第四話 ビギン・バトル

会場のざわつきは収まる気配がない。歴史と伝統あるクルセードロワイヤルにおいて、かくも劇的なルール変更は長く生きている大人たちでも聞いたことがないだろう。

僕は爪を噛む。待て、肝心な話がないじゃないか。


チーム編成は?


コミッショナーが淡々と続ける。

「また、チーム編成はあらかじめ決まっていますが、事前に発表いたしません。擬体同士が対峙すると、味方か敵かが判別できるようになっています。戦闘の中で、チームを結成していってください。ハンドラーの皆さんからのみ、質問を受け付けます。なにかありますか?」


はい、と手を挙げて画面に大写しになったのは、渋谷代表・杉野なつだった。

「ふたつあります。まず、味方と気づかないで投げてしまったらどうなりますか?」

「心配無用です。これ以上は答えられません」

「もう一つ、敵のチームとお話してもいいですか?」

「とくに禁止されていません。他には?」


手をあげるハンドラーはいなかった。正確に言うと、わからないことが多すぎて質問ができないのだ。

そんなハンドラーたちの困惑をよそに、コミッショナーの声が響く。

「それでは全世界の皆さん、お待たせいたしました。クルセードロワイヤルを開始いたします。『ビギン・バトル』!!!」


コミッショナーの「ビギンバトル」は、僕自身が発したのと同じように、僕の意識を生身から引きはがした。

目を開けたとき、僕(の擬体)は一人、コンクリートの壁に囲まれていた。いきなりバルコンから離れ、どうやらバトルフィールドで擬体化したのだろう。決勝は、擬体が出現スポーンする場所が指定されているということだろうか。


背中から歓声が聞こえてくる。振り返ると、スタジアムの観客席が丸見えだ。同じ高さにも観客席があり、観衆の声援がダイレクトに聞こえる。


少しに寄って行くと、自分の位置が分かってくる。

かなり高い階層にいるようだ。下を覗き込んで数えてみると、どうやら4階層にいるらしい。遠くにバルコンが見える。俺の身体は…あそこにあるのか。


選手たちはおそらくこのバトルフィールド――フィールドというよりも構造物コンプレックスという感じだが…に、散り散りに擬体化しているのだろう。誰が近いのか、そいつは同じチームなのか、敵なのか―、一切わからない。


だが、僕の目的はやはり決まっていた。チーム戦なんか関係ない。つばめを懲らしめ、結城をぶっ殺す。それまでに出会うやつは無視してもいい。


コンクリの壁にあいているドア枠のような穴から、外に出てみる。壁はいたるところにあり、視界が悪い。これではいつどこで至近距離で敵に遭遇してしまうかわからない。


左方に、上り階段が見える。いやな記憶がよみがえる。階段は下からアプローチすると不利なんだよな。とくに相手に飛び道具がある場合…もし、川西つばめが上から投げ込んで来たら、ダメージはまぬがれない。


階段を上るか、同じフロアを探索するか。


しばらく考えた末、階段を上ることにした。同じフロアをうろうろと迷路状に進んだ場合、この視界の悪さは接近戦―とくに柔道やレスリングなどの擬体に有利すぎる。

上にあがってしまえば、屋上に近づく。視界も開けるだろうし、一度チェックしてしまえば、上階から背後を取られなくなるだろう。その後は必ず上からアプローチすることになる。今のうちに、リスクを取っておこうという作戦。


