#118 運命の日①

 ◆――里麻龍伍


「――勝てるんですか?」


 そう夕夜に問われた。里麻は自分から問いかけようとした言葉を一度呑み込み、夕夜に振り向いた。夕夜は真っ直ぐな瞳を里麻に向けている。――否、真っ直ぐというのは嘘だ。この男はあえて、誠実の姿勢で臨んでいる。里麻から続くであろう言葉を聞かないようにするために。


「なにが?」


 呼び出したのは里麻の方であるはずなのに、里麻はそう聞き返していた。


「ヤドリ・ミコトです。勝てるんですか?」

「お前、オレにずいぶんな物言いをするな」

「すみません。けど、気になったものですから」


 里麻は夕夜から視線を逸らした。小さく息をつくと、答える。


「……さあ、わからん」

「そうですか……」


 里麻の答えに夕夜が特別な反応を示すことはなかった。というより、夕夜はその答えを想定していたのだろう。既にわかりきった言葉の応酬。台本を手に取り合い、お互いがお互いを見て見ぬふりをする。おそらく、夕夜の様子に気づいているのは里麻だけではない。里麻以外にも気づいているが、本格的な意味合いで悟っているのは里麻なのだろう。


「なあ、訊いてもいいか」

「何をですか?」


 夕夜は嘯く。里麻はあえて笑いながら言うのだ。



「――お前、死ぬ気か?」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 里麻とヤドリ・ミコトは向かい合う。

 里麻はミコトを眺めた。金に揺れる髪。そこにかつての相模楓としての姿はほとんど残っていない。目の前にいるのは完成された〈頂の魔法使い〉なのだ。

 交錯する視線。辺りを包む空気感。

 ミコトは、一瞬だけ微笑んだ。


「おにいちゃん、一つだけ、猶予を上げようか?」


 微笑むのみで、くすくすと笑うような声はない。その微笑は相模楓にはとても似合わないものだ。里麻は平然と笑みを返す。


「猶予か?」

わたしに降参するの。頭を垂れて、ミコト様ごめんなさいって言ってくれたら特別に許してあげる」

「はッ、下手くそなジョークだな。お前こそ、いまさら反省しても遅いんだぜ?」

「反省? なにが?」


 とても穏やかな時間だった。

 それは破られる。里麻とミコトは同時に動いていた。タイムラグはゼロに等しい。里麻が認識した瞬間には魔法は解放されている。空気を破り、空間を消し去り、魑魅魍魎があふれ出す。

 そして、それを物ともせず、里麻は地面を蹴り出した。

 地面を蹴り出した瞬間には、マジック・アーツを発動している。

 魔力は拳に宿り、通常の身体能力の域を超えたチカラを発揮する。いわば、魔法と変わらぬ効力を。

 里麻が拳を振るうことで、魑魅魍魎は消し飛んでいく。しかし、ミコトの姿が見えたときには、全方向から、里麻を囲うような形で魔法は展開されている。視界で捉えられる限り、火、水、風、雷があった。明確な形を持たないソレは、里麻を押し潰そうとする。


「シッ!」


 里麻は拳を鋭く突いた。

 放つ衝撃に合わせた、絶妙なタイミングで切り出される一拳。魔法は文字通り消し飛び、里麻は一歩踏み込んでいく。

 その際、里麻本来の魔法も展開されている。思考を巡るいくつもの未来予測。今回は里麻が意識的に中断している未来予測線の制限を放棄している。

 ありとあらゆる未来は現在進行形で変化し続ける。

 里麻はいまだ空白の空間に拳を放っていた。だが、拳が打ち出された瞬間に、ミコトの魔法が完成していた。

 その魔法は拳によって事前に潰される。

 さらに一歩、ミコトに近づいていく。


「――神篝、」


 ここで、ミコトが次なる魔法を突如、繰り出された。手続きとなる魔法を省略して、ノータイムでホムラの技である神篝を放つ所業。

 里麻の中に生まれた未来予測。里麻は思わず舌打ちする。行き着く未来のすべてが、神篝に焼かれる自分の姿だった。

 里麻は未来予測を放棄した。無理を覚悟で、地面を強く蹴り出す。瞬時に、ミコトの間合いに詰め込んだ。

 それと同時に、神篝は完成する。一点に向けて降り注ぐ火。里麻は全身を覆うように魔力を噴き出す。簡易的な絶対領域を形成。神篝と衝突すると、空間を裂くような、嫌な音が響く。

 里麻は自身が焼けるような痛みに襲われた。腕や脚。守りきれない部分から神篝が里麻を焼失させようとする。

 すぐ目の前にミコトがいる。ミコトは、いまもなお、微笑みを浮かべたままだ。


(――その仮面、剥いでやる)


