第10話 ただの市民と掃き溜めの阿呆と

 俺の突き付けた言葉に対し、白骨は馬鹿馬鹿しいといった様子で、小さく肩をすくめる。


「なァによ立場って。アタシはただの市民で普通の農家。知ってるでしょ」


 それも尾白の持つ顔の1であり、嘘では無いのだろう。今日に至るまでは、俺もそうだと思っていた。

 けれど、今は違う。


「お前の言う、ただの市民で普通の農家って連中は、ガードカスタムの使い込まれたショットガンをホームディフェンス用に置くのか? それも獣撃ち用のサボットスラッグばっかり揃えてだ」


 工業生産の衰退した現代に出回る銃火器は、多くが人間文明の残した骨董品である。

 にも関わらず、このショットガンはあまりにも綺麗過ぎ、その上グリップからストックから、あちこちに改造された痕跡が覗く。ガンロッカーで埃を被っていたというのは、なんの冗談か。

 挙句、弾薬は高価なサボットスラッグと来た。こんな物でアンデッドを撃てば、干物や腐肉なら弾け飛ぶし、骨なら粉になってしまいかねない。少なくとも、ホームディフェンス用に用いるには、過剰な威力と言える。

 それに、違和感は銃に限ったことでは無いと、俺は黙り込んだ尾白へ畳み掛けた。


「相当慌てたんだろ。家に生活感を演出することもせず、ハンター用のATVをボロの自家用と言い張り、ギリギリまで閉門を遅らせた上、サイレンで時間の合図まで出させたんだ。そんなに俺がイアルを1人で行かせたのが不思議だったか?」


 市民様の家は知らずとも、そこに暮らしがあるかを見抜けないほど、俺の眼孔は朽ちてない。他もそうだ。

 蔦のように絡まりあった不自然は確信に変わり、その中心に居られる可能性があるのは、この場において1人しか居ない。

 月光に輝く白い骨。彼女はとぼけ、シラを切り続けることも出来ただろう。だが、隠し続けようとはせず、ため息をついて後ろ頭をカリカリと小さく掻いた。


「……ホンっトにヤな奴だネ。気付いててノったの?」


「お前の協力が無けりゃ、俺がイアルに追いつける可能性は薄かったからな。他にどんな思惑をそっちが抱えてるのかはともかく、直近の利害は一致してる」


 イアルの身を守らねばならない。俺は最悪のタイミングで背中を押したという責任と、ハイコープスという懐かしく儚い思い出の産物から。尾白は自分の意志とは異なる、何らかの役目によって。

 ショットガンを担ぎ直しながら、違うか? と微かに顎を鳴らせば、動かないはずの髑髏から、キツく睨まれたような気がした。


「こんな時ばっかり、よく口が回るもんだよ。結構長い付き合いだってのに、ただのお節介だとは思ってくれなかった訳?」


「仕事の終わった市民様が、夜な夜な掃き溜めをうろつく理由なんてないだろ。いくらイアルを気にかけていたとしてもな」


「はいはーい、もうアタシの負けでいいよ。アンタが最初からイアルと一緒に行ってくれれば、その時点で作戦終了にできたってのに。挙句ホネバミなんかまで出てくるし、想定外ばっかりで大慌てだったってぇの」


 彼女にも色々と苦労があるのだろう。イアルがキョトンとした表情を見せる中、尾白はやってられるか、といった様子で、ポケットからタバコを取りだしながら、手近な古いチェストへ座り込んだ。