階段の下から階上をうかがう。なんの気配もない。外壁の向こうの観衆を見てみる。大勢が、黙って様子をうかがっている。


僕は音を立てずに階段を上がって行き、半分を跳躍して一挙に階上に躍り出た。“階段室”には誰もいなかった。


階段室を出なくてはならないが、また撃たれでもしたら厄介だ。をかけることにする。壁の向こう側に腕だけ突き出して、すぐに引っ込めよう。


僕はしゅっと素早く腕を突き出した、そしてすぐに引っ込め……られない。


「なっ!!!」僕は思わず声を漏らす。


突き出した右腕はものすごい力で引っ張られた。体ごと壁の向こうに引きずりだされる。

ヤバい。

「DOGッ!」


視界の端に、白と赤の擬体。右腕は完全に巻き取られ、抗しがたいすさまじい力で投げられようとしている。白赤の擬体が前転宙返りのようにゴオと音を立てて回転した。

そして止まった。


「あれッ!なんでッ!?」


僕の擬体は重心を最大限後ろに倒した状態で、右腕でを耐えていた。

右腕はゴムのように伸び、本来投げるときの支点をずるりと外していた。もう少しでちぎれそうだったが、縦の力には強いのが擬体のゴム繊維。


「なにこれッ、気持ち悪ッ!!」

白赤の擬体が右腕を離す。


「関節をパージしたんだよ」僕はちょっとだけドヤ顔で言った。「ゴムチューブは投げづらいだろ」

「へえ、すごいじゃん!…って、その悪魔ヅラは秋葉原のあっくん」


人懐こい声は、渋谷の柔道家・なつのものだった。

あっくんってなんだよ…とは思いつつ、話せる相手に遭遇したのは幸か不幸か。


「渋谷。俺はお前と戦う気はない。新宿のメガネと上野のやつにしか興味ないんだ」

「え?あー…。復讐しようってことかぁ…。わかるよ、お互いヤな形で生き残っちゃったもんね」


相対しているなつは、兄を慕っていた。その兄を倒したのは、どうやら未咲だった。

なつにはもう復讐する相手はいない。それにそもそも、あのルールを提案したのは彼女たち兄妹だった。

なつは、何をモチベーションにこの決勝を戦うのだろうか。


ふと、なつの白地に赤いライナーの擬体が、ぼんやりと緑色に光っていることに気づく。いや、光っているというよりも、緑色をような…。


「あっくん、さすがの復讐鬼だね、なんか“紫色のオーラ”が出てるよ?」

言われて気づく。自分の擬体がなんとなく紫色にゆらめいているように見える。

「あ、これってひょっとして、チーム分けの色のことかな?」


なるほど…。そうだとすると、なつは緑、僕は紫。僕たちは別のチーム、敵ということか。

「残念だなー、あっくんとはいいコンビプレーができるかもって思ったんだけどね。まー、お兄ちゃんほどではないけど…」


僕としても、多少なりとも話したことがあるハンドラーがチームメイトのほうが良かったと言えばそうだ。だが、関係ない。それに、情がうつるのも良くない。万が一戦わねばならなくなったとき、目が曇る。

おそらくこのフロアが、屋上を除けば最上階。僕は上がってきたのが誤りだったことを認識する。なぜなら…


「渋谷、お前の仲間が後ろにいるよ」

「ぎょ!」白赤がびっくりした風情で後ろを見ると、たしかになつと同じ、緑色のオーラをまとった深緑色の擬体が立っている。


「あれれ、お仲間かな?どこの…誰だっけ?」なつが言う。

深緑の擬体はその質問には答えず、意外なことばを返す。

「全ティルナノーグ小学生柔道選手権、女子30キロ級、5、6年連覇の杉野なつだよな。俺のこと、わからないか…?」

「いかにもあたしが杉野なつだけど…、ちょっとわからないや、ごめん」

「いいんだ、慣れてる」深緑は言った。「俺はみんなのこと覚えてるんだけど、みんなはなぜか俺のこと覚えてないんだ。…俺は、35キロ級男子で四連覇した田中隆弘。おまえと、おまえの兄貴と、なんども武道館で会ってるんだけどな」


少し切ない自己紹介に思わず聞き入ってしまったが、どうも渋谷とは元からの知り合いのようだ。同じ競技の擬体同士でチームとは、なかなか面白いな、とも思う。


いずれにしても、だ。ここは僕にとっては好ましい場所ではない。二人は敵だ。僕にとっての真の敵に出会う前に、2:1でつぶされてはかなわない。


「あ~、四連覇のナカタくんかあ…、っていっつも名前忘れちゃうんだよね」

「田中だよ」

「ああそうそう。強いってのも知ってるんだけど…どう強いんだったっけ?」

「それは自分で説明できないな」


チームメイト同士が調子はずれの会話をしている隙に、僕は音もなく後退する。


階段室から手すりをつかんで一気に10mも下に飛び降りたとき、「あ!あっくんがいない!」というなつの声が聞こえた。

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