第11話 宝石は語らない
空が白む夜明け前の時間帯。
本来、町の入口は閉鎖されており、出入りは基本的に不可能である。
にも関わらず、ライトを消したATVがその正面にやってくると、夜番らしきミイラは、静かにセキュリティゲートを押し開き、車を中へと誘導した。
ATVはエンジン音を殺すようにゆっくりと進み、しかし中心市街へは向かうことなく、町のガードが詰めている宿舎の駐車場へと静かに止まった。
周囲に動く者がないことを確認し、ハンドルを握っていた尾白は運転席を降りる。
だが、彼女が砂を踏みしめて間もなく、暗がりで気配が蠢いた。
「思い通りとなったかね。ええ、愛しのホワイトローズ?」
もしも骸骨に舌があれば、尾白はきっと舌打ちをしていただろう。
粘り気を含む声はゆっくりと薄明かりの下へ姿を現す。白い骸骨にとってそれは、できる限り顔を合わせたくない相手だったが。
「……次にその名前で呼んだら、腐った頭ぶち抜くよ松土」
「そう嫌うなって。お互い、同じ主様から仕事を頂く身だろう」
「気に入らないって言ってんのサ。毎度毎度、アンタのやり方ってのがよ」
表情を作れない骨の顔でも、本来は眼球があるはずの穴を向けるだけで、嫌悪感というものは十分表せる。
砂塵に舞って消えゆく灰。松土は仕事に関わる度、悪びれることもなく語る。
アレは欲に目の眩んだ運の悪いクズ共だった、と。
故に尾白がいくら睨みつけたところで、腐肉はおどけたように笑うだけなのだ。
「ヒヒッ、そう感情的になるなよ。俺たちに必要なのは常に最善の結果だけだ。違うか?」
「アタシに説教垂れるなんて、いいご身分になったモンだネ」
「まさかまさか、そんなつもりはねぇさ。どれだけ俺の身体が腐ろうと、明るい場所に立つアンタへの敬意を、忘れるようなこたぁないぜ」
市民として認められた者と、掃き溜めに蠢く者。かたや古くより町を支え興してきた者達で、かたや育った町に流れ着いただけの浮浪者。
当然、その差は歴然であり、両者が関わるような問題に、町の司法は確実に市民へ傾く。砂の町とはそういう社会なのだ。
とはいえ、尾白と松土の間にある格差というのは、そういう一般的なものとは別に存在する特別な隔たりだった。故に掃き溜めの顔役たる腐肉は、フェドーラ帽のつばを支えると、軽薄そうな薄笑いをフッと消した。
「にしても、今回の件はいつにも増して妙な内容だった。ガスマスクチビにせよ素宮にせよ、ここまで入れ込まれる理由はなんなのか。仮にブラッドストーンが目当てだとしても、こんな大きさじゃ到底割に合わん」
松土が開いた掌の上。そこには薄明かりを相手に鈍く輝く、小さな赤い宝石が転がっていた。
一目見てルビーとの見分けができる者は稀だろう。だが、普段から大きな博打を取り仕切る松土の目には、赤の違いがハッキリと映っている。
松土の手からブラッドストーンを受け取った尾白は、それを朝焼けに透かし、透き通るような深い赤を眺めて顎を揺らした。
「……ウン・モーソレムという女アンデッドについて聞いたことは?」
「どこぞの都市の生き残りだとかいう話も流れていたが、所詮は噂だ。ハッキリ知っていると言えるのは、砂岩の頂に隠居した妙なアンデッド、というくらいだな。それが?」
ブラッドストーンは何も語らない。少なくとも、尾白や松土にとって、宝石として以上の価値があるようには思えなかった。
しかし、彼らを使役する立場にある者ならばどうか。
唐突に下されたイアルに対する情報収集と監視、陰ながら支援という命令。それは掃き溜めの賭場で担保に出されたこの赤い石を、松土が報告した所から突然転がり出てきた物だ。
尾白は考える。イアルというハイコープスの存在を、彼女と彼女の師が目指しているであろう目的を、素宮という黄ばんだ骨の素性を、主が知っていたとすれば。
「アンデッドってのはどれだけ偉くなったところで、輝かしい過去への希望を棄て切れないものなのかもネ」
「過去? お前一体何を理解して――」
松土は質問を重ねようとしたが、それは眉間に突き付けられた白い指によって阻まれる。
