#116 終焉の焔⑤

 バチッ。

 蓮夜は、ゆっくりと目を開く。

 視界に広がるのは、仲間の顔。祈里、ニノチカ、フータ、シャル、クオーネ、ミュー。口が動いている。聴覚はまだ取り戻せていない。ゆっくりと、意識は覚醒していく。偶然、祈里の声が最初に聞こえた。


「――レンくんっ!」


 ……ああ。

 

 少しだけ、笑いそうになった。あれだけ死を望んでおきながら、まさかの生に執着する日が来るとは思わなかった。思った以上に、彼らと顔を合わせる時間は短かった。本当に、笑えてしまう。


「なんで、レンくん、笑ってるんですか……!」


 祈里がガバっと、抱きついてきた。人目を憚ることもなく、泣き出した。蓮夜は自分の身を確認する。一か八か。死んだ後に解放された雷は心臓を動かした。祈里が蓮夜の身体を事前に治癒していたのも良い方向に働いたのだろう。

 蓮夜はゆっくりと起き上がる。祈里に抱きしめられたままだ。祈里の頭を撫でながら、彼らを見る。

 ニノチカと、視線が交錯する。


「ずいぶんと、寝坊だね」

「そうだな。いつもの目覚ましがないもんだからな」


 軽口を叩けている。不意に、うおおおおおおおおお、と慟哭が響き渡る。クオーネとフータが野太い声で泣いていた。シャルは泣き腫らした顔でうんうんと頷き続けている。ミューは蓮夜の袖を掴んだ。


「――感動ムードのところ悪いが、」


 声が、あった。聞き覚えのある声だ。

 蓮夜は声の主に視線を向けた。――里麻龍伍。ヤツが、そこにいた。


「死してなお生き返るって。やっぱり、あんた。とんでもない化け物だよ」


 里麻は笑っていた。祈里は蓮夜から離れると里麻をキッとを睨みつけた。蓮夜は里麻を見ている。抱く違和感。その正体を探っている。理論的ではない。もはや感覚的だ。それでも、不思議と言葉にできている。


「……?」


 呆然とする一同の中、里麻はニヤリと笑う。


「本当に、すげえよ。あんた。よくわかるな」


 里麻は一度言葉を切り、言った。


「――俺は、未来から来た」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 定期的に行われる報告会。

 ホムラは現状を報告した。続く非魔法使いとの大戦は終わり、魔法使いとの間に断絶が生まれた。それでいい、とホムラは思う。いつか、魔法の時代が到来するためには非魔法使いは不要だ。

 報告会が終わると、大罪の魔法使いは解散する。残るのは、ホムラとカンナギだけだ。ホムラは姉を見ていた。姉は報告会の間も終始ぼんやりとしていた。本当に報告を聞いてるのか疑うほどだ。実際、姉は把握せずとも問題ない。王はチカラの象徴であり、万能の存在なのだから。神に等しい。

 それなのに、そのぼんやりとする姿には、危うさがある。近くにいるはずなのに、遠くにいる。


「姉さん……?」


 そう、ホムラは問いかけていた。

 その瞳には何を映しているんだ? 自分を見ているのか? 姉は、誰を見ている。そこにいるはずのない人を映しているはずだ。

 姉の口が動く。名が、呟かれる。


「…………………………アトラ、」


 一瞬の、空白。


「……は?」


 ホムラの表情が凍りつく。

 姉は、ホムラを見てはいなかった。ぼんやりとした視線をカンナギに向けていた。


「――カンナギよ」


 なんでだ。


「なんでございましょう」


 どうしてなんだ。


「アトラという名前に聞き覚えは?」


 どうして、アトラなんだ。最弱の魔法使い。ただの従者。それがどうしてこれほどまで姉の心に住み着いて離れない。


「エヴァン様の元従者でございます」


 ……もちろん、わかっていた。ホムラは誰よりも理解していた。ホムラですら、初めてアトラと出会ったときから、心を許すことができたのだから。アトラは最弱だった。けれど、特別だった。姉にとっても。誰よりも。

