#119 運命の日②

 時計の羅針盤が揺れる。

 指針は一つ動き、二の数字を示した。


「運命流転――、」


 ミコトは腕を振るう。静かに、ゆっくりと。



「――



 次の瞬間、里麻は本能だけで躱していた。未来選択という魔法はまるで使い物にならなかった。未来選択が行われた瞬間、無数の未来は一に収束され、里麻が斬られる未来だけが残っていた。

 それを防ぐために、里麻は自分自身の本能と感覚に従った。マジック・アーツを全身に機能させ、飛ぶように回避する。遅れて、自分が先程いた場所に断絶が刻み込まれる。あの斬撃に刻み込まれたら最後。文字通り、里麻は斬られていた。

 里麻は地面を蹴り出す。

 突き出す拳に対して、ミコトは盾の魔法を展開する。拳は弾かれ、弾かれたと思った瞬間には、次の魔法が死角から飛び出してくる。視界を埋め尽くす氷。冷気が里麻を包み込む。


「シッッ!」


 蹴りを飛ばす。衝撃を放ち、氷は触れた瞬間から音を立てて壊れ出す。氷に意識が向いている間に、時計の指針は三を示している。


「運命逆転、」


 ――カチっ。嫌な音が、響く。

 砕けた氷が、里麻に突き刺さっている。衝撃が全身を襲う。四の指針。


「運命開闢、」


 見えないが、里麻を叩きつけた。肺から空気が押し潰され、息が切れる。呻き声はかき消され、里麻の意識は沈められそうになる。

 里麻は雄叫びを上げて、身体を起こす。起こした反動で拳を振るっている。いつの間にか、ミコトの姿は背後に移動している。突き出したはずの拳が、ボロボロに砕けていた。血が、噴き出す。


「神鳴、」


 吹き荒れる轟雷。ミコトと里麻を囲う雷の嵐が里麻のみを消し飛ばそうとする。ミコトは悠然と立ちはだかり、里麻だけが傷ついていく。インパクトとして神鳴を受けた瞬間、里麻の意識は本当に飛びそうになった。危うく掴み取る。


(正当法では、不可能――……)


 薄く広がる意識の中、里麻の思考はフル回転していた。


(運命の干渉、世界の支配、時空間の移動、魔法の頂――……)


 時計の羅針盤は、五の数字を示そうとした。ミコトは微笑みながら、里麻に魔法を込めようとする。



 運命の魔法。

 その正体は、〈運命〉の干渉。

 過去現在未来。その時間軸がない世界に移りゆくこと。だからこそ事象の改変という大技をミコトは平然とやってのける。里麻の攻撃が一切通じないのは、攻撃が反転し、無効化されているからだ。



 ミコトの魔法が完成する。


「運命廻転、」


 里麻はミコトを捉えた。思考は揺れる。



 ミコトの魔法は絶対的だ。

 なぜなら、本来の運命の魔法に加えて、頂の魔法使いのチカラを有しているからだ。元々のレベルに上乗せされたチカラは相乗効果を生み、ヤドリ・ミコトという存在を生み出した。運命へ干渉できる存在。

 ゆえに、



 ミコトが魔法を発動すると同時に、里麻は動く。何のラグもなく、里麻は手を伸ばしていた。警戒しようもない。ただ、デコピンの構え。



「――



 ミコトが目を見開くと同時に。

 ミコトの額に衝撃が飛ぶ。顔面が揺れ動き、高い音を響かせた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ◆――皇秋人


 秋人は苛立っていた。

 それもそのはず。椚夕夜が帰ってきたからだ。死んでいたと思っていたヤツが帰ってきてしまった。それ自体にも苛立つ。驚いた自分にも苛立つ。何よりも、椚夕夜という存在が、苛立つ。

 秋人は知っている。ここ数日、茜がやけにソワソワしていることを。おそらく、今にでも夕夜に話しかけたいと思っているのだろう。が、ヘタレっぷりが丸見えだ。夕夜に接することに躊躇っている。その行為にも、苛立つ。


(クソっ……、)


 そもそも、だ。

 秋人は、まだ許せていないことがある。

 夕夜に、一言申したいことがあるのだ。夕夜と初めて話をしたのは帰還から二週間が過ぎた頃だった。夕夜は秋人と話をする前にも様々なヒトたちと話をしていたらしい。自然と後回しにされていた。

 秋人は夕夜を外に連れ出した。かつての戦場の跡地だ。夕夜は黙って秋人に付いてきた。ようやくその場所についたとき、秋人は夕夜を睨みつけた。

 その場所は、二週間前、神凪空音の勢力とX機関が激突した跡だった。


「皇秋人さんでしたよね? 茜を助けてくれたと聞きました」

「……そうか」

「……」


 夕夜はそこから言葉を紡がせようもしなかった。少し遅れて、口を開く。


「皇さんは……、僕のことが嫌いなんですよね?」


 言われても驚くことはなかった。


「……ああ、そうだ」


 言わなければならない。


「俺は、この状況を認めてない。お前は帰ってきた。大喜びの感動ムードだ。が、それがなんだよ? それでいいのか? お前のしたことは許されるのか? ここで、終わっていいのか?」

「いいとは思いません」


 はっきりと断言された。

 それがさらに秋人を苛立たせる。


「見ろよ、この世界を。お前がこうしたんだ」

「……」

「これが、お前の求めた世界か? お前一人が突っ走って、壊して、目指したものなのか? どれだけ死んだ? どれだけ消えた? お前は、何を成したんだ?」

「……」


 夕夜は答えない。

 秋人は罰の剣を出現させ、夕夜に切先を突きつけた。夕夜は揺るぎない瞳で秋人を見ている。

 その目だ。その目が気に食わない。

 何もかもを背負った気になって。英雄になって。じゃあ、お前には何が残る? どうして、そう犠牲になる――?


