#026 獣の三日間①

 突撃の合図と同時に、空音は飛び出した。

 刃霧山に向けて、一気に解き放つ。足を踏み入れた瞬間から、視界には樹海が広がる。魔力の海に潜り込んだかのような息苦しさ、圧迫感。そこにあるのは、無数の敵意。

 空音は樹海の中を駆け抜けていく。躊躇はしない。むしろ、注意を自分に引かせることが目的でもある。

 敵の出現がいつ現れるか。それは空音にはわからなかった。そもそも、敵とは誰なのか。〈鴉〉なのか。〈百獣〉なのか。〈火〉なのか。――X機関なのか。

 いつから、こうまで複雑になってしまったのだろう。空音は不思議に思う。空音も彼らもそれぞれの目的があり、動いている。それなのに、目指しているものは同じなのだ。

 始まりは、いつなのか――。

 不意に、空音は足を止めた。

 噎せ返るような匂いが嗅覚を突いたのだ。もう、染み付いたように嗅いだ血の匂い。切なく、吐き気がしたくなるような、淡い残像。視線の先、倒れ込む男女。〈百獣〉の下っ端たちだろう。彼らは皆等しく切り刻まれ、斃れていた。そこにいる。濃密の死を纏った彼女が空音を待ち受けていた。

 驚きはしなかった。驚く必要もなかった。無意識のうちに、このような展開になるのを知っていたかのような気分だった。

 空音は小さく息を吐いた。白天が宙を舞い、一本の刀へと変化する。構え、目の前の彼女を視線を向けた。


「東雲さん」


 血の滴る赤刀を持つ東雲茜は、空音を見ていた。その瞳は濁り、赤く染まる。光はなく、闇に呑み込まれそうだ。


「貴女なら、逃げずに来ると思ったよ」


 茜はそう呟き、吐き捨てるように続けて。


「ようやく戦える。貴女を殺せる」

「いいえ、私は殺されません」


 断言した。茜は僅かに目を見開いた。以前戦ったときの空音とは異なる。あのときの空音には迷いと葛藤と、呪いのような自己嫌悪があった。今もあるだろう。それなのに、雰囲気が、違う。


「一度だけ、忠告します。東雲さん、戦うのは止めましょう。X機関からも手を引いてください」

「っ……? ずいぶん、強気だね」


 茜は慄き、即座に鼻で笑った。


「私は、貴女を殺しに来たんだよ。貴女を否定して、報いを与えるの」


 赤刀を構えられた。元より、交渉が成立するとは空音も思っていなかった。茜とは決定的な溝がある。埋めるのは、言葉ではない。武力をもって制すしかない。


「私は、貴女を叩き潰して、先へ行きます」

「やってみろよ、神凪空音」


 合図は要らない。時が止まるような一瞬。刹那の時間。秒針が動き出すかのように、空音たちは同時に地面を蹴り出す。

 激突し、一つの戦いが火蓋を切る。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――いい、三分間が限界だからね。わかった?



 ニナは世々の言葉を思い返していた。

 空は曇天模様。刃霧山は暗黒に包まれたかのように暗い。ニナは夜目が効くほうであるので、問題はないと思いたいが、暗ければ暗いほど戦いづらさが生まれてしまうだろう。


(今日の調子は最悪かなぁ……)


 ニナはため息をついた。先程、空音に強く言った割には、自分の現状の悪さに辟易してしまう。ニナが進んでいるのは人口に造られたであろう階段だった。正確には、階段というより無造作に置かれた木の板が頂上に向けて配置されているだけだ。刃霧はかつては登山としても利用されていた。その名残りだろうとニナは判断する。

 ニナは決して刃霧山の頂上に向けて駆け出す、という方法は取らなかった。空音と同様、周囲をかき乱す役割であるのなら、最大限に自分を活かしてやろうと考えていた。ただひたすら魔力を垂れ流す。自分はここにいるのだとアピールしていた。

 ……正気の沙汰ではないな、と思った。


「お、来た来た」


 ニナから弾んだ声が漏れた。


「そこにいるんでしょ? 出てきなよ」


 ニナの声ははっきりと届いた。気配が三つ。ニナの前に長身の男。背後に二人。落ち着いた雰囲気を持った女と兎の耳のような髪をした女。ニナの声に答えたのは、目の前の長身の男だった。


「まさか、そちらの方が居場所を教えてくれるとは思いませんでした」

「探す手間が省けたでしょ?」

「うわっ、すっごい自意識過剰ー」


 甘ったるい声を出したのは兎の耳のような髪をした女だった。その声にニナは思わず顔を顰めた。本能的に苦手な人物だと感じた。


「三人も幹部がくるなんて光栄だよ」

「思ってもないことを」


 落ち着きを払った女は苦笑している。事前にある情報通り、ニナは一人一人相手を確認していく。〈百獣〉は八角天と呼ばれる幹部がおり、それぞれが〈獣〉のチカラを秘めている。八角天は特に〈獣〉のチカラが人物たちだ。