 姉の瞳に気力が取り戻されるのがわかる。アトラの存在を認識した瞬間から、姉は王ではなく、ただのエヴァンとなった。

 ――許しがたい。

 本当に、そう思う。姉はもう、ただのエヴァンではないのだ。王なのだ。その責任の所在を、在処を、背負わなければならないはずなのだ。

 アトラ一人に、囚われてはいけないのだ。

 アトラ、なんかに。


「奴は、どこにいる?」


 言え。言えよ、カンナギ。

 言ってしまえ。



「――先の大戦で戦死しました」



 姉の表情から色が抜ける。


「――アトラは大戦に参加することを望み、そこで果てました」


 姉は首を傾げた。こてん、と転がるように。転がり落ちる。どこまで、いつまでも。狂うように消えていき。沈んでいき。それは刹那の出来事だ。ホムラの想定を超えていた。

 ホムラにはできなかった。姉の心を許す存在にはなれなかった。アトラだけがなれた。ホムラはただ苦しかった。どうして自分ではないのだろう。どうして、アトラなのだろう。姉の中にいるアトラの大きさを、図り違えた。


「……ああ、」


 ――ピキッ。

 直後、魔力の奔流が吹き荒れる。

 ホムラは回避する時間も与えられなかった。その奔流に飲み込まれ、激痛と共に吹き飛ばされた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 未来から来たという里麻と蓮夜は対峙する。蓮夜は仲間たちを下がらせ、サシでの会話に望んだ。里麻からの要望だった。曰く、蓮夜以外には内容を把握されたくない、とのこと。もちろん、祈里が抗議したが、蓮夜が説得することで引き下がらせた。

 こうして、蓮夜と里麻だけが残る。

 里麻は端的に説明をした。これから起こる、四年間分の未来を。蓮夜は言葉を放つことなく、里麻の話を最後まで聞き続けた。


「……で? 俺に話していい内容なワケ?」


 四年間の未来は正直動揺している部分もある。特に、椚夕夜の消失に関しては、懐疑的だ。本当にこれから、椚夕夜は死ぬのだろうか。そんな疑問すら湧き上がる。

 しかし、動揺は顔には出さない。代わりに、時間系統における矛盾を蓮夜は指摘する。


「問題ない。なにせ、あんた。死者みたいなもんだからな」

「生きてはいるがな」

「あんたもまた、特異的な存在なんだよ。一度は死んだ。それによって運命から外れたんだ。あんたは間違いなく、ヤドリ・ミコトの〈眼〉から除外されている。これはチャンスなんだよ」


 ヤドリ・ミコト。

 蓮夜は少女の顔を思い返す。そういえば。あの少女の名はそんな名前ではなかった。……カエデ。そう、カエデだ。あの少女は、そういう名前だったはずだ。


「俺に何をさせたい」

「これから混沌期に入る。俺も一時的に行方不明になるからな。これから四年間、あんたには周りのサポート兼監視を頼みたい」

「ずいぶんの都合のいい使い方をされるな」

「仕方ねえだろ。あんたにしか頼めないんだから」

「……」


 蓮夜は里麻を見た。

 この男は、これほどまでにがあっただろうか。以前よりも、断然良い。この男は未来から来た。その未来までの間に、里麻を変える何かがあったのか。それとも、蓮夜と再会する前に、変えるきっかけと出逢ったのか。


