#025 激突
圭人は、一週間前の出来事を思い返していた。
久しぶりに会った憲司は、四年間の月日を確かに感じさせる風貌で現れた。
『おっと、あんまり変化が無いね。圭人』
『……嫌味かよ』
圭人は吐き捨てるように返した。憲司は苦笑している。一度だけ、瞬へ視線を向けたが、怪我の具合に問題ないと認識したのか、すぐに圭人に視線を戻した。
『なに、ちょっとしたジョークだよ』
ジョークにしては苦味が強すぎたように思えたが、圭人はそれを口にすることはなかった。
『何の用だ?』
憲司からは本題に入ることはなかった。仕方なく、圭人の方から話すしかない。自分から口にしつつも、用件に見当がついてしまう。
『俺は、戻らないぞ』
『僕もそのつもりはないよ』
憲司の言葉に、圭人は眉をひそめた。その答えは想定外だったからだ。ならば、何故憲司はこの場に現れているのか。
『そりゃあ。君たちには戻ってきてほしい。けど、無理やりやっても仕方ないだろう?』
『……ふん』
居心地が悪くなり、圭人は憲司から視線を外した。そのまま瞬に向こうとして、それも躊躇ってしまう。何もない虚空に視線を置く。沈黙が再び来る。沈黙に耐えきれなくなったのは、圭人の方だった。
『……せりやミラは、よくやってるか』
先生は、と言いかけて止める。
『まあ、……元気だよ』
憲司の言葉には僅かな遅れがあったが、圭人が気づくことはなかった。
『そうか……』
言葉を紡ぐことができない。元々、圭人と憲司が多く会話をすることはない。〈平和の杜〉にいたとき、憲司は常にそこにいて、圭人はそれを受け入れていた。そこは居場所であり、仲間だった。あのときであれば、互いが互いを尊重していたから、沈黙すらも心地良かったかもしれない。
だが。圭人はその妄想を打ち消す。
自分はもう、〈平和の杜〉とは違う。不殺の誓いを破り、あまつさえも守るはずの人すら守れず、恩人の死に目にすら会うこともできなかった。四年前、圭人は己の無力を呪い、蔑み、ひたすら嫌悪した。
『……そろそろ、本題に入ろうか』
憲司はようやく口を開く。
『僕がここに来たのは、保護者的な意味だ。だから、圭人たちと再会したのは、実は偶然に近い』
保護者――? 不自然な単語に頭をひねる。
『まあ、せっかく再会したんだから、何かを話そうと思ったんだけど、なかなか思い浮かばない。話したいことはたぶん、両手で数えるなんてとても無理なんだろうけど、やっぱり、僕も緊張してるのかな、柄にもなく』
『……お前が? 冗談だろ』
圭人は小さく笑った。その笑みは、自然に出たものだった。
『ともかく。圭人も瞬も健在そうで何よりだ。……じゃあ、二つほど、話しておこうかな』
続けて、憲司は告げる。
『僕たちは、魔導大戦を終わらせるために戦ってるよ。いつか、X機関とも〈火〉とも戦うつもり』
『お前らが……? やめとけよ。〈平和の杜〉なんて、即潰れる』
『僕としても、そりゃあおっかないクランとは出来れば避けたい。けど、僕たちにもそれなりの理由があってね』
『〈平和の杜〉は不殺のクランだ。それは、魔法使いにとっての安寧と平和のために生まれた。なら、お前たちが戦う理由がない』
『せりが――、』
反射的に、圭人は憲司を見ていた。
憲司は先程と変わらない表情だった。圭人はどうだろうか。自分でも想像できないほど、厳しい表情だったかもしれない。
『せりが、なんだよ』
『仮死状態なんだ。X機関と一悶着あってね』
なんで。そんな自然な状態で言えるのだろうか。圭人には全く理解できなかった。
『それと、もう一つ。圭人。いつでも〈鴉〉から抜けて良いよ』
『……………は?』
突然の言葉に、圭人は返すことができなかった。
『君の事情を本当の意味で理解することはできない。だから、僕にはこんな安っぽい言葉しか言えない。それを踏まえた上で、忠告しておくよ』
そこで、憲司の視線が、瞬に向いた。
――瞬を言い訳に使うんじゃない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
圭人は、目を覚ました。
目を開いた瞬間、息を呑んだ。目の前に瞬の顔があったからだ。瞬も目覚めるとは思わなかったのだろう。お互い近距離で固まってしまった。