 里麻はミコトに向けて手を伸ばす。ミコトは変わらず魔法を展開する。伸ばした手は、魔法陣によって弾かれた。

 これは、盾の魔法か。

 それだけではない。里麻の立つ地面が揺れた。間違いない。この次に〈土の魔法使い〉の魔法が放たれる。その未来が見えた。

 その瞬間、里麻は大きく足踏みをした。その衝撃は地面を揺らす。歪ませる。発動予定だった魔法は中断され、ミコトの身体が僅かに揺らいだ。

 隙は生まれた。

 里麻は拳を作り、ミコトの前に突き出した。マジック・アーツから繰り出される拳はまるで一つの魔法として昇華される。今度こそミコトの魔法よりも早く、攻撃は到達する。

 ――触れる。

 ミコトの胴体に拳が食い込む。このまま突き抜けろ。進め。拳にさらに力は強まり。



「――運命逆転、」



 繰り出される魔法は、逆転する。

 くるりと回り、転がり、落ちていき。

 里麻は自身の胴体に衝撃を覚える。覚えた瞬間には身体は防御の姿勢に入っている。自分の拳の威力が跳ね返っている。ミコトは続けて火を放つ。里麻はダメージを押し殺しながら拳で払う。

 その視界の先で、里麻は捉えていた。

 ミコトの背後に現れる時計の羅針盤を。


(――来たか、)


 ヤドリ・ミコト本来の魔法。

 運命を操るチカラ。

 



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ◆――綺咲睡蓮

 

 正直、椚夕夜に対する感情は上手く説明することができない。最初、憎悪と嫌悪があった。今は、どうだろうか。少なくとも、最初の感情とは変化している。しかし、椚夕夜を肯定したいとも思わないし思えない。

 睡蓮が夕夜と話す時間を設けたのは、里麻の影響だ。ある日、妙に不機嫌で、苛立って、どこか泣きそうに見えた里麻が睡蓮に言ったのだ。

 ――あいつに会っておけ。わだかまりぐらい、消しておけ

 里麻は既に夕夜と話し終えた後のようだった。いったい、どんな会話が行われたのか。まったく知らない。教えてくれることもないだろう。ただ二人の間に何かしらの会話があり、それは失敗に終わった。それだけはわかった。

 夕夜は睡蓮との話に応じた。

 場所は〈灯の集い〉だ。初対面がのっけから戦闘だったこともあってか、向かい合わせることに躊躇いもある。〈灯の集い〉は現在、二人だけの空間だ。憲司がわざわざセッティングしてくれた。

 夕夜は睡蓮と向き合うと頭を下げた。


「――四年前のことは、すみませんでした」

「……」


 まさか。会話一番に謝罪されるとは思ってもみなかった。睡蓮は息を呑む。自分でも驚くほどに動揺している。

 改めて向かい合って、わかるのだ。

 夕夜は、まだ若い。幼い。

 年齢は今は二十歳か。しかし、睡蓮の目には四年前と変わらない容姿に見える。


「何について、謝っているんですか?」


 睡蓮は、ようやく問うた。


「四年前のこと、僕の行動すべてについてです」

「……そう、ですか」


 睡蓮は一度だけ、小さく息を吐いた。


「あなたは、ずるいですね」

「……」


 睡蓮は夕夜を見た。夕夜の瞳を覗き込む。四年前のような破滅的な様子は見られない。が、何がどう変化したのか。睡蓮にはわからない。


「もう、私は水に流しています。お互いの主義主張はあったでしょう。いまさら、とやかく言うつもりもありません」

「……ありがとうございます」


 夕夜は小さく会釈をする。

 これでわだかまりが解けたのだろうか。睡蓮にはいまいち釈然としないものを感じる。夕夜も居心地の良さそうにはしていない。かといって、逃げ出すような雰囲気もない。

 一つだけ。

 睡蓮は確かめたいことがあった。


「あなたは、」

「……?」


 夕夜の目が丸くなる。少年らしく。


「どうして、戦うのですか?」


 以前、彼は言った。魔法使いのためだと。

 その思想は理想的であり、破滅的であった。彼の進む場所が、最果てが夕夜自身の絶望だったはずだ。ならば、今は? 今はどうなのだろう。

 夕夜は微笑む。


「僕のためです。僕自身のために、戦っています」



 ――



 本能的に理解できた。

 これは、違う。夕夜にとっての自分のためとは、他者のためなのだ。彼は誰かのために生きている。他者あっての彼なのだ。


「――椚夕夜、一つだけ、言われてください」


 睡蓮は黒箱の記憶を思い出していた。そこで過ごした日々。地獄の時間。里麻との、思い出。

 ねえ、椚夕夜。あなたも結局、誰かのために生きているのでしょう? そのために、戦っているのでしょう? 自分のため。そんなこと、わかってる。あなたはきっと、戦い続ける。最期まで、朽ち果てるまで。



「――お願いだから。あなたのためにと想う人たちが、あなたが戦うことに、傷ついているのを、自覚してください」



 夕夜は小さく息を呑み。

 くしゃりと、表情を歪ませた。

 泣きそうな子どものような。

 初めて見せた、感情だった。

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