第2話 不器用なガスマスク
複雑な光の屈折によって様々な色に輝く万華鏡のような木から、透明なアンジェライムの果実を摘み取っていく。
霊魂の果実と呼ばれるのはその見た目。そしてアンデッドが活動を続けるために必要なエネルギー源の1つだからだろう。というのも、この輪郭しかないような実には、砕いて食品に混ぜ込むと、それを肉も臓器も持たないスケルトンの体でさえも吸収することができる代物へと変質させる力を持つ。
詳しい理屈はわからない。だが、ゾンビのような連中ならまだしも、臓器のないミイラや骨だけとなったスケルトンにとっては、無くてはならない存在なのは確かだ。
透明な果実をカゴに放り込み、溢れんばかりの嵩となっていることに小さくほくそ笑む。
――この木は当たりだな。しかし、そろそろカゴを変えないと。
出来高制というのは良くも悪くもあるものだが、今日は運がいいのだろう。このペースでカゴを2つ3つと増やしていけば、少しばかりでも余裕ができる。
ここを仕切る女骸骨はやり手だが、支払いに関しては誠実なのもありがたい。
そう思うとやる気も湧くもので、気合いを入れ直して納品台へ足を向けたところ、ふと隣の木が目に入った。
「ほ……っ! よ……っ!」
小さな声と枝葉のなる音。
隣の木は、ちょうどあのガスマスクチビの割り当てだったらしい。
木箱の上で必死に手を伸ばし、ようやく実をもぎ取っては、木箱を降りてカゴへ収め、また登って次の実へ。
――効率も何も考え無しか。丁寧と言えば聞こえはいいが、日雇いには不向きだな。何しに来たんだコイツ。
昨日の夜、話を聞いてほしいとうるさく言っていたことを思い出す。だが、これが俺の気を引くために選んだ方法だとすれば、とんだ間抜けもいい所である。
日雇い労働という仕事に同情はない。小器用に立ち回れる奴はそれなり以上稼ぐこともあるが、できない奴はそのうち人知れず消えていく。雇用側から言えば、役に立つ労働力に金を払う一方、コストになるなら簡単に切り捨てる。そんな場所だ。
付き纏うのは勝手だが、放っておけば数日持たずに消えるだろう。むしろ俺としては、その方がガスマスクのためでもあるとすら思える。
だから俺は何も見なかったことにして、いつも通りカゴを納品代へ持ち込んだのだが。
「ちょっと待ちな素宮」
意外なことに、雇い主から呼び止められた。
この手の仕事は効率の勝負であり、使役する側は全体に対してキリキリ働けと叫ぶことはあっても、個人を呼び止めて命令を下すなんていう馬鹿な真似はほとんどしない。
それこそ、コストと見なされるような行動でもしない限りは。
「……どうした。俺の仕事に問題でもあったか」
「まさか。アンタにケチをつける奴は、この仕事じゃモグリもいいとこよ」
「だったらなんの用だ。俺たちは手を止めた分、明日の飯が消えていく。わかるだろ」
ありがたい評価ではあるが、だからこそ余計に意図が読めんとため息を吐く。
否、別に彼女の意図を理解することは正直必要じゃない。俺に必要なのは、仕事に戻れという一言だけなのだ。
しかし、彼女にそんなつもりはさらさらないらしく、腰に手を当てて顔を突き出した。
「そういう立場だから気になってんじゃないのサ。アンタ、ちょっとでいいからあのガスマスクのこと、手伝ってやってくれない?」
ゆっくりと雇い主の顔を見る。冗談だと言うならこの瞬間だろうが、彼女の口は動かない。
砂に塗れた廃材の掃き溜めは、いつから助け合いで成り立つ花園になったのか。考えるだけで吐気がする。
「勘違いするな。俺は単なる労働者で慈善活動をしてる訳じゃない。カゴをくれ」
社会の日陰に屯する底辺のアンデッドに、差し伸べられる手など夢の話に過ぎない。役に立つから使われ、要らなくなったら捨てられるだけの存在。
だからこそ、誰もが不用品の札を貼られないよう脇目も振らずにもがき、自身と大切な何かを守るために働いている。そんな場所で相互協力などと宣う輩は、間もなく誰かの餌となって消える間抜けに過ぎない。
だから俺は何も聞かなかったことにして、雇い主の脇に置かれたカゴに手を伸ばし。
「じゃあ交渉しようじゃないか。今日の分は出来高の2倍出す。それでどう?」
彼女の言葉に、再び動きを止められた。
「お前……なんで素性の分からん奴にそこまで入れ込む?」
「何となく放っておけないってだけだよ。アンタたちみたいなのとは違う、煤けた雰囲気がしない子をネ」
カキンとライターを鳴らし、雇い主はしわくちゃの紙タバコに火をつける。
