第一部 地区サバイバル編

第一話 秋葉犬(アキバケン)

→K→KPPKP。

ゲームキャラ「犬男ウェアウルフ」が吠えながら怒涛の連続攻撃を繰り出す。


コンボが決まって、敵の大男がノックバックしたところで↑H↓H、サイクロン投げ。画面の中でズシンと地面が揺れ、大男はもう立ち上がれない。『PERFECT!』。さっきと同じ決め方で芸がなかったな、と僕は反省する。次は空中コンボから投げ落としてみよう。


ゲーム筐体の上部のカウンターに「11」という数字が灯った。僕が今のところ、勝ち抜いた人数だ。


ガン!という音と共にゲーム筐体がぐらぐらと揺れる。こちらからは見えないが、対戦したプレーヤーがのだ。3ラウンド目はコンボの効率を確認するために一撃も食らってやらなかったからな、そりゃさぞムカついただろう。ごめんごめん。


勝ち抜き人数が20を超えたところで、店内の空気が重く…なってきた。

柱の向こうでヒソヒソと話しているやつらがいる。目を合わせないようにする。


21人目は、見知ったヤツだった。たぶん僕と同じ小6。兄貴と思しき中学生の集団と一緒にここに来てる。ゲームの腕前は、まあまあ。選択したキャラは、ストーリーモードでの敵ボスキャラ。打撃の威力が他のキャラの1.5倍くらいある明らかな強キャラで、瞬間移動ワープも持ってる。こういうキャラは嫌いなんだよ、と僕は思う。ゲームとはいえ、格闘なんだから、物理法則は無視しないでほしい。


というわけで申し訳ないが、開始早々不用意にかましてきたワープ攻撃をガードすると、弱キックと足払いで転ばせ、蹴り上げ、空中で8連撃のコンボをかまし、ノックバック状態のところに難度Dの必殺技、バイトアンドクラッシュをかます。『PERFECT』の声が響く。


ガン!と今度は、至近距離で音がした。


中学生男子の革靴が見える。僕のゲーム筐体を足蹴あしげにしている。画面だけを正視している僕の視界に、眉毛のうすい中学生の顔が、むりやり割り込んでくる。もうすぐROUND2なんですけど…。下から無言でにらみつけてくる中学生のどう猛な顔は、それを許してくれそうもない。

僕の首筋を汗が一筋つたう。


僕は静かに椅子を引いて立ち上がり、くるりと後ろを向いてその場を後にしようとした。だが、乱暴に肩をつかまれる。


「犬くんよお、ちょっと表で、俺たちに格ゲー教えてくれよ」


中学生は僕の肩に腕をまわすとくさい息をふきかけてくる。くさすぎる。タバコ吸ってるんじゃないか?

僕の尻をひざでこつんこつんと蹴りながら中学生が「おう」と声を出すと、仲間がニヤニヤしながら寄ってきた。そのままエレベーターに押し込まれる。


エレベーターの中には中学生が3人と僕、そして沈黙。右側のやつが、僕の(ゲームコントローラーより重いものは持たない)な腕を、握力計のように握りつけてくる。痛いが、黙って我慢する。


表通りに出る。目と鼻の先に交番はあるのだけどお巡りさんは気づかない。そのまま引きずられるように路地に入り、周囲が遮られると、中学生はさっそく肩に殴りつけてきた。「弱パーンチ!」


次はもっと強く、腹にフックを打ってくる。「中パンチ」。そして中学生が「強パーンチ!」と言いながら力任せに繰り出すストレートを、僕はで受ける。パンチは遅いしよく見えているのだが、こういう奴らはけるとさらにキレてムキになってくるから…。当たってもケガしない場所で受けるようにしたほうが得策だ。それでも痛い。


僕が黙ってこらえていると、案の定「おい犬、なんか言えよ」と取り巻きが怒り始める。「よし、俺が必殺技試すから抑えておいて」


左右の腕を絡めるように抑えつけられる。まずいな…何をしようとしているのかわからないが、当たり損ねてもケガするかもしれない。


「やめてくれ」僕ははっきりとした声で言う。「あやまるから、かんべんしてくれ。ケガしたくない」


「おいおい、何言ってんだよ『秋葉犬』様。それじゃあまるで俺たちがイジメてるみたいじゃねえか。俺らはあくまで、格闘を教えて立場だぜ?アキバのゲーセンで無敵の犬男ウェアウルフ使いさんにさ。なあみんな?」