圭人の頭は妙にぼんやりしていた。現実と非現実の境界が曖昧に混ざっているような感覚だ。先程まで、夢を見ていた。あの夜の夢だ。憲司から言われた言葉が何度もリフレインされている。言い訳。圭人はもう二年も言い訳を続けている。
瞬は反射的に距離を取った。これだけのために魔法を使ったぐらいだ。瞬は慌てたように笑みを浮かべた。
「お、おっーす」
不自然な挨拶。圭人はそれに答えず、周囲を見渡した。〈鴉〉の幹部室。そのソファに横になっていたようだ。瞬以外に姿は見当たらない。記憶を瞬間的に思い出す。――ああ、他の奴らは戦いに行ったのだと。
それを思い返すと、無性に苛立ちと、情けなさに死にたくなる。
『圭人くんと瞬にはここに残ってもらうよ』
冬美がそう告げたのは、昨夜のことだった。突然のことで、圭人は言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
『は? 何でだ』
瞬も驚いた表情で冬美を見ていた。理解できる。これは、戦力外通知だ。
『アジトにも戦力は必要だと思うから。圭人くんと瞬には、刃霧山じゃなくて、ここを守ってもらいたい』
冬美はあくまでも淡々とした様子で言う。建前も用意していて、隙が無かった。同時に、圭人たちの逃げ場を事前に潰していた。
哲朗と白奈は苦虫を噛み潰したように、表情を歪めていた。言わなくても伝わってくる。冬美のやり方には、手段を選ばなくなっている。やり方が、ズルいのだ。
『けど、守りだけなら下の奴らにも任せられるだろっ。除け者じゃないか』
圭人は、冬美を睨んだ。冬美の表情は、瞳は揺れ動きすらしない。一欠片も、感情を見せてはくれない。
『これは決定事項だから』
『ふ、冬美――、』
瞬も、何か言おうとした。その直前。
『ワタシも冬美ちゃんに賛成〜』
思わぬ参戦が入る。センジュだった。常は冬美のブレーキ役として立ち回っていた彼女がこのときに限っては何故か冬美の肩を持ったのだ。もう何も言えない。言うことすらできない。
結局、二人は戦場には行けなかった。
「……ちっくん?」
不安げな色が籠もる瞬の声に、圭人は現実に意識を戻した。
「……いや、何でもない」
圭人は、やがて目を瞑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
刃霧山は目の前にあった。
冬美は廃棄されたビルの屋上に立つ。刃霧山は遥か高い。刃霧山を睨んでいても、必然的に見上げる形になる。
「準備オーケーだよー」
背後にセンジュが現れる。
「哲朗クン・白奈ちゃん部隊、ワタシの部隊、音羽ちゃんの部隊、冬美ちゃんの部隊。全部の部隊の配置が完了したよ。冬美ちゃんの号令一つで戦争は始まる」
「……」
冬美は、刃霧山から視線を逸らし、センジュを見た。センジュはこの状況下でありながら、飄々とした常の態度を貫いている。一方、冬美は眉間にしわが寄せられ、緊張感が漂っている。厳しく、冷たい。
「珍しく、センジュは乗り気だね」
「ん? そうかしら?」
「そうだよ。圭人くんと瞬を外すときだって、わたしに賛同した。いつもなら、反対してくるクセに」
「その判断が妥当だと思ったからよー。深い意味なんてないわ」
ピクリと表情が揺れる。その言葉の真意を探る。つまり、センジュが冬美に反対するのは、冬美の意見が妥当ではないからだ、ということだ。皮肉か、と冬美は思った。
「あの仮面の男は?」
冬美はそう訊ねた。あくまでも、椚夕夜とは口にしなかった。それが冬美の中でどのような解釈がなされているかは、センジュにはわからない。
「うーん、ここ最近は姿を見せてないみたいね。多分、ワタシたちの戦いも傍観するつもりなのかも」
「……邪魔しないだけマシ、か」
冬美は、刃霧山に目を向けた。
「ならばもう。後は〈
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
刃霧山突入に当たり、突入班が編成された。私、ニナ、秤さん、そして、ハトだった。
最初、ハトを突入班とするのは否定された。だが、ハトはこのとき強気の姿勢を見せたのだ。
『わたしにとって、刃霧山は、故郷、です。最短での道のりを、知って、ますから』
その瞳には悲壮の覚悟があった。けれど、私は同時に不安視した。覚悟とは、命を懸けることだ。今のハトはむしろ、捨て身の姿勢のようにも思えたのだ。