正直言えば、彼女はこういう界隈にとって貴重な良心なのだろう。面倒見がよく、不正を嫌い、俺のような根無し草とも対等に接してくれる雇い主。そのあり方は、お世辞ではなく尊敬に値する。
だが、だからこそ、俺は伸ばした手で新しいカゴを掴まえる方を選ぶのだ。
「……そう思うなら、お前が拾ってやるんだな。俺には関係ない」
「頑固者が。硬いのは見た目だけにしときなよ」
なんとでも言え、と軽く手を振って、俺は自分の担当する範囲へ向かって歩き出す。
その視線の片隅では、件のマントフードにガスマスクのチビ助が、鈍臭い動きで実をもいでいる姿が見えた。
もしアレが本当にこの世界で生きようと言うのなら、ここで助けの手を差し伸べること程、残酷な話はないことを、俺は理解している。
真っ当にあろうとする者の言葉が、遍く存在に対する救いとはならないのだ。それも、この掃き溜めにおいてはなおのこと。
雇い主にとっては、不満な話かもしれないが。
■
終業の鐘の音に見送られた俺は、いつもより少し多めの報酬を懐に、埃っぽい家路を歩いていた。
多少邪魔は入ったにせよ、実入りは上々というところ。明日も同じように当たりを引ければ、いい加減継ぎ接ぎだらけの靴を買い替えることもできるだろう。あるいは、服を繕うためにまともな針を買うのもアリかもしれない。
どちらも生活水準で言えば最低限。だが、今の俺にはこれくらいが身の丈に合っているというものだ。
ただ、久しく気分のいい夜道にも、水を差す気配は現れる。
「……しつこいな。お前、そんなに暇なのか?」
薄暗い電灯から伸びる影に話しかければ、籠り気味な声の主は、こちらの進路を塞ぐように前へ出た。
「暇だからじゃないよ。話を聞いてもらわないと困るって、昨日からずっと言ってる」
当たっていて欲しいと祈っても博打が当らぬように、外れていて欲しいと願った所で、目の前に現れたのはあの小柄なガスマスクである。
それも仕事に疲れた様子もなく、なんなら真っ当な理由だとでも言いたげな視線を向けてくるのだから、かわいた口からは最早ため息すら出てこない。
「そりゃ残念だったな。生憎、俺は年がら年中忙しいし、聞いていやる義理もない。他当たれ」
ただでさえ明日も早朝から仕事なのだ。余計な疲労を貰う前に立ち去ってしまおうと、薄汚れたマントの脇を大股で抜ければ、間もなく小さな足音が隣へと並んだ。
「そんな事言わないで。素宮さんじゃなきゃダメなんだってば」
「お前の事情なんぞ知らん。時間の価値を理解出来る頭があるなら、これ以上俺に付き纏うな」
そう言ってから数歩程。足音の違和感に気付いて立ち止まった。
さっきまで混ざっていたはずの、自分とは異なる砂を踏む音が消えている。
ようやく諦めたかと僅かな安堵を覚え、しかし肩越しに振り返った先に見えたガスマスクの姿に、それは冷たく霧散した。
「……成程、時間の対価があれば、聞いてくれるんだね?」
「何?」
ゆっくりと3歩。小ぶりなブーツで砂を踏みしめたかと思えば、俺の前に布袋が差し出された。
「はいこれ、受け取って」
「お前……これは今日の稼ぎだろ。どういうつもりだ?」
「これじゃ足りない?」
予想外の行動に驚いたのも一瞬。
不思議そうに傾いたガスマスクに、俺は自然と下顎骨に力が入るのを感じていた。
金さえ出せば言うことを聞くだろう。そう言われたような気がして、ありもしない腹が少し煮える。だが、勝手に想像した相手の思考で不快になるなど馬鹿らしい話で、思考を焦がそうと燻った火を大きな溜息で吹き消した。
「……もういい。お前が去らんなら俺が消えるだけだ。着いてくるなよ」
「えっ、ちょっと待って! どれくらいお金が必要かわからないけど、言ってくれればちゃんと払うから! お願い、私にはどうしてもあなたが――!」
吐き捨てるようにそう言って歩き出せば、慌てた様子の籠った声が背中を追ってくる。
今までの執着を思えば、ガスマスクの行動は予想できていた。
「もう一度だけ言う。着いてくるな」
だから俺は振り返ると同時に、吸収缶をぶら下げた面の鼻先に白い指を突き付けたのである。
これでもなお突っ込んでくるようなら、こちらもそれなりの対応を考えねばならなかっただろう。ただ、そこまで他者の感情に対して無頓着という訳でもないようで、指先を前にガスマスクは僅かにのけぞって立ち止まり、危うく尻もちをつきそうになりながら1歩半後ずさった。
ようやく黙り込んだその姿に、それでいい、とゆっくり腕を下ろす。後は他人であり続ける限り、こちらから何かをすることはない。
不干渉と無関心こそ、お互いが平和にあり続ける最良の方法だ。特に自分のような奴が相手なら。
