第十一話 クイーンとクイーン

「外に出ましょうよ」未咲の提案に、AOIの赤い擬体は睨みつけるように押し黙った。


AOIはまだ肩で息をしていた。数秒の後、憎々しげに言った。


「このビルなんて、壊れればいいじゃない」

擬体を通じて、睨んでいるようだ。

「だいたい迷惑なのはあんたのほうよ…。わたしがもし負けたら…わたしが負けたらどれだけの人が困ると思ってるの」


未咲はAOIのセリフを無視して、少しずつ通用口に後ずさった。


「それは申しわけないけど」

後ろ手に通用口のドアを開ける。

「わたしだって負けるわけにはいかないの」


未咲は通用口からビルの裏に飛び出した。ここは駐車場。居合わせた大人が慌てて逃げるのが見えた。


赤い擬体も忌々しそうに通用口から歩み出てきた。なにかぼそぼそとしゃべっているのは、擬体と作戦会議をしているのだろうか。


「広い場所に出たら、あなたにとって有利になるの?」


AOIは言った。さっきまでとは違う。落ち着きを取り戻しているようだ。擬体に言われるまでもなく、試合は落ち着いているほうが勝つ。


この空間ならステップワークも使えるし、連続技、大技も使える。大丈夫。私が有利だ。駐車場のど真ん中に斜めに立っているAOIに、少しずつにじりよる。この擬体なら、あと数センチで間合いに入れる。


その時、AOIの左手首がクイと動くと、光るムチのようなものが横から飛んできた。とっさにバックステップを踏んだが、ムチは伸びて来た。ガーンという打撃音が響き、右肩に激痛が走る。肩の装甲が壊れた。


擬体戦で初めて攻撃を食らった。生身と同じように痛むのはなぜなのだろう。痛みをこらえながら、未咲は考える。今のはだった。ムチは遠心力で伸びていたんだから、むしろ中に入るべきだったのだ。


次こそ。未咲は構えなおした。

AOIの赤い擬体は優雅に立っている。フォルムが美しい。


「あなた、知ってるわよ。空手やってる、わりときれいな子」

AOIはしゃべりだした。

「でも地味。なんで女の子なのに、そんなに地味なのかわからない」


「…。」未咲は答えない。


「地味なあなたが負けても、困る人は少ないわ。ここはおとなしく負けてよ。私が誰だか知っているでしょう?」


未咲は構えを解かずにしばらく黙った。そしていつも通りの、凛とした声で言った。


「ごめんなさい、


「…っ!」


相手の空気が変わったその瞬間を、未咲は逃さなかった。擬体の性能はすごい。思い切りダッシュすると、4~5メートルの間合いが一瞬で縮まった。渾身の左回し蹴りを叩きつける。“ぬるり”があるか、と予想したが、今回はなぜか炸裂音が響く。ガードしたAOIの腕がひしゃげた。

「うそ!」AOIが声をあげた。そして左手から光るムチを繰り出した。


未咲はムチを巻き取るように体を回転させ、その勢いでAOIの顔面に肘を叩きこんだ。空手のひじ打ち・エンピ。

「ひぃ!」AOIが泣き声をあげる。「なんで?なんで当たるの?」


未咲は思う。そんなことは知らないわ、と。


そのまま回転の勢いを殺さずに後ろ蹴り。かかとがAOIのみぞおちにクリーンヒットする。「ゃ」AOIの悲鳴が押しつぶされ、赤い擬体がコンクリートに沈んだ。


未咲はAOIの擬体を見下ろして思う。


たしかに私は負けるわけには行かない。そして、未咲の白い擬体は、目の前の赤い擬体を破壊する喜びにうち震えている。それが未咲には、わかる。

だが、この目の前のアイドルを、このまま倒してしまってもよいのだろうか。AOIが言うように、彼女には社会的な使命がある。それは認める。彼女が知っているかどうかはわからないが、あと一撃打ち込めば、AOIは“消えて”しまうのだ。


あと一撃…。自分の手で、誰かの一生を終わらせる…?


