#125 「  」⑤

 白く、美しく、悍ましく。

 アスタロトの御姿とは、この世の未知をかき集めたかのような不気味さがある。その不気味さとは、戦意を喪失させてしまうような、包容感にある。どうして、これほどまでに警戒をさせないのだろうか。アスタロト自身の本質なのか。

 マギアが展開された瞬間、夕夜はほぼノータイムで動き始めている。その動きは明らかに予測し、分析した後のもの。夕夜はアスタロトがマギアを解放した際、その後のことを決めている。

 無数の黒天が湧き上がる。

 それは圧倒的な数だ。視界を埋め尽くさんとする黒天は、黒刀へと姿を変えて、夕夜とアスタロトを囲んでいく。アスタロトは僅かに視線を巡らした。どこをとつても、黒刀――。夕夜は、魔法を解放する。



「――七天抜刀・夢幻式」



 空間単位による魔法の無効化。

 これが、夕夜が予め用意しておいた技の一つである。アスタロトがマギアを使うことは想定できる。そのうえで、アスタロトがマギアを解放した際、真っ先に行動できるような思考はあった。

 七天抜刀は、魔法使いにとって、最大の天敵とも言える技だ。なぜなら、魔法を使えない空間が出来上がってしまうから。同時に、マギアであれば、マギアごと解除される。伝家の宝刀。

 タイミングさえあえば、その効果は必中へと引き上げられる。

 アスタロトのマギアと同時に解放された七天抜刀。今回の技に関していえば、夕夜の本来のチカラ以上の魔法として成立している。かつて、ユヅキ全域に渡って魔法を無効化したチカラを、一点に注ぎ込む。アスタロトのマギアは、あっけなく解除される。



 ――かに思えた。



「っ……、」


 夕夜は息を呑む。

 アスタロトの間合いと、七天抜刀・夢幻式の間の空間。拮抗する、何か。ジリジリと何かが唸る。鳴いている。まるで、世界そのものが悲鳴を上げるように。


「きみの七天抜刀は、当然来ると思ってたけど……、」


 アスタロトの声が、聞こえた。

 夕夜は。七天抜刀が、押し負けている瞬間を。押しているのは魔法ではない。魔力だ。魔力は魔法ではない。だからこそ、無効化されない。絶対領域が、消滅させていく。夕夜の技が崩壊の予兆を見せた。

 ピキッ。

 音がした。


「――破滅之王は、単純な魔法効果の引き上げだけじゃない。その本質は、」


 夕夜は、何かを、

 崩壊する先から、何かが視える。知らない、もう一つの世界。だが、名前は知っているはずだった。夕夜には到達することができない、高次元の果て。



「――『運命』を、滅ぼす」



 破裂する。

 黒刀が、蹴散らされ、魔法は消え失せた。夕夜はすぐさま行動をしようとした。水ノ輪が少しでも還元に廻そうとする。しかし、それらすべてを嘲笑うかのように、一歩、アスタロトは進む。

 それだけで、水ノ輪は、消し飛ぶ。

 夕夜は黒刀を振るおうとした。が、振るえるはずの腕が消えていた。朽ちる。飲み込まれる。

 皮膚、肉、骨、血、魂に至るまで――。夕夜の身体が、文字通り、消滅する。一瞬だけ、夕夜の記憶が、飛ん



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『ッ……!?』


 傍観者ルーカー一同に衝撃が走る。夕夜の身体が、皮膚、肉、骨という順番で消し飛んだ。悲鳴を上げる暇もない。すべてが、消え去っていく。滅ぼし、根絶やしにした。


「ッゥ……!」


 世々は歯を食いしばる。

 なんてチカラだ。アスタロトは、『運命』に干渉していた。その『運命』すらも、滅ぼそうとしている。

 アスタロトは、世界を滅ぼすチカラを所有していた。


「……まだッ!」


 ニナが叫んでいた。その視線の先を、世々は見た。そこに、黒い閃光が走ったのを、確かに見届けた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 黒い閃光が迸る。

