空へと昇る夕夜をアスタロトは視界で捉えていた。ソトから覆うマギアを、一点の星が貫いてみせる。マギアは破られ、天井には夜空が黒い輝きを見せた。アスタロトは思わず目を細めた。……ああ、綺麗だ。

 美しく、アスタロトは頬を緩ませてしまう。



「――悲劇は、いつだって美しいからね」



 アスタロトはそう言いながら、手を伸ばす。その先から滅びの魔法が解放される。昇る夕夜に向けて、放たれるのだ。

 今の夕夜には再生能力が無い。たった一つしかない黒天では、どうすることもできない。夕夜自身はマギアから抜け出すために星の黒天を捨てた。今はもう、雷しかない。防ぐ手段を持ち合わせていない。

 滅びの魔法は、ゆっくりと、確実に夕夜に進む。滞空する夕夜に回避する術はない。

 だが、夕夜の瞳は輝きを失わない。もはや、すべてを見据えたかのような、絶対的な光が宿っている。



「――



 夕夜は黒刀を構えていた。

 バチッ。雷撃が散る。夕夜は小さく息を呑んだ。


「僕たちは、生きてるんだ。今も、これからも、物語なんかじゃない。自分で選んだ道を、僕たちらしく、生き続けている。物語なんかじゃ、……フィクションなんかじゃない。実在したんだ。千年前から、魔法使いは、ヒトは、生命を、連ねて――」


 これまでの道のりを夕夜は思い出す。

 これは、物語ではなかった。確かな足取りであり、一つの道だった。誰しも物語を生きているわけではない。悲劇でも喜劇でもなかった。ただ、そこに生きてきた。精一杯、懸命に、愚直に、生き続けていた。

 それを物語という枠に入れない。夕夜は認めない。彼らは生きていた。その道を歩いていた。だから、今の夕夜がいる。彼らがいる。

 夕夜の魔力が、跳ね上がる。



 黒天としてのマギア。

 夕夜が七つの叛逆セブンス・リベリオンズが使用可能であるのは、その所有者・那谷浅葱との戦闘経験があるからだ。

 実のところ、夕夜は相手側がマギアを使用し戦闘した経験はたったしかない。それは、夕夜にとって保存された出来事として黒天に刻まれているのだ。初めて、夕夜がマギアと出逢った瞬間。そのマギアの名を、夕夜は叫ぶ。



「――雷神インドラッ」



 黒き雷が、夕夜を包み込む。

 御姿としての変異。降臨する雷。夕夜は黒刀を握っている。その一撃を、ついに放つのだ。


「――神鳴、」


 バチッッッッッッッッッッッッッッッ。

 アスタロトの滅びの魔法よりも疾く。

 空を蹴った夕夜の速度が雷鳴のように鳴り響く。アスタロトとの距離を瞬時に縮め、その一閃を、アスタロトへ、叩きつける。

 アスタロトは反射的に滅びの魔法を解放している。潰れろ、潰れろ潰れろ潰れろ。消滅しろ。アスタロトから漏れ出した感情が魔法のように昇華され、二つのチカラが激突してみせる。ジリジリと、夕夜が押される。アスタロトは笑う。


「悲劇は、終わらないッ!」


 膨れ上がったアスタロトの魔法が、夕夜を消し飛ばそうとする。震え上がる雷が威力をなくしていく。その灯火が、小さく、儚く。そして、ついに――



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――椚君はもしかしたら、誰よりも魔法使いらしいんじゃないかって、今更ながら思ったんだけど、」


 唐突に、憲司はそう言った。

 空音やニナ、そこにいる者たちが不思議そうに視線を向けた。憲司はその最後の激突を見ている。その口から、確かな実感が漏れる。


「思えば……、椚君が使う魔法とは、これまで戦ってきた魔法使いの魔法なんだ。だから、自分の魔法を使うっていうより、誰かの魔法を使っている感覚に近い。――神凪さんから受け継いだチカラにしても、同じなんだけどさ」


 空音は小さく頷いた。


「……僕たち魔法使いってのは、魔法っていうのが、ある種の感覚に近いんだよね。息を吸うとか、体を動かすとか、そういう感覚。魔法を使うっていう感覚が、少し難しい。魔法を、僕らはモノとして捉えないから」


 椚夕夜は、違うのだ。

 彼は生まれながらのヒトだった。魔法の感覚を持っていない存在だった。だからこそ、誰よりも魔法をモノとして扱え、それを使うことができる。


「――彼こそが、きっと、本当の魔法使いなんだろうね」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ジリジリと拮抗するチカラが、変化する。