「あんたにしか頼めない、鳴神蓮夜」

「……お前、変わったな」

「なにが?」

「変わったよ。いろいろとな」

「意味深だな、おい」


 里麻は笑っている。変わったじゃねえかよ。蓮夜はそう呟く。


「……いいぜ。引き受けよう」

「話が早くて助かる。――そんじゃあ、早速だが段取りを決めよう。オレもあまり時間がないからな」


 里麻と取り交わしたルールはわずかだ。来るべきタイミングまで蓮夜は界隈から姿を消す。その間、あくまでも『味方側』のサポートに徹する。


「四年後、タイミングが整ったら、〈鴉〉を支えてくれると助かるな。どんな方法でもいい。……そうだな。クヌギの真似をしてもいい」

「夕夜は死んだんじゃないのか?」

「……さあな。わからんから」


 里麻の言葉は慎重だった。死んだ、とは断言しない。そこに里麻の希望的観測が含まれているのは察してはいた。蓮夜ですら、そう思いたいと、感じているのかもしれない。


「〈怒鎚〉の連中には傍観者に徹するように言い含めておけよ? 勝手に動かされてはたまらんし、ヤドリ・ミコトに動きを悟らせたくない」

「わかってる」


 蓮夜が姿を隠す間、ニノチカに〈怒鎚〉は任せておこう、と考える。


「ああ、それと。もう一つ、注意して欲しい魔法使いがいる」

「誰だ?」

「――〈天秤の魔法使い〉秤文也だ」

「……誰だ?」

「今はそれほど大した魔法使いじゃない。が、後々重要になってくる。そいつが二年後ぐらいに動き始める。そいつが使ようにサポートしてくれ」

「わかった。把握はしておく」

「頼む」


 蓮夜はひと息ついた。これから、始まるというのだろう。魔導大戦が。四年間の道のり。なかなかハードである。


「……鳴神蓮夜。あんた、変わったかもな」

「はぁ?」

「クヌギに影響されたんじゃねえのか?」

「……」


 蓮夜は答えなかった。それはもう答えたも同然だった。少しだけ鼻で笑った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――姉さん、」


 ホムラは姉に語りかける。

 既に身体は傷を負っている。ここまで姉が無意識下に解放していた絶対領域に押し潰され、何度も死にかけた。この場所まで辿り着くことが出来たのは意地だ。最後の最後まで、意地を貫き通したのだ。

 王は暴走した。アトラという、たった一人の男によって。姉は王座に座り込んでいる。皮肉かな、姉は王であることを放棄しても、王として確かに君臨していた。美しく、儚かった。

 姉がホムラの声に反応した。視線をゆっくりと向けてくる。……ああ、諦観と絶望の瞳。そこに、生の光は見当たらない。


「なんだ?」

「姉さんのチカラは暴走した」

「……ああ、そうだな」


 ――ああ、そうだな?

 ずいぶんと、他人事だ。苛立ちが募る。どうして。アトラごときに。姉が暴走しなければならないのだ。許しがたい。なんだ、その体たらくは。姉を姉として認めたくない。姉を尊敬していたホムラだからこそ、許せないことがある。

 幻滅させないでくれ。


「先程、会議で決定した。姉さんを永久に封印する。それが、僕たちの為だ」

「……そうか」


 会議で決定した。すべてが。

 ホムラは誓約により不老の身体となった。魂は現世に植え付けられ、これから魔導大戦という儀式が始まる。永い永い物語が始まる。

 他に道はなかった。姉を、王を救う手段はこれ以外にない。魔法使いの王に対抗する術を持たないホムラたちが出来る唯一の抵抗。


「僕にはもう、どうすることもできない」

「当然だろう。誰にも、どうすることなど、できやしない」


 吐き捨てるように姉は言った。

 ここで折れるホムラではない。


「姉さんの暴走はきっと一時的だ。僕たちは、そう判断した。だから、封印はいつか解かれる。僕たちは必ず解放してみせる。その為に、誓約を創ったんだ」

「……」

「十年に一度、魔力を集めた儀式が行う。そこで姉さんは一時的に封印が解除される。魔法の暴走とはつまり、魔力が溜まっているということだ。封印されている間に魔力は徐々に抜けていくはず。計算上――五百年」

「五百――……」


 永い。が、確実だ。

 姉を救う。王を取り戻す。

 すべては、この物語を始めるために。


「いずれ、解放する。解放したときに、魔法の時代が訪れるんだ。だから――」


 姉さん。そう、問いかける。

 。それがホムラの願いだった。大戦が起こる前の、変わらない姉。最高の器だった頃の姉。アトラに拐かされることのなかった、超然とした姉。あの時代に生きた人へ。ただ、戻ってほしい。


「――もういい」


 そのすべてを、姉は否定する。


「……はっ?」

「もういい。ホムラ。すべて、どうでもいいのだ」


 どうでもいい。

 どうでもいい、だと?


