第34話『秘密のノート』レオナルド視点


 経年劣化のためか少し黄ばんでしまっているが、たしか各寮にある自学自習室で使用されている備品だったはずだ。


 生徒会長として就任した際にラフィール学園の予算を預かる上で使用されている備品を確認した時に見た記憶がある。


 まだ紙が高価だった頃、下位貴族の中には授業で使用するノートや筆記用具を準備する事が難しい者も多かった。


 そのため、学習支援の一貫として王家から各寮の自学自習室にノートや筆記用具を配備していた歴史がある。


 今では自分でこだわりの筆記用具を用意している生徒が多くなっており、余り使用頻度が多くないノートや筆記用具の配布について予算を削減しようかと議題に上がっていたからよく覚えている。


 どうやらまだ使用している生徒がいたようだ。


 一冊だけ大切に保管されていたノートに手を伸ばし、裏返しにされてあった表紙を見て俺は眼を見張る。


 そこに書かれていたのは見覚えがあるあの、俺が初期に書いていた日記と同じ読めない文字だったのだから……


「どうやら中身はこのノートだけのようだな」


「変わった文字ですわね、どちらのお国の物かレオンハルト様はおわかりになりますか?」


「う~ん、近隣諸国で使われている文字は多少把握しているし読めるけれど、これは見たことがないかな」


「成績優秀なレオンハルト殿下や未来の王子妃として高い教養をお持ちのアンジェリーナ様がご存知ない言語ですか……まさかあの噂は本当だった……?」


 ポソリとつぶやいたアウレリオの言葉にハッと見入っていたノートから顔を上げる。


「アウレリオ! ユリアは絶対に密偵なんかじゃないよ! その噂だってレオンハルト殿下に顔と名前を覚えていただいたことを妬んだ子達が流した根も葉もない噂だ!」


 アウレリオに掴みかかり怒りをあらわにその胸元に掴みかかりグラシア嬢がチンピラよろしく睨み上げる……チンピラ?


 チンピラって何だ?


『〇〇〇は俺が守る!』


 頭の中に響いてきたボーイソプラノは誰の言葉だっただろうか。


「ユリアは良い子なんだ!一途で!一生懸命で、自分が辛いときも心配させないように笑顔で隠しちゃう……そのくせ不用意にレオンハルト殿下に話しかけちゃうような世間知らずだ……密偵なんて出来るような子じゃない」


 褒めているのか貶しているのか悩むところだが、俺を起こしに来て殺されかけたにもかかわらず平然と仕事をしていた姿が記憶の砂嵐を霞める。


「とにかく、そのような噂があったのも事実だ……このノートは私が預かり調査する、ユリアーゼ嬢の私物の引取確認は以上とする」


 平静を装いながら俺は早く手に入れたノートを城へと持ち帰り確認したかった。


 階下へ戻るとフリーダ女史と話をしていたセシルがこちらに気が付き近寄ってくる。


「殿下、引き払いは終わりましたでしょうか? そろそろ授業を終えた生徒が戻ってくるようですので我々はお暇いたしましょう」


「そうだな、フリーダ様。ユリアーゼ嬢の私物は部屋にはありませんのでご家族へ引き渡して構いません、ただ机にしまってあったノート一冊だけは私が直接ユリアーゼ嬢にお会いした際にお渡ししますからそのように報告してください」


「かしこまりました、レオナルド殿下、レオンハルト殿下、セシル様、アウレリオ様……この度はご足労いただきありがとうございました……あの、ユリアーゼ様についてその後なにかご連絡はございましたか?」


 一瞬言い淀んだフリーダ女史が遠慮がちに聞いてくる。


「いや、特にないが、何か気になることでもあったのか?」


「それが……お父君でいらっしゃるアゼリア子爵が学園の休学届けを出された際に、ユリアーゼ様を連れ帰ったのですが……その、かなり手荒に連れ帰ってしまわれたのでとても心配していたのです」

 