 長身の男が〈馬〉のホース。

 落ち着きを払った女が〈象〉のエレン。

 兎耳の女が〈兎〉のラビ。

 既に彼らは臨戦態勢に入っている。隙のない構え。ニナは静かに魔法を発動し、蒼い刀を出現させた。光が凝縮した、燐光を放つ刀身。


「あなたは要注意人物なんです。新崎ニナさん」

「有名人になっちゃったなー」

「けれど、コンディションは最悪でしょ?」


 エレンが囁くように言う。なるほど、彼らは自分についてそれなりに調べているらしい、とニナは苦笑した。


「〈星の魔法使い〉。その実態は、満天の星が見える夜において、無限の魔力を扱うことができるということ。ちょーチートだよねぇ」


 ラビは、クスクスと笑っている。


「けぇどぉっ。今日は曇り空。ついでにわたしたち八角天が三人。さすがのニナちゃんも不利でしょー?」

「不利? なんのこと?」


 ニナは、不敵に笑う。


「これぐらい、ちょうどいいハンデだよ」


 誰もが、彼もが笑う。始まる沈黙。

 訪れる激闘。揺れる魔力。迸る殺意の嵐。



「――始めようか」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 キリュウは目を瞑る。

 想起するは、記憶の回廊。これまでの軌跡。回想は哀愁を呼び、小さく息を吐く。キリュウの元に訪れた人物をもって、キリュウの回想は途切れた。


「動いたか?」

「――」


 首肯する人物。


「で、アイツは? クロだったか?」

「――」


 再び、首肯。

 キリュウはため息をついた。まさか、とは思っていたが、そのまさかが現実となるとは。驚きも、悲しみもない。ただ感情は震えず、物事の移り変わりを目にしただけだ。


「監視しろ。気をつけろよ?」


 人物の気配が消えた。

 キリュウは現在、〈百獣〉のアジトから離れ、頂上にある祭壇にいる。この祭壇は〈獣の一族〉によって作られた簡素なものだ。キリュウは、刃霧山にいる全魔法使いの位置を正確に掴んでいた。その中で一人、懐かしい気配があるのを知覚し、思わず舌打ちした。


「……鳩子のやつ、来やがって」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 冬美は突入と同時に、戦闘が開始された。

〈百獣〉のメンバーと思わしき集団が冬美に向けて、一斉に襲いかかる。冬美たちの部隊との激突により、一気に混戦状態に陥ったのだ。

 冬美が目指すのは、〈百獣〉の持つ黒天のみ。それ以外の全てを蹴散らす。


「――大氷輪スノーワールド


 瞬間、冬美を中心として空気が凍った。その場にいた半径五十メートル圏内にいた敵と判断する存在が尽く凍らされる。大氷輪は常に展開され続け、敵を自動に冷凍させる。冬美は、ただ、敵を殲滅し続けた。

 凍れ。凍れ。凍れ。

 やがて大氷輪は敵だけではなく、木々や地面すらも白く染め上げていく。山の中間部まで冬美の独走は保たれていた。

 突然と敵の襲来が止まったのは、そんな時だった。冬美は足を止めた。


(気配が、止んだ……)


 冬美に直接攻撃を仕掛けることが無駄だと踏んだのか、周囲に視線を巡らせてもそれらしき集団が見当たらない。肩透かしを食らったかのような気分だった。


「――冬美さぁん」


 その時、声がした。

 冬美はその声の主に振り向く。音羽がいた。眉をひそめる。音羽と、彼女が集わせる部隊。


「あ、偶然ですねぇ」


 音羽はにこやかに告げる。偶然。本当にそうだろうか。〈鴉〉は今回部隊編成をし、それぞれのコースからの侵入だった。冬美と音羽のコースでは中間部での合流はあり得ないのではないか。


「どういうこと?」

「やだなぁ。冬美さんが心配で来たんですよー。冬美さんのことだから、部隊を置いて一人で突っ走ってるんじゃないかなぁ、と思ったんですよ」

「……余計なお世話だよ」


 事実はそうであったが、冬美は違和感を覚えていた。音羽は一歩、一歩と近付いていく。徐々に、冬美の瞳から色は失われ、冷たく鋭いものへと変化していった。


「音羽。一度だけ言うけど。止まって」

「なんでですかぁ?」


 音羽は、歩みを止めない。


「いいから。今すぐ止まって」

「あれぇ? ほんとに、どうしたんですかぁ? 怖い顔してますよー?」

「……」

「……」


 トンっ、と音羽が冬美の間合いに入り込んだ。その瞬間。

 冬美は、魔法を発動していた。瞬間的に周囲に冷気を放つ。だが、それよりも早く、音羽も動いていた。素早く動いた腕は、冬美の右耳に向けて、平手打ちをしていた。パンっ、と音が鳴る――



弾けろフォルテ



 パァァァァァァァァァンンンッッッ

 視界が、弾けた。脳が、思考が、上手く回らず。衝撃が全身に伝わり、世界から半分の音が消えた。遅れて、鼓膜が割れたことに気づく。揺らめき、放った冷気が音羽に襲いかかる。音羽は微笑むと、姿をかき消す。バックステップをし、回避していた。

 苦痛に表情を歪ませ、思考が上手く回らぬ頭で、冬美は音羽たちを見ていた。上手く。速く。思考が巡らない。事態を理解しようとして、失敗する。唯一、本能的に理解できることは一つ。

 音羽が、裏切り者である事実。


「裏切ってごめんなさいです、冬美さん。――死んでください♡」

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