#127 「 」⑦
マギアの
スイッチを切り替えるようにアスタロトは行ってみせた。そもそも魔法の性質を変える、という所業がどれほど不可能に近い芸当なのかは周知の事実である。
これは、ある種の賭けに近い。
ウチとはつまり、御姿としての外見が確かに変換される。そのチカラは身体に向かい、本体のチカラはマギアに依存する。だが、ソトはウチなるチカラが外界に向けられているため、本体の強度は
本の本体としての姿に戻ったアスタロトは、治らない傷を背負っている。つまり、夕夜の魔法が確実に致命傷になり得る状況である。
但し、外界へ向けられたソトのマギアは夕夜を包みこんだ。この時点で、夕夜はアスタロトの魔法を全方位から受けることは確定する。いくら再生の魔法を注ぎ込もうとも、その事実は変わらない。再生よりも速く、破滅の魔法は訪れる。
これは、短期決戦である。
夕夜と、アスタロト。
どちらかが尽きた瞬間、終わる。
瞬時に彼らは察し、激突を再開する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ソトに向けられたマギアは、
「勝てッ……!」
誰かが、叫んでいた。
もはや考察や分析を捨てた、ありとあらゆる想いを手繰り寄せた言葉だった。
「夕夜ッ……!」
ここで、命運は決する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕夜は飛び出した。
先程、〈鉄の魔法使い〉の黒天が消滅した。残り六つの黒天を所持している。夕夜は刀を手繰り寄せる。それは形を変えて、鎖と化す。無限に溢れる滝のように、鎖が飛び出した。外壁のように覆う世界を埋め尽くし、ガリガリと音を立てていく。マギアという魔法と、鎖の魔法がぶつかり合い、相殺を起こしている。
アスタロトは腕を伸ばし、黒炎を放つ。滅びの魔法を付与するチカラは、鎖を燃やし尽くそうとする。夕夜は黒炎の中を飛び出した。
燃えるように、身体が熱い。燃やし尽くし、夕夜自身を消そうとする。再生は絶えず解放され続けるが、明らかに効果は弱っていた。全方向から訪れる滅びの魔法は確かに六つの黒天に負荷を与え、再生の余力を与えない。
黒炎を突っ切ると、アスタロトが眼前まで迫っていた。アスタロトもまた、光の剣を両の手から生み出し、振るっている。鎖を寄せた。夕夜の前に盾のごとく現る鎖は光の剣によって一刀両断に斬り伏せられた。――残り、五つ。
バチッッッッッッッッッッッッ!!
煌めく雷声。轟く一閃。
雷を纏う夕夜の拳が、アスタロトの胴体を突き刺した。アスタロトは盛大に埋め声を上げて、吹き飛ぶ。夕夜は地面を蹴り出し、飛び出した。
加速。
加えられた速度が、吹き飛ぶアスタロトに追いつく。黒刀を出現させる。雷を纏い、確実な一閃へと変える一撃へ。
「神鳴ッッッッッッッッッッッッ」
振り落とす、轟雷。
天地を斬り裂く一撃が、アスタロトを地面に叩きつけた。黒刀が、ピキリと音を鳴らす。確実に破滅へ蝕まれていく。攻撃手段が崩されていく。
全身を崩し、それでも嗤うアスタロトは、地面に叩きつけられながらも、魔法を辞めない。
「――大氷河、」
眼前に、埋め尽くす氷の嵐。
夕夜の身体が飲み込まれ、潰されそうになる。黒刀で振るい、壊そうとする。爆発的な音を立てて、魔法は消滅していく。雷の黒刀は、さらに崩れる。
(雷を潰す気かッ……!)
