼女は困ったように笑うだけだった。

 相変わらず、こんなところでばかり頑固な奴だ。そうでなければ、俺も引きずられるようなことは無かったのだろう。

 馬鹿馬鹿しい。イアル以上に、自分の投げやりさが。


「好きにしろよ。俺はもう何も言わん」


「……ごめん、なさい」


「誰が謝れと言った。曲がりなりにも雇い主なんだろ。いちいち飼い犬の顔色なんざ気にしてるんじゃねえ」


「――ッ!」


 彼女はハッとしたように顔を上げる。

 俺はただのドブさらいだ。大義の在り方なんぞに助言が出来るほど、偉そうな頭は持ち合わせていない。労働者がどうボヤいたところで、行く道を指し示すのは上の仕事なのだ。

 ならばせめてそれらしく、シャンと胸を張れ。無言の視線でそう訴えれば、イアルの小さな唇に力が籠ったのがわかった。


「ねぇ、こだま! 私に手伝えることってないかな!?」


「先に申し上げたはずです。奪ってまで永らえるつもりはございません」


「私だって、この身体をあげるなんて言えないよ。けど――」


 壊れたプレイヤーのように繰り返される拒絶の言葉にも、イアルは臆すことなく穂芒の間合いへと踏み込んでいく。

 影のような体。霊体のそれは触れることの出来ないものではあるが、ハイコープスは少女霊に向けて、自らの小さな手を差し出して見せた。


「貸してあげる事なら、できるんじゃないかなって」

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