#024 全面戦争の裏話

 刃霧山は、標高約五九九メートルの霊山である。この山はかつてから弓月市にとっては神聖な山と評されていると同時に、一度迷い込んでしまうと、遭難してしまう曰く付きの場所でもあった。

 自然豊か、というより、畝るように不気味に茂る樹海という表現が似合う。人工的な道は一応敷設されているが、長年の放置の末に獣道と化している。かれこれ数十年の前の話だ。

 クラン〈百獣ビースト〉のアジトとして刃霧山が指定されたのは、偶然と言える。〈獣の一族〉にとって、自然との親和性は高い。弓月市の中でも隠れ里としてアジトは適していると言えた。

 構成人数、百二十三名。約四六七メートルの地点にて、隠れ里は存在する。一際大きい木造建築の掘っ立て小屋に、『彼ら』は集っていた。

 八人の猛者が集う。彼らは〈百獣〉の中でも特に選りすぐりのメンバーを集めた幹部たち〈八角天〉と呼ばれていた。



「――鴉の連中が動いている」



 そう報告したのは、レオンだった。くすんだ金髪をした、鋭い目つきを持った男。八角天を束ねるリーダー的存在でもある。


「えーっ? 戦うことになったんですかぁ!」


 甘ったるいような、空間全体に大量の砂糖をぶちまけたような声音を発したのは、レオンの真正面にいたピンク髪の少女。ツインテールは天井に向けて立ち、まるで兎の耳のよう。その声音に、レオンは不機嫌そうに表情を歪ませた。


「へぇ、アイツらと戦うことになるのか。まあ、俺ならなんの問題も無いけど」

「そうやって強がっちゃってさ。ホント、アンタって口だけだよね」

「あ、なんだとごらっ!」

「威張っても全然怖くないっての」


 ピンク髪の少女から離れた二人の男女が話し合いにも関わらず喧嘩勃発中だった。だが、それは彼らにとっては日常としての景色に過ぎす、いちいち干渉することもない。夫婦漫才ほどの感覚だった。