アスタロトは、両手を合わせ、夕夜に向けていた。
「――輪廻万象」
「天照」
黒い火が、夕夜を。
その寸前、先に再生した右腕で、黒刀を振るっている。間に合え間に合え間に合えッ。黒刀は、魔法を発動させていた。
反転。
渦巻くチカラの奔流が包まれたマギア空間を満たしていき、爆発する。――残り、四つ。
夕夜は咆哮を上げながら、黒刀を構えた。瞬時に魔力のギアが引き上げられる。
「エヴァン式МA、」
雷が溜め込み、圧縮し、解放する。
「――天地黒雷」
アスタロトは滅びの魔法を使用する。
「――滅べよ、椚夕夜」
視界が、一瞬の、黒へ。
それは相殺しない謎の現象として成立した。強すぎるチカラは空間を捻じ曲げ、相殺するはずのチカラは交錯し、
アスタロトはその身に雷を受けて、身体半分が黒焦げに染まる。自身の回復能力が追いつかないほどのダメージを襲う。身体が、
だが、それは夕夜も例外ではない。
雷は消え去り、滅びの魔法から逃れようと発動した加速も巻き込まれた。残り、黒天は二個に迫る。攻撃手段が、二つ。――否、再生の魔法を除けば、判明しない一つに絞られる結果になった。
アスタロトの思考は冷静に判断を下し、勝利を理解した。これは、驕りではない。確かな分析だった。次の段階で二つの黒天の内、夕夜は再生を捨てようが、謎の黒天を捨てようとも、夕夜の道は閉ざされる。再生を取れば攻撃手段が消える。謎の黒天(仮にそれが攻撃手段可能なものであると仮定しても)を取れば再生が消える。――よって消滅する。
それなのに。
否。
だからこそ。
夕夜はアスタロトに向けて突進する。
「ははっ」
アスタロトは、
椚夕夜という存在は、ここで退く選択を取らない。だから、予想できてしまう。予測が可能になってしまうのだ。
「きみは、確かに悲劇の主人公だよ、椚夕夜」
笑いながら、哀しそうに口にしながら、アスタロトは滅びの魔法を叩きつけようとした。
そのとき。
黒い閃光が、響く。
響き、揺るがす。事象を、変える。
一つの黒天が、これにより消滅した。
この時点で、夕夜の崩壊が加速度的に早まる。アスタロトはその原因は察するのに遅れた。ある現象に目を奪われていた。――再び
(
バチッッッッッッッッッッッッッッッ
「天地黒雷」
再生を捨てて、雷はアスタロトに打ち込まれる。肌が、肉が、骨が、魂が。夕夜の一撃によりアスタロト自身を滅ぼそうとする。もはや魂は揺らぎ、アスタロト自身もまた、密かな限界を迎えようとしていた。だが、ある一点だけが、アスタロトをこの地に留めさせている。たとえ夕夜の一撃を喰らおうとも、その魂の――さらに奥底に眠る原初の記憶が、アスタロトを奮い立たせる。
腕が、ピクリと動く。
振るう。
滅びが、雷を吹き飛ばし相殺した。
その先に、崩れゆく夕夜がいた。
夕夜と、アスタロトの視線が交錯する。
錯綜――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ねえ、椚夕夜。
――なんですか?
――なぜ、きみは戦う?
――僕自身のためです。
――その感情もまた、一つの運命に惑わされたものかもしれないよ? この悲劇は、ずっと、千年前から続いていた。変えなきゃいけない。誰も変えないと言うなら、ぼくが変えないといけない。
――その手段が、間違っているんです。
――間違い、……間違いか。ぼくには、そうは思えないな。椚夕夜、正しさとはなんだい? 間違いとはなんだい? この世界は、正しいのかい? 間違いなのかい? 悲劇であることは、正しいことなのかい?
――誰もが、幸福で死ねる世界を。……理不尽に奪われることが、あっていいはずがない。理想でもない、現実でもない。ただ、当たり前のことが当たり前と言えない。それでも僕たちは叫ぶ。変えたいと、叫んでいる。無理やりに正そうとするなら、間違えようとするなら、それはもう……、正しくないんですよ。
――正しさだけを追求するから、間違える。間違いを糾弾するから、正しさを見失う。そう考えれば、ぼくはこれから、何かをなそうとしている。それ自体、ぼくは特別な意識をしているわけはない。後に生きる誰かが、ぼくの正誤評価を行う。それだけさ。
――アスタロト……、いや、違う。あなたは、そうじゃないでしょう? 露悪的に捉えようとするから、……そうなるんですよ。僕たちは弱い。けれど、弱いからこそ、僕たちは希望を作り、生み出し、生きようともがく。僕たちは、幸福を目指すんです。
――まさに、滑稽な物語だね。これまでも、これからも、そう続いていくのかい? 悲劇だよ。
――違う、これは、悲劇なんかじゃない。
――……は?