 夕夜の身体はその時点から再生を始める。再生+。再生速度はさらに引き上げられ、夕夜の身体は消滅と同時に再生を始めた。

 アスタロトは魔法をさらに強めようとした。その先で、夕夜は黒刀を振るっていた。アスタロトは思わず躱した。躱していた。先程よりも、剣速が疾く……。

 アスタロトは魔法をこの空間全域に発動する。夕夜の身体はすぐさま崩壊しようとする。亀裂を走らせ、朽ちていく。だが、黒い閃光が続く。――黒い閃光が、



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――正気ですか、椚夕夜は……!」


 祈里が黒い閃光を見て呻く。


「正気って、どういう――……」


 茜が訝しげな声をもって言う。いったい、何が正気なのか。


「再生の常時発動――……。普通じゃない。逆効果です」


 祈里はほぼ即答している。


「再生は、生命力を代償としている、自然治癒なんです。再生速度をあげて、無理やり命の形を保っている」


 祈里の言葉に、哲朗はいつかの出来事を思い出していた。再生をされたとき、それが生命力を削っているということを。


「治癒と再生は違うんですか……?」


 ニナがそっと手を挙げて祈里に問う。祈里は首を横に振る。まったく違う。そう、はっきりと答えた。


「治癒――わたしのチカラは、傷そのものを無かったことにしている。いわば、事象の改変なんです。けれど、再生は違う。あくまでも、命は削られ続ける。寿命を自分で減らし続ける。一度ならまだしも、椚夕夜は常時――……、それも加速魔法付き。相当、身体に負担がかかる」

「それどころか、」


 ミラは苦々しい口調で続けた。


「夕夜は、四年前まで、ボロボロになりながらも戦い続けた。その際、いつだって再生に頼っていた」


 冬美は息を呑みながら言う。声は震えていた。


「それじゃあ、ゆうくんは――……」


 冬美は首を横に振り、非難の声を上げる。


「なら、再生は解かないと」

「解いてどうする?」


 秋人の刺々しい口調が冬美を押さえつけた。秋人は変わらない口調のまま言い続ける。


「アイツは再生あって、アスタロトの前に立ってる。解除した瞬間お陀仏だぞ?」

「秋人くん、いくらなんでも――」

「事実だろ」


 秋人は茜に言われたのが癪だったのか、不貞腐れたように視線を逸らした。

 ならば、と。圭人は戦場を見た。現在、夕夜は再生を常時発動しながらアスタロトと交戦している。続く攻撃はアスタロトの魔法により滅び、アスタロト自身に届くことはない。明らかに、不利の状況。


「得意の七天抜刀も、再生中の自分を阻むことになるから使えない――」


 圭人は不利を強調させてしまうかのように、唸る。


「それだけじゃない」


 ミラが、険しい顔つきで零す。


「――夕夜には、致命的な弱点がある」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 アスタロトが腕を振るう。

 それだけで、滅びの魔法はいっそう強くなる。夕夜の身体に叩きつけられ、異常な速さで崩壊を促してきた。常時発動する再生とせめぎ合い、絶妙なバランスをもって、夕夜は成立していた。

 夕夜は黒天を設置した。設置した直後から、崩壊は始まっている。


「――黒鎖、」


 黒天が弾け、黒い鎖が渦を巻く。

 アスタロトの視界を一瞬だけ埋め尽くしたそれは、突如崩壊する。目の前から夕夜の姿は消えていた。本能的にアスタロトは動いている。右――否――、上。上空。

 夕夜は空から黒刀を構えていた。

 揺れる水面。アスタロトはそれを見たような気がした。切っ先から、水が流れる。龍の形が生み出された。



「――水龍ノ理」



 水の龍が出現する。

 それは、アスタロトか滅びの魔法を行使すると同時に、十三に分裂し、それぞれが新しい龍となって襲いかかる。滅びの魔法を受けていても、別の形として成り立たせる。水は無形である。無形ゆえに、滅びの魔法を食らったとしても、形を崩すことは起きない。


(ほんとうに、上手いね)