彼らは同じ立場にない。だからこそ、腐肉の男がグッと口を噤む一方、白い髑髏はカタカタと音を立てた。
「素宮の家を片付けときな。彼は長く、あるいは永久に、ここへ戻ってくることはない」
「……任された。主殿にも、よろしく伝えて頂けるよう」
これ以上何も得られないと悟ったのか、松土は薄くなりつつある暗がりへと溶けていく。
――よい旅を。素宮、イアル。
残された尾白の身体を、新たに巡ってきた陽の光が、ジワリと照らしだした。
■
夜明けより暫く。強い日差しが砂をジリジリと焼き始めた頃。
「鉄の森、ってどんなところ?」
昨日の疲れもあったのだろう。遅いお目覚めとなったイアルは、俺の古ぼけた手帳を眺めながら、動物の耳かのごとく跳ねた髪を揺らした。
「古いビルの廃墟群を再利用した、この辺りだと比較的大きな都市だ」
掃き溜めに落ち着いてからというもの、俺は別の町に出かけたことがないため、今も同じ姿を留めているかはわからない。
とはいえ、町だの都市だのと言ったところで、そこに暮らすのは惰性を好むアンデッド。この惰性という言葉には、元あった形の保全修理も含まれることが多いため、都市の形やあり方が大きく変わることもないだろう。
イアルを連れていくにあたり、できれば多少変わっておいて欲しい部分もあるのだが。
「砂の町に戻れん以上、暫くはここで稼ぐことになる」
「稼ぐって、お金なら尾白さんから貰ってたじゃない」
ブロック型の何かを齧りながら、キョトンとした表情を見せるハイコープス。空っぽの頭が痛みを訴えたのは、1日そこらの不寝番が響いたからではないだろう。
「お前……自分が目指してる先へ行くのが、どれだけ過酷な旅路か理解してるのか?」
「た、大変なことは理解してる! つもり――なん、だけど……?」
最初は馬鹿にするなと言った様子で語気も強く拳を握り、しかし声はあっという間に先細り、最後には不安そうな表情で両の手指を擦り合わせる。
頑なでひたむきな点、それに加えて強運の持ち主であることに関しては認めねばなるまい。どこから来たのか知らないが、世間知らずの小娘が、乾き切った砂漠に呑まれることもなく、策略と偶然を重ね合わせて俺の退路を断ち切ったのだから。
だが、この先も賽の目が味方してくれるとは限らない。否、基本は敵だと思っておかねば痛い目に遭うのは目に見えている。
故に俺は、敢えて強い言葉を選び、不躾にも彼女の額に黄ばんだ指を突き付けた。
「だったらその呑気な銭勘定を今すぐ叩き直せ。俺たちはこの先どこへ行ってもよそ者なんだ。元手のある内に稼がんと、あっという間に八方塞がりになるぞ」
「う、うん。わかった」
イアルは少し緊張した表情を浮かべ、玩具のようにカクカクと頷く。その度、骸骨には無縁の、寝ぐせじみた癖毛がふわふわと揺れた。
わかったならいい、とコンクリートの壁にもたれ直し、青白い額から降ろした指骨を、手帳の先へと滑らせる。
「当面の目標は、
「山越えをするのにお金が要るの? 登山道具とか?」
「いいや。地形が急峻なのは事実だが、問題はそこじゃない」
地図上に横たわる長く太い山脈。等高線も狭く、壁のように急峻な斜面が連続していることは一目でわかる。
比較的標高の低い谷間や、山間を抜ける峠道があるというのも聞いたことはなく、移動の難所であることは否定しようもない。実際、登山が可能ならば、イアルの言うように色々と道具が必要になるだろう。
とはいえ、地形だけが問題ならば、最初から徒歩による山越えを選択肢から外しはしない。
「あの山には、大昔に人間が作った防御網が張り巡らされている。なんでも、アンデッドが人間の領域へ侵入するの防ぐ為に作られたとかで、識別コードが確認できない動体に対し、無差別にレーザーを照射する大規模なシステムだ」
「ウンおばさんが言ってた。世界には、悪あがきの時代に作られた爪痕が、まだいくつも残ってるって」
ブロック状食品の欠片を齧り終えたイアルは、口の中が乾いたのだろう。使い古された水筒を傾けた。
「悪あがきとは、言い得て妙だな。12のセントラルが全て失われて久しいが、機械は人間の命令を愚直に守り続けている」