「どうでもいいんだよ、ほんとうに」


 姉の瞳を見た。正気を疑った。

 これが本当に、あの姉なのだろうか。そこにいるのは、非魔法使いとは変わらない。賎しき女だ。まるで悲劇のヒロインだ。意味がわからない。自分の尊敬していた姉がいない。誰だ、あんたは? ホムラの火が燃え上がる。

 そこにいるのは、誰だ?



「――巫山戯るな」



 そう、言い放っていた。

 姉は――エヴァンは微かに目を見開き、ホムラを見た。憤怒の形相でエヴァンを睨みつけていた。

 巫山戯るなよ。お前は、誰だよ。


「何を言ってるんだよ。いまさら、何つもりなんだよ。もう後戻りなんてできないんだよ。できやしないんだよ。たった一人の男が死んだぐらいで、全てを投げ捨てるつもりなのかよ」


 お前は、エヴァン・マギアードなのだろう? 最高の器。魔法の時代に君臨する者だろう? そうであって、くれるのだろう?


「もう物語は始まったんだ。僕たちは、魔法使いの時代は始まらなければならないんだよ。――この物語を、終わらせるわけにはいかないんだよ、〈頂の魔法使い〉」


 ホムラは、宣言する。


「――僕は必ず、この儀式を成功させる。僕たちは、魔法の時代を創り、魔法使いだけの世界を創り上げるんだ」


 だから、貴女を封印する。

 そして、いつか必ず。

 エヴァン・マギアードを取り戻す。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 傍観者たちは、蓮夜とホムラの決戦に息を呑む。蓮夜の劣勢。続く二文字。――敗北。その予兆。

 ホムラの神々しい姿には、畏怖さえ覚える。ニナはホムラの戦いぶりに唇を噛む。――自分との戦いは全力ではなかったのか、と。

 誰もが、その勝負に最悪の未来を想像した。その中で一人、凛とした声を上げるのは、祈里だ。


「――大丈夫です。レンくんは、勝ちます。あの人は、最強なんです」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 一瞬、手放していた意識を覚醒させる。

 蓮夜の意識はパっと広がりを見せて、自分の状況を瞬時に把握させる。ホムラの技をもろに受けて、建物の壁にのめり込んでいる。ホムラは高い場所から見下ろしている。さぞ、蓮夜が滑稽の姿に見えるに違いない。

 蓮夜は小さく息を吐いた。全身に募るダメージ。


(やばいな……、ははっ)


 珍しく弱音が頭の中によぎる。

 ホムラは蓮夜を見て、笑う。


「僕が戦闘でこれを使うの、初めてなんだよ。誇っていいよ、レン。キミは間違いなく、最強の一人だから」

「お前って、そういうお世辞が言えるヤツだったんだな、」


 蓮夜は視線を落とす。

 確かに、これは劣勢だ。というより、敗北に近い。このままでは、ホムラに勝てない。それはわかりきっている。普段の蓮夜であればどうしただろうか。醜く足掻くぐらいなら諦めたかもしれない。もしくは、命を手放すか。

 そうしないとわかっているだろ。

 内なる自分が笑う。

 少しだけ、自分は変わったのかもしれない。原因はわかってる。一人だけではない。蓮夜は、独りではなかった。ずっと死にたかった。ヒーローになれない自分が馬鹿らしくて。燻り続けた。もしかしたら、仲間に格好悪いところを見せたくない意地もあったかもしれない。いや、間違いなくあった。

 もう、やめよう。

 ――勝ちに行こう。


「……なあ、ホムラ。聞いてもいいか?」

「? なんだい?」

「それ、なんだっけ?」

「は?」

「その、お前のマギアだよ」


 足掻け。戦え。勝て。

 頑張れ。


「……マギア・マキナ。レン、キミはいったい、」

「マギア・マキナ? そういう名前ね。わかったわかった。そんじゃあ――」


 蓮夜は、立ち上がり。

 ただ、一言。



「――

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