「戦えよ、椚夕夜」

「……戦いません」

「戦えッ!」

「戦いません」


 瞬間、秋人は地面を蹴り出していた。罰の剣を振るう。本気で斬るつもりだった。殺すつもりも、あった。しかし、それは出来ない。

 突如として秋人を襲う圧。

 

 秋人は地面に屈していた。そのときにはもう嘔吐していた。異様な圧だった。これが椚夕夜の魔力か。魔導大戦を引き起こしたもののチカラか。

 ――

 それは、そんなものではない。そんな言葉だけでは済まされない。魂の底から震えるような原初の畏怖。まるで、この威圧は。

 夕夜は動かない。

 ただ、哀しそうな顔で、秋人を見ている。


「戦えよ、椚夕夜……」


 夕夜は首を横に振る。さらに言い募ろうとした。それを覆うように、夕夜は言った。



「――



 ――――――――――――――、

 秋人は、息を呑んだ。

 なんで。声が、漏れる。


「どうして、お前は、そんなに、犠牲になる。英雄に、なれる……?」

「僕は、英雄じゃありません」


 夕夜の自嘲は秋人をそれ以上、続けさせない懺悔そのものだった。


「僕は、好きな人と、その世界を守りたいと。傲慢にも思っただけの――愚か者です」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ぽたぽた、と。血が流れる。

 ミコトの鼻から、筋のように落ちる。

 里麻は少し離れた場所で不敵に笑う。ミコトは流れる血を乱暴に拭う。


「そうだったそうだった……。おにいちゃんは、干渉できるんだったね」

「まあな。お前ほどじゃない」

「未来限定だから、かな」


 ミコトは微笑む。



 里麻の魔法は未来に作用する。

 繰り出した技は、事象を改変するのではなく、未来を現在に引っ張る。いわば、無数の未来の中から自分の都合の良い未来を選択し、固定するのだ。これは本来の里麻の魔法とは逸脱している。マジック・アーツと未来選択の負荷によって可能とする、である。



「――こういう論理の通じないものが、一番困るんだよね」


 ミコトは里麻に向けて、小さくため息をつく。その仕草がいちいち大人びていて里麻の癪に障る。


「そういう偶発性が、オレたちにとっての最大の天敵だろ?」

「そうだったね」


 時計の羅針盤が、動く。


「ねえ、おにいちゃん」

「なんだ?」


 数字は、六を――


「そろそろ、諦めてよ」


 指針が、一に進む。



「――イヤだね」



 里麻の位置が、変化する。

 いつの間にか、里麻は自身がおかしな地点にいるのを自覚した。タイムラグは発生しない。時間が巻戻る。しかし、時間系統の魔法使いである里麻は時間の巻き戻りを認識している。ただ、位置の変化にとどまる。

 それは不覚にも、里麻がミコトに向けて、デコピンを食らわせようとしている場面だった。ミコトは新しい魔法を展開させる。

 口が、動く。



「――〈彼方まで、吹っ飛べ〉」



 言霊の魔法使いである。

 里麻の身体は浮遊し、それを感じた瞬間、吹き飛ばされた。地面を数回バウンドし、本能は着地のイメージをしている。しかし、ミコトは瞬間移動で里麻の地点に追いついていた。

 ミコトが魔法を解放する。

 それと同時、里麻は手刀を構え、振り抜く。未来選択の固定が始まる。ゴリ押しによる、斬撃固定。

 線はミコトの身体を巻き込む。遅れて、斬撃がミコトの身体に刻まれた。血が噴き出す。

 ミコトはさらに魔法を使おうとする。それよりも早く、里麻の口は動く。





 高等技術、言霊。魔力の絶対遵守が、ミコトの口を一秒閉ざした。まだ、傷は回復しない。里麻は空気を蹴る。飛び出す。間合いに、入り込む。

 拳を、突き出す。

 ミコトは盾の魔法と雷の魔法を多重展開していた。これで里麻の拳を弾いたうえで、ダメージを与える目論見のようだ。だが、里麻の拳は、ここでは止まらない。


「――天翔、オレ流」


 魔力の圧縮。そして、解放。

 マジック・アーツにより高められた身体能力は上限をらくらく突破し、盾を一瞬にして消し飛ばした。ミコトの身体を、貫く。

 爆発的な音。ミコトの身体から、声が漏れる。ここで、終われ。終わってくれ。



「――天照、」



 黒き火が、ミコトと里麻を包み込む。

 焼けるような痛み。

 焼失の予感。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――遅れて。

 吹き荒れる奔流。

 魔力が、天照を吹き飛ばす。ミコトの傷は治っていない。斬撃と、身体を貫通された穴。だが、ミコトの表情には苦はないのだ。

 対するは、君臨する里麻の御姿マギア。白く染め上げる強者の振る舞い。里麻は、ミコトを睨んだ。


「人間ヤメてんじゃねえよ」

「人間なんかじゃないよ、最初から」


 時計の羅針盤が動く。逆回転に。ミコトの身体は修復されていった。――やはり、ミコトは正規の方法では倒せない。それを、よく理解できた。回復するミコトを前に里麻は確信する。



(――で、決めるしかない、か)



 夕夜のこと言えねえなぁ、里麻の口元は、確かに緩んだ。

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