改めてガスマスクに背を向け、俺は歩き出す。これで全ての問題は解決だ。
そう思ったのも束の間。
「……うぅ、わかったよ。じゃあ、また明日ね」
どうやら、他人に無頓着ではないことと、感情を理解することは別物らしい。
背中にかかったのは、同情を誘うかのような落ち込んだ声。おかげで俺は、いよいよ体に教え込む以外の方法を思いつかず、軽い拳を握りこんだ。
「だから、お前いい加減に――」
振り返った先、足音はしなかったと思う。
そこにはジリジリと音を立てる切れかけた街灯が、くすんだ光で道を照らすばかり。マントやガスマスクは影も形もない。
望んだ結果。あるいは全てが夢幻の類だったのかもしれない。
――本当に何なんだ、あのチビ。
そうだと決めつけてしまえば気楽な話しで終わるのに、どうしてか俺にはこれで何かを断ち切れたようには思えず、薄暗い街路の片隅を見つめることしか出来なかった。
■
奇妙はまた翌日より。
夜道に溶けて消えたガスマスクは、早朝からアンジェライム収穫の仕事に出た俺の前に現れる。
「おはよう、素宮さん」
籠った声の丁寧な挨拶に、俺は視線を合わせず返事もしなかった。
そうすれば、いずれ昨日のように景色へ溶けて消えるだろう。その方が、俺は余計な面倒事を抱えず、向こうさんだって時間を無駄にすることも無い。多少の不快感が生じようと、それが互いの為だと思った。
しかし、無視を決め込んだ俺に対し、ガスマスクは不平不満を垂れることもなく、以後は昨日と同じようにまた鈍臭い動きで、しかし黙々とアンジェライムをもぎ始める。
その姿勢は終業まで変わることなく、自分と比べれば3分の1程度であろう少ない報酬を受け取って一息。
「お疲れ様、素宮さん」
そして懲りることのない丁寧な挨拶。
こちらが無視を続けても気にした様子はなく、帰り支度をする俺の隣で、初日に受け取った分であろう布袋へ今日の分を足し合わせ。
「それじゃあ、また明日」
と短く言って去っていった。
全く訳の分からない奴である。ただ、住処に押し寄せてきたり夜道をストーキングされないのなら、これと言って実害もない。
だから俺はその日より、この奇妙なガスマスクチビについて、やたらと気にしないことにした。
他者の行動についてどうのこうのと言えるほど、自分は偉そうな立場にない。だから次の日も、また次の日も、丁寧な挨拶と非効率で実入りの悪い仕事をこなし、少ない報酬をザラザラと布袋へ貯めていく姿を、視界の端に捉えているだけ。
その繰り返しすら日が経つにつれどうでも良くなってゆき、週の終わり頃には半ば忘れていたと言っていい。
とある古株に声をかけられるまでは。
「よぉ素宮、精が出るな」
グチャりと不快な音に振り返れば、鉄製のぼろ箱を跨いで座る腐肉と目が合った。
「……松土? アンタが陽向に出てくるなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
「いや何、お前さんみたいな乾ききった奴に、妙な小バエが集ってると聞いてよ」
砂漠において少数派であるゾンビ男は、零れてきそうになる眼球を戻しながら、どうなんだ? と畳んだままのボロ扇子を向けてくる。
長く会っていなかった奴だが、掃き溜めの噂に耳聡いのは相変わらずらしい。とはいえ、俺に出来るのは鼻で笑うことくらいだが。
「はっ……何が欲しかったのか知らんが、徒労もいい所だな。さっさと裏路地の穴蔵に帰って、腐った兄弟姉妹たちと戯れてたらどうだ」
「やれやれ、古馴染み相手にツレないこって……んだが、その様子じゃ本当にハエ程度ってとこのようだな」
顎を擦りながら、動きの怪しい目で一瞥してくる松土に、俺はため息をついて背中を向けた。
いつも掃き溜めで汚い賭場で管を巻いている、真っ当とは言い難い情報通。それがあのガスマスクの何に目をつけたのか知らないが、内容がどうであれ、自分とは一切関係の無い話に過ぎない。
「ただの流れ者だろ。俺の知ったことじゃない」
「ほぉ? ま、お前さんがそう言うんなら、俺ぁ別に何だっていいんだがよ。ヒッヒッヒッ」
箱から降りた人型の腐肉は、こちらに見切りをつけたのだろう。どこか粘つく音を立てつつ暗い路地へと消えていった。
――浪費癖持ちの博打狂いが、底辺の流れ者に何を求めてるんだか。
いいところ、物珍しさからの単なる暇潰しだろうとは思う。
ただ、路地に響いたご機嫌な笑い声だけは、いやらしく耳孔にこびりついた気がしてならなかった。
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