第十七話 叫び

予定通り、真っ黒い悪魔ヤロウは何か叫びながら突っ込んできた。ひざ蹴りか。心なしかさっきより速い気がする。言っても、光速の弾よりは遅い。左手でしっかり勢いを殺す。黒い右のストレートが飛んでくる。


速くなっている気がするが、これも見切れる。お次は左のアッパー気味のフック。さらに速くなっているが、俺の擬体なら大丈夫だ。腰を沈めて空を切らせる。さて…、攻防が速すぎて、そろそろ俺の意識が追いつけない。


次でカウンターだ。返す刀でさっきも打ったボディに向けて右の鋭いショートアッパー。これで終わり。


悪魔ヤロウの半分壊れたどてっぱらは、カブトとかクワガタみたいに見える。俺はゴキブリしか見たことはないけれど。そこに穴を開けるのだ。

よし今だ。


ガン、と衝撃が伝わる。擬体のパンチは俺の意識よりも速いから、今までも常に、衝撃を感じてから、あ、当たったんだな、と思う。


悪魔の腹を貫いたところを見よう、としたその時、なぜか痛みを感じた。擬体の拳は装甲が強化されており、ことに直線状の衝撃にめっぽう強くなっている。だがそれが、万力まんりきで締め上げられるような痛みを訴えている。


信じられなかった。


俺のすばらしい擬体の、すばらしい拳は、悪魔のような真っ黒い擬体の左ヒザと左ヒジではさまれていた。かのように圧力をかけられる。読まれていた。


クソッ!このやろう!


左フックで顎を打ちぬけ。必殺の引きフック。だがガードされる。右腕をはさまれ、体勢的にパンチに力が乗らない。


黒い擬体の目のあたりが青白く光っている気がする。こっちを見ているな、と思う。その横で右拳がぼうっと光った。


カンカンカン、と顔面に衝撃を受けてのけぞる。


重くはないが、まったく見えない、とてつもなく速いパンチだった。


くそっ!俺はジャブを出す。しかしまたも相手のパンチが先に当たってしまう。

もっと速く。だが俺の意識ではもう追いつけない。すべてを擬体に託すしかない。


クラブのキング。やっちまえ。お前の速度なら―――。


拳にいくつかの、いくばくかの手ごたえを感じた。だが、軽い。軸足しか使えないし、右拳も破損しているからだ。腕だけのパンチは、弱い。すまないな、クラブのキング、俺がかっこつけたせいで、お前の武器が弱くなっちまった。


そして痛みを感じた。右脚―――唯一残った軸足の、ヒザ。足を止めた状態で上下左右に打ち分けをした、その切れ目で食らった。ヒザへの踏みつけ。ああ、ヤクザの安二郎さんが言ってたっけ、体が大きくなって体重がでてきたら、出てくる相手のひざを狙えって。

それを…食らってる。軸足の関節に激痛を感じる。


クラブのキング。最高の擬体。どうする、奥の手があるんだよな?


俺は最強の擬体・クラブのキングが叫ぶ声を聞いた。聞いたことのない、悲しい声だった。


よろけて後ろに倒れそうになる。それを狙って悪魔が襲ってくる。だが、まだあきらめない。さっきとは逆のボディ。そこに、まだ頑丈な左の拳を突き刺してやる。


だが向かってくる悪魔はおかしなことをしている。右手首と左手首を腰のあたりでくっつけている。ぼうっと掌が光っていて、いっそう悪魔召喚の儀式みたいに見えて笑える。


悪魔ヤロウはなにかがおかしい。今まで従わせてきたアスリートたちと、ちょっと違う。アスリートってのは、もっと体の使い方に信念がある。体と心が一致してるはず。

悪魔の擬体はそれとは違う。流派がないから信念がない。それでいて、操作者ハンドラーの意思に嬉々としてしたがっている感じ―つまりゲームキャラみたいな―そんな動き。


そうでなきゃ、こんなことはしないだろう。


俺の目の前がなんだかわからない、青白い光に包まれた。漫画みたいだ。漫画だと、地球制服を企む悪のボスは最期に必ず光に包まれて消えるんだよな。


あ~あ。

生まれ変わったら、もしも同じようにクソッタレな街だったとしても、きちんとボクシングを習いたいなあ。

どんなハードなトレーニングでも、今までの生活よりはマシな気がする。



≪田中隆弘≫



組み技が楽しい。今、僕は猛烈に楽しい。


もう何度めかわからない。大河原のタックルを空中で身をひねってかわす。そう、杉野なつも、誰も覚えていないのだが、僕の最大の強みはなのだ。

捕まっても、投げをかわす柔らかくて素早い反応。だから、大河原の高速タックルにも反応できている。女子に負けるわけにはいかないしね。


そしてチャンスがあれば、この一回り大きい相手をぶん投げてやろう。

相手の擬体は、かなりのダメージを負っている。背中から叩きつければ即アウト。ただし…それは僕も同じ。フォールに持っていかれるようなことがあれば、敗北が決定してしまう。でも、そんなリスクを背負ってでも、戦いたかった。ごめんね、杉野なつ。


大河原の手先は、触れた瞬間に「掴み潰す」。自分の擬体の手先は一部つぶれてしまっている。集中していないと手首もやられそうだ。はは、すごい緊張感だ。またタックルのタイミングを読んで躱す。


大河原の姿勢が低すぎてなかなか背負いに入れない。しかし…この迫力…、普通なら組むのを嫌気いやけするだろう。だけど、僕は組み合いの勝負を挑む。逆に呼び込んでやる。


大河原の擬体がぼうっと光った。次だ。次が全身全霊で来るタックル。


ゴオッ!!!


速いッ!今までにない速さで、反転が間に合わない。背負いは無理だ。

大河原の両手が僕の脚に触れる。そして加速する。

分かっているのに――、読んでいたのに捕まった!


中空を後ろ向きに跳びながらも、僕は右手で大河原の首根っこを掴む。こうなったら肉を切らせて骨を断つだ。左手は大河原の脇に。


ドバン!!!


背中に目のくらむような衝撃。その瞬間、僕は渾身の力で大河原を空中に放った。巴投げ・。大河原がぶっ飛んでいくその先にはコンクリートの壁。


ギリギリ…勝った!


ものすごい歓声が聞こえる。やった。俺がスターだ…。


投げた大河原がコンクリに激突する直前、


え?どういうことだ?


停まったままの大河原の擬体は、そのまま少しずつ消え始める。

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