 アスタロトは、自身が押されるのを自覚した。滅ぼそうとしても滅びない。確固たる何かがあった。それは魔法のチカラなのか。彼自身のチカラなのか。それとも、ヒトとしての、希望なのか。

 夕夜は、剣を振るう。

 最後まで、叩きつける。



「これは、僕が選んだ、道なんだッ」



 爆音。視界が一度、白く染まる。

 アスタロトに一閃が刻まれた。






















































 ――――――――――――――――――


         128

  その道の名を決めるのはあなた自身


 ――――――――――――――――――









































































































「誓約とは、代償行為でも等価交換でもありません。――誓いなのです。絶対遵守の法則なのです。誓いを成立させるのに必要なのは、あくまでも『担保』です」

「担保――……」

「王の復活のために、現世に魂を縛り付ける。この法則を成立させる、結びつける説得力――……」

「――儀式を変えよう。死合のように戦闘方式にする。そうすれば、生死が生まれる。死んだ魔法使いは魔力を生み出す結晶だ。『担保』にできるのでは?」

「『担保』にしても、チカラは常に保存されなければならない。霧散すれば封印は解除できない。成立を支える人柱が必要だ」

「そんなものない。百年も経たずに人柱の器は壊れる。そんなもの、最高の器で無い限り無駄だ」

「純粋で、無尽蔵で、完璧な『担保』……? そんなもの、どこにある?」


 そう口にしたのは、ホムラだった。

 視線が彼に集まる。ホムラは一貫した口調で続ける。


「純粋かつ無尽蔵――そんなもの、ヒトの器を使うのが一番だろう?」


 ホムラの言葉は一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。だが、それを理解した瞬間驚愕の嵐が伝播する。騒がしく、どよめきが走る。


「つ、つまり、生贄を出せということかッ!」

「生贄ねぇ。まあ、そういう捉え方もできるね。けど、生贄といっても、特殊な器でないといけない。――純粋かつ無尽蔵、つまり、普通の魔法を所有している奴は既に『混血』だよ」

「な、ならば、やはり不可能では――」

「いただろう? 一人だけ。魔法使いなのに、魔法が使えない奴が」


 息を、呑む。


「奴を、『担保』にすればいい」



 ただ一つの器に向けて、全魔法使いのチカラを注ぎ込み、誓約を成立させる『担保』として成立させる。それは特殊な器であり、かつ、であったため、純粋かつ無尽蔵であり、さらに言えば、物を言わぬ人形だった。

 そこには、全魔法使いの記憶とチカラが内包された誓約となるシステムの中枢機関という役割を果たした。誓約は確かに成立した。だが、同時に、あるを作り出した。

 全魔法使いの記憶とチカラが混ざり込むことで、一つの人格が誕生したのである。それは、本来の器の内側から、誕生し、一つの存在を――現象を巻き起こした。

 それは、ヒトではない。

 あくまでも、現象にすぎない。

 だからこそ、死ぬこともないし、殺すという概念もない。ある意味、は魔法なのである。夕夜の黒刀が効いたのは、そういった背景が隠されていた。

 ならば。

 その器とは。

 その器の、名は。







































































◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ソレは、ゆっくりと目を覚ます。

 地面に倒れ、身動き一つ取れない。自身の存在が消滅していくのを感じている。ソレを見下ろす存在が――椚夕夜がいた。

 夕夜は、ソレに向けて、名を発す。



「――



 アトラ――?

 そう、アトラか。この器の名前。

 だが、ソレはアトラではない。アトラという器に入り込んだ一つの人格でしかない。


「僕は、エヴァンさんから貴方のことを聞きました。もしかしたら、貴方はアトラさんだとは思っていないかもしれない。けれど、貴方の中には、魂には、確かに、アトラさんのものが存在している。貴方は、生きている」


 違う。

 そんなはずない。ここにいるのは、滅びを求めた誓約の中枢機関。ただのシステム。ただの魔法だ。魔法使いの救済を目指し、そのために行動した。そうプログラムにされていただけに過ぎない。

 なのに、どうしてだろうか。

 アトラ。その名前が、ひどく、残る。


「アトラさん、エヴァンさんからの、伝言を預かってます」


 エヴァン。彼女の名前。

 ソレの人格にはエヴァンとの面識はない。だが、懐かしいと感じている。それは、この器の記憶か? 魂の残滓なのか? あるいは、まだ、アトラは生きていたのか?

 夕夜は、彼女の伝言を口にした。



「  」



 ……。

 …………。

 ………………。


「……はは」


 声が、漏れた。

 ソレは、小さく頬を緩ませ。



「――最高の、褒美だ」



 静かに、消滅した。

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