第18話 レディ・シャドウ
床にあったはずの影はなく、その形のままに剥がれて浮き上がった、と言えばいいだろうか。
見た目は黒いドレスのような服を着た人間の少女。ただ、その体は蝋燭の光が後ろへ突き抜け、僅かに透けていた。
呆気にとられる私に対し、彼女は小さく口を開く。
「貴女は、何者です?」
「えっ!? あ、えっと、私はイアルと言いま――あっ」
自己紹介の最中、自分の声が籠っていないことに気が付いて、言葉が詰まる。
ウンおばさんは言った。見ず知らずの者に、この体を見られるのはトラブルの元となる。だから信頼できる者以外には、ハイコープスという名も含めてできるだけ隠すようにと。
しかし、少女の目は確実に私を捉えている。隠すことができない以上、次はどう誤魔化すかを考えねばならず、焦った頭はぐるぐると回りだし。
「イアル……その体は、貴女の物ですか?」
奇妙な質問にはたと首を傾げる。
「う、うん。人間の頃の記憶はないけど、私のだと思います、よ?」
彼女が何を知りたいのか、私にはサッパリ理解できず、おかげで疑問符だらけの返事が口から零れる。
そんな答えにも、少女は何やら考え込んだ様子だった。
居心地の悪い沈黙が部屋の中へ満ちる。それが暫く続き、耐えられなくなった私が声をかけようとした所、まるで狙っていたかのように、彼女は再び凛とした視線をこちらへ向けた。
「重ねて問います。貴女は何者ですか。人間が失われて幾星霜、未だそのような身体を維持しているゾンビが居るとは思えません」
「う゛っ」
見た目は私と同じで子どものようなのに、物凄く答えにくい部分を的確に突いてくる。それも迷いのない声でだ。
「こ、この体はその……と、特別製で」
我ながら、なんと陳腐な言い訳だろう。こちらを射抜くようにジッと見つめてくる赤い視線に、穴があったら入りたい。否、穴を掘ってでもこの場から逃げ出したくてたまらない。
だが意外なことに、彼女はふむ、と小さく頷くではないか。
「なるほど。同族かとも思いましたが、貴女もバンハルドと同じで、普通の種ではないのですね」
助かった、と本気で思った。どうして納得してくれたのかはわからないが、下手に理由を深掘りするのは危険な気がして、私はすぐに話題を逸らした。
無論、それが気になる部分でもあったからなのだが。
「そういうあなたは、誰なんですか?」
「……失礼、少々興奮してしまいました。私は
こだまと名乗った影の少女は、半歩下がりながら黒いドレスの裾を持ち上げて小さく頭を下げる。何とも優雅な雰囲気であり、興奮していたようにはとても思えない。
おかげで呆気にとられた私は、はぁー、と吐息のような返事が零してしまい、そうじゃないそうじゃないと首を振った。
「あの、こだまさん。どうして私はこの部屋に? というか、ここは何処なんでしょう?」
「バンハルド――我が執事の話が正しければ、貴女はその身体を何者かによって売られていたとのこと。取引を経て、ここへ連れ帰られたことになります。覚えはありますか?」
「いえ……私はただ、ずっと旅をしていただけで」
これまでのことが全部夢でないなら、私は誰かの商品になったことなんてないはず。それに、ただでさえ私は不器用なのだ。ハイコープスとしてなら価値があるかも知れないが、身体だけがあったところで使い道なんてない。
「旅を――」
少女は何を思ったのだろう。音もなく私の傍へ近づいてくると、影の上にぺたりと座りこんだ。
「もし差し支えなければ、そのお話、聞かせて頂いても?」
「あ、うん」
それが単なる好奇心だったのか、それとも何かを探ろうとしているのかはわからない。ただ、どこか前のめりな彼女の雰囲気に、どうしても私は断る気になれなかった。
大切な人との約束を果たすためにネクロポリスを目指していること。その為に砂の町で素宮さんを訪ね、掃き溜めで大変な目に遭い、助けられたこと。ホネバミに襲われたこと。雇い主となったこと。
ハイコープスに関する秘密だけを包み隠しながら話していく。こだまはずっと静かに、時折小さく相槌を打ちながら、なんとなく興味深そうに聞いていた。
