#124 「 」④
◆――牧野冬美
夕夜と話す機会はいくらでもあった。
いくらでも、話せていた。冬美は何度も夕夜に話しかけては他愛のない話題を続ける。それがいくら無意味であろうとも、どれだけ時間が流れようとも。夕夜はそのすべてを受け止めていた。
楽しい時間だった。幸福と呼べる瞬間だった。間もなく、最終決戦が始まる。それが近づくにつれて、冬美の焦燥感はより強く、より明確になっていく。……ああ、わかっている。自分は、わかっているのだ。
椚夕夜だからこそ。
彼がやろうとしていることが、なんとなくわかる。それはきっと、冬美にとっての悲しいことだと知っていても。
「フユミちゃん……?」
夕夜の心配そうな声音が、冬美の耳に入る。えっ、と声を漏らした。いつの間にか頬に涙が伝っていた。冬美は自分でも認識していなかった。気づいたときには止まらない。決壊したダムのごとく、流れ続ける。
「どうしたの、大丈夫……?」
「ねえ……、ゆうくん……、わたし、さ」
泣きじゃくる冬美に、夕夜は困惑している。時間を無駄にしたくない。もっと、夕夜といたい。どうして。せっかく再会できたのに。また、彼は、
「嫌だよ……」
「なにが――?」
「ゆうくん、いなくならないでよ」
「……」
夕夜は口を閉ざした。
「もっと、一緒にいたいの。みんなと、楽しく、あのときみたいに、空音さんと、ゆうくんと、わたしと……〈平和の杜〉と……なのに、どうして、」
「フユミちゃん」
夕夜の言葉が被る。
冬美はようやく顔を上げた。そこに、彼は微笑みをもって迎える。頭を撫でた。温かく、哀しく。
「僕は、いなくならないよ」
「うそ……」
「嘘じゃない」
夕夜はまた笑う。
「ちゃんと、残り続ける。目に見えないけれど、あるんだよ。繋がりとか、想いとか。そういう、曖昧なもの。でも、あるんだ」
夕夜は冬美から手を離す。
「僕は、フユミちゃんたちの中に、残り続ける。たぶん、ずっと」
もっと、チカラがあればよかった。
夕夜を守れるような。助けられるような。
そんな人になりたかった。
空音に憧れた。彼女の立場に嫉妬した。
ゆうくん。冬美は心の中で呼ぶ。
「僕は、フユミちゃんたちを忘れないよ」
「……わたしも」
ねえ、ゆうくん。
わたし、あなたのこと、大好きだったんだ。きっと、これからも、ずっと。大好きなんだ。
――言葉を、強く、深く。
飲み込んだ。
冬美は、泣きじゃくった痕の笑みを返す。
「ねえ、ゆうくん。一つだけ、お願いがあるの」
「なに?」
「わたしのこと、ちゃん付けで呼ぶのやめて」
「……へ?」
「子供扱いされてるみたいで、嫌だから」
「あ、え、いや。僕は別に、子供扱いなんて」
妙に慌てだす夕夜に笑ってしまう。やっぱり、彼はそうなのだ。そうあるべきなのだ。
「違うもん。わたしの問題。だから、お願い」
「……わかった、冬美」
「うんっ」
大好きだよ、ゆうくん。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
腕を断ち切られた瞬間には、黒い閃光は鳴り響く。そこから夕夜の再生は始まる。夕夜は微かに息を呑みながら、黒刀を出現させ、掴んだ。
雷を纏い、地面を蹴り出した。その動きに腕を断ち切られた後遺症は見られない。アスタロトは剣を振るう。夕夜は黒刀で切り返す。二つの武器の激突――の寸前、夕夜は黒刀を操る。破滅の剣はいなされる。交錯は錯綜し、夕夜はもう片方の手から黒刀出現し、振り抜いている。
アスタロトを肉薄しようとした寸前、黒刀は見えない何かに押し出される。不可視の壁。単純な滅絶の領域。触れたものは朽ちていく。
黒刀もまた、形を崩していく。
夕夜は別の黒天を配置しようとしていた。だが、それよりも早く、アスタロトは破滅の剣を揺らしている。伝播する滅絶。夕夜の身体の至る場所に亀裂が走った。
「――紅蓮ッ」
黒炎が爆ぜる。配置した場所は、アスタロトの頭上だった。アスタロトは剣を振るう。黒炎は裂かれ、裂かれた先からかき消されていく。
