#130 覚悟の象徴

 ◆――椚夕夜


 ゆっくりと浮上していく。

 それは水面から浮かび上がるように呼吸を取り戻していく。僕は生きている。それを自覚した。唐突に意識は覚醒する。僕の中で記憶は蘇る。空音さん、鴉、魔導大戦、王の塔――、そして。


「起きたか――?」


 声が聴こえた。ハッとしたように僕は起き上がると、声の主へ視線を向けた。視線の先、はいた。

 金の髪と眼。絶対的な存在感。魂から、原初から沸き立つ畏怖。彼女こそ、〈頂の魔法使い〉。

 エヴァン・マギアードが、いたのだ。

 僕は息を呑んだ。混乱する思考は整理しようとする。だが、それでも駄目だった。なぜ、エヴァン・マギアードが僕の前にいる。もっと根本的な疑問がある。なぜ、僕は生きている?


「不思議か?」

「……はい」


 僕は素直に頷いていた。

 そう、あのとき、僕はエヴァン・マギアードに敗北した。この時点で僕の望みは打ち破られたことになる。僕はどれほど眠っていたのだろうか。ここは王の塔だ。外の世界と完全に隔てられている。


「妾は、お前を保護したのだ」

「保護……?」


 エヴァン。マギアードは、悠然と微笑む。ゾクリとするほどに美しい微笑みだ。


「お前は、魔法使いの中で唯一、妾を殺す可能性を持っている」


 彼女の瞳が僕を見据えた。


「――椚夕夜。妾を殺してくれ」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 エヴァンさんとの邂逅。

 僕たちはそれから王殺しの共犯者となった。エヴァンさんの手を借りながら僕は王殺しの手段を模索していった。僕自身のチカラを付けるため、修練を行うことになった。毎日、毎日、絶え間なく、僕とエヴァンさんは戦い続けた。

 ただ、エヴァンさんはほとんど手を抜いていた。そうでなければ、僕なんて一瞬で殺されてしまうほどの差がある。かつて王殺しを目指していた頃の自信を喪失していた。本当に王殺しをすることが可能なのだろうか、と。不安に蝕まれる。

 エヴァンさんは時折、外の世界のことを教えてくれた。そこで僕は外の世界にいる魔法使い以上に事情を知ることができた。ある意味、一冊の本を読んでいる感覚に近い。僕は外の世界に帰れない。ここで、王殺しを探さなければならない。自身の無力に嘆いた。


「――妾はすべての魔法を使えるわけではないのだ」

「えっ?」


 僕はエヴァンさんを見返していた。


「唯一無二、という言葉、わかるか?」

「ただ一つしか無い、という意味ですよね?」

「ああ、非魔法使いとしての用語だな」


 エヴァンさんは一度言葉を切った。


「魔法使いで言う唯一無二とは、妾のことを指している」

「エヴァンさんを?」

「唯一という魔法と、無二という魔法。妾は計三つの魔法を使うことができない」

「それは……?」

「治癒、カンナギのチカラ。そして、夕夜。お前のチカラだ」

「……ああ」

「お前が妾を殺す可能性を持っているのは、まさにそれが理由として大きい。お前は、妾の持っていないチカラを所有しているのだから」


 唯一無二思想から考えると、エヴァンさんが治癒能力を保持していないのも理由としては大きかった。僕のチカラで受けた致命傷を本当の意味で回復する手段を持たない。

 つまり、僕自身のチカラがエヴァンさんを超えて、尚且つ、致命傷を負えるレベルの一撃を放つことができれば、王殺しは達成させるのだ。――無理難題。不可能証明。限りなく永遠に近い答えを僕とエヴァンさんは模索しなければならない。そうしなければ、大戦は終わらない。

 何度も、何度も、何度も。

 僕たちは戦い合った。時間は有限だった。しかし、王の塔の内部には時間的な障壁が存在しない。ある意味、時間とはかけ離れた場所にいるのだ。

 事態が急変したのは、僕自身の変化からだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 不意の出来事だった。

 視界が真っ赤に染まり、僕は倒れていた。全身から絶え間なく襲い掛かる激痛に叫び声を上げていた。エヴァンさんの戦闘が終わった直後の話である。エヴァンさんは微かに目を見開いた。僕は自身の痛みを客観的に認識していた。……ああ、死ぬ。僕は死ぬのか。そう思うと同時に、痛みは去っていく。

 消えていく。吐血した後が、盛大に残されていた。僕はしばらくの間、うずくまっていた。荒い息を整えるので精一杯だったのだ。


「……夕夜、お前は、」


 エヴァンさんの声が聞こえた。


「限界なのか」


 限界。

 限界……?