 どうやらユリアーゼ嬢はフリーダ女史とそれなりに良い関係を築けていたようだ。


「こちらでもユリアーゼ嬢が置かれている状況について調査してみよう」


「よろしくお願いいたします」


 俺がそう請け負うと、フリーダ女史はホッと厳しかった表情を緩めた。


 グラシア嬢とアウレリオ、アンジェリーナ嬢とレオンハルトはこれから二人で用事があるとの事だったので俺とセシルだけで城へと向かう馬車へ乗り込んだ。


「しかし、そのノートは何なのでしょうね?」


「わからないが、この文字に俺は見覚えがある。 解読できないか試してみようと思っている」


「ちなみにどちらでご覧になったのですか? 殿下の補佐ができるように学んできましたが、私には記憶にない文字なのです」


「先日セシルに持ってきてもらった俺の幼い頃の日記だ……読めなかったがな」        


「えっ、ではやはりレオナルド殿下の記憶喪失にユリアーゼ様が関与しているのではないですか?」


「わからない、グラシア嬢は否定していたがアウレリオが言っていたように密偵の可能性も捨てきれないからな、何らかの事情があるにしてもこの文字について……本人に話を聞かなければならない」


 既に陛下からの召喚状がアゼリア子爵家へ届けられているはずなのでそう間をおかずに話を聞く機会にめぐまれるはずだ。


 セシルから全学年交流会後のラフィール学園の様子を聞いたり、生徒会の仕事が溜まっているから早く学園に復帰してほしいなどの小言を聞いているうちに城へと帰り着いた。


 気もそぞろに夕餉や湯浴みを済ませて自室に戻ると、早々と王城での侍従や侍女を部屋から出ししてしまう。


 王族として産まれてから侍従や侍女、乳母など誰かが近くにいるのが当たり前だったが、一人になれるこの就寝前の時間が一番落ち着く。


 俺の肩幅くらいの大きさで特別に作った天板だけのテーブルをキングサイズのベッド上へ設置する。

 

 昨晩読んでいた日記のうち、見慣れない文字が書いてあった日記を選んで運び込み、ベッド脇に備え付けられているスタンドライトの魔道具に魔力を流す。


 検証する際にメモを取るための筆記用具やノートも持ち込み天板の上へと用意していく。


 ユリアーゼ嬢が鍵をかけて保管していたノートも持ち込み、枕を胸の下に入れてうつ伏せでそれらをみくらべる作業に取り掛かった。


 王子としてあまり行儀がいい姿とは言い難いけれど、そのために早々と侍従や侍女達を下げたので問題ない。


 俺の日記とユリアーゼ様が隠し持っていたノートを開き、共通する文字がないか一つ一つ確認していく作業は〇〇〇のようで楽しい。


 本当は鍵まで掛けて保管したノートを他人に、しかも異性に見られるなど嫌だろう……しかし、これはユリアーゼ嬢に掛けられた密偵疑惑を晴らす上で大切な作業なのだ。


 罪悪感を感じる必要はない……筈だ。


 抜き出した文字とこちらの文字に直す練習をしたと思われるページも合わせて確認していく。


 どうやら五種類の母音字と母音字と組み合わせて出来る五十音それに組み合わせて特定の文字を追加する濁音や半濁音、拗音(ようおん)などで表記するこちらの言葉に変換することも可能そうだ。


 そのために必要な変換表をどうやら俺は作っていたらしい。


 となると、もしやこの不思議な文字は俺が考え出した暗号かなにかなのか?


 変換表を使用してユリアーゼ嬢の持っていたノートの中身を用意したノートに翻訳していく、しかし翻訳できない文字があるのだ。


 変換表の同じ文字と思われる枠には形状が違う文字が二種類とそれにあたるこちらの文字が書かれている。


 しかし線が五本くらいで構成されている変換表とは違い十本以上の線で構成されている文字は、幼い頃の俺が既に読み方を書いていたもの以外は解読が難しい。


 しかしありがたい事にどうやらユリアーゼ嬢のノートは変換表を使えば読むことが可能そうな文字が多い気がする。


「殿下、もうそろそろお休みください」


 いつの間にやってきたのだろうか、呆れた様子で侍従のルアンがカチャリと持ってきたカップを天板の上に置いてくれる。


 乳白色のホットミルクからは蜂蜜でも混ぜてあるのか甘い香りが漂ってくる。


『勝っちゃん! 私はホットミルクね、蜂蜜多めで!』  


 まただ、この幻聴はどこから来るのだろう?