ハトの言葉には明確な説得力がある。感情論をもって立ち向かうことはできない。最終的に、ハトも同行することになった。
世々は中継役だ。ハトの魔法によって常に遠距離の念話をし、可能な限り指示を送る。世々の護衛役として男爵さんが選出された。
私は今、一人で刃霧山の前にいた。
『テステス、空音さーん。聞こえますか?』
「あ、はい」
間違えた。ニナからの念話だった。念話は念話で答えない限り、向こう側には伝わらない。
『――はい、聴こえます』
『配置に付きました。ちょっと〈鴉〉の連中が近くにいたので、場所をずらします。文也さんとハトは?』
私たちはごく少数で目指すことになる。ハトの指示の元、とにかくキリュウに会うことが目標である。この戦いのキーを握っているのは黒天ではなく、その主であるキリュウであるという。
私たちには、私たちなりの役割が与えられていた。それは頭脳派の憲司さんとミラさんによって考えられた。今回の戦いは混戦になることが必至。この戦いを終わらせる可能性を持っているのは、キリュウだ。
そして、キリュウと交渉する術を持っているのも、ハトだけだ。私はキリュウとは訣別している。今更、キリュウと会ったところで、彼と交わす言葉はない。私とニナはハトが無事キリュウの元へ辿り着けるように、場を掻き乱すことだった。
『……はい。着きました』
『着きましたよ』
ハトと秤さんの返事があった。
準備は整った。
『ん、じゃあ空音さん。首尾どおりにお願いしますね』
『はい。わかりました』
この作戦は、決して緻密なものではない。
おそらく、作戦とも言えない類いのものだ。結局は個人の力量に求められている。私はここで、為すべきことを為さねばならない。
『――ニナ、聞こえる?』
そこで、別の念話が繋がる。世々だ。
『ん? 世々?』
『一応、口酸っぱく言っておくけど、無茶しないように』
『わかってるよ。心配しないで』
『それが一番心配なんだけど……、まあ、いいや』
二人の会話を聴いていると、不思議と笑みが零れた。まだ出会ってから数日しか経っていない。しかし、ニナと世々の間には確かな絆のようなものがある。積み重ねられた、重みがある。どこか、懐かしさもある。
私にも、あったのだろうか。
クヌギくんと、そういったものがあったのだろうか。実は、それがわからない。四年前、クヌギくんは私に、好き、と言ってくれた。あれは多分、告白だ。私は知らなかった。彼が私のことを好いていたなんて。これっぽちも、欠片でさえも。
そんな私とクヌギくんは、繋がっていたのだろうか。ただ魔法という繫がりでよってでしか、私たちは関係していなかったのではないか。私は今までクヌギくんの何を見てきたというのか。
『――空音?』
世々が、私の名を呼んだ。
『なんですか?』
『んー、お節介かもしれないんだけど、』
世々は、言いづらそうに、早口で告げる。
『何悩んでるのか知らないんだけど、空音がしたいようにすればいいんだと思うよ。深く考える必要なんて、考えるだけ無駄だから』
『――……、』
『悩んでる内容ってね、実は二種類しかないんだよ。自分ができることと、できないこと。できないことは、結局できないんだよ。考えるだけ無駄だから。できることだけ、とりあえずすれば、それでいい。まずは、それだけでいいんだよ』
私は、息を呑んでいた。
『えっと……、それだけだから』
念話は途切れた。
いつから、世々は私が悩み、停滞していることに気付いていたのだろう。私は気付けなかった。鈍感だ。何歩も遅れている。自分は無知で、愚かだ。
「……私のしたいことは、決まってる」
クヌギくんに逢いたい。
それだけでいい。
『――突撃』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同時刻。
暗闇に紛れるように、ビルを見上げる者たちがいた。そのビルは、三大クラン〈鴉〉のアジトである。通信がビルの周囲に飛び回り、ある作戦が決行されようとしていた。
『こちらアルファ。配置完了』
『ベータより全隊へ。幹部は〈棘の魔法使い〉と〈刹那の魔法使い〉のみ』
『こちらガンマ。刃霧山の〈鴉〉突入を確認。いつでも行けます』
『デルタより通電。
『了解。では、〈鴉〉殲滅作戦を実行する』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます