第17話 特別な種族

 急げ急げと声がする。

 見れば建物の正面扉から、ハンチングを被った骸骨が顔を出し、外へ向かって忙しなく手招きをしていた。

 それに応じるように、2、3匹の死体が慌てた様子で建物の中へと駆け込んでいく。

 正面の警備が全滅したことは、中の連中にも伝わっているらしい。俺がゆっくりと近づいてることに気付くや、ハンチング髑髏は中へ向かって声を張り上げた。


「来たぞ! 閉めろ閉めろ!」


 目の前で大きな扉が軋みを響かせて閉じられる。

 どうやら今までの薄っぺらな警備から、籠城する方向に作戦を変えたらしい。薄い壁越しには、本当に1匹だけだったとか、これで簡単には入ってこれないはずだとか、そんな会話が微かに聞こえていた。


 ――嫌われたもんだな。まぁ、好かれる努力をする気もないが。


 まるで映画に出てくるモンスターかのような対応に、俺は小さく肩を竦める。否、人間が生き残っていたとすれば、俺たちはまとめてモンスターなのだが。

 さてどうするか。礼拝者を受け入れてきたであろう観音開きの扉はそれなりに堅牢らしく、押しても引いても骨身1つ分の力ではびくともしない。

 だが、水密扉のような作りでないのならやりようもあると、俺はショットガンのフォアエンドをガシャンと前後させた。

 ガァンと響く銃声。サボットスラッグの威力にぶ厚い木片が砕け、ヒンジがはじけ飛ぶ。

 貴重で高価な弾を勿体なくも思うが、ここでケチっても仕方がない。狙いを変えつつ至近距離から2発、3発と繰り返し。

 そして4発目。全ての蝶番が弾丸に剥がされた扉は、軽く蹴とばしただけで奥へ向かってギギギと倒れていく。

 中には長椅子や講壇を積み上げただけの、簡単なバリケードが作られていたらしい。ただ、長年に渡る風化で朽ちていたそれらは、内側へと倒れこんだ扉の圧力に吹き飛ばされ、木片を死体共の頭上へと降らせただけだった。

 破砕音が鳴りやんだ建物の中、俺は扉の上へ靴音を響かせる。


「こんな夜更けに邪魔して悪いな。あんまりツレの帰りが遅いんで、迎えに来させてもらった」


 舞い上がった埃の向こうには、緊張した様子でこちらを囲む死体共。

 穴の開いた天井から注ぐ月明りに輝く、マチェットに銛にモンキーレンチ。鉄パイプで作られた拳銃らしき物を構える奴も数体見える。

 どいつもこいつも、たかが骨の1匹相手に大仰なことだ。


「そんなに警戒するなよ。俺の目的はガスマスク被ったチビだけだ。拾ったらすぐ帰る」


「てんめぇぬけぬけと……俺たちの仲間をボコっといて、タダで帰れると思ってんのか!?」


 そう叫ぶのは、さっき顔を出していたハンチングを被る同族だ。顔役代理、とでも言ったところか。

 だが根本がズレている。一言目こそ穏やかな口調を心がけたが、繰り返せるほど俺は呑気じゃない。


「おい勘違いするなよチンピラ。先に手ぇ出したのはそっちだろ。それでも、今すぐアイツを返すなら、このまま回れ右してやると言ってるんだ」


「なっ、舐ぁめやがってぇ! お前ら、やっちま――」


 骨が言い切るより先に、金属の音がかぁんと響いた。

 柱に突き立ったファイティングナイフ。その下に揺れるベージュの布は、つい先程までスケルトンの頭に乗っていたものとよく似ていた。


「これが最後のだ。今逃げる奴は追わん。サッサと失せろ。それでもまだ続けるってんなら――」


 崩れたバリケードの向こうで、ハンチングを失った骨が尻もちをつく。俺は腰を抜かしたその頭蓋骨に、ショットガンの銃口を向けた。


「灰に還る覚悟は、できてんだろうな」


 踏み込む1歩。たかが脅しだ、たった1匹の骸骨だと、勢い勇んで飛び出してくる奴はいない。

 否、いい小遣い稼ぎ程度にしか捉えていないような、アウトローのなり損ない程度に、仕事を抱いて終わりを迎える度胸も忠誠も求めるべきではないだろう。

 逆に言えば、こいつらはただの賑やかしに過ぎない。


「見事な啖呵ですな。如何に何者にもなれない死体共ばかりとはいえ、たった1体の声だけで、これだけの数を竦ませてしまうとは」


 パチパチという乾いた拍手に、ハンチング骸骨を中心に立っていたチンピラ共が、転げるように道を開ける。

 初めて見通せた広間の奥。そこに居たのは、紳士然とした格好の青白い死体。

 名前は確か、バンハルドと言ったか。


「本来ならば、ここで彼らに責を問うべきでしょうが、まさか個体識別記号無し《ヌルコーディング》が出てきたとなればそうも言えますまい」


 それは、二度と聞くこともないだろうと思っていた、埃まみれの古臭い呼び名。

 人類の存続をかけた抵抗として、当時の人々はアンデッド化の制御を試みる実験を繰り返した。ゾンビと化した体を腐り崩れぬよう保持する手段を、生前の人格と記憶を失わないよう屍となる方法を、彼等は考え続けたのだろう。