取り巻きがニヤニヤと頷く。

「じゃあ行くぜ、犬センセー!」


中学生が一歩下がって振りかぶったそのときだった。


「格闘なら、私が教えてあげるよ」


路地裏に不似合いな、凛とした声が響いた。そして僕はこの声を知っている。よく知ってる。あーあ…またかっこわるいところ、見られちゃったな…。


奥まった路地に、風が吹いた。ポニーテール状に一つにまとめた黒髪が揺れる。白いブラウスに紺のスカート、姿勢よく直立したその少女は、はたから見れば百合の花のように見える。その印象は正しい。ただ一つだけ、違うところがある。


「ほら、打って来なさいよ、『必殺技』」


少女は静かに半身はんみの構えをとる。この構えを前にして不用意に飛び込むやつは、たぶんいない。中学生は固まった。

「お、お前は関係ないだろう!」別の中学生が弱々しくわめく。「女は引っ込んでろ…」


中学生が言い終わらないうちに、その口はふさがれた。少女のスニーカーのウレタン底が、中学生の唇の間、歯に触れるくらいのところでぴたりと止まっている。本人はその時点で、ようやく何が起きたかを理解する。目にも止まらない蹴りが放たれ、寸止めされたのだ。


「関係ないのは、あんたたちでしょ。格闘技習いたいんだったら、道場かジムできちんと稽古しなさい」


少女のすらりとした白い脚が、軌道を逆になぞるように紺色のスカートにおさまる。


「今すぐ稽古けいこつけてほしい人はかかってきなさい。今度はしないけれど」


再び半身の構えに戻った少女を見て、中学生たちは感じるだろう。彼女の周りにかげろうのような何かが立ち昇るのを。これが、全ティルナノーグ空手道選手権小学生女子チャンピオン、水元未咲みずもとみさきその人であることを、中学生たちはとっくに知っている。


僕の両腕を乱暴に離すと、この上なく不満げな中学生たちは小走りに歩み去っていった。


「アキ、大丈夫?怪我してない?」

凛とした、だがさっきよりもだいぶ穏やかな声が耳に届く。


「うん…大丈夫」おでこと脇腹が少し痛むが、なんの問題もない。


「それなら、よかった」


僕はうつむいたまま、ありがとうとは言わない。恥ずかしいからだ。この恥ずかしさに比べたら、中学生のへなちょこドロップキックでも食らったほうが良かったかな、とすら思う。また未咲に、助けられてしまった。


未咲。隣人、幼馴染にして、空手家。そして僕の…。


「ていうかさっきの中学生たち、ばかだよね。ゲーマー『秋葉犬あきばいぬ』から、ならえるものなんてない、だって天才なんだもん。いちゃもんでももう少しマシなこと言えばいいのに」


「…。」

両手を腰にあてて頬をふくらませる未咲に、僕は答えられない。ゲーマーとしての僕のちょっとした才能なんて、未咲の鍛錬された空手やその精神と比べられるような代物しろものではない。いっそう恥ずかしくなった。


「じゃあアキハル、わたし行くね。駅前のアキバスポーツに用事があるの」

「うん。未咲も…、気をつけて」


未咲がほほ笑んだ。構えているときの真剣な表情とは真逆の、花が咲いたような柔らかな笑顔。


「あ、それとも…やっぱり一緒に家に帰ろうか?アキバスポーツは別に明日でもいいんだけど」

「いや、僕は大丈夫。未咲は用事すませて」

「…ん。わかった。じゃあね」


水元未咲みずもとみさき。彼女のことはずっと昔から知っている。そして、ずっと昔から特別な気持ちを抱いている。でもその気持ちを直接表現するには、僕は陰キャすぎるし、子どもすぎる。何より、彼女の強さと美しさを、僕なんかが邪魔していいとも思えない。


「空手道」と金色の刺繍で大書されたリュックサックを背負った未咲が、かかとから着地する独特の歩き方で歩き去って行くのを、僕は眺めていた。いや、見とれていた。


そしてそのせいで―、背後に忍びよるに気づかなかった。

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