第十八話 ギブアップは、アリですか?

「田中くん、生きてる?」なつの声が聞こえる。

「まだ消える感じはしない。けど、ほぼダメだ」

「そうかあ…マズイなあ」

「というか、何が起きたの?」

「見てみてよ」


少し和らいできた痛みをこらえて、なんとか擬体を起こす。

なつの擬体は、左腕の


ぎょっとして振り返ると、すらりとした薄青い擬体と、その向こうに真っ黒い悪魔のような擬体が立っている。


「ついに、池袋の暴君が負けたんで、観客が盛り上がってるの」


さっきの歓声は、自分に向けられたものではなかったのか…。


「しかもあっくん、最後になんだか光る大技を出して、相手はほぼ蒸発した感じだったんだよね。ヤバすぎるよ。わたし、あんまりびっくりして、その時左手が無くなっちゃった」


そうか。

池袋が負けたことで、


「だけど、田中くんもすごかったね、最後の巴投げ!」なつが明るい声で言った。「背中がもともと破損してなければ、いい作戦だったんだけどねぇ」


柔道の試合ならば、最後のタックル―柔道なら諸手刈り―で先に一本取られている。巴投げは無効だ。だが、実戦としては勝った…筈だったんだけどなあ。


「田中くん、さすがに戦えないよね?」

「そうだな、乱暴に触られただけで負ける感じ」

「だよねえ」


なつは残った右手でやさしく田中を立たせると、さらにから頭を入れて、肩車にかつぎあげた。そのまま、歓声を上げ続けている観客たちの方向―建物の端に向かって歩く。


「みなさ~ん!組み技最強の男・田中くんに拍手~~~~!!!」


拍手の嵐が起きる。目の前に見えるだけで数千という人々の、わーっという音のシャワーを浴びて、田中の目頭が熱くなる。


拍手をする大勢の最前線にコミッショナーの姿を認めると、田中を肩車したまま、なつは「ハイ!」と手を挙げた。「コミッショナー、質問があります!!」


名指しされたコミッショナーがマイクを手にする。

「なんでしょうか?」


「『ギブアップ』ってアリですか?」なつは大きな声で言う。ざわつく観衆。


コミッショナーにとって想定外の質問だったのか、しばらく絶句した後、答えた。


「ギブアップは…そうね…、ルールに組み込まれていないわ。今回は、認められません。次回から検討します」


「そっかあ」なつは嘆息した。「あたしたちに次回は無いんだけどね…」


なつは頭上の田中に向かってしゃべる。


「じゃ、田中くんは祈ってて。あたしが、どっちか倒す…ようにがんばってみる」


「僕がやろうか?一応、両手揃ってるし」


「いやぁ~、無理っしょ。背中、装甲落ちちゃって動力装置むきだしだよ。組んだ瞬間、死ぬっしょ」


「…でも、きみは左手ないし…」


「正直、両手あってもあの二人に勝てる感じがしないんだけどね。。でも、なんとかする」


「…わかった」


田中はその場にあぐらをかいて座った。


「狙いは…、あっくん。相手してもらうよ」


クルセードロワイヤル・決勝、最後の戦いが始まった。


* * *


杉野なつは、この局面で、組み技競技者としてのアイデンティティを捨てた。純粋な、戦う生物として特化した彼女の擬体は、強かった。


壁面を生かし、三角跳びに襲い来る。まるで豹を相手にしているようで、見切るのがギリギリだ。地面に着地するとすぐに脚を狙ってくる。バク宙でかわす。

なつはギリリと引き絞った右手で重いパンチを繰り出してくる。こちらもボディを破損しているから食らったらアウトだ。自分の左のパンチを当てて相殺する。青い火花があがる。


なつは先端を失った左手までも振り回してくる。そこに気を取られていると、右手で掴もうとする。狙いはそれか。豹だと思っていたらサルに変化した―――余計なことを考えたら反応が遅れた。左手のを掴まれた。


なつは掴んだ手を内側に巻き込みながら回転して投げの体制に入る。技の名前は(あとで知ったのだが)「袖釣り込み腰」。腰から投げの体制に入られたので、腕をパージしても耐えられない。マズイ!


擬体が跳ね上がって宙を舞う。だが…切れ味が良すぎるよ、と僕は思う。DOGは逆らわずにむしろ加速し、両足を先に着地させる。床にひびが入ったのがわかる。生身ならこの衝撃と体勢には耐えられないが、擬体なら別だ。そして、あえて仰向けに倒れながら、逆に左手で引き寄せる。


ひきつけたのは、なつの擬体の顔面。


「あちゃー」なつの最後の声が聞こえる。「だめか」


DOGの右手が青白く光りを放つ。僕の嫌いな、格ゲーキャラのチート技。掌になんだかわからない「気」を溜めて放出するやつ。

ただし、どうもこれは違う。擬体が溜めているのは「気」ではなくて―――。


右手がなつの顔面を捉え、そしてバチバチとなにかがはじける音と共に、頭部ごと吹き飛ぶ。

なんて名付けようかな、このズルイ技。


僕はどさりと倒れてきたなつの擬体の重みを受け止める。そしてその重みが、擬体そのものの消滅によって減っていくのを、ただ黙って感じていた。


最初から決めていたんだ。もしも戦うことになったならば。彼女のような堂々とした武道家に、一切の情け容赦はしない、と。



遠くから、潮騒のような歓声が聞こえている。


目を開けると、王子が手を差し伸べている。僕はその手を取り、引っ張られながら立ち上がる。

「強かったね。渋谷の」王子がボソッと言った。その一言に、最後まで死に物狂いで戦った彼女への尊敬が感じられて、僕はうれしくなった。

「だな。左手があったらこっちが負けてたな」


僕らは、先ほどなつがコミッショナーと対話したあたり、建物のへりに向かってゆっくり歩く。田中の擬体はもうそこには無かった。

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