#123 「 」③
◆――楔千珠
ニナが去るのを見届けると、センジュは小さく息を吐いた。タイミングが悪かったかしらん、とトボけた口調で顔を見せるべきか。センジュがひそかに思い悩ませていると、その方向へ夕夜が視線を向けた。
「センジュさんですよね?」
「……あ、バレてるかしらぁ?」
「まあ、気配がただ漏れですし」
夕夜は苦笑していた。センジュは改めて息を吐くと、夕夜の方へ近寄った。
一瞬だけ。夕夜との距離を縮めることを躊躇ってしまったのは気のせいではない。夕夜の底から漂う死の気配に忌避感を覚える。どこまでも深淵のように深い。近づくこと自体が禁忌であるように感じてしまう。
夕夜は微笑んだ。
「どうかしましたか?」
「……いいえ、そんなことないわ」
センジュは歩みを進める。そうして、夕夜の隣に立った。夕夜の視線がセンジュの喪失した部分に向けられた。ノラとの戦闘時に喪ってしまった片腕。それはさすがの夕夜も、〈治癒の魔法使い〉でも完治することは叶わなかった。生きているだけで御の字だろう。
「……センジュさん、調子は?」
「ぜんぜん問題ないわよぉ」
「そうですか」
「……まあ、魔法使いは引退だけれどね」
付け加えるようにセンジュは言った。
センジュは戦闘時に後遺症を強く残している。身体の傷もそうであるが、最もたるものは、魔法の喪失だろう。ノラに魔法を奪われたことにより、センジュは〈鎖の魔法使い〉としてのチカラを失った。今ではただ魔力を使うことができる非魔法使いと変わらない。
「自由になった気分ね」
センジュは乾いた言葉を漏らした。
実際、魔法使いでなくなった自分を持て余している。これから、自分はどう生きていけばいいのか。戦いが終わる前から考えている。チカラを失った自分など、なんの役にも立たないのではないか。
「――約束を守ってくれて、ありがとうございます」
夕夜は、そう口にした。
約束とは。ずっと昔のように思えた。
「そうねぇ。ワタシにしては、長続きしたもんじゃない?」
「ええ、そうですね」
夕夜は笑う。それこそ、無邪気に。
「センジュさん、これからどうするつもりですか? 何か、してみたいこととか」
「そうねぇ……、今のところ、なんも思いつかないけれど……」
「人を支えるような仕事が、向いている気がしますよ。個人的な感覚ですが」
「ワタシが? 冗談でしょ?」
「冗談なんかじゃありませんよ」
夕夜の言葉は強かった。センジュは思わず夕夜の顔をじっくりと見てしまう。夕夜はセンジュの視線を受け止めながら口を開く。
「冬美をこれまで支えていたじゃないですか。あれは、センジュさんだからこそ、できたんです」
「……買いかぶりすぎね」
「そんなこと、ないです」
……ズルいなぁ。センジュは笑いそうになってしまう。自分でも無意識に嬉しがっている。欲求が満たされている。自分はこんな人間だっただろうか。人に愛され、愛されたいと思っていただろうか。
夕夜と出逢い、自分は間違いなく変わってしまった。変えられた。口からある言葉が出かけた。――ごめんね。いったい、何を謝ろうとしたのだろうか。〈
「ねえ、夕夜クン」
「?」
「これから、どうなるかわからないけれど、ワタシ、もう少しだけ、頑張ってみようと思うわ」
「……ええ」
「――だから、夕夜クンも、約束してほしいのよ」
「約束……?」
わかっていることだ。それでも、言いたかった。誰かではなくて、自分がしなくてはいけない。そんな、お節介。変われた自分だからこそ、すると。
センジュは、確かに、口にする。
「――生きて、帰ってきなさい」
センジュから出た本音。
夕夜は目を見開いた。口を開きかけ、閉じる。小さな沈黙。逡巡の時間。ようやく、夕夜は微笑んだ。
「はい、もちろん」
――ウソつき。
センジュは泣きそうになった自分を我慢した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おおオッ!」
哲朗が吠えた。夕夜の斬撃が、アスタロトに刻みつけられた瞬間は、傍観者たちの熱気を上げさせる。
「……?」
しかし、その傍観者たちの中で数人、おかしな光景を見た。目ざとく気づいた空音やニナは、斬撃が起きた瞬間、アスタロトの身体の異変を、視たのだ。身体そのものが、
憲司は高揚を隠しながら言う。
「やっぱり、椚君の魔法はアスタロトにも有効か……」
「ありとあらゆる魔法を無効化する。どう考えても規格外だからねぇ」センジュは笑っている。だが、その笑みの中に哀しみも含まれていた。
「なら、ゆうくんの勝ち?」
冬美が言うが、即座にニノチカが首を振るう。
「そうとは限らない。黒天にも弱点はある。というか、椚夕夜自身の弱点というか?」
「弱点?」冬美は首をひねる。