「やっぱり目的は黒天ですか?」


 レオンの言葉にまともに答えたのは柔らかな雰囲気を纏った青年。名を、ライノスという。


「黒天が元々我らの所有物でないことは理解できるが、それにしては〈鴉〉の行動は性急すぎやしないかい?」


 ライノスの言葉に便乗するように答えるのは、この中で最も身長が高い男、ホースだった。本人も高身長であることをコンプレックスに感じているらしい。


「うちのボスが喧嘩売ったんだとさ」


 レオンはため息混じりに呟いた。


「わぉお、さっすがキリュウ様……」


 感心するように頷く女。部屋の壁により掛かりながら、基本的に会話の傍観を決め込んでいる。


「……まあ、〈鴉〉が動いたのはいい。想定内だ。が、。ボスの話じゃあ、〈鴉〉との戦いもまだ先だっつう話だったがな」


 そう、時期は悪い。

 現在、黒天の所有率はX機関が数歩先をリードしている。続いて、二年前に同じく黒天を狙っていたであろう〈アグニス〉の動きも活発的になっている。

 よって、これは〈百獣〉と〈鴉〉だけの戦争にはなりえない。むしろ、広範囲に及び、〈火〉やその他の魔法使いを巻き込む全面戦争になるということだ。


「……くくっ、相変わらず、うちのボスは何も考えちゃいねぇなっ」


 その不快極まりない侮蔑の籠もった声音は部屋の片隅からあった。レオンがそれに視線を向けた。

 蛇のような男、と誰もが印象を抱くだろう。細い目と、ぱっくりと割れて伸びたような笑み。細身で猫背の男がいた。これでも彼らと同じ八角天であるスネイクマンだ。


「スネイクマン、それはボスへの侮辱か?」


 レオンの言葉は、淡々としている。しかし、鋭い目つきが細まり、部屋の温度が僅かに落ちたかのような錯覚を覚えさせる。


「さあ? お前にはそう聞こえたのか?」


 スネイクマンはのらりくらりと躱す。

 一触即発とも言える空気。その空気を壊したのは、レオンでもスネイクマンでも、八角天のメンバーでもなかった。

 部屋に踏み込んだ、彼らの王、キリュウの登場だった。


「〈鴉〉と全面戦争することになった」


 キリュウは開口一番にそう告げた。

 既に予想されていた事態とはいえ、流石に空気は引き締まる。


「――まあ、アテは外れたが、元々戦うことにはなっていた。遅かれ早かれな。これに関してはどうでもいい」


 キリュウは八角天を見据えた。


「黒天はオレのものだ。いくら鴉が出しゃばってこようが、関係ねえんだよ」


 一つ、一つ。キリュウから発せられる言葉の内容自体は取るに足らないものだ。というよりも、深みがあるわけでも、高尚なことを述べているわけでもない。ただ、キリュウから発せられたという事実のみが、この空間を支配する。


「どうせ〈アグニス〉やX機関も出てくるだろう。どいつもこいつも、虫けらのごとく集まりやがる。ヤツらはオレたちなんぞ、ただの守り人程度にしか認識しちゃあいねえだろ。ははっ、くだらねえ」


 キリュウが〈百獣〉の頂点に君臨する理由など、語るまでもない。格が違うのだ。


「奴らの命など、喰らい尽くせ」

『ハッ――!』



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 センジュの登場から時が経ち。

 私たちはセンジュの話を聞こうとしていた。空気はピリついている。それもそのはず。四年が経つとはいえ、センジュと〈平和の杜〉とは元々敵対関係だった。センジュという人物との距離を私たちは測りかねている。

 情報でしか知らないニナが、一番の口を開く。


「それで、話ってなんですか?」

「お、アナタはあのときの化け物級の女の子ね。〈平和の杜〉のメンバーなの?」

「いいえ。違います」


 化け物級、という言葉にニナは眉をひそめた。実際、私もニナの実力はこの場にいる誰よりも強いかもしれない。ヤドリとの戦闘はそれほどまでに衝撃を与えている。


「まあ、その話は後日落ち着いてからってことで……。そうねぇ、ここにいる人達はどこまで知っているのかしら?」


 センジュの言葉に憲司さんが答える。


「さっき秤君から〈鴉〉が〈百獣〉に戦争を仕掛けるってことぐらいかな」

「〈百獣〉のキリュウと〈鴉〉が接触して、交渉決裂したってことだよね」


 続いて世々も言う。センジュは〈シエル〉のメンバーと会うのは初めてのはずだが、これといった反応を示すことはなかった。憲司さんと世々の話に首肯する。


「オーケー。ほとんど知らないってことね」

「知らない……?」


 センジュの言い方には、違和感がある。


「そうねぇ。最初はこれから言うべきかしら。――今、ワタシたちのクランには椚夕夜を名乗る存在がいる」

『ッ――!?』


 電流が走ったかのような、空気が一瞬にして凍りついたような勢いだった。


「そんな馬鹿な……、」


 私もまた、そう呟いていた。センジュが私を見る。私の表情だけで言いたいことを悟ったのだろうか、ふっと疲れたような笑みを浮かべながら言う。


「冗談だったらよっぽど救いだったんだけれどねぇ。悲しくも事実よ。それも、X機関で現れたヤツとは違って、


 これは、どういうことなのか――?

 混乱した。そもそも、何故クヌギくんを名乗る人物がこうも現れるのか。そして、現れるのだと言うなら、何故不明瞭の状態のままか。ここ最近に膨れ上がるクヌギくんの生存説、それに追い打ちをかけるように自称する者たち。だけど、クヌギくんなはずがない。

