#121 「  」① 

 ◆――東雲茜


 秋人が茜に急かすように言う。

 夕夜と会う時間を作った。だから会いに行けと。茜がうだうだしている間に秋人が勝手にセッティングしてくれたという。なんて余計なお世話だ。茜はそう思いつつも礼を口にしている。自分のヘタレ具合は誰よりもわかっねいるつもりだった。

 夕夜の帰還。茜は嬉しかった。だが、嬉しい以上に恐怖もあった。この四年間、茜も変わった。変わってしまった自分を夕夜が見たら、どう思うだろうか。それが、たまらなく怖いのだ。

 秋人はそんな茜の心情を見抜いていたのだろうか。呆れたような視線を向けていた。


『いい加減、言いたいことを言えばいいだろうが』

『な、なにが?』

『ためこみすぎなんだよ。お前らは』

『……だ、だって』


 秋人は茜から視線を外すと早口で告げた。


『もし椚夕夜がお前を悪いように扱ったら、俺が殺してやるから』


 なんだそれは。茜は堪えきれず笑ってしまった。秋人は不満げな視線を茜に向けている。本当に、なんだそれ。自分の抱えているものがちっぽけに思えてきた。

 そうして、茜は夕夜と再会する。

 奇しくも、場所はかつての高校だった。形だけが残っている。がらんどうとした校内。夕夜と茜は元・教室まで登った。久しぶりの景色だった。夕夜と茜は記憶を掘り起こしながら席に座る。

 お互い、四年間の話をした。茜はこれまでの自分が行ってきたことを。夕夜は魔法使いになってから今までのことを。思いに思いに口にしていた。それは告白ではない。思い出話に花を咲かせているような気さえした。


「……ねえ、ゆう、」


 茜は名前を呼んだ。夕夜は目だけで促す。


「ミコトのこと、なんだけど」

「相模楓さん、でしょ?」

「うん」

「良太の妹だ」


 夕夜はいつ、それを知ったのだろうか。

 どれほど驚いただろうか。良太の姿を思い浮かべる。悲しいかな、記憶は確かに色褪せていた。あの声も、どこか遠ざかっているように思える。

 記憶は、薄れる。死んでいくのだ。


「……ミコトを、助けてあげてほしいの」

「うん、任せて」


 ――任せて。そう口にする夕夜は頼もしかった。夕夜は変わった。あるいは、元々の性質が表に出ただけだったのかもしれない。彼は、そういう人だった。


「――ゆう、これから、どうなるかな」

「……さあ、どうだろう」


 夕夜は視線を窓に寄せた。その横顔を茜は見つめている。存在が遠い。改めて、茜は実感する。きっと、自分は失恋したのだ。苦いほどの想いを抱えて。


「でも、」


 夕夜の声が、続く。


「――これから、良くなると思うよ」 


 ねえ、ゆう。

 言いかけた言葉を茜は飲み込んだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 里麻とヤドリ・ミコトの同時消失。

 この幕切れに傍観者ルーカー一同は言葉を発せずにいた。渦巻く沈黙と困惑の中、真っ先に再起動したのは睡蓮だった。


「……状況を整理しましょう」


 毅然とした態度だった。彼女にとっては大切な人を二人一気に失ったことになる。そんな彼女が放つ言葉には大きな力があった。


「二つの戦いが終わった」


 ゆっくりとした口調で、憲司が言った。

 鳴神蓮夜の勝利。里麻龍伍の消失。残るはただ一つ。その戦いですべてが決まる。

 椚夕夜と、アスタロト。

 ある意味、ここで椚夕夜が勝利しなければすべてがひっくり返されると言っていい。ホムラ戦を終えた蓮夜は事実上戦うことはできない。アスタロトと仮に戦闘することになった場合、勝利する見込みはない。


「椚夕夜は……」


 睡蓮は言いかけた言葉を、やめた。

 もう、既に彼らは察しているのだ。帰還した椚夕夜から漂う死の気配を。彼は自分を顧みてはいない。文字通り、命を燃やしている。


「あいつは……、勝てるのか?」


 そう言ったのは圭人だ。


「あの、アスタロト。は、気味が悪い」

「少なくともニンゲンじゃない」ミラも続けて言う。「――は殺せない」

「けど、椚夕夜はその正体を知っている」


 世々は以前正体を教えられなかったことを根に持っているのか、不貞腐れたようにつぶやいた。


「アスタロトは強いよ。昔、蓮夜とも戦って平然と生きてるし」


 ニノチカが彼らの不安を補強した。


「よくよく考えると、夕夜クンって強いワケじゃないのよねぇ」


 センジュが改めて言う。その片腕。先の戦いによりノラに奪われた片腕は消えていた。ひらひらと、衣服が揺れている。痛々しく見えてしまう。実際、センジュの怪我は完全に回復していない。今も青白さがある。

