第二十話 飛ぶ教室

目の前に広がる光景が「教室」であることを認識するのに、しばらくかかった。ちょうど僕らが通っていた学校によく似た教室だった。


すぐ前の座席に、同じように覚醒しきっていない様子の涼やかな少年。僕の存在に気づいたのか、ぼんやりと僕のほうを見た。ええと…


ガタン!と音がしたので振り返ると、机からずっこけている少女がいる。手で何かを探っているのは、その先に落ちたメガネだろうか。


僕は黒ぶちのメガネを拾い、少女に手渡す。少女はメガネを装着し指で押し上げると、「ありがと」と言った。言わずもがな、川西つばめだった。


「ここは?」少年―これも言わずもがな―結月輝が気だるげに言った。「まさかここが…」


クルセーダーが送り込まれる聖なる戦いの世界「マグ・メル」?


そんなわけはないだろうと僕は思う。僕は創作ゲーム空間に自ら作った教室を思い出していた。「誰かが創った場所」―僕にはなぜか、なんとなくそう思われた。


「どうも、イメージが違いすぎるよね」つばめが困惑を隠さずに言う。

「ここで…何をすればいいんだろう…」


三人が黙りこくった、その時だった。教室の後ろの扉がズバン!とものすごい音を立てて開いた。

そこに立っていた人物を見た僕は、呼吸が止まるほど驚いた。今までの短い人生の想像をはるかに超えた驚き。それこそ、擬体に選ばれた時以上の。


教室の扉を開けたは、ものすごいスピードで走り寄って来た。机を飛び越え、俊敏なステップで障害を避け、そしてついに、僕に向かって飛び込んできた。僕は衝撃をこらえようとしたが、もんどりうって床に転げた。

「アキ!!よく…よくやった!お前、すげーよ!すごすぎる!!」


僕に抱きついてでたらめなでかい声で叫んだ少年は。それは、まごうことなく、彼だった。


世界最高の親友。ナルオ。


「スタジアムでの本戦も、信じられないくらい強かったよ!!何度か危なかったけど!!お前、本当にどんどん、どんどん強くなっていくんだもんなあ!!」

ナルオは上半身を起こしながら、興奮冷めやらぬ勢いだ。


いや、ナルオ、そんなことよりも訊きたいことがこっちにはありすぎてだな…。


「お!それに、オレが不覚を取った野球のアンタ!」ナルオは川西つばめのほうを見て言い放つ。瞬間、ケンカでも始めるのかと焦ったが、杞憂だった。

「アキを、守ってくれてありがとうな!!」


ナルオ、お前は…あの世(?)でもやっぱりナルオだ。誰よりも明るく、誰よりもやさしい。川西つばめはナルオの顔をあまりよく見ていないはずだった。どうりできょとんとしている。


「ナルオ、待ってくれ、とにかく…」僕は慌てて、なるべく理路整然と質問しようと努める。「お前は…ええと、元気だったのか?」

「オレ?ああ、そうか」ナルオは笑う。「オレが負けたあと、どうなったか、知らないんだもんな…!」

そうだよ、と僕は思う。「死んだと思って」胸がこみあげてくる気持ちでいっぱいになる。


「その話もするけど、それより前に…」ナルオは僕の手をとり、僕を無理やり起こした。「見てみろよ」


何人いるのだろう。いつの間にか教室には、少年少女がひしめき合っていた。互いにこづいたりしながら、一様に僕たちを見ている。視界に、見覚えのある坊主頭の少年が入る。彼らは…。


選手ハンドラーたち。


僕は事態が呑み込めない代わりに、つばを飲み込んだ。ならば…。そうならば…。

誰からともなく、群衆が割れる。その先に立っているのは。


下唇をかんで、両こぶしを握り、まるで子どもみたいにがまんしている未咲が、そこにいた。


僕は、その時の自分の気持ちを表現できない。ただ、涙が出て止まらなくなった。声が出ているのも感じていたが、止められなかった。子どもみたいだ、恥ずかしいと思いながらも、僕は泣き続けた。しばらくして、未咲のにおいがした。僕の首に腕が回った。僕は未咲の少し震えている体にしがみついて、まだ泣いた。


「ありがとう、わたしのヒーローくん」


僕はこの時、これまでの悪夢のような戦いの日々が終わったことを感じた。すべてが、終わった。



* * *



AOIはすでに10人ほどの取り巻きを率いて(?)独自のコミュニティを築いていた。AOIは僕に駆け寄ると「アキ、おめでとう!」と僕のほっぺに軽いキスをしてくれた。ナルオと取り巻きたちが「なッ!!」と目じりを釣りあげたので焦ったが、「優勝者チャンピオンなんだからこのくらいのごほうびは必要でしょ!」というAOIの一喝に黙らされた。ナルオは「くぅ~、いいなあ~」と心底悔しそうだった。ごめん。


杉野なつは、兄である杉野虎太郎にべったりの様子だった。この兄妹はどこの世界でも変わらないだろうなと思った。


川西つばめは、にこやかな巨漢・小谷と再会して照れくさそうだった。


そして池袋の「暴君」ことケンヤは。窓際につっ立って、ぼんやりと窓の外を眺めていた。僕は、とくにかける言葉思いつかず、ただ目の端で彼のハンサムな横顔を見ていた。


ほどなく総勢54名の少年少女は、「体育館」に集められた。


困惑した様子で立っている僕ら選手たち以外に、5人ほどの少年が僕らを見ていた。僕はその内の一人に、昨年のチャンピオン、佐京くんを発見した。そうかつまり、彼らがということだろうか。


体育館の正面の舞台に、コツコツと足音を響かせながらコミッショナーが現れた。その後を、なぜか灰色の猫がついてくる。


コミッショナーは僕らを見渡すと、神妙な顔つきで話しだした。


「みなさん、『マグ・メル』へようこそ。そして…、本当につらい戦いをいて、ごめんなさい」


僕たち一人一人の目を見るかのようだった。


「あらためて、私の名は、ミヤビ・アマノ。これからはミヤビでもアマノでも好きなように呼んでください。この世界、マグ・メルでの…お母さんだと思っていいわ。そしてこちらが…」

コミッショナーあらため、ミヤビ・アマノが傍らの猫を手で指し示した。


「わたしがかつて天才の名を欲しいままにしたAI研究の第一人者、人呼んでドクター・コバじゃ!!」


猫がしゃべった。マグ・メルでは猫がしゃべるのか…。アニメか漫画の世界でしか見かけたことがない。


「おっと、心配するな。この猫の体はいうなれば擬体じゃ。本体はおじいさん…じゃなくてお兄さんじゃ」


きっと、今間違えていいかけたおじいさんのほうが本当なんだろうな…。ほとんどの子どもたちが理解した。実は50歳を超えていたりして、と僕は笑う。ティルナノーグの平均寿命は40歳。父さんや母さんが30代前半だから、あと10年くらいで亡くなる。50歳を超えて生きている人などいない。


「今からみんなに、この世界と、クルセードロワイヤルの目的についてお話しします」


隣に立つナルオと目が合った。本当の?では今まで僕たちが信じていたことは…。


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