 何故なら、クヌギくんは――

 ……いや。それよりも。


「それは本物なの?」


 ミラが、センジュに訊ねる。

 センジュは苦笑した。


「さあね。わからないのよ」


 わからない。本物なのか。偽物なのか。


「アレは仮面を被ってるし、声も変えてるから、本物であると確信を持てないし、だからといって偽物とも断定することができない」

「なぜ? 本物なら仮面なんてする必要ないでしょ?」


 ニナの語気に僅かに力が籠もっていた。いつの間にか敬語も抜けている。本人も自覚していない。私にはニナがどこか怒っているようにも見えた。


「本人曰く、王様との戦いで顔を怪我して見せたくないんだとさ」

「嘘でしょ、そんなの」

「嘘だとは、断定できないでしょう?」


 ニナは、口を噤んだ。悔しそうに、小さくため息をついていた。


「ワタシたちはね、本格的に二つの問題に直面しているってことなのよ。一つは、その自称・夕夜クンを冬美ちゃんが信用しちゃったってこと」

「冬美が……、」


 私から漏れ出た言葉は苦しいものだった。ふと湧き上がる感情に愕然とする。私は、冬美に同情していた。同情する資格など、ありはしないのに。

 冬美はこれまで三大クランの一角の主として、その役割を全うしていた。冬美だって、元は非魔法使い寄りの魔法使いだ。戦場こそ、冬美には似合わない。


「それで、もう一つは〈鴉〉の内部が割とヤバいってこと」


 これには、憲司さんが真っ先に口を開く。


「それは、具体的にどういうことだい?」

「んー、そうねぇ。わかりやすく分担するなら、ちょっと対立しかけてるのよ。今の〈鴉〉に未来はあるのかっていう。過激派みたいのが現れたのよ」

「内部分裂か……、組織ありがちな……」と憲司は思い当たる節があるのか、苦笑していた。

「自称・夕夜クンの存在も大きいよ。冬美ちゃんが真のリーダーとして相応しいのか……、みたいな疑心暗鬼すらいつの間にか広まってるし。……というか、あんな優しい子にリーダーを務めさせてるワタシたちのほうが異常なんだけどね」

「……」


 私は少し意外だった。私にとってセンジュとは敵であり、クヌギくんの仲間である。センジュは裏切り者とも揶揄されている。そんな彼女から発せられる言葉には人としての情がある。四年間。月日はやはり人を変えるものなのか。

 少なくとも、私はセンジュの言葉を信じようと決めていた。


「それで、ここからが本題なんだけど」


 センジュはそう切り出す。


「――この全面戦争はね、〈鴉〉と〈百獣〉だけの戦いじゃ済まないわ。〈火〉も動かし、X機関も動く。最悪最低な状況――〈鴉〉はこの戦いで勝てないかもしれない」


 センジュの表情を見ればわかった。かもしれない、と曖昧な表現こそ使ってはいたが、遠回りな敗北宣言にも聞こえた。


「〈鴉〉はすごい不安定な時期なんだよ。〈百獣〉なんかと、おまけどころの騒ぎじゃ済まない〈火〉やX機関と戦っている場合じゃない。ワタシたちは今、戦うタイミングを完全に間違えているわ」


 そこで、私はふと思い出す。


「〈イザナミ〉は、どうですか? 睡蓮さんなら、あるいは協力してくれるかもしれません」

「あー……、そっかぁ……。そっちにはまだ情報が届いてないのか」


 まだ、なにか。


「――綺咲睡蓮は行方不明だよ」

「………………は?」


 私は憲司さんたちを見た。憲司さんまミラさんもまた、驚きを隠せないでいる。つまり、彼らですら知らなかった。


「あの〈ラボ〉の一件から、行方がわからなくなったらしい。冬美ちゃんが倒したってことは、たぶん無いだろうから。ちょっと厄介なんだよねぇ……」

「……」


 まさか、睡蓮さんが――。

 呆然とした。想像以上にショックを受けている自分に驚いた。


「つまりね。三大クランは既に崩壊したの。その上、〈鴉〉が壊滅したら――」

「〈火〉だけが残る」


 と、ニナ。


「ついでに、X機関もね」


 センジュの話を聞いて、事態は明らかに最悪の状況を示していることがわかった。


「〈火〉は魔導大戦を推進している。むしろ、どんどん殺し合いをさせたがってる節すらある。今まで食い止めていた鳴神蓮夜はもういない。〈鴉〉を終わらせるわけにはいかないの」