 センジュの言葉に反論したのは冬美だ。


「はぁ? ゆうくんは強いよッ」

「あ、違う違う、そうじゃなくてぇ」

「ゆうくんは鳴神蓮夜よりも強いんだよッ」

「ちょっとユキフル。その言葉は訂正しなさい。あの死合は特殊な事情が重なっていたわけであって――」すかさず祈里が怒る。

「まあまあふたりとも」

「祈里さん、ここは落ち着いて」


 ニノチカとフータが慌てて間に入る。一瞬、ごちゃごちゃとした時間が流れた。


「――強くないっていうのは、こう圧倒的なチカラを持っているワケじゃないってこと」


 センジュは言い直す。


「たぶん、夕夜クンと里麻龍伍がタイマンで戦ったら、夕夜クンは勝てない気がするわ」

「それは……」


 冬美は言いにくそうに表情を歪ませる。


「それは鳴神蓮夜にしても同じ。夕夜クンは、強さとは別に、地形・魔法・状況。ありとあらゆるものを活用して戦う。奇手が得意よねぇ」

「夕夜のやつ、地頭はいいだろ」


 哲朗の言葉に頷くのは茜だ。


「うん、ゆうって、そういう搦手? 得意だった」

「――だが、今の相手はそうはいかないだろ」


 何故か苛立った秋人が言い放つ。

 椚夕夜に対する不安。募る中、空音は言った。――けれど、と。


「夕夜は、勝ちます」


 冬美は、空音の顔を見た。きっと、毅然とした態度を貫いていると思った。悔しくも、二人の関係性を冬美は認知している。たが、違った。空音の表情は全く想像していないものだった。哀しく、泣きそうな顔だった。

 ……ああ。

 冬美は理解する。

 この人は、知っているんだ。

 椚夕夜の行く末を。

 冬美は空音から視線を外した。ようやく、戦場に顔を向けた。椚夕夜とアスタロト。二人の最終戦争。

 彼らは、未だ戦っていない。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 アスタロトは顔を上げた。どこか遠い虚空へ向けて。その表情に微かな笑みが浮かぶ。


「どうやら、戦いが終わったらしいね」

「そのようですね」


 夕夜もそれは実感していた。蓮夜とホムラの戦い。これはおそらく、蓮夜の勝利で終わったのだろう。蓮夜の状態はともかく、微々たる魔力を感じ取った。

 問題は里麻とヤドリ・ミコトだ。二人の魔力が文字通り消失した。里麻がどのような方法を用いたかわからないが、戦いは終了したのだ。――里麻の方法は、犠牲的だったのかもしれない。


「ホムラはともかく、ミコトはしくじったのかな? やっぱり完全体じゃないとだめなのかな?」

「王は唯一人です。ヤドリ・ミコトは王じゃないですよ」

「限りなく近い存在ではあるだろう? 本人の特異的な存在も掛け合わせると、ある意味ではエヴァン・マギアードより上位かもしれない」

「まさか、そんなはずないでしょう」

「まあね」


 アスタロトは冗談ともつかない言葉を言う。おそらく、会話そのものに意味はない。ここに本来、言葉を交わす必要はないのだ。お互いの主義は確立している。ただ衝突し、どちらか一方が敗れるだけなのだ。


「……アスタロト、あなたの目的はなんです?」

「非魔法使いの滅亡。魔法使いの救済だよ」

「罪なき命が散るのは、あまりにも不条理だ」


 夕夜は首を横に振る。


「非魔法使いも、魔法使いも関係ない。彼らはみなヒトだ。可能性を秘めている」

「その可能性には、破滅という意味もある」

「希望もある」

「その希望という未確定な未来のために破滅を背負うのかい?」

「それは破滅を前提とした考えです。人間は、僕たちは、そこまで弱くない。まだ、救いはあるはずです」

「みな、きみみたいな考えを持っていないよ。もっと複雑で、グレーゾーンなんだよ。ヒトはみな、弱さに執着する。強さに惹かれつつも排斥する。排斥した時点で『争い』は生まれる。生まれながらにして、罪を背負う。憐れで、どうしようもない。弱者であることを蔑み、それなのに弱者の地位を有効活用する、愚者の集まり……。どこに希望がある?」

「露悪的に見るからそうなるんですよ」

「きみは、理想ゆえに現実が見えていないんだろうね」


 アスタロトは憐憫の情を夕夜に向ける。


「ぼくはね、きみに感謝しているんだよ。一度世界を変えたきみに。千年の時を動かした魔法使いに。そろそろ、その理想も身の丈に合わないと感じ始めているだろう? きみはみんなを救いたいと思っている。けれど、みんなは救えないんだよ。切り捨てなければ。不条理と理不尽を許容しなければ、世界は成立しない」

「僕は、その不条理と理不尽とやらが、非魔法使い――魔法が使えないヒトたちとは思えない。同じヒト同士であるならば。手を取り合える。魔法使いと非魔法使いの隔てなく、共存の道も選べる」

「馬鹿らしいね。滑稽だよ」

「誰も選んでこなかった。だから、知らないだけです。魔法使いを救いたいのであれば、もっと、希望を信じるべきだ」

「破滅だけが、ぼくたちを救える」

「共存が、僕たちを変えられる」


 どこまでも平行線。わかりきっていることだ。夕夜は小さく息を吐く。


(わかっていたことだ……)


 アスタロトに、夕夜の考えは通じない。さらにいうならば、誰の言葉も通じない。アスタロトの考えとは、総じて、なのだから。

 夕夜は黒天を生み出した。周囲に点々と増えていく。音が消えていく。瞬時に夕夜の思考は戦闘へ切り替わる。


「……まあ、話し合いもここまでかな」


 アスタロトは微笑む。

 この微笑みも、危機感を覚えさせない不気味さがある。一つの武器なのだ。


「ええ、戦いましょう」


 夕夜がそう言った瞬間、開戦する。

 アスタロトの魔法が展開される。滅絶の魔法。触れたあらゆる存在を朽ちさせる。蹴散らしていく。地面を通して、夕夜に向かう。すべてが無に帰していく。

 刹那、黒天は黒刀に変化する。一つの黒刀が勢いよく地面に突き刺さった。



 次の瞬間、アスタロトの魔法が、消滅する。



 衝撃に、夕夜とアスタロトの間に風が吹く。視線が交錯する。アスタロトは腕をゆっくりと上げた。夕夜は黒天を配置する。


「――火龍」

「――紅蓮」


 激突。

 



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