「……それって、なんだか寂しい話だね」
ただ感受性が高いのか、それとも過去文明に何か思うところでもあるのか。彼女は少し表情を曇らせた。
相手が機械であれ、同情してやれるというのは優しいことだろう。しかし、残されたアンデッドにとっては厄介者以外の何物でもない。
手帳をジャケットの内ポケットへ突っ込んだ俺は、ショットガンを背負いなおして、崩れたビルから外へ出た。
どうせ後は雑談のようなものだ。歩きながらでもできる。
「当時の人間は、それくらいにアンデッドになることを恐れていた。無理もない話だがな」
「全部忘れてしまうから?」
半歩後ろをちょこちょこついてくるイアルに、俺はそうだと小さく頷く。
「人間たちからすれば、死んだ友人や家族が別の誰かに体を乗っ取られたようなものでな。挙句、そいつは徐々にアンデッドらしい姿に変わっていく。とても耐えられるものじゃない。だから壁を作った」
原因はとあるウイルスだったという。
人間にのみ感染し、潜伏期間はほとんどなく発症から数時間で突然死に至る病。ただ、死からおよそ1日が経つと突然死体が起き上がる。
挙句、ほとんどの場合失われてしまう記憶に醜く朽ちる体だ。平等に訪れる2つの恐怖に、人々は閉鎖された都市へ逃げ込んだ。そして狭くなった人間の世界を守るため、内と外を隔てる様々なシステムを作り出したのだ。
とはいえ、その結果は見ての通りだが。
「だとしたら、どうやって山を越えるの?」
爪痕とは詰まるところ執念の別名だ。イアルもそれに気付いたらしく、急ぎ足で隣へ並んだかと思えば、不安そうな表情でこちらを見上げてくる。
――こいつ、天然なのか?
この表情が演技でないなら、黄ばんだ骸骨を映す紫色の瞳は、ビー玉か何かなのだろう。
世間知らずだが、頭の回転は悪くない。そんな彼女に対する評価に、新たな1項目を付け加える。
「……方法はある。金がかかるってだけだ」
呆れは当然。いい加減説明するのも面倒臭くなった俺は、投げやりな言葉を最後に歩幅を広げた。
イアルはまた半歩程後ろへ離れ、慌てて小走りに後を追ってくる。ただ、流石にコンパスの差を埋めるのは大変らしく、それきり会話が途切れた。
砂漠はまだまだ続くのだ。のんびり歩いていては、次の集落が見える前に食い物が尽きる。
ガラス混じりの砂の流れる丘を避け、わずかに植物が生える
遮るもののない陽はゆっくりと傾いていくのに、先の景色にはほとんど変化がない。強いて言うなれば、スナマリをはじめとした生き物が、時々ちょろちょろと視界の片隅を通り過ぎるくらいのもの。
どれくらい歩いてきたのかは俺にも判断がつかない。以前この砂漠を逆向きに進んでいた時と同じように。
旅慣れていない者なら、早いうちに音を上げていただろう。進捗が全く見えてこないというのは、想像以上に苦しいものだ。
だが、イアルは黙々と後をついてきた。途中にいくらか木陰があったにも関わらず、休憩を求めることもせずに。
――ハイコープスが想像以上に頑丈なのか。それとも、見かけ以上に根性があるだけか。
世界が橙色に染まる中、俺は岩陰の前で足を止めた。
「どうかした?」
そう言って、フードの中から傷ついたガスマスクが見上げてくる。
一見すれば平然と。だが、砂を防ぐマントの小さな震えに、俺は小さくため息をついた。
「今日はここまでだ。そこの洞で休むぞ」
「えっ? まだ陽は暮れてないけど」
「日没してからねぐらを探す馬鹿があるか。それにお前、無理してるだろ」
「私なら平気だよ。まだ全然歩けるし」
不思議そうに傾いた頭。ほんの一瞬の間さえなければ、もう少しは言葉に信憑性を持たせることができたかもしれない。
とはいえ、曲がりなりにも相手は雇い主なのだ。彼女の状態を気にせず先導していた訳ではないし、もしそう思われているなら、馬鹿にするなという話になる。
尤も、疲労を言い出しにくい原因の1つが、己の不愛想さにある点は否めないため、俺はため息を堪えて視線を洞へ外した。