「夜のダイナーで聞きこんでいたんだ。古い人間文明の遺跡があれば、もしかしたら私の目指してる物が――」
順を追って話す中、何かが引っ掛かった。
言葉を続けようとしても出てこない。正しく言えば、その先で記憶が途切れているのだ。
不思議そうにこだまの首が傾く。
「どうかなされましたか?」
じわりと滲む、人間文明の遺跡。私が探している物の名前。
「そうだ……クライオセイフ。あの時私、青白いミイラが知ってるって聞いて……その後、は?」
思い出せない。お酒を勧められて、一緒に店を出たところまではハッキリと覚えているのに、その先が出てこない。
「まさか、バンハルド……」
「え?」
私が何を聞き返すよりも早く、スッとこだまが立ち上がる。
元々表情が硬いのか、少女は真顔を崩さない。
ただ、その小さく僅かに透けた体からは、何と表現していいかわからない感情の渦が圧として発されているようだった。
「ど、どうしたの?」
「イアル……私は、貴女に謝らねばならないかもしれません」
「謝るって、何を?」
「――ついてきてください」
そう短く告げると、こだまは溶けるように影は扉へ向かい、手も触れずにそれを開いて見せる。
躊躇いなく進む彼女の背中は、怒っているようにも、困惑しているようにも思えた。
■
何発殴った蹴った。何発身体に貰った。既にどちらも、両の手指では数えられないだろう。
最初は互角に渡り合えていたかもしれないし、単純な技量ならまだ俺に分があったと言ったっていい。
だが、体の性能が、拳の重さがあまりにも違いすぎた。
2発、3発と腹に拳を叩き込んでも、バンハルドはまるで戦車のようにほとんど揺らがず、反撃の1発を貰えば、両腕で受け止めてもなお頭蓋の奥まで衝撃が突き抜ける。
「ごほ――ッ!」
肋骨が砕けたかのような感覚を、歯を食いしばって耐え忍ぶ。
ただの骨が、よく折れも割れもせずに耐えられているものだなんて、他人事のように思いながら、それでもまた拳を握りなおした。
「驚くほどのしぶとさですな。たかがスケルトンの身体でありながら、これほどとは」
「ハッ……お前にだけは、言われたくないが」
包帯の隙間から覗く闘志に、唾を吐けないことが残念でならない。
バンハルドが背筋を伸ばし、白い手袋に包まれた拳を構える。最初と同じように、気迫を漲らせながら。
元々、武器の優位が失われた時点でジリ貧なのは承知。気付かれないよう拾おうとしていたショットガンは遠く、そもそも奴が見逃してくれるとも思えない。
かと言って、体を保たせている意識も、次の1発を耐えられるかわからないレベルだが。
それでも。
――やっぱり私って、面倒くさい、のかな。
乾いた頭蓋に反響する、どこか囁くような声。
分かりきったことを抜かすな。お前が面倒臭くなかったら、誰がこんなところまで引きずられてくるものか。
好きとか嫌いとか、そんなものが。
顎を締める、拳を握る。笑う膝に喝を入れ、両の足で床を踏みしめた。
「こいよジェントルメン。先にステージから降りる役者はどっちか、その生ッ白い頭に叩き込んでやる」
「意気込みはよし。なれば、ご遠慮なく!」
レヴナントの食いしばられた歯が見える。
駆ける速度は速く、振られる拳はなお速く。
初手を半身引いて躱し、続くラッシュを拳で弾き、肘で受け止め、前腕で受け流し、それでも追いつけなくなって徐々に後ろへ追いやられる。
痺れる手を止めてしまえば、瞬時に意識を刈り取られるだろう。だが、あと10発、あるいは20発か。とにかくさばけるだけさばいて後退し、ショットガンまで距離を詰めれば、まだ。
「がぁああッ!」
レヴナントの叫びは、まるで獣のようだった。横から飛んでくるハンマーパンチを肘で受けるも、勢いを殺しきれず体ごと地面へ転がされる。
否、俺は自ら飛んだのだ。最小限のダメージで、打ち砕かれた風を装って。
後は手を伸ばすのみ。銃口を眉間に突き付けられれば、いかに強靭な体だろうと関係ない。
「ぐぅ……ッ!?」
伸ばした手に走る痛み。
骨の甲にのしかかったのは、磨き上げられた黒い革靴だった。
「やれやれ、ここへ来て随分と見苦しい真似をなさるものだ。もう少し往生際がよい物かと見込んでいましたが」