「眠れないときにはこれにお酒を垂らすのが効くのです……殿下? いかがなさいました!?」


『もう!勝っちゃんはすぐ無理するんだから!』 


 こちらへと声を掛けてくるルアンの姿に髪の……長い少女の姿がチラつく。


 誰なんだ、俺はレオナルド、勝っちゃんなんかじゃない!


 ズキッとひときわ大きな頭痛の波が押し寄せてきて、俺は天板の上に額を付けるようにして頭を抱き込む。


 痛む頭に呼吸まで次第に荒くなっていく。


「大変だ、すぐに宮廷医を呼んでまいります!」


 危険だと判断したのかティーカップを、サイドテーブルへ避難させルアンが部屋を飛び出していく。


 頭がイタイ……


 目の前のユリアーゼ嬢のノートがめくれて三角の頂点から真っ直ぐに棒が書かれた上に“ハート”の形が書いてある。


「あ……いあ……いが……さ?」

 

 “相合い傘”の下に好きな人と自分の名前を書き入れることで、恋愛成就を願う一種の呪いだ。


 そう、この国にはない呪い……


 相合い傘の下に書いてある名前を撫でればそれまで読むことができなかった文字が理解出来るようになった。


 そう……まるで初めから読み方を知っていたように……


『出雲勝也(いずもかつや)、二階堂、優里亜(にかいどうゆりあ)』 

 

 仲良く並んだ2つの名前、特に二階堂優里亜と呼んだ途端、ずっと目の前に掛かっていた霞が霧散した。


『勝っちゃん!』


 鮮明に蘇る記憶には屈託ない笑顔で俺の手を引っ張りながら駆けていく優里亜の姿。


 レオナルドに産まれる前、前世の人生で唯一俺が愛した女…… 


「ユリア」


 ぽたり、ぽたりと涙が頬を伝ってユリアーゼ嬢の……優里亜(ユリア)のノートに落ちて水気を吸ったインクが文字を滲ませる。


「やべぇ」


 ユリアのノートが汚れちまう!


 慌てて夜着が汚れるのも気にぜずに濡れた文字を優しく押さえつける。


 これ以上他の文字まで滲ませてたまるかよ!


 ノートを汚さないように身体を起こすと、背中からバタンとベッドへ仰向けに転がった。


 壊れた蛇口みたいに止まらなくなってしまった涙をノートとは対象的に乱暴に拭う。


 まだ頭は痛いけれど、霞が晴れたおかげで意識ははっきりした。


 失っていた記憶が優里亜(ユリアーゼ)に関するものならば、大規模な記憶喪失になるのも頷ける。


 前世では素直になることができず、最後は喧嘩したまま死んでしまった。


 俺が優里亜に……ユリアーゼに伝えたかった言葉は、あの日の事故を境についに伝えることが出来ずに終わってしまったから……


「ユリア、俺に会いに来たのは褒めてやる……前世の分も含めてドロッドロに甘やかして俺無しでは生きられないようしてやる」


 ふふふっ、そうだそれがいい。


 基本的に物事に執着しない性格だと認識していたが、どうやらその認識を改めねばならないようだ。


 我ながらこんなに独占欲が強かったとは知らなかった。


「もう他の男と付き合おうなんて戯れ言ほざけないようにしてやんよ」


 身分差が何だ、王太子だろうが子爵令嬢だろうが関係ねぇ、ユリアーゼは……ユリアは俺の、俺だけのものだ。


 王家から全学年交流会で起きた事と俺の記憶喪失や怪我を負った生徒の傷を癒し、瘴気を浄化した事実について王の御前で説明する為に登城することになっていたはずだ。


「今度こそ覚悟しろよユリア、俺はお前に関しての器はお猪口サイズだと自覚したからな」


 その後宮廷医を連れて戻ってきたルアンのすすめで軽い診察を受けたあと、すっかり冷めてしまったホットミルクをグイッと飲みほす。


 ベッドの上を片付けて布団に入れば、疲れていたのかすぐに眠気が襲ってくる。


 さて思春期真っ只中の俺がどんな夢を見たのかはさて置き、俺は現在岐路に立たされていた。


「私フロレンシオ・バックランドはアルベンティーヌ・アゼリア子爵令嬢との婚約を破棄しユリアーゼ・アゼリア子爵令嬢との婚約を望みます!」

 

 あぁん!!? 

   


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