#122 「  」②

 ◆――新崎ニナ


 実のところ、心の整理がついていない。

 度重なる激務がパッと消え去ると、ニナは無力感に苛まれた。ホムラとの戦い。絶対的な敗北。いつの間にか意識を失っていて、気づいたら〈シエル〉のメンバーに囲まれていた。世々は本気で怒鳴るし、秤は泣き腫らす。男爵はせっせとニナに食事や看病を行っていた。

 明確な殺意があった。一度外れて、ホムラを殺すために本気で望んだ。その先で、ニナは今、生きている。ぽっかりと空いた穴は塞がることはない。傷が癒えた今でも、ニナは自分を見失っている。

 そんな中、椚夕夜の帰還は、さらにニナをおかしくさせた。自分でも彼に対して複雑な感情を抱いているのがわかる。こういうとき、一人で抱え込んでも意味がないことをニナは知っている。誰かに言葉にしたかった。ただ聞いてほしかった。秤は……何故か気恥ずかしい。世々はもっとだめだ。やはり、こういう場面では男爵なのだ。

 男爵はニナの言葉にもならない話をしっかり耳を傾けた。そのうえで、一つの結論を口にした。

 話すべきでしょう、椚殿と。

 それが、答えなのだ。

 夕夜もまた、ニナと話す機会をうかがっているようだった。最後の決戦が始まる三日前。ようやく、ニナは話すことができた。〈灯の集い〉の屋上にて、二人は相対する。


「椚さんは、」


 呼び名に違和感を覚えた。椚さん。夕夜さん。なんだか、どれをとってもおかしい。しかし、明確な呼び名もわからない。距離感も掴めない。


「私のこと、覚えてますか?」


 ニナは彼の背中を思い出した。あの日、四年前。救われた命。

 夕夜は困ったように首を振った。


「すみません。覚えてないんです」


 覚えていない。意外にもショックを受けている自分がいることに驚いた。そうか、覚えていないのか。納得している自分もいる。この人にとって、人を救うことは当たり前だった。そこに命を失おうとしている人がいた。だから助けた。因果関係は実にシンプルだ。シンプルゆえに、揺るぎない。


「……そうですか」


 ニナは僅かに視線を落とした。


「傷は癒えましたか?」


 夕夜が尋ねる。


「え、ま、まあ。だいたいは」

「……いろいろと、巻き込む形になってしまいましたね、新崎さんには」


 夕夜が口にしているのは、ニナが擬似的にも特異点になってしまったことだろうか。それとも、魔導大戦で戦うことになったからだろうか。


「いいえ」


 ニナは首を振るう。それだけは、夕夜に否定されたくはなかった。


「あなたに助けられたから、私は生きている。それは、間違いないんです」

「……」

「私、親友がいたんです。たぶん、もうこれからの人生、自分にとっての親友を現れないと思うぐらいの」

「……シエル・シリウスさんですね」

「はい」


 夕夜はなんでも知っている。本人は特異的な立場にいたからこそ、知っていると言った。その特異的な立場ゆえに、どれほどのものを失ったのだろう。


「シエルは、あなたを憎んでました」


 ニナは、言った。


「こんな世界にしたあなたを、憎んでました」

「だから、死んでしまった」

「そうかもしれません」


 シエルは死んだ。今でも、これからもニナの心に残り続けるものだ。人の死は慣れるという。いつまでも引きずるなという。おそらく、違うのだ。抱えるしかないのだ。誤魔化すしかないのだ。そうでないと、生きていけないから。死を抱えて生きることはできないから。


「でも、私は、」


 よく、問われる。

 椚夕夜は英雄か? 悪魔か?