 暗がりの中で、黄色い火がジワリと灯り、赤い点に変わる。薄煙が宙を漂って一拍。その赤く光る先端が、俺の方へと向けられた。


「わかってるとは思うけど、今更戻るなんて言わないでよ。アンタを灰に還すようなこと、アタシはしたくないしサ」


「そ、素宮……さん?」


 白骨のトーンを落とした声に煽られ、また不安を滲ませるチビフード。

 ただ、勘違いされては困る。


「結んだ契約を反故にするような真似はしない。それに――」


 信用は金より価値を持つ。たとえ尾白の思惑がなんであれ、イアルとの契約内容に何の影響も及ぼさない以上、一方的に契約を破棄する理由とはなり得ない。

 同時に、尾白の想像もただの杞憂だった。


「お前がたとえ何者だろうと、畑で世話になったことは事実だからな」


 白髑髏の顎が落ちる音が、カタリと大きく聞こえた気がする。

 静寂は一瞬。間もなく、尾白は小さく吹き出した。


「……アっハハハ! なーんサそれ! 変なところで義理堅いなァ」


 ひとしきり笑ったかと思えば、あーあと呟きながら骨身が弛緩する。そこに居るのは、謎の後ろ盾を持つ女骸骨ではなく、ただただお節介なアンジェライム農園の主だった。

 雰囲気がいつも通りに戻ったことは、イアルにも感じ取れたのだろう。今までほとんど喋らなかった彼女は、何やら少し緊張した面持で口を開いた。


「あの、尾白さんは、私がハイコープスだってこと、知ってたの?」


「いんや、アタシは上の命令で動いてただけサ。ちっこいガスマスクちゃんを監視しつつ、町での目的を達成させ、問題を起こさず出ていけるよう、影から手を貸せって言われてね。それがまさか、モチモチお肌のハイコープスだなんて思わんでしょ」


 命令と、尾白は言いきった。

 ピンポイントでイアルを追跡させ、かつ敵対的でないとすれば、ハイコープスそのものと関わりがあるのか、あるいはウン・モーソレムの方か。

 どちらにせよ、そんな命令をあの場所で出せる者はなど、思いつく限り1人しか居ない。


「……お前の後ろに居るのは、砂の主か」


 砂漠の町を仕切る者。人間文明の遺した通信塔に住まう古ぼけたミイラ。

 人目に出てくることはほとんどなく、ただその権力だけは死体しか居ない乾いた町を覆っている。

 そんな大物が何故とは思う。ただ、俺が疑問を吐き出す前に、赤い煙草の火がこちらへ突き付けられた。


「アタシはなんにも聞いてない。アンタは何も言ってない。農家の女はちょっとしたお節介から、元セントラルガードの骨を小柄なガスマスクちゃんの護衛につけて、きっちり町から旅立たせた。そうだね?」


 さもないと、が続かなかっただけ良しとすべきなのだろう。骨女の口調はこれまでにないほど攻撃的な圧を含んでおり、興味本位で藪を突けば、出てくるのは蛇程度ではないことを如実に物語っている。

 尤も、町の支配者が何を考えていたところで、出ていく者にとっては最早関係のない話だ。白骨女に背骨を刺されたい願望もない以上、俺は小さく肩を竦めて息を吐いた。


「……そうだな。おかげで、あの家には戻れそうにもないが」


「わ、私もなんにも聞いてないよ!」


 息を合わせるように、イアルも小さく拳を握る。

 しかし、こいつは不器用なのか天然なのか。そのあまりにも真っすぐすぎる言葉は、逆に聞いてしまいましたと明言しているようなものであり、俺が頭を抱えれば、尾白も苦笑するように小さく顎を鳴らしながら立ち上がった。