 絶対領域を展開。一度に吹き飛ぶ水龍たち。夕夜は動揺しない。次の行動に移っている。

 地面に着地し、雷を纏って飛び出してきた。飛び出したタイミングに合わせて、滅びをかける。だが、それは通過した。椚夕夜自身の身体が、靄のように消えたのだ。


(――幻、)


 気づいたときには四方八方から、同じ形をした椚夕夜の幻が飛び出していた。良く見れば本物がどれだが判明するはずだ。だが、これらの幻は雷を纏った状態で飛び出してくる。幻の正誤を判断するためには疾すぎる。一人ひとり、無意味な幻がアスタロトを通過していく。見分けがつかない。嫌でも翻弄される。

 そして、おそらく。

 本物の夕夜もまた、飛び込んでくる。



「きみなら、必ずくると思ってたよ」 



 飛び出した夕夜を前に、アスタロトは腕を突き出していた。夕夜は目を見開く。


「ワンパターンなんだよ、椚夕夜」


 滅びが、夕夜を叩きつけて、吹き飛ばした。夕夜は再生をしながらも大量に血を噴出させ、地面を転がった。血を出しすぎたのか、妙に足取りが覚束ない。一度動きを止めて、小さく息を吐いた。

 アスタロトは、夕夜を見下ろしていた。


「多種多様な戦闘スタイルなのは認めるよ。けれど、慣れれば、その多様さというのが、一つのパターンになる。致命的な弱点を抱えるきみにはさぞ耳が痛い話だろう?」


 夕夜はぴくりと肩を揺らす。


「……弱点?」

「ああ、弱点だよ。自分でも、わかってるだろ? きみの弱点は――」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

「――マギアが使えない。それが、夕夜の弱点」


 ミラがそう言葉にした。

 マギアが、使えない。冬美は意外な思いで聞いていた。夕夜が、使えない――? 自分が使えて夕夜が使えない。それが不思議で仕方がない。


「夕夜は、元は非魔法使いだから。魔法使いと違って、器の構造が違うんだ」

「え、いや、私もそうですけど?」


 ニナが困惑がちに問うた。これには世々が否定をした。


「ニナの場合、元のセンスと、シリウスのチカラが上乗せされてるからね。本物の魔法使いの……それも、積み重ねられたチカラが支えになっている。例外中の例外」


 ニナはそれを聞いて黙り込んでしまった。ミラはそれを見届けると話を続ける。


「普通、マギアは短期決戦時に使う、切り札みたいなもの。もちろん、ホムラや鳴神蓮夜のような、規格外な存在にとってはマギアを常時解放なんてお手の物だけらど、普通は無理。それぐらい、マギアを使えるってのは、大きいことなの」


 ミラは何故か息苦しさを覚えた。こうして話せば話すほど、夕夜の不利を認めているように感じられた。


「本当の戦いが行われるとき、マギアは必須なんだ。マギアに対抗できるのは、普通はマギアだけ。アスタロトであれば、なおのこと。夕夜は、それができない。これは、大きな差になる」


 ニナは確かに動揺し、世々を見た。世々は首を横に振る。それが肯定を現している。ニナは助け舟を求めるように空音を見た。


「空音、さん。椚さんは――、」

「見届けてください」


 空音は、ここで口を開いた。

 沈痛の表情で。揺れる瞳で。


「椚夕夜を、信じてください」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――マギア、ですか……」


 夕夜は、呟いていた。

 アスタロトは微笑む。


「そうだろう? きみは、使えない」


 夕夜は、微笑みを返した。弱々しく、儚く。しかしながら、強く。



「――いいえ、使えます」



 アスタロトは、息を呑んだ。

 ならば、なぜ、使わないのか――?

 いつの間にか、無数に浮かんでいたはずの黒天が消えていた。夕夜の周りに、七つの黒天だけが浮遊する。その一つ一つが、形を変える。黒く、透き通るように染まる、剣へ。

 アスタロトは、その剣を知っていた。――なるほど。素直な驚きだった。夕夜は、剣を手に取り、構えた。



「――七つの叛逆セブンス・リベリオンズ



〈剣の魔法使い〉の御姿マギア

 その、コピー。

 紛い物の、マギア。

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