第二話 戦いの足音
未咲の後ろ姿が見えなくなると、ふと地面に落ちている「カード」に気がついた。なんだろう、これ?
黒一色で描かれた悪魔みたいな図柄が見えた。それを拾おうとしてしゃがんだ僕は、目から火花?晴天の霹靂?…とにかく真後ろから、爆発のような衝撃を受け、前方に数メートルも吹っ飛んだ。
一瞬意識がとぶ。
なんだ、なにが起きた…?僕は地べたに突っ伏したまま、音を聞く。ざし、ざし、と重い足音が聞こえる。
なんとか首だけを起こして後ろを見やる。そこにいたのは、大男だった。そして僕はすぐに認知した。その大男が、出会ってはいけない存在―――
首のあたりがチリチリとする。ヤバい。
180cmはあるだろうか。見上げるほど大きいその男は、荒い息をしている。これから僕を加害することに、興奮しているのだ。僕をつかまえようと、両手を前に突き出して突進してきた。
間一髪で道の広い方に避ける。捕まったらどうにもならない。
男はなおも両手で掴みかかってくるが、ギリギリでかわす。男の動きはよく見える。
しかし男は、とつぜん蹴りを放った。いわゆるサッカーキックで、これも見えてはいたものの、避けきれない。ガードしようとした手をはじかれた。そこに男のパンチが飛んでくる。反射的に目の前に両腕でガードを作ったが、男のパンチは僕の体重ごと吹き飛ばす。
後ろに吹っ飛んで尻もちをついた。
しまった。これではよけられない。男が跳んでくる。
「やっぱねえ〜。子どもは、カルイ、ヨワイ、KKYだな!」
は?
耳元で突然、能天気な声が聞こえた。
「『ビギンバトル』って言えよ。助けてやるからさ」
KKYってなんだよお前こそKYじゃないか!と頭の片隅で思いながらも、考えている暇はない。すがる思いで、早口で「ビギンバトル」と唱えた。
瞬間、体の周りを柔らかい光が包んだ。
目の前に迫る男。視界が歪んだ―その次の瞬間、僕は男に、横から膝蹴りをかましていた。
体をくの字にひん曲げながら吹っ飛んだ男を、僕は見下ろした。
ん?ずいぶんと、高くから見下ろしている。
違和感。自分の手を見てみる。手が―黒い。そして表面が無機質で、まるで仮想空間ゲームの中でのグラフィックで作られた手みたいだ。ふつうにニギニギできる。タイムラグもない。
ふと地面を見やると、どこかで見たことある子ども…というか、明らかに「僕自身」が、ぼんやりした光に包まれて眠っている…ように見える。
どういうことだ?
「ワルモノ、ハヤク、追っ払う!略してWHO!!」
それじゃ保健機関だよ…とツッコむまもなく、体が動く。かろうじて立ち上がった男に強烈な足払いをかけると、男はまるでマンガのように空中を横回転した。
「ぎゃっ!」
正確には、「足払いをかけよう」とイメージしたら、体が勝手に動いた感じだった。続けて、倒れた男に馬乗りになる形で両肩をヒザで押さえ、大きくパンチの構えを取ると、男は口から泡を吹きながら「許してくれえええ!!」と叫んだ。
「テクニカルノックアウト、略してTKO!ん?フツーだな」
僕は言った。
え?僕が言ったの?
「対人戦闘は『危険回避』以外にはやっちゃならねえ。殴ったりしたら死んじまうぞ。」
自分がしゃべっているように、頭の中に直接声が響く。僕は我に返る。
身体が思ったとおりに気持ちよく動くからだろうか。我を忘れていた。危ない危ない。たしかにこれ以上攻撃する必要はない。
男を解放すると、何度か足を滑らせながら、声も出さずに一目散に走り出した。
ほっ…。
危機は去った…が、あらゆる違和感が押し寄せてくる。疑問が多すぎて何がなんだか…。
気配を感じて振り返ると、表通りのほうから、大人の女性がこちらを見ている。大人なのに僕よりもだいぶ小さい…?恐怖に立ち尽くしているかの様子だった女性は、絞り出すように言った。
「擬体…!こんなに近くで、初めて見たわ!!」
は?
僕はゲーセンの裏口のガラス扉の前に立つ。
そこには、細身の黒い体に青いLEDテープが貼られたような、人型の…、たしかに僕たちの日常には明らかに不釣り合いな、そしてスタジアムで見た戦士たちと似た、つややかな質感の、なんとも言えないものがつっ立っていた。
「おれが、おまえの、擬体!略してOOG」
僕自身が、そう言った。
っ…!!
擬体…だって?それが何を意味しているか、この世界で知らない者はいない。
まさか…。
僕が選ばれたのか?いや…、選ばれてしまったのか…??
「マジマ アキハル、12歳。お前はこの地区、アキバディストリクトの選手(ハンドラー)に選ばれた」
僕は、またアルファベット3文字の略称が出てくるのだろうとしばらく待ったが、来なかった。代わりに関係ないことを訊かれた。
「『アキハル』ってさあ、秋なのか春なのかどっちなんだ?AHD?」
どっちでもない、僕は冬生まれだ…と思いつつも、不愉快だから黙っていた。ノリの軽い声は続けた。
「そろそろ離れてもいいんだろ。『エンドバトル』…と言えよ」
僕はつぶやいてみる。「エンドバトル」
内臓ごと引っ張られるようなGを感じ、視界を失った。数秒(?)の後に目を開けると、僕は地面に座り込んでいた。
目の前には、大人の平均よりは少し背が高いくらいの、痩せ型の黒い擬体が、腕組みをしている。ちょっと悪魔っぽいのは気のせいだろうか。
「決まりなので、念のため言うぜ。お前はこのオレと、『クルセード・ロワイヤル』に参戦することに決まった。拒否はできねえ。逃げることもできねえ。まずはこのアキバディストリクトの中で勝ち残り、スタジアムでの本戦を目指す。」
僕の頭の中を、言葉が空虚に通り抜けていく。ハンドラー…。クルセード・ロワイヤル…。
僕が呆気に取られて黙っていると、黒いヤツは急に媚びるように言った。
「だぁいじょうぶだってぇ〜!オレは相当強い擬体だと思うよ。たぶん。きっと。知らんけど」
…!反射的に不快感を覚える。神聖なるクルセード・ロワイヤルに不似合いなヤツ。
「ま、心配すんなって。まずは作戦会議だ。こんなところでボケっとしていると、いつバトルが始まっちまうかわからねえぜ」
そんなこと言われても困る。
やれやれ…。僕はひとりごちる。せっかくの、小学生最後の春休みが、とんでもないことになってしまった―と。
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