――変えたいと思うから一歩を踏み出せる。その機会を奪えば、一生始まらない。大事なのはきっと、僕が一歩を踏み出すことじゃなかったんだ。
――それは無理だね。不可能だ。
――違う。
――悲劇は、終わらない。
――違うッ。
――椚夕夜、きみは……。
――言ったでしょう? 僕は、何度だって、言ってみせる。これは、悲劇なんかじゃない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――瞬間、夕夜が、腕を上げていた。
その意味をアスタロトは図りそこねた。上空へ、閉ざされるマギアの天井に、夕夜の指は向かっている。スローモーションのように、アスタロトには見えていた。
直後、光り輝く閃光が、空へ飛んだ。
その威力は一撃必殺を持っていた。ただ一度のみ使うことを制限することで、魔法効果を引き上げた魔法。
天井に突き刺さり、貫く。
マギアが、崩壊する。夕夜はその瞬間、空へ向けて飛び出していた。雷撃が、撒き散らされる。
アスタロトはそのとき、最後の黒天の正体を理解した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ニナは、その瞬間を目撃した。
マギアの天井を貫き、飛び出すものの正体を。きらめき、弾ける星を。
「――
貫いた穴から、夕夜が飛び出す。
空へと、昇る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◆――神凪空音
夕夜と空音は、王の塔があった場所にいた。
彼らはこの一カ月間、多くを語り合った。ただ一つの事実を除き、これまでの出来事を話し合う。言い尽くせない言葉の量に空音は驚いた。ずっと話したかった。ずっと、逢いたかった。秘めた想いだけは口には出さず、空音は夕夜と話す。
――決戦前夜。夕夜は空音を外へ連れ出した。それが、かつて王の塔が君臨していた跡地だ。夕夜は静かに空を見上げている。空音は夕夜の顔を見ていた。不意に生じる衝動。――まただ。夕夜の死を色濃く感じてしまう。
夕夜の口が、動く。
「……やっぱり、話さないと駄目だよなぁ」
なんだか、呑気な声に空音は肩を落としていた。
「私に、隠し事?」
「……まあ、そう、かな」
夕夜は困ったように微笑む。
「……ほんとうは、教えるつもりはなかったんだけど。空音さんには、教えなきゃだめかなって。それに、僕自身が、隠すのが苦手だし、なんとなく、みんな察してるし」
「心苦しいから?」
「うん」
夕夜は笑った。――弱気すぎるかな? そう言いたげに。空音は首を横に振っていた。
「――教えて、夕夜」
夕夜は、一つ息を吸い。
「 」
話した。
ただ一つ、隠していたことを。
……ああ、納得した。納得してしまった。だからなのか。空音は初めて自覚した。夕夜はもう、先を見ている。きっと〈頂の魔法使い〉を救える。空音は言いたいことをすべて飲み込んだ。わかりきっている。いくら空音が喚こうとも、泣こうとも、本質的に夕夜は変えられない。もう、その時期は過ぎている。
「……ほんとうに、貴方らしい」
空音は、笑ってしまう。
嗚咽を、漏らしていた。
夕夜が、一歩近づいた。そうして、静かに抱き締めた。止められない涙。夕夜は、言葉を紡ぐ。
「――空音」
彼は、初めて彼女の、名を呼ぶ。
「……私のせい、なんだよね、きっと」
空音の言葉は震えていた。
「私が、貴方を魔法使いにしたから。すべて、あのとき、あの瞬間。貴方を、巻き込んだから……」
「僕が勝手に巻き込まれたんだよ」
「違う……、違うよ……。ずっと謝りたかった。ずっと、逢いたかった。私は――」
「空音」
名を、呼ばれる。
泣きじゃくる空音は、顔を上げる。夕夜の顔が間近にあった。夕夜は微笑んだ。そこに憂いも哀しみも怒りもない。純粋な笑みだ。
「――僕は空音に逢えて良かった。みんなに逢えたことが、嬉しかった。哀しいことも、辛いことも、憎いことも……そのすべてが、今の僕なんだ。僕自身なんだ」
ずっと、言えなかったんだ。恥ずかしかったのかな。夕夜はそう言いながら笑った。
「――あの日、あの瞬間、僕を救ってくれてありがとう」
夕夜の瞳から静かに涙が流れる。
二人は向き合う。泣きながら笑っている。顔を寄せ、自然と唇は重なった。黒と白は一つに溶け合う。
――初めてのキスは、涙の味がした。
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