黒い閃光を放ちながら、夕夜は動く。
アスタロトは剣を操りながら肉薄を迫る。だか、不意に動きが硬直した。目に見にくい極細の糸がアスタロトを雁字搦めにしていた。
周囲に無数の黒刀が出現し、アスタロトに目掛けて飛び出す。アスタロトは半分の黒刀を躱し、残りの黒刀を剣で払った。
躱した黒刀は、地面に突き刺さる。
刺さった瞬間に、分解した。それらは糸となり、より強固にアスタロトを拘束する。
夕夜は、いつの間にかアスタロトの間合いに詰め込んでいる。僅かに頬や部位に亀裂を作りながらも、猛威を見せつける。
「
アスタロトの腕が動く。
拘束する糸は滅絶の魔法によりあっけなく引き千切られる。腕を振るう。それと同事に〈塵の魔法使い〉の不可視の斬撃は発動する。
夕夜の身体に、斬撃が刻まれた。
斬撃は、塵だけではない。アスタロト本来の魔法――滅絶も含まれている。
途端に、夕夜の身体が崩壊を見せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんでッ!?」
冬美が悲鳴を上げた。
黒天を持つはずの夕夜は、アスタロトの魔法により朽ちようとしている。黒刀は滅絶の魔法によって消滅した。無効化するはずの魔法が効かないのだ。
「これは……」
憲司が呻く。
「魔法の対象を、変えた……?」
憲司の推理はだいたい正解している。
アスタロトはこれまで全体的な視点で魔法を行使していた。そのため、魔法の対象は分散的であり、全体の中に夕夜が含まれていた。夕夜の黒天は当然機能する。これが、転換する。
アスタロトは黒天という全体の視点ではなく、椚夕夜に焦点を当てた。したがって、魔法とはあくまでも付属である。椚夕夜が先に魔法な影響を受けることは同事に、黒天もまた、影響下に含まれるということ。
同じく感覚的に理解したニナは目を見開く。
「普通、できるワケ――?」
魔法の対象を変える。
つまり、魔法の構造そのものを変化させる、ということだ。喩えるならば、ニナの魔法である無限の魔力を増幅させるチカラの条件を、満天の星空ではなく太陽が燦々と輝いているときに変える――という無理難題をこなしたようなものだ。
「アスタロトって、何者なの――?」
ニナの問いに答えるものはいない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アスタロトは夕夜の身体が崩壊しようとも、攻撃を辞めない。徹底的に夕夜を殺そうとする。破滅の剣をもって、夕夜を叩き込もうとする。黒い閃光が一度。
身体を持ち直した夕夜が、黒天を盾に変換させた。受け止めた黒天の盾は壊されていく。同時に、夕夜は次なる魔法を展開している。――荊棘の魔法。吹き荒れるチカラが、一瞬だけでもアスタロトの動きを止めた。
滅絶が、荊棘を消し飛ばしていく。
しかし、次の瞬間には、夕夜はアスタロトの背後に回っている。二対の黒刀に炎と雷が宿る。二対の黒刀を、自由自在に操り出した。
アスタロトは、一対の黒刀を消し飛ばす。それは、雷の黒刀だ。駆動力的に、雷を潰した方がいいと判断したのだろう。
しかし、次の瞬間、――潰したはずの雷が、炎にも宿っている。雷+炎。黒天一つに、二つの魔法を隠し込んでいる。もう一方はブラフだ。
「――黒死炎雷ッッッ」
アスタロトは反射的に破滅の剣で対抗する。膠着は一瞬。次には夕夜の黒刀は壊れている。――だが。
「……お、」
破滅の剣もまた、刀身から消え失せた。黒刀そのもののチカラが引き上げられている。
夕夜は止まらない。再び作る黒刀が、肉薄する。
「――
さも当たり前のように、アスタロトは〈雷の魔法使い〉のチカラを行使した。タイムラグがほぼノータイムで切り出された魔法は、アスタロトに音速の翼を与える。夕夜の視認速度を超えて、背後に回っている。アスタロトは振り向きざまに腕を振るう。滅絶を、叩き込めようとする。
しかし。
滅絶は、起きない。
夕夜は、それを弾いてみせた。
