#022 鴉と獣

 キリュウは外へ出ると、避難都市を歩いていく。キリュウは姿だけでも十分に目立ってしまう。本人もそれを自覚している。そのため、すぐに路地裏に入った。

 避難都市は急ごしらえで用意された都市であるため、構造が複雑だ。後付で次々と増えているようだ。奥へ奥へ、とキリュウが進んでいく。

 やがて、足を止めた。


「あ? 待ち伏せか?」


 かつん、かつん、と。

 キリュウの元へ現れたのは、長い黒髪をした少女と、スタイル抜群の美女。どちらも、キリュウは誰であるか知っている。三大クラン〈鴉〉の暫定リーダー・牧野冬美と、その御目付役のような存在・センジュだ。


「……〈真夜中のケルベロス〉ですね」

「鴉どもが何の用だ?」


 キリュウはそう言いつつ、周囲の気配を感じ取った。既に包囲されている。最悪、強硬手段も厭わない、と言外しているようなものだ。


「単刀直入に言います。所有している黒天をわたしたちに渡してくれませんか?」


 冬美は無駄な工程を省き、直球を投げた。その潔さはキリュウも嫌いではない。大目に見ても好感度は上がるだろう。――が、総じて、嫌悪感が湧き上がる。


「断る」


 即答で、キリュウは答えていた。


「少なくとも、今の〈鴉〉には資格が無い」


 ピクリと、冬美の表情が揺れた。漏れ出た感情は怒りと憎悪。瞬時に押さえ込もうとしていたが、視線は鋭く、冷たい。


「貴方には資格があると?」

「お前らよりはな」

「……ずいぶんな言い草ねぇ」


 苦笑するようにセンジュは呟いていた。冬美はセンジュを見向きもしない。どうやら、二人の関係性にも何らかの齟齬があると見た。


「……いいえ、わたしたちには、その資格があります」


 冬美は、そっと、言い返した。


「ゆうくんは……、椚夕夜は今、。彼こそが本来の所有者であり、お前たちが所有する理由はもはや無い」

「いいや、返さないな。〈鴉〉に未来は無い。革命屋を騙るお前たちは、大義名分をかざしているだけに過ぎない。そんなクランは、かつて夕夜が望んだ未来はなく、希望はなく、あるのは地獄だけだ」

「何も知らぬお前が、わたしたちに口出す権利はありません」


 平行線。どこまでいっても、話が噛み合うことはあり得ない。キリュウは大袈裟にため息をついた。


「……わっかんねえかな。お前じゃ役不足だって言ってんだよ、ユキフル」

「なっ……、」

「お前には、無理だ」


 冬美の顔は、青くなり、赤くなり、そして、無となった。あらゆる感情が呑み込まれ、ただひたすら、己の役割をまっとうする存在へと移り変わった。


「……もう一度だけ、します。黒天を渡しなさい」

「嫌だね」

「……そうですか、」


 冬美は、一度だけため息をついた。



「――ならば、戦争です」

「――やれるもんならやってみろよ。小娘」



 キリュウは、歩き出した。

 今すぐ勝負を仕掛けてこないのは、相手が本気であることを示していることになる。いずれ、鴉とは激突するだろうとは予測していた分、むしろ早まったことに驚いていた。まさか、これほどまでに追い詰められているとは。予想とはあくまでも予想に過ぎない。こればかりは甘く見積もっていた自分たちの責任であろう。

 キリュウはそのまま冬美たちの横を通過した。冬美は動かない。包囲していた気配も動く気はない。今日は、話だけのつもりだったのか。


「――ねえ、真夜中のケルベロスさん」


 そこで、背後からセンジュが口を開いた。キリュウは足を止めた。これまで積極的に介入をせず、傍観していたセンジュから声を掛けられたのは意外だった。


「貴方はさ、ワタシたちの前に現れた仮面の男について、なにか知っているのかしら?」


 センジュの問いに、キリュウはニヤリと笑った。


「なんのことだ?」

「とぼけなくていいって。貴方、冬美ちゃんが椚夕夜の生存を口にしたとき、何の疑問も驚きも見せなかったじゃない。本物か、偽物か。そんなことすら聞かなかった。つまり、あの仮面の男の存在は知っているワケ」


 センジュは裏切り者の魔法使いとして有名だった。それが夕夜のクランに位置するようになり、仲間のように振る舞っている。――否、もしかすると、このセンジュもまた、椚夕夜に変えられた一人なのかもしれない。


