第二話 悪魔のささやき

一度ベッドから起き上がったものの、体の重さに耐えきれず、またベッドに倒れこんだ。体だけではなかった。空気までもが重かった。僕は湿った枕に顔をうずめ、またしばらく泣いた。


3月27日、予選終了翌日。昨日の池袋での戦いの様子は、一戦一戦、断片的にではあるがテレビで放映されているらしかった。先ほど、僕を起こしにきた母さんが、そう説明した。

「アキ、がんばったね。未咲ちゃんは、残念だったね」

そう空疎に言った母さんに、僕はなにも答えなかった。


がんばったのは未咲で、残念だったのは僕だ。


瞼の裏に、髪をおろした未咲の姿が映った。ふだんのキリっとした表情ではなく、ふわっと華やいだ笑顔。

未咲。ごめん。未咲。ごめん。未咲。ごめん。未咲…。


薄目をあけると、ついこないだの夜、未咲が座った椅子があった。あの時に見た、あの凛と美しい、なによりも大切な未咲が、この世にいない。


全部僕のせいだった。胃の中は空っぽのはずなのに、何かがせりあがってきて、僕は吠えた。


ピンク色の擬体がフラッシュバックした。あいつ。弱かったくせに、あいつがあんなに回りくどい生き残り策をしかけて来なければ。さっさと倒して駅に向かうべきだったのは、僕だったのだ。あいつ。あいつ…。


ピンクを責めても意味がないことなんてわかってる。ハンドラーは誰だって、戦いたくなんてないし、生き残りたい。ピンクはピンクで、必死に挑んでいたのだとわかっている。


ピンクのせいにでもしなければ、僕は押しつぶされて息ができない。


なんでこうなった?


そもそも、なんで僕は戦ってしまったのか。さっさとやられれば良かったじゃないか。

ピンクの直撃を2~3発頭にでも受ければ、さすがに敗けただろう。

「戦わずに負ければよかったじゃないか」

思わず声に漏れる。


「それはおまえ、無理なハナシだぜ。 MHD」どこからか芯のない声が聞こえた。

「擬体ってのは、戦うためにある。擬体で戦わずにわざと負けるなんて、蕎麦屋でうどんを食うようなもんだ」

「黙ってろ」僕は吐き捨てる。

「おお、コワ。OKW」DOGが軽口をたたくのでカッと怒りが湧く。

「じゃあ正々堂々、未咲と戦って負ければよかったじゃないか!お前なんか、未咲の擬体と戦ったら瞬殺のぼこぼこだろうが!!」


DOGは答えない。


お前なんか、と言ってしまった。実際のところ、少なくとも戦っている間は、DOGと僕は同一の存在だ。八つ当たりだと、自分でもわかっている。


DOGは戦闘のとき、意志を持たない。基本的にすべてのことは僕が決めている。だからこそ、だからこそ悔やまれるし、悲しいのだ。


「まあ、スタジアムの本戦も、せいぜいがんばろうや」


DOGのセリフを、僕の心と体が拒否した。


もういやだ。いくら世界の存続のためと言っても、今年の、このクルセードロワイヤルはいくらなんでもひどすぎる。僕はわかっていたはずだ。僕にとって大事なのは未咲とナルオであって他のなにものでもないことを。それを喪った今、僕がやるべきことなどなにもない。


「僕は出ない。DOGが一人で出ろよ」


「おいおい。拒否権はないって言ったろうが。それにお前は“代表”だぜ、仮にも、5人のハンドラーを蹴落としてきた」


僕の頭の中でなにかが弾けた。


「うるさい!うるさい!うるさい!」僕はわめく。「蹴落としたんじゃない!間違っただけだ!」

わめきながら、また涙が止まらなくなる。嗚咽が恥ずかしくて、また枕に顔をうずめる。


「未咲…ナルオ…」こんな僕でごめん。

DOGは何も言わなかった。僕のむせぶ声だけが響く。


どれくらいそうしていただろうか。薄暗い部屋には、静けさだけが満ちている。


「会えるぜ」


DOGの声が聞こえた。

僕は枕に顔をつっぷしたまま、頭を空っぽにしてそれを聞いた。


今、なんて言った?アエルゼ?


「会える」


DOGは擬体だろう。擬体というのは、都合よくウソがつけるものなのだろうか?今まで、たぶん、とかきっとな、とかはあったけれど、こいつがウソをついたことがあっただろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。僕は枕から、少しだけ顔を浮かせる。


「未咲や、ナルオに…か?」

「ああ」


横目で見ると、DOGは薄暗い部屋の中央に座っている。黒く、ほとんどシルエットだ。目のあたりだけが青白く光っている。

悪魔なのではないか、と僕はふと思う。僕を絶望へと突き落とす、本当の悪魔。


「お前の望む形ではないかもしれないけどな」


「死んでないのか?未咲は」僕は訊く。「誰もそんなこと言ってないじゃないか。お前だって、なんで言わなかったんだ」


「その質問には答えられない。本戦を戦い抜いたら、会える。だから戦え」


僕の部屋の中心で、悪魔がささやいた。

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