「へぇ……、」
夕夜の周囲に新たに浮かぶ水の輪。
まさに、そのチカラは――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「水ノ輪――、私のチカラを……、」
睡蓮は目を見開く。秋人は舌打ちをしながら吐き捨てる。
「アイツ、なんでもかんでも
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
水ノ輪は相手からの攻撃(曰く、エネルギーと称するもの)を再利用し、自身のチカラとして還元する。
滅絶の魔法もまた、一つのエネルギーであることには変わりない。滅絶を還元し、夕夜のチカラへと変える。
夕夜は滅絶の影響下から逃れ、皮膚に亀裂を走らせながらも、アスタロトを見据えた。
「きみは、他人の魔法を使うのが上手いね」
「それほどじゃありません」
夕夜は黒刀を振るった。アスタロトは躱そうとしたが、還元されたチカラは剣速に乗せられて、上乗せの分が働く。いつの間にか、アスタロトは叩きつけられた。
アスタロトは異なる魔法を解放する。
光が、爆ぜた。
それは、光のレーザーである。気づいたときには、夕夜の肩をえぐっている形になる。夕夜は痛みに表情を微かに歪めませた。
「――断罪の光、」
光の刃が無限に増殖し、夕夜を襲った。
夕夜は黒天を多く増殖させ、刃を阻む盾を形成する。視界が黒と白に染まる。一歩と。夕夜の足は踏み出す。
それが、アスタロトの間合いに入り込んだ。黒刀を、突き抜け。
――ない。
刀身が、
夕夜は舌打ちをしそうになる。
アスタロトの拳が眼前に迫っていた。夕夜の頬に突き刺さり、爆ぜる。夕夜は頬を抉られながらも拳を突き返す。乱闘。乱舞。拳と拳の激突。ぶつかり合う中、夕夜はアスタロトに致命的なダメージが一切与えられていないことを察する。
不意に、アスタロトの裏拳が、夕夜の胴体に突き刺さる。夕夜は口から血を噴き出した。アスタロトの頬に夕夜の血が付着する。
「さあ――、椚夕夜。そろそろ、」
――――――――――――とん、
「……?」
アスタロトは首を傾げる。
夕夜の手が、アスタロトの胴体に触れる。夕夜は、ニヤリと嗤う。笑ってみせる。
アスタロトは、そこで気づく。
水ノ輪が廻っている。つまり、エネルギーが循環されたということ。いつ、どんなチカラが還元されたのか。考えるまでもない。先程のダメージそのものを、チカラへと変換させた。
「
収束。
水+風+加速。
「――風水ノ陣・八拳翔」
ドンッッッッッッッッッッッッッッ。
爆音。
アスタロトは盛大な吐血と、全身に風穴を開けられながら吹き飛ぶ。地面を数回バウンドし、それでも止まらない。先程まで加えられたダメージすべてが加算された一撃が、アスタロトを確かに動揺させた。
ひとまず、持ち直さねば。立つ、というイメージをする。受け身を取りながら、立ち上がろうとする。そのときには、もう。夕夜は吹き飛んだアスタロトの位置に移動していた。――否、単純な移動ではない。瞬間移動だ。
夕夜は腰に手を構えている。
抜刀術。――ヒヤリと、肌を撫でる。
「――雪名刀・大氷河」
振り抜いた瞬間、巨大な氷が、アスタロトを包み込む。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よしッ!」
哲朗が吼えた。白奈が歓喜の声を漏らす。
対象的にミラと憲司、ニノチカは表情に緊張感を走らせる。
「いや、まだ――」
次の瞬間、戦場では、魔力が迸った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕夜が気づいたときには、距離を取っていた。本能が下した結論。それは正解だった。魔力の奔流。氷を砕き、蹴散らし、消滅させる。中から、白き、神々しい姿を見せた
「――
アスタロトは、静かに嗤う。
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