「ありがと。そんじゃお見送りはここまでってことで、アタシはお暇させてもらいましょうかね」


「朝まで待たないのか?」


「これでもイロイロ忙しいんだよ。ほいこれ」


 そう言って軽く投げ渡されたのは小さな布袋である。

 片手で受け止めてみれば、俺も良く知るゴロゴロした感触が伝わってきた。


「お前、これは――」


「アタシからのちょっとした餞別。武器だけってのも物足りないでしょ?」


 惜しげもなく手のひらを振る尾白の姿に、布袋の中身は確信に変わる。

 ちょっとしたと言うわりに、掃き溜めでなら1ヵ月働き続けても、まだ足りないくらいの金。

 市民様というのは、俺が思っているより随分素晴らしい暮らしをしているのかもしれない。彼女を市民の普通に当てはめていいのかは、少々疑問ではあるが。


「……貸しが増えたな。恩に着る」


「ネクロポリスまで行くにはとても足りないだろうけどネ。無事に辿り着けることを祈ってるよ」


 それだけ告げると、尾白は月光を背に崩れた窓枠の外へ消えていき、間もなくATVのエンジンが夜の空気を震わせた。


「ありがとうねーっ!」


 砂塵を巻いて走り去っていくオフロード車両に、イアルは小さな体を精一杯伸ばして手を振る。

 尾白のことだ。彼女の姿は、ミラー越しにでも見ていただろう。

 その光景は微笑ましくも思えたが、今の俺は心を温めていられるような状況でもない。


 ――いよいよ、逃げ道がなくなったな。厄介事の種は、想像以上に大きかったか。


 尾白からの施しで、金に関しての心配は暫くの間忘れられる。自分たちの身を守る程度の武器弾薬まで渡してもらえた。

 だがそれだけだ。隣の町までの往復ならともかく、長旅に堪えられるだけの装備はない。

 セントラルガードの遠征道具を抱えて逃げた昔とは違う。簡単に灰へと還らないためにも、悩むべき問題は山積している。

 だが。


「……なんだ」


 下から突き刺さる上目遣いに一旦思考を中断すれば、フードを下ろしたイアルはどこか戸惑ったように視線を泳がせ、しかし最後には小さな咳払いを1つしてから、もう一度こちらをしっかりと見据えた。


「えと――改めて、これからよろしくね。素宮さん」


 少し眠たそうにも見える、垂れ目気味な青い瞳。小さな顔に低めの鼻と小さな口、丸みを帯びた頬。動物の耳のような形に跳ねるアッシュの癖毛。

 人間ならば少女と呼んで差し支えない見た目のイアルは、少し嬉しそうにそう言って、小さな手をこちらへ向かって伸ばした。

 俺の頭にある危機感も緊張感も、きっとこいつは理解していないのだろう。それどころか、求めていた旅の道連れができたことが喜ばしいと言ったところか。

 ため息を吐こうとしてやめた。イアルが何を考えているにせよ、俺のやるべき仕事はもう決まったのだから。


「気楽なもんだな。何が嬉しいのか知らんが、俺が手伝ったところで、お前の目標が遥か彼方なことに変わりは無い。明日から、精々必死に足掻けよ」


「うん、もちろん。えへへ」


 骨になって久しい手が、美しい肉を持つ少女の手に触れる。握りこめば潰れてしまいそうだと思った。

 挙句、俺の毒づいた言葉にも、イアルは照れたように微笑む。

 全くもって、よく分からん奴だ。1人で掃き溜めまで辿り着けるのだから、それなりに旅慣れているのかと思えば、どうにも警戒心も緊張感も足らないように見えてならない。


「……まぁ、いい。不寝番はしといてやるから、もう休め」


「えぇっ!? そ、それは悪いよ。途中で交代しよう? どれくらいがいいかな?」


 イアル的には気を遣ったつもりなのだろうが、俺からしてみればちゃんちゃらおかしい話である。おかげで鼻から呆れた笑いが零れ落ちた。


「ふん。そういう偉そうな事は、最低でも自分の身を自分で守れるようになってから言うんだな」


 何が危険かすら碌に分からず、掃き溜めの道端に転がって眠れる奴に、どうして自分の睡眠を任せられるだろうか。

 ハイコープスという夢に関して、イアルを応援することはやぶさかでないとしても、サバイバルをはじめとした行動一切においては、現時点で信頼を置くことなど到底不可能と言っていい。

 ただ、この評価は流石に不満だったのか、イアルは小さく眉を寄せ、ついでに頬も膨らませていた。


「むぅ……私だって、これまで1人でやってきたんだから、不寝番くらいできるのに」


「背中を預けられるかどうかは、俺が判断することだ。分かったらサッサと寝ろ」


 はぁいとあからさまに不承不承の返事を残し、再び影の中へと戻っていった彼女は、フードを被りなおして丸くなる。

 それを見届けた俺は、ショットガンを膝に抱えてその場に座り込む。見据える先は暫く、あるいは二度と戻ることのできない町の灯だ。

 感傷に浸る程の愛着があった訳じゃない。ただ、いくらアンデッドらしい惰性を持って暮らしてきたとはいえ、多少思うところくらいはある。


 ――明日の飯を気にする日々から、明日の生を気にする日々に逆戻りか。我ながら阿呆だな。

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