「その根性は認めてやる。だが、疲労を堪えようとはするな。道半ばで行き倒れたくないなら、自分の体には自分で気を遣え」
「……はぁい」
さっきよりもより間を開けて返ってきたのは、少し不服そうな、あるいは申し訳なさそうな了承だった。ガスマスクに隠れた顔は見えないが、その頬はまた膨らんでいたことだろう。
無理を貫く気概があるかと思えば、無知で無邪気にも見える一面もある。なんとも奇妙な奴だ。
そういう意味においても、イアルは特別製なのだろう。否、本来は彼女だけに留まらず、ハイコープスは、と言い換えるほうが正しいかもしれないが。
■
冷え込む洞の中を、小さな焚火が照らしている。
簡素な食事を終えて暫く後。俺が昨日と同じように、ショットガンを膝の上に外へと視線を向ける一方、イアルは焚火を挟んだ向こう側で自身のマントに包まって転がっている。
無理を押して歩き続けた彼女には、当然疲労があっただろう。だからこそ、横になった時点で眠ったものだとばかり思っていた。
「ねぇ素宮さん。素宮さんは人間だった頃、どんな感じだったの?」
唐突に背中へ投げかけられた声に、驚かなかった訳じゃない。
ただ、振り返ることはしないまま、俺は堪えきれなかったため息を零しつつ、雑な答えを投げ返した。
「今と大して変わらん。生物かアンデッドかの違いだけだ」
「そうじゃなくて、もっと細かいところだよ。どんな所に住んでて、どんな仕事をして、どんな人達に囲まれてたのかとか、そういう」
囁くような声なのに、イアルは随分と具体的なことを聞いてくる。
人間だった頃の自分。そんなものはただの感傷だ。埃を被った思い出話を引っ張り出したとて、他人に価値のあるものではなく、新たに何かを生み出せる訳でもない。
もしも丸まったチビが、単純に話し相手を求めているのだとしても、それならそれで大いに誤った人選、もとい骨選だろう。
「……俺が寝物語なんかをするように見えるか?」
この一言に尽きる。
振り向きもせずにそう告げれば、後ろからはむぅと不服そうな声が聞こえた。
「意地悪」
あまりにも率直で、乗せられた感情に裏も表もない言葉。
年齢の概念が極めて薄いアンデッドの癖に、まるで無知な子どものような振る舞いであろう。
呆れは当然。しかしその一方で、無邪気な善良さというのは、少し眩しくも思えた。
だから俺は、ぼんやりと周りを照らす焚き火を振り返らないまま告げる。
「サッサと寝ちまえ。明日に疲労が残るぞ」
「素宮さんこそ、ずっと寝てないのに」
「昨日にも言っただろう。お前は自分の事だけ考えておけばいい」
イアルは根が善良なのだろう。何かと自由奔放で人を振り回している印象が強かったウン・モーソレムとは、似ても似つかないタイプに思える。
とはいえ、世間知らずながらに無謀な挑戦をしている小娘が、他者を気遣えるような立場かと、俺は穴だけしかない鼻を鳴した。
パチリ、と薪が爆ぜる。
それに合わせて、背後で気配が動いた気がした。
「心配するのも、いけないことなの?」
どこか寂しそうな声に、髑髏を捻って半身だけ振り返る。
薄赤く燃える火の向こう側で、イアルはフードを下ろして座り込んでいた。声の通りに、まるで捨てられかけた犬のような表情で。
何故そんな顔をするのか。俺は雇われの案内人、それだけじゃないのか。お前は他に何を求めている。
ハッキリ聞いておくべきかとも思いはした。だが、薄く顎を開いたところで、言葉は喉の奥に引っかかる。
深い青色に輝く双眸の中で、朧気に揺れる炎と骸骨。
それは酷く儚いものに思え、俺は逃げるように髑髏を外へ向け直し、呆れたように肩を落とした。
「はぁ……わかったから、そんな目でこっちを見るな。俺も日中のどこかで休む。それでいいだろ」
「うん、約束」
少しだけ明るくなった声の後、またモゾモゾと布のこすれる音がして、間もなく小さな寝息が聞こえてくる。
何を求めているのか。夜闇をいくら睨んだところで、その問に対する答えは見つかりそうにもなかった。
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