 センジュからの話で、だいたいの状況を把握できた。特に、〈鴉〉の壊滅と自称・クヌギくんの存在。これは衝撃が大きい。


「自称・椚夕夜殿は、どんな目的をもって、現れたんでしょうかね?」


 沈黙する空気の中、男爵さんが口を開く。その言葉にセンジュは頷いた。


「いい着眼点だよ、ヒゲじい」

「ヒゲじい……?」


 男爵さんは、引き攣った顔をした。


「それは、僕も不思議に思っていた」


 男爵さんに続いて、憲司さんも言う。


「椚君かもしれない人物は既にX機関にいる。それなのに、別の椚君が現れる。それも、このタイミングで。明らかに作為的だ」

「ええ。それは自称・夕夜クンも言っていたわ」



 ――牧野冬美。現状を俯瞰しろ。もう〈鴉〉は終わる寸前だ。勿論、お前自身も



 そう、自称・クヌギくんは言ったらしい。


「どういう、意味……?」


 ニナは首を傾げていた。

 私が引っ掛かったのは、現状を俯瞰しろ、という一言。


「……………………そうか、」


 遅れて気づいたのは、秤さんと世々だった。憲司さんも厳しい表情になっていた。


「ネームバリュー、ですか?」


 秤さんが、恐る恐る言った。


「ネームバリュー?」


 ニナの頭はパンク寸前だったのかもしれない。思考放棄し、秤さんを頼っていた。


「椚夕夜の名は、絶大です。彼を信奉したクランがかつては存在していたぐらいですから。名前だけでも付加価値がつく。その自称・椚夕夜は、本物とか偽物とか、そういうのはどうでもいい、と言っているんじゃないでしょうか?」


 憲司さんが引き継ぐ。


「椚君は今も生きているかどうかわからない。死んだとされている。けど、断定じゃない。だから、仮に偽物が現れたとしても偽物だとは言えない。本物の可能性が万が一にも残っているなら、それは『椚夕夜』として成立する」


 その話に身の毛がよだつほどの嫌悪感に襲われた。つまり、クヌギくんは利用されている、ということになる。生きていても、死んでいても、それは無関係だ。

 けれど、それはクヌギくん自身の、魂を汚すことに直結する。私には到底受け入れることができなかった。


「そうすると、タイミングも一致するね」


 世々は、大いに頷く。


「パワーバランスが崩れそうになった今、自称・椚夕夜はパワーバランスを保つために現れた。もしかしたら、牧野冬美の精神安定剤としての役割を担っていた可能性すらある」

「それは、否定できないわねぇ」


 センジュはやや表情に影を落としながらも、肯定した。


「ようはね、夕夜クンがあやふやな存在になっているから、現状が維持できるってワケなのよ。そうするとね。嫌でも思い浮かんじゃうのよ」

「それは……?」


 私は、センジュに訊ねていた。

 自分でも、もしかするとその結論にたどり着いているかもしれない。それなのに、自分では答えを出すのを躊躇われた。


「――この状況こそが、夕夜クンの望んだことかもしれないってこと。もし、もしもよ。そうであるとしたら、あの自称・夕夜クンは、本当に夕夜クンかもしれないのよ」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 それからも決して小さくはない情報が私の耳に入るが、驚き慣れてしまったのか、素直に受け入れることができた。

 自称・クヌギくんは、四つの黒天を保持している。それはパワーバランスを保つための存在として確立されていた。

 黒天はそれぞれ〈剣の魔法使い〉〈糸の魔法使い〉〈嘘の魔法使い〉〈幻の魔法使い〉らしい。


「ワタシの話はここまで」

「…………、」


 再び、沈黙――

 沈黙を破るのは、センジュだ。


「それを踏まえた上で、アナタたちに頼み事をしたいの」

「最初から、そのつもりだったでしょう?」


 憲司さんはその頼み事を予期していた。


「ワタシたちが全面戦争を始めるとき、アナタたちにも参加してほしいのよ。第三勢力として」


 憲司さんはセンジュの言葉に答えず、私を見ていた。憲司さんと目が合う。誰もがセンジュの言葉には答えない。センジュは、私を見た。

 そう、この場の決定権を、私に委ねていた。憲司さんはきっと、最終確認として私を試しているのだろう。……ちょっと、意地悪だ。


「センジュ」

「うん」

「言われるまでもなく、私は、参加します」

「……ちょっとは、成長したのね。空音ちゃんも」


 センジュはその時、ここに来て初めて自然な笑みを返していた。

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