まさか。椚夕夜に弱点なんてあるはずがない。そう言いたげだ。ちょっと信仰的だなぁ、とニノチカは思いながら続ける。
「黒天はありとあらゆる魔法を無効化する。けど、それは魔法そのものであって、魔法によって起きた二次作用は防げない」
「――ついでにいえば、夕夜クン本人が認識できない魔法もまた、無効化できない」
センジュはニノチカの考えを補強した。冬美はセンジュに、お前はどっちの味方なんだと言いたげの視線を向けた。センジュは軽くいなす。
「〈ドクター〉が前に、言ってたことがある」
そう言うのは、茜である。
「黒天って、元は『天』という形で、黒天とか、白天とか。私の赤天とか。個人のパーソナリティが反映されてるって」
「魔法を憎んだ椚夕夜だからこそ、生まれた魔法……ってワケだろ?」秋人が吐き捨てるように言った。「――アイツらしい魔法じゃねえかよ」
「問題は、アスタロトの魔法も、滅絶であることだよ」
ここで、話の転換を図るのはミラだ。
「夕夜は『無効』。アスタロトは『滅絶』。もとをたどれば、二つの魔法は性質が似ている。どちらも、消滅するから。ほんのちょっとの天秤が崩れてしまえば、形勢逆転もありえる――」
ミラは戦場に視線を固定したままだ。
「もちろん、それを夕夜が把握していないとは思えないけど……」
不穏な空気のまま、戦闘は続く。
空音は一度も言葉を発さない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アスタロトの身体が、一瞬
アスタロトは斬撃を刻まれた瞬間には、閃光を放っている。再生が始まっている。殺せない身体。――だが、夕夜はだけは斃せる。
アスタロトが手を伸ばす。夕夜は咄嗟に黒刀で防御の姿勢を作り出す。反射は成功。直後、虚空から大氷河が展開した。ゼロから瞬時に無限を作り出すタイムラグ。夕夜は大氷河に押し出された。
氷はすぐさま夕夜を凍らせようとする。皮膚が凍り、引き攣る感覚を覚える。凍死させようとしているのか。
夕夜は炎を生み出す。黒炎は夕夜の氷を溶かし尽くしていく。同時に、
次の瞬間、夕夜は黒刀を振り抜いていた。
「エヴァン式МA、黒神成」
そのときにはもう、アスタロトの認識を超えて、背後に立っている。自分の肩から先が引き裂かれている。アスタロトの身体が揺れた。
ここぞとばかり、夕夜は動く。
アスタロトは肩が引き裂かれた状態のまま、身体を動かす。滅絶の魔法は地面を朽ちさせた。夕夜の立つ地面があやふやとなる。それでも、夕夜だけには届かない。黒天が夕夜を守っている。
黒刀を振るう。アスタロトは直で黒刀を掴む。夕夜はかすかに息を呑む。
(
動揺は隙となる。
遅れて、アスタロトの腕がやけに黒いことがわかった。これは、
それも、自身の影ではなく、周囲の影を使って――
そう認識したときには、夕夜の身体は固定されていた。見えない影が、夕夜を拘束する。
夕夜は無理やり黒刀を使おうとした。だが、黒刀の鋒が、わずかに脆くなっていることに気づいた。――
「お、離すのかい?」
眼前にアスタロトの拳が飛んでいる。
夕夜は顔だけを動かす。横を通り過ぎ、頬に血が掠める。夕夜は同時に、黒天を多く出現させた。形を変える。槍へ。雨のように空から降らす。
「反応がいいね」
アスタロトは咄嗟に離れる。
槍はアスタロトから離れ、夕夜を拘束する影を突き刺す。魔法は消滅し、夕夜は一つの槍を手に取った。そのまま投擲の構え。
「――雷槍」
バチッッッッッッッッッッ。
雷を纏った槍が、アスタロトへ進む。
アスタロトは絶対領域を展開。滅びの魔法は槍を、
「なるほど、原理は掴めた」
アスタロトは嗤う。引き裂いたはずの肩が治っている。指をパチンと鳴らす。アスタロトの気障な行動をした瞬間、夕夜は頬に痛みを覚えた。頬の先から、
(――血、か)
生み出した黒天のナイフで、頬ごと切り落とした。躊躇はなかった。削ぎ落とした皮膚は、そのまま朽ちた。遅れて、頬に向けて黒い閃光。再生していく。
「もっとも盲点らしいものがあったね」
アスタロトは言う。
「おしゃべりですね」
夕夜の皮肉をよそに、アスタロトは続けた。
「黒天は強いよ。魔法を確かに無効化する。けれど、きみ自身の肉体は魔法を無効化するワケじゃない。――いわば、魔法に守られているんだよ。その隙は、きみを殺すことになる」
アスタロトの前に、剣が生まれた。
まさか、と思うまでもない。〈剣の魔法使い〉の魔法。アスタロトは手に取る。優雅に剣を持ち上げる。
「――なにより、認識だ。きみの黒天は、
滅絶の剣が、振るわれ。
夕夜は黒刀で切り返そうとした。
夕夜の右腕は、黒天ごと、剣に叩き斬られ、吹き飛ばされた。
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