身体をバタつかせてもがこうとも、踏みつけられた手はピクリとも動かせず、こちらを見下すレヴナントの目は恐ろしく冷たい。
バンハルドという男は、想像以上に武人らしい。今更武器に手を伸ばした俺を、心の底から軽蔑したことだろう。腕を踏みつけているのと反対の足が、こちらの頭上へ向けて静かに持ち上げられた。
「所詮は気品など持たぬ骨、覚えておく程の価値もないでしょう。そのまま、物言わぬ灰となり、荒涼たる風に消えなさい」
黒い靴底が降ってくる。腕を押さえられて動けない俺の頭蓋へ向けて。
レヴナントの力なら、たかが頭蓋骨の1つ程度、容易く砕けることだろう。
――価値、ね。掃き溜めの屑にそんなものを見出そうなんて、こいつも相当阿呆らしいな。
コツン、と。肩に小さな衝撃と、懐かしくも思える痛みが走る。
床板が砕ける音。舞い上がる木屑の中、目を見開くその顔に、俺は小さく笑った。
「油断しすぎたな、ジェントルメン」
振り下ろされた踵は頭蓋骨から僅かに逸れて突き刺さる。何のことはない、動けないはずの俺が動いたからだ。
止めを意図した大ぶりな攻撃は、少なからぬ隙を生む。驚愕まで加えれば、おつりも来るだろう。
「なん――ごはぁ!?」
飛び上がるように走った骨の拳。どれだけ軽いと言っても、全身を跳ねさせたアッパー気味が、顎の中心を捉えれば、流石に平然とはしていられまい。
それでも流石はレヴナント。大きく後ろへよろけながらも、膝をつくことなく耐えて見せた。
しかし、耐えられようが耐えられまいが、既に勝負は決している。俺はアッパーカットを決めた直後、そのままショットガンへ飛びついていたのだから。
前転1回。立膝の姿勢で向き直り、片手でフォアエンドを操作し、チャンバーへと弾を送り込む。
照星を覗き込む必要もない。ギリギリ拳の届かない位置から銃口を向けられたバンハルドは、ギリリと顎を鳴らしていた。
「ば、馬鹿な……いくらスケルトンと言えど、自ら腕を切り離すなど」
ダラリと垂れたジャケットの袖、床に転がった腕の骨。敢えて犠牲にした、利き腕でない方の腕である。
肉も筋もない種族であろうと、骨が切り離される時にはかなりの痛みを伴う。表現するならそれは、虫歯を噛みしめた時のようなものであり、誰にでもできることではない。
だが、俺にとっては何度も経験したことであり、慣れというのは次第に痛みをも奪っていくものだ。
「言っただろう。先に退場するのがどっちか、教えてやるってな」
「っ……できると思うか。たった1発で、この私を」
ユラリと肉体に力を漲らせるバンハルド。だが、その額には焦りが浮かんでいた。
当然だろう。最初よりも距離が近い上、動きもここまでで随分見させてもらったのだ。その意味がわからない程、こいつは間抜けじゃない。
「物言わぬ灰となり、荒涼たる風に消えなさい、だったか? そっくりそのまま返してやる」
トリガへかかる指へ力を込める。後はその眉間がサボットスラッグの威力に吹き飛ばされるのみ。いつしか観客のようになっていたアンデッド達の、悲鳴とも歓声ともつかぬ叫びが波のように押し寄せ。
「止まりなさい!」
「――ッ!?」
それはまるで衝撃波のようだった。
突如響き渡った凛とした声に、俺はおろか、バンハルドも、周りにいる賑やかしのアンデッドさえ、まるで石になったかのように硬直する。
金縛りのような感覚はほんの一瞬だった。しかし、体の自由が戻ったところで、誰もが呆然と立ち尽くすばかり。
唯一、バンハルドだけはピシリと背筋を伸ばすや、後ろへ向かって深々頭を下げていたが。
「素宮さん!」
パタパタと駆けてくる小さな体に、ショットガンを背負い直す。
特に怪我をしている様子もなく、二度と戻らないなどと脅されていた分、拍子抜けのついでに苛立ちが込み上げてきた。
――あの世間知らず、悠々と出てきやがって。だが、今はそれよりも。
気になるのはイアルの隣に立つ黒い影。ただ、俺が誰何するより先に、ガスマスクのチビがこちらへ向かって飛んできた。
「た、大変! すぐに腕の治療を――痛ぁ!?」
ガチンとなった拳骨は、音の通りに中々効いたことだろう。イアルは唸りながら、頭を押さえて蹲る。