 実験の中で変異を迎えた死体たちは、他と区別するために、個体識別記号を与えられず、自ら模様を刻むことも許されなかった。

 故にその名を、個体識別記号無し《ヌルコーディング》と。

 知っているということは、この紳士然とした死体も相当古いのだろう。おかげで俺も、青白く乾いた肌を示す、懐かしい名前を思い出した。


「随分と博識らしいな変態ミイラ。それとも、と呼んだ方がいいか?」


 ピクリ、と紳士の眉が跳ねる。

 顔や体に巻かれた僅かな包帯と、その隙間から覗く乾いた体から、知らなければミイラとの区別はつかないだろう。

 だが、青白い肌と水気を感じる瞳は、明らかにそこらの乾物とは異なっており、何よりミイラと違って体の動きにぎこちなさが無い。


 ――カタクームプロジェクトの遺物が、ゴロゴロ出てくるもんだな。


 ハイコープスに繋がる研究成果の1つ。イアルからすれば、ご先祖様と言っても過言ではないだろう。

 だがそれ故に、他と違って人間の死体から自然に変化することのない種でもあり、セントラルの崩壊後まもなく絶滅したものだとばかり思っていたのだが。


「これはこれは……そちらも古い名前をよくご存知で。今宵でなければ、是非とも昔話に一献傾けたい所ですが」


「気にするな。酒を呑む時は、独りで静かに楽しみたい性分でね。それに、立て込んでるのはこっちも変わらん」


 コツンと鳴らされたステッキに、俺は意識を張りつめる。

 ブルースキンがどうやって活動を続けてきたのかなど、今はどうだって構わない。否、そんなことを考えていられる余裕などないだろう。

 ホホと笑うレヴナントは、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。周りのチンピラ共へ、距離をとるよう手で合図を送りながら。


「それは残念ですなぁ。あの防腐死体でしたら、最早貴方のもとへ戻ることはないというのに」


「お前の感想に興味はない。どうしても納得させたいなら、直接アイツの口からそう言わせるんだな」


 ガチンとショットガンを鳴らす。まるで威嚇するかのように。

 およそ20歩程の距離。そこで立ち止まったバンハルドとやらは、背筋を伸ばして前へステッキをつく。

 月明かりの中、細く開けられた目が、薄く光ったように見えた。


「全く、随分と頑固な御方だ。忠告を聞かぬと仰るならば致し方無し。このバンハルド、使用人として、主の元へ汚れを持ち込む訳には参りませんからな」


 マズルフラッシュが瞬き、肩へ衝撃が走る。

 だが、バンハルドはなお速かった。発砲炎が見えた時には、既に身体を大きく前傾させ、こちらへ向かって走り出していたのだから。

 散弾ならともかく、大物撃ちを前提としているサボットスラッグで、機敏に動く小さな相手を狙うのは難しい。それも、銃声に驚くこともないような、明らかに戦闘慣れしている相手なら尚更。


「いぃあぁっ!」


「く……っ」


 凄まじい勢いで突き出されたステッキを、咄嗟にショットガンで受ける。だが、衝撃は想像以上であり、手の中から銃が飛んでいった。

 真正面から腕などで受けようものなら、橈骨尺骨とうこつしゃっこつを持っていかれるだけで済めば御の字。下手をすれば頭蓋骨を粉砕されかねない威力である。


 ――速い、それに躊躇いもない。


 ステッキを引きつつ身体を翻したかと思えば、続けて後ろ回し蹴りが飛んでくる。

 それは上半身を逸らすことで寸でに躱せたものの、これは半ば緊急回避。無理な姿勢となれば次の1歩が遅れることは免れない。


「ぐぉっ!?」


 ぐるりと反転する視界。その中で大きく股を開いたバンハルドと、低い姿勢で振り抜かれたステッキから、足を払われたのだと気づかされた。

 体が地面に打ちつけられてガシャンと鳴る。不格好な受け身こそとれたものの、ありもしない腹の奥から吐き気が込み上げた。

 しかし、痛みや不快感に唸っている暇はない。何せ視界の先には、先ほどショットガンを吹き飛ばした突きが、勢いよく迫ってきているのだから。

 床を叩いて身体を回した所で、後頭部を掠めたステッキが床に亀裂を走らせる。ほんの僅かでも反応が遅れていたら、今頃頭蓋骨がああなっていたことだろう。

 だが、如何に強靭な武器であれ、刃物でないことがこちらに味方した。


「こんなくそぁ!」


 俺はショットガンを失った両手で、床から引き抜かれていくステッキへと掴みかかった。

 身体能力の高いレヴナントだけあって、勢いそのまま軽い骨身を引っ張り上げられる。

 速度も向きも上等。立ち上がってくる俺に気付いたバンハルドは力を緩めたが、既に床へ足をつけていた俺には関係ない。


「――ごっ!?」


 白い塊がバンハルドの鼻っ面へ衝突する。

 何せ俺はスケルトンなのだ。頭の固さなら他のどんな種族にも負けはしない。

 こちらの出自に理解があろうと、見た目はほとんどただの骸骨。有利に戦いを進められたこともあって、変態干物は僅かでも油断していたに違いない。そうでなければ、こんな奇天烈アタックが綺麗に入るとは思えなかった。

 だが、結果的にこれで仕切り直しだ。俺は拳を握り直し、よろめいたバンハルド目掛けて一気に距離を詰めた。


「ふぅっ!」


 軽い骨のジャブは、ステッキの側面を擦りながら受け流される。

 だが、懐から離れぬよう追従すれば、ステッキをさっきの威力で棒切れを振るうことは難しい。短く短く拳を出しつつ、そこへ時折肘を混ぜ膝を混ぜ、一方的なラッシュへと持ち込んでいく。

 躱し受け止め受け流し。だが、バンハルドはそんな守勢を嫌がったのだろう。

 大きく後ろへ下がろうとした瞬間を、俺は見逃さなかった。


「ぬぅぁ……ッ!?」


 僅かに開いた空間に、腹目掛けて叩き込まれたミドルキック。如何に強靭なレヴナントとて、勢いを乗せた蹴りは流石に響いたらしい。膝こそつかなかったものの数歩後ずさり、その手からはステッキが零れていた。

 息を整えつつ、1歩前へ。


「まだやるか、変態野郎」


「ふ、ふふ……流石にそこらの骨とはまるで動きが違いますなぁ。見事、見事」


 パンパンと燕尾服を払いつつ、バンハルドは姿勢を正す。だが、最初のような余裕を見せることはなく、ステッキを失った白い手袋を強く握り締めていた。

 これで五分、と言いたいところだが、身体能力を考えればなお向こうが有利だろう。

 ちらと横へと視線を流し、息を吐く振りを1つ。


「2度は聞かんぞ」


「愚問ですな。我が使命なれば」


 軽い拳を握り直す。足の裏へと力を込める。

 なんと間抜けな判断だろう。何かへの忠誠に身を投げ打つ紳士に、無謀にも正面から真付き合ってやろう等と。

 だが、俺は躊躇わず選んだ。何の為に。

 俺たちが地面を蹴り、拳を振り上げたのはほぼ同時であったように思えた。



 ■



 身体が揺れた感覚に、ふと感じる冷たさ。

 ゆっくりと瞼が上がる。この時、ようやく自分が目を閉じていたことを知った。

 ぼやける視線の先にあったのは、ほんのりと黄色が揺れる薄暗い天井。


「ここは……?」


 確か私は今夜、ダイナーで宿をとっていたはず。だが、少なくとも部屋の雰囲気はあのキャンピングトレーラーとは異なっていたし、ベッドの上なら冷たいなんて感じるはずがない。

 だとしたら、自分はどこで寝ているのだろう。どうして、眠ってしまった時のことを覚えていないのだろう。

 霞がかったような頭では思い出せそうもない。ただ、身体の方には特に異常がないらしく、上体を起こしてみても痛みや苦しさは感じなかった。


 ――どこかの部屋の中? なんだか物置みたいだけど、燭台には火がついてる。火?


 隙間風の1つもないのに、蝋燭の火がチラリと揺れる。同時に部屋の中で何かの気配が動いたのがわかった。


「っ! 誰か居るの? 素宮さん?」


 古ぼけた箱や棚が置かれている以外、大して広くない部屋の中はほとんどを見通せる。

 だが、そこに私の思うスケルトンの姿はなく、それどころか他のアンデッドも見当たらない。

 ただ1つ、不自然に床へと延びる黒い影を除いては。


「意識があるということは、やはり防腐死体ではないのですね」


 ポウと蝋燭の火がさっきより大きく揺れる。

 その淡い光に照らされた先で、声の主は影の中からゆっくりと浮かび上がった。

 呆然とする私を前に、比喩でもなんでもなく、言葉の通り浮かび上がったのである。

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