「で?」


 キリュウは肯定も否定もなく、話を促した。

 センジュはくすりと笑った。


「ぶっちゃけるとねぇ、ワタシたちもあの仮面の男が本物か偽物か、わからないのよ」

「センジュっ、」


 冬美が批判の声を上げるが、無視する。


「アレはやっぱり、偽物なのかしら?」


 センジュの言葉のニュアンスには、ある種の確信が込められているかのようであった。


「さあな。何を言っているのか、オレにはさっぱりわからない」

「ふぅん」


 キリュウは、それ以上語ることはしなかった。そのまま奥へ歩いていき、闇の中に消えた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 キリュウの気配が消えて、残された冬美とセンジュ。短い沈黙の後、冬美が口を開いた。


「センジュ、なんのつもり? あの人はゆうくんだよ」

「違うよ。きっと、違う。アレは夕夜クンじゃないよ。冬美ちゃんだって、わかってるでしょう?」

「…………、」


 センジュは、冬美を見なかった。ただキリュウが消えた闇の方に視線を向けたままだ。冬美は足元に視線を落としていた。わかっているでしょう? その問いは冬美の中にある何かを大きく揺さぶった。


「駄目だよ。現実は見ないと」


 センジュは、諭すように言った。

 センジュの言いたいことは、勿論わかる。わかっているつもりだ。

 突然と現れた椚夕夜を自称する存在。その者はもっともらしい、しかし、都合のいい言い訳を並び立てながら、クランのアジトに居座り続けている。確かに、椚夕夜であるとも言えるし、椚夕夜でないとも言える。しかし、本質的にはやはり、冬美たちの知る椚夕夜ではない。

 これはようは、感情の問題だ。

 冬美はもう、限界だった。四年間、ただひたすら椚夕夜の代わりに〈鴉〉の規模を広げて、三大クランまでのし上がる。その目的は、椚夕夜の意思を引き継ぎ、救済という名の魔法使いの殲滅だ。魔法使いの旧社会も、魔導大戦というシステムも、すべてを消し去ってみせる。ただそれだけの革命だ。

 それでも、それは椚夕夜だからこそなし得たことだ。冬美はただ夕夜に付いていっただけに過ぎない。実力も経験も覚悟も、何もかもが不相応だ。

 精神的に自分が不安定であることも重々承知だ。そこに現れた夕夜と名乗る人。


「……別に、いいじゃない」


 冬美は、ポツリと、呟いていた。


「あの人がゆうくんだと言って、ゆうくんのように振る舞ってくれているんだから、いいじゃない」

「…………、」


 センジュは、答えなかった。

 ただ、天を見上げた。建物の先から出ている白き塔。王の塔だ。偶然、タイミングよく、王の鐘が鳴った。重く、寂しそうな音が世界に響いた。


「……はぁ」


 センジュは、小さくため息をついていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 私は、喫茶店の一階に下りた。

 ミラは私を見ると、おつかれ、と小さな声で言ってくれた。ハトがカウンター席で肩身狭そうに座り込んでいる。文也さん、と呼ばれているであろう、青年はニナの隣りに座っていた。


「あ、どうも。秤文也です」

「こちらこそ、はじめまして」


 私と秤さんの挨拶は適度に済ませ、本題であるハトの話へ戻る。ハト曰く、キリュウとの関係は幼馴染みに当たるらしい。


「わ……、わたしは、〈獣の一族〉の出身なんです」


 ハトは、おっかなびっくりといった様子で、ゆっくりと話し始める。獣の一族。先程、キリュウに聞いたばかりの言葉。生まれながらにして、〈獣の魔法使い〉としてのチカラを得ている。しかし、ニナは真っ先に首を傾げた。


「ハトって、〈心の魔法使い〉だよね?」


 ニナの言葉に、私は疑問を覚えた。

 ハトの魔法はテレパシー、思念伝達だ。気配を読み取ることもできるらしい。……が、それでは、獣の一族とは異なる。ニナの疑問に、ハトはぎこちなく頷いた。


「わたしは、唯一、〈獣の魔法使い〉として生まれなかった、〈獣の一族〉なんです」


 一体、ハトはどんな思いをしてきたのだろうか。自分だけが違う。自分だけが、残されてしまったかのような感覚。それは孤独に近いのかもしれない。今のハトという人物像が形成されたのも、わかる気がした。


「わたしには、チカラが無かったから。……けど、キリちゃんは、そんなわたしを守ってくれたんです。一族はみな家族だからって……」


 ハトの声音には、懐かしさと同時に、哀しさが含まれているようでもあった。


「――でも、ある時から、キリちゃんはわたしを嫌うように、なりました。たぶん、わたしが何かを、したんだと思います。最終的に、わたしは、……」


 追放。そう、一言だけハトは紡いだ。



「――わたし、仲間