#129 王の塔

 ゆっくりと、意識を覚醒させる。

 ホムラは、ぼんやりとした頭を振った。身体は動かない。指一本、まともに動いてはくれない。視線を動かした。その先に地面に刀を突き刺し、どうにか立っている蓮夜がいた。ホムラと視線が合うと、蓮夜は鼻で笑う。


「ずいぶん気持ちよさそうに眠ってたな」

「……殺さなかったキミの責任だろう?」


 ホムラは引き攣った笑みを返した。蓮夜は知らねぇよ、と吐き捨てる。


「俺は無駄な殺生はしない」


 蓮夜は不意に、空へと視線を向けた。ホムラはそれで感じ取った。……ああ、戦いがまた一つ、終わりを見せたのだ。

 蓮夜は笑う。


「――ほら、王の塔だ」


 顕現する王の塔。

 白く聳える塔をホムラは目を細めて見ていた。輝かしく、美しく、そして何よりも忌々しいと感じていた塔。ホムラの中に燻っていた何かは鳴りを潜めている。あるいは、消え失せてしまったのか。


「終わるのか……」


 ホムラは呟いていた。蓮夜はホムラを見た。そう呟くホムラを意外に思ったのだ。心細そうにする幼子のように見えてしまったのだ。


「……ああ、終わるんだ」


 蓮夜は、王の塔に目を向けていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 傍観者ルーカーたちは王の塔が出現したと同時に、その場所に向けて歩みを進めていた。幸い、夕夜はまだその場所にいた。回復した黒天が揺らめいている。黒い閃光が連続的に夕夜を覆い、再生させていた。いまさら、夕夜に再生の裏側にあるリスクを指摘する者はいない。

 ただ、夕夜は集った彼らを見て微笑んだ。


「約束通り、王の塔は出現しましたね」

「……戦うのかい?」


 憲司が尋ねていた。夕夜は頷く。


「ええ、もちろん」


 夕夜の視線が憲司から代わり、祈里へ向いた。


「祈里さん。その治癒のチカラ、保存コピーさせてもらっても構いませんか?」


 祈里は目を見開き、一瞬だけ首を横に振ろうとした。だが、思い直したように夕夜を見つめると、小さく頷く。


「わかりました」


 祈里の前に黒天が現れた。祈里は黒天に触れる。これにより、〈治癒の魔法使い〉のチカラは保存された。

 祈里はてっきり、夕夜は治癒能力で自身の身体を治そうとしているのかと思っていた。だが、彼は自分の身体を顧みることはなかった。王の塔に視線を向ける。その後、彼らに視線を戻した。


「――実は、一つだけ、提案があるんですよ」


 夕夜はなんとなくと言いたげに、自然と話題を切り出した。


「提案……?」


 センジュは首を傾げていた。


「はい、この戦いが終わった後の話です」


 夕夜は少しだけ間を置いて、続ける。


「魔法使いと、非魔法使いの垣根を取っ払った、第三者機関を創りませんか?」

「は、はぁっ……?」


 そう声を上げたのは世々だった。その提案があまりにも現実味がないように感じたからだ。それでも夕夜は気にせず続ける。


「今の世界は、魔法使いに対する恐怖心が強い。――けれど、同時にその恐怖心を変えることができるのも魔法使いだけだと思うんです。魔法使いと、非魔法使いの共存を願う機関を創ることで、少しずつ、世界の在りようを変えていくんです。その柱を、空音がするんですけども――」

「え、は、空音さんが?」


 ニナは空音を見た。

 空音はニナの視線を見ずに、夕夜を注視している。揺れる瞳を固定している。


「もし良かったら、というか、できるなら。空音を助けてあげてほしいんです。身勝手な話で恐縮なんですけど……」

「も、もちろんっ。わたしはやるよっ」


 冬美がいち早く肯定する。


「まあ、オレもいいけどよぉ……」

「テツがいうなら、わたしも」


 困惑する哲朗と、白奈が頷く。


「〈平和の杜〉としてはどうでしょう?」


 夕夜は憲司に尋ねる。憲司は夕夜の言葉を受けて動揺した。その動揺は表情に確かに出ていた。すぐに答えることができない。その代わり、夕夜の言葉に答えたのが、圭人と瞬だ。