「どの面下げて言ってんだお前は。面倒かけさせやがって」
「うぅぅ……な、何も叩かなくたっていいじゃないぃ」
「1発で済ませただけ優しいと思え。他にも言いたいことは山ほどあるが、今は全部後回しだ」
拳骨をぶち込んだ頭頂部に骨の手をポンとつきつつ、俺はゆっくりと黒い影のような存在へ向き直る。
たった一声で、数多のアンデッドから自由を奪い、場の空気を支配してみせた特殊な存在に。
「スペクター……いや、レイスか?」
「スケルトン、貴方が素宮ですね。我が種を指すのなら、後者が正しいかと」
嫌な予感と言うのは、常々正解を導くらしい。
声でアンデッドを支配する力を持つ、強力な
相性としては最悪の部類。これが敵の増援なら、俺はもう逃げる以外の選択肢を持っていなかったと言っていい。
しかし、影のような少女は静かにスカートの裾を持ち上げて頭を下げると、何やら申し訳なさそうに目を伏せる。
一方、驚いたような声を響かせたのは、先ほどまで暴れまわっていた執事の方だった。
「お、お嬢様! どこの馬の骨ともわからぬ輩に、御身の事をそのように易々と――ぬぉあぁぁぁぁッ!?」
宙を舞うバンハルド。影の少女は人差し指を軽く動かしただけなのだが、あれほど苦しめられた重い身体は、まるで紙吹雪のようにいとも容易く吹き飛ばされるではないか。
俺とイアルは勿論、観衆となっていたアンデッドたちまでもが、絶対強者と言った風貌を誇った男が飛翔する様を、ただ目で追いかけるしかなかった。
「あばがぁ!?」
ドーンと音を立てて瓦礫の中へ墜落する使用人。埃の舞い上がるその場所へ向け、レイスの少女はゆらゆらと近づきながら、感情の籠らない凛とした声を響かせる。
「聞きたいことがありますバンハルド。お前は、私に嘘をつきましたか?」
まるで氷のようだと思った。イアルと大差がない小さな体から、それほどまでに冷たい圧力を発しつつ、彼女はつとつとと歩みを進めていく。
そのプレッシャーは凄まじく、墜落地点付近で垣根を作っていたアンデッドたちは、揃ってじわりじわりと後ずさって距離をとった。
しかし、床へ叩きつけられた当のバンハルドは、流石にプロの使用人と言ったところか。ガタガタと音を立てて瓦礫を退かせるや、その場で立膝の姿勢を作り、深々頭を下げて見せた。
「勝手をお許しくださいませお嬢様! このバンハルド、斯様な機会は二度と訪れぬやもしれぬものと考え、全てはお嬢様の為と――べぶるぁ!?」
顔を上げた所で、ガゴォンと重々しい音を立ててコンクリートの塊がバンハルドの頭部を直撃する。傍目に見れば、即灰となってもおかしくないような状況だったが、どうやらこのお嬢様は、その辺りの加減が絶妙なのだろう。青白い執事は身体を痙攣させてこそいたが、屍の形が崩れていく兆候は一切見えてこない。
執事がその形を留めたまま沈黙したところで、レイスは疲れた様にふぅと小さくため息をつくと、静かにこちらへと向き直って頭を下げた。
「この度は、我が家の者が大変なご迷惑をおかけしました。
令嬢、と呼ぶにふさわしい振舞いと、全く躊躇うことなく身を捧げる覚悟に、周囲からどよめきが起きる。イアルも面食らった様子で、おどおどしながら俺とホススキとか言うのを交互に見比べていた。
こちらとしては、呆れてため息をつこうとも思えないのだが。
「要らん。それよりも、まずは状況を説明してくれ」
俺の返事に、レイスは少し意外そうな顔をしたように見えた。
しかし、それはほんの一瞬であり、すぐにすまし顔を作り直すと、また小さく目礼して見せる。
「……承知いたしました」
つい、と少女が指を動かせば、まるで磁石に引き寄せられるかの如く、バンハルドの身体が彼女の真正面へと引き寄せられる。
「起きなさいバンハルド」
「うぅん……ハッ!?」
「直ちに事態の説明を。一切、嘘偽りなく」
失神から目覚めた途端、真正面から絶対零度のような視線に晒された青白い身体は、小さく震えていたように見えた。
少し、ほんの少しだけだが、同情の念が湧いたような気がする。
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