「わかるわ~、躊躇しちゃうよね」


唐突に耳元で女の声がして、未咲はギョッとした。

そして、後ろから羽交い絞めにされて動けないことに気づく。


な…。いつの間に。“別の敵”。


羽交い絞めを振りほどこうともがいたが、びくともしない。なんという力だろうか。肘を打ってみるが、この体制ではまるで効かないだろう。

「じゃあ、投げるよ~…ほい!」


未咲は宙を舞い、背中をコンクリートに叩きつけられた。

「ぎゃふっ!!」

一瞬、意識が遠のく。その隙に、未咲は腕を取られている。

「ごめんね、折るね」

腕ひしぎ。かつてスタジアムで優勝したピンク色の擬体も、腕ひしぎで多くの擬体の腕を折っていたと聞く。

未咲は右腕の力を目いっぱい入れて抵抗したが、無駄だった。ボクン、と鈍い音がして、未咲の右腕の感覚が消えた。


柔道家。間違いない。

白地のボディに赤いライナーの擬体。そんなに大きくないが、圧倒的なパワーを感じる。とくに、手。握りつぶされそうだ。


「お兄ちゃん、そっちのアイドルは壊さないでいいからね」

柔道の擬体は、未咲ではない誰かに言った。

もう一体いるのか?未咲は戦闘意欲が消えて行くのを感じた。これを絶望というのだろうか。


「見てたとおり、なんか弱いから。そりゃアイドルだもんね、あはは!いつでも倒せるって」


戦闘狂。擬体に入った子どもたちはみんな戦闘狂になるのだ。未咲は思う。わたしだってそうだ。さっきだって一瞬躊躇はしたものの、別の敵につかまらなければ、結局はAOIにとどめをさしていたにちがいない。


敵たちは手加減などしないだろう。これは、助からない…か。


未咲の脳裏に、自分に向かって伸ばされる小さな手の記憶が浮かんだ。あの時のように、小さなヒーローが助けてくれたら…。いや、それは過ぎた願望か。


「オレ、ファンなんだよ。AOIがいなくなっちゃうなんて、複雑だなあ」

視界の端を、ガッチリした青い擬体が動いているのがわかる。AOIの赤い擬体のそばにしゃがみこむ。

「いや決めた。やっぱり、いさぎよく今仕留めておこう」

青い擬体が立ち上がった。

「どうせならオレがAOIの特別な男になりたい」

「えー、やめなよお兄ちゃん」


結果が変わらないなら、やはりわたしが止めを刺しておいたほうが、良かったかもしれない…。そうすれば、こんなふうに敵につかまることもなかった。擬体の抑え込みはものすごい力で、微動だにできない。首も極められているのでもはやAOIたちのほうを見ることもかなわない。


ドカン!!


AOIが仕留められた音だろうか?


「お兄ちゃん!!」

なぜか柔道女の甲高い声が響いた。

「いてえッ!くそ!」

男の声。


柔道女の力が緩んだ。目を開けると、青い擬体が立ち上がって、頭を押さえている。どこか破損しているようだ。AOIは…まだ生きている。


「あっちから飛んできたよ!」

柔道女が指さしているのが見える。。大人が一人入れるかどうかの。

青い擬体ががつがつとその方向に走る。

近づいたその時、青い擬体の頭上を、光の球がかすめるのが見えた。

「ぎゃっ!!」

青い擬体は驚いて倒れこんだ。球が上から来たので全く見えていなかったようだ。


「くっ!」

未咲を抑え込んでいた擬体は素早く立ち上がり、身をかがめながら倒れている“兄”に近づく。

球が飛んできたビルの隙間に、フェイントのように顔を出しすぐに引っ込める。

すぐに光の球が飛び出した。駐車場を横切って壁に炸裂し、コンクリートがバラバラとはがれ落ちた。


「飛び道具か、厄介だな…」

青い擬体も頭を抑えながら、壁にそって警戒している。

未咲にはわかった。「グリーンヘッド」だ。あのビルの隙間に入り込み、二階くらいまでせっせと登って、上から撃ち落としたのだ。


「兄ちゃん、上だ。上にいる」

青い擬体はそばに落ちていた巨大なコンクリート片を手に取った。兄妹と思しき二人はビルの隙間に集中している。兄がコンクリートを投げつけようと振りかぶった瞬間、停まっている車の間から黒い擬体が風のように飛び出してきた。「アキ?」未咲は思わずつぶやく。


黒い擬体は、駐車場を横断するように5メートルも飛ぶと、青い擬体の背中に膝を突き刺した。

「ぐえ!」

青い擬体はコンクリート片を取り落とし、天を仰ぐようにひざまずいた。


「わ。これ以上はダメだね」


妹はすばやく兄の擬体を担ぎ上げると、猛全と逃げ出した。

猫のような身のこなしだった。

兄をかついだまま妹は表通りまで出ると、振り返って叫んだ。

「今日は許してあげるけど、きみたちゼッタイ殺すね~~~!!」


妹の、白に赤いライナーが入った擬体は、一回り大きい兄の擬体を抱えなおすと、のしのしと去っていった。


「未咲!!」

黒い擬体が駆け寄ってくる。

「大丈夫か!!」


ビルの隙間から緑(っぽい)色の擬体も飛び出してくる。

「危なかったよ、危なかったぜおい」


ありがとう、あんたたち、本当にかっこいいよ。未咲は心でつぶやく。

未咲は息を止めて左腕で立ち上がり、倒れているAOIの元へ向かった。


AOIはぼそりと言った。

「煮るなり焼くなり好きにしなさいよ」


未咲は、凛としたトーンで言った。

「あなたのことは知ってるわ。もしよければ、に入れてあげる」


白い擬体は、赤い擬体に手を差し伸べた。

「もしも仲間を襲ったら、そのときはすぐに消すけどね。今度こそ、わたしが」

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