「ああ、やるさ」

「ゆうゆうがいうならっ」


 夕夜は嬉しそうに笑う。


「〈シエル〉はどうでしょう?」

「私は――、」


 ニナが答えようとする。だが、それよりも早く世々が言いかぶせる。


「すぐに答えが出せるわけがない。今は肯定も否定もできない。そもそも、わたしたちはできれば、戦いの道からは抜けたいわけだから」

「ああ、それはもちろん」


 夕夜は平然と返す。世々は言葉を詰まらせ、ぶっきらぼうな口調で言った。


「……けど、検討はするよ」

「ありがとうございます」


 一人、一人ずつ。夕夜は話しかけて、何かを得ようとする。それは同時に、儀式のようでもあった。夕夜がこうして話していることは、すべてを終わらせるための手段であり、目的だった。

 


「――やめろよ、それ」



 その異質さを、指摘する。

 秋人が、夕夜を睨みつけていた。空気が微かに強張る。夕夜は秋人の視線を受け止めていた。その受け止め方が、秋人をさらに苛立たせるのだ。この男はわかってやっている。秋人は思う。だから、苛立つのだ。指摘せずにはいられないのだ。


「そうやって誰かに頼む前に、お前がやればいいだろうが」


 吐き捨てるように秋人は言う。

 秋人だってわかっていた。その台詞の無意味さを。ただこの異質な空気を、まるで気づかないフリをし続ける彼らを糾弾したかった。理不尽さを、すぐに受け入れないでほしかった。

 良い人がいなくなるのを、見ていられなかった。


「お前が始めたんだろ? お前は、やらなきゃいけないんだよ。お前は、お前は――」


 上手く言えない。秋人は言葉は稚拙で、自分で思っている以上に荒れていた。不意に、右腕に温かい何かが生まれた。茜が秋人の腕を掴んでいた。首を何度も横に振っている。気づかせないで。そう、茜は言っているように見えた。

 ……ああ、なんで。

 どうして。

 夕夜は、答える。


「――僕にはもう、時間がないんです」


 夕夜の言葉は、彼らの中に静かな衝撃を起こさせる。言語化された事実を処理するだけの余裕がない。


「僕ができることは、託すことだけです。これから生きる人へ、産まれてくる人へ。繋げていくしかない」

「お前は、今を生きてるんだろッ! お前自身を大切にしろよッ!」


 秋人は叫んでいた。


「……」


 夕夜は黙り込んだ。

 僅かな沈黙。――やがて、口を開く。


「――生まれ変わりって、僕は実在すると思うんですよね。誓約の有無とは違って、」


 唐突な話題だった。けれど困惑した者はいない。夕夜は恥ずかしそうに続ける。


「廻り逢いの連続だと思うんですよ。これはきっと、別れじゃない。別れは同時に出逢いでもある。命は巡る。どこかに、宿るんです。――だから、僕はさよならなんて言うつもりはありません」


 夕夜は一歩、王の塔へ進んでいく。

 一歩、一歩と。

 その姿が微かに揺らぎ始めた。夕夜は王の塔に認められたのだ。

 その時、誰かが動いた。空音だった。彼女は消えゆく夕夜に向けて走り出していた。誰もにとっても予想外であり、固まっていた。空音はなりふり構わず、夕夜へと駆ける。


「夕夜――!」


 空音は叫んでいた。

 夕夜は振り返る。

 空音へ、彼らへ。

 廻り逢いの言葉を放った。



「――また、いつか。どこかで逢いましょう」



 夕夜の身体は消えた。

 空音の伸ばした手は空を切り、そのまま倒れ込んでしまった。硬直から解放された冬美が慌てて空音へ駆け寄る。空音は人前であるにも関わらず泣いていた。子供のように、か細く、泣きじゃくる。

 冬美は固まってしまう。空音はこれまで溜め込んできたものが決壊しているのだ。


「――空音」


 ミラが、声をかける。


「夕夜は、これから何をするの? 貴女はもう、知っているんでしょ?」

「…………はい」


 空音は涙を乱暴に拭う。

 強く儚く、彼女は彼らに視線を向ける。


「夕夜がこれからしようとすることを、皆さんに話します。夕夜と、約束なんです」

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