 少なくとも、どちらの面も持っているのだろう。ある者にとっては英雄であり、ある者にとっては悪魔だった。仮にこの世界に平和が訪れたとしても、彼の道のりは厳しい。あるいは、その道はもう……。

 ニナは、その二択で捉えたくなかった。椚夕夜本人を、見たかった。彼はきっと。


「私は、あなたがどれだけのものを背負おうとも、間違いを犯そうとも、肯定したい。だって、あなたは、私の命を救ってくれたから」


 言いたいこと。

 削いで、残して、散って。

 余った言葉。



「私を助けてくれて、ありがとう」



 夕夜は僅かに目を細めた。どこか眩しそうに。小さく微笑みを返した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 火と炎が混ざり合う。

 熱波が夕夜の頬を撫でた。黒い炎は次の瞬間、火龍に飲み込まれた。飲み込まれたと同時に、火龍は膨れ上がった。そのままエネルギーはその場に滞在し、爆発する。爆炎が吹き荒れる中、夕夜は飛び出した。

 手に黒刀を持つ。黒刀で爆炎を凪ぎった。シッ、と爆炎は斬られ、その先にアスタロトが姿を現す。アスタロトは両手をパンッと合わせる。


「大地讃頌、」


 突如、夕夜の視界が上へ飛んだ。

 景色が一転、夕夜は空へ投げ出されている。目の先に広がるのは、大地の柱。無限の柱が夕夜へと進んでいた。夕夜は黒刀を強く握った。魔力を全身に滾らせる。身体能力が一気に向上し、空気感が変化する。


「エヴァン流マーシャルアーツ、」


 黒刀に黒炎が付与された。刀身が黒く燃え上がるソレは、一点に絞られ、爆ぜる。



「――獄炎一閃」



 無限の柱が、一度に消え失せる。燃え上り、視界を黒く染めていく。落下しながら、夕夜はアスタロトを捉える。空中に配置されていた黒天が勢いよく黒刀へ変化を遂げる。鋒が、アスタロトを向く。

 一幕置いて、無限の黒刀がアスタロトへ進んだ。瞬時に進んだ黒刀はアスタロトを襲いかかった。アスタロトは最初に襲う黒刀を躱すと、その刀身を掴もうとした。だが、掴んだときにはもう、アスタロトの手は弾かれていた。即座に別の黒刀が進む。アスタロトは黒刀から距離を取るように躱していく。

 その間、夕夜は地面に着地した。

 地面を蹴り出す。夕夜の身体に風が巻いた。


天翔アマカケル、」


 蹴り出すと同時に、風の解放が起きた。

 アスタロトの間合いに入り込む。黒刀を躱し終えたアスタロトが夕夜を見ている。黒刀を振り上げる。風を纏う刃は剣速を上げた。振り上げる勢いは周囲の空間を歪ませていく。

 アスタロトは、絶対領域を展開した。

 滅びの領域。

 それは黒刀に纏う風を破滅させた。剣速の勢いが弱る。アスタロトは滅びの魔法を発動する。黒刀はアスタロトから魔法へ向き直る。修正された鋒は空を切った。斬ったところから滅びの魔法は消え失せる。


「ふむ、じゃあ、だめか」


 アスタロトの呟きに、夕夜は一閃で応える。アスタロトは上半身をぐにゃりと曲げるように回避する。黒刀は空を切った。空振りの隙を狙うようにアスタロトは新しい魔法を開放させる。見えない斬撃。夕夜は本能的に躱していた。背後の地面が刻まれる。


(見えない――違う、)


 次に、上から。

 見えない斬撃が続く。夕夜は反射的にアスタロトから離れる。寸前まで夕夜がいた場所に斬撃の痕が刻まれていく。


(空気――風――。――魔力――塊――集合体――なんの?)


 夕夜の思考は加速されていく。

 アスタロトが腕を振るう。

 振るうことに合わせて、夕夜もまた、黒刀を振るう。振るった瞬間、確かな感触を実感した。これは、物体的な斬撃だ。つまり。記憶を巡らす。同じような魔法使いが、いたはずだ。


(〈塵の魔法使い〉か……)


 夕夜は見えない斬撃が刻まれる前に、天翔を発動する。再び音速の捷さでアスタロトに潜り込む。アスタロトの魔法が放たれるより早く、黒刀を振るう。

 アスタロトは盾の魔法を展開しようとした。〈盾の魔法使い〉が誇る最高硬度の魔法だ。だが、展開される寸前。



 夕夜の一閃は、さらに疾く。

 斬撃をアスタロトに叩きつける。

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