 僕はすぐにその言葉の意味を理解することが出来なかった。震える体。揺れる視界。その中で、エヴァンさんの琥珀色の瞳が僕を射抜いている。それはどこまでも冷たく、深淵の底を覗いていた。


「お前は器として、未熟なんだ。元が、非魔法使いのせいもあろう。たとえ得意的なチカラを手に入れようとも、あはゆる点において、お前は能力値が足りていない。魔力だ。それが、欠けている」 


 意識が急速に遠ざかっていく。

 それでもエヴァンさんは言葉を止めない。まるで懺悔を聴いているかのように、言葉には重みがあった。


「当然だった。お前は特異であって、特別ではない。もっとも基礎的な、魔力が足りないことを忘れていた。これは妾のミスだ。お前の身体は最初から限界を迎えていた。無い魔力を溢れさせて、自ら死へと向かっていた。……そうか、やはり、無理か。妾を殺せる者は……」


 違う。

 僕は、まだ。


「――妾は、お前を死なせたくはない」


 意識が、プツリと途切れる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 長い時間、眠りについた。

 その時間間隔がどれほどのものであるのか、僕には把握できない。気づいたときには、僕は起き上がっていた。エヴァンさんは王座に座り込み、目を瞑っている。以前のように戦う素振りを見せない。

 僕は自身の体を視た。

 一度指摘されたからだろうか。確かに僕は自分の生命が刻一刻と消えていくのを実感した。こうしているうちにも、自分の生命は削られる。魔法を使おうとすれば、もっと死への速度は上がるだろう。……ああ、死ぬのか。死んでしまうのか。僕は自分に問いかけた。

 ――何もしないで?

 成し遂げることができず、死んでしまうのか?

 それを自覚した瞬間、僕は猛烈な嫌悪感に襲われた。

 ふざけるな。

 ふざけるなふざけるなふざけるなッ。

 ここで死んだら。

 僕を救ってくれた。僕のために巻きこまれた人たちはどうなる? みんなの意志を捨てることになる。何もできないことを許されない。許されてはいけない。僕が朽ち果てるとするならば、それは僕自身の願いが達成された後じゃなければならない。

 僕は死ねない。

 ただでは、死ねない。

 考えろ。

 僕が王殺しをできる方法を。

 この黒天と、僕自身の体と、限りある魔力をもって。生命を振り絞って。考え続けろ。

 不意に、エヴァンさんの声が聴こえた。


「――諦めろ、夕夜」


 僕は顔を上げた。エヴァンさんは眼を開き、僕に視線を向けていた。その表情は憂いに満ちていた。


「お前は生きろ。無惨に生命を散らすな」

「……たとえ、僕が生きようとしても。その時間は少ないでしょう?」

「その時間を、大切にしろと妾は言っている」

「それを決めるのは僕です」

「一度救われた生命を、二度も捨てるか」


 空音さんが以前救ってくれたことをエヴァンさんは言っているに違いない。エヴァンさんの視線は鋭かった。非難しているように、嫌悪があった。


「お前は、お前のような存在はいつも自分を無視する。蔑ろにする」


 貴女もでしょう? エヴァンさん。


「お前は知らない。お前の周りにいる者たちがどれだけ傷ついているのかを。お前は他を護っているように見えて、実際は誰よりも護るはずの他を傷つけている」

「……」


 そんなこと、わかっている。

 もう、わかっている。

 この命は、空音さんによって救われたものだ。その後、僕は魔法使いになった。けれど、僕は自分から巻き込まれ、死にそうになった。始まりは僕だった。僕のたった一つの罪が、すべてを動かした。

 僕が――。

 ……。

 …………。

 ………………。

 …………………………。


「夕夜――?」


 僕、が――?

 何故か、引っ掛かった。

 何に引っ掛かった。

 突然、思考のギアは最高潮になる。

 今、僕は何かに気づいた。

 何かを、得たのだ。

 それは間違いなく王殺しを達成できる何かだった。一体何だった? 僕は、何を思った? 僕自身が犠牲になったこと。巻き込んだこと。救われたこと。――そう、僕は、


「……ああ、」


 声が漏れる。


「……見つかった」

「……何をだ」


 エヴァンさんの声が震えていた。

 僕は答える。


「王殺しの方法を」


 ようやく、その答えを口にする。その全貌にエヴァンさんは目を見開き固まった。


「お前は、それは――、」


 僕は笑った。笑ってみせた。

 もう僕には時間がない。

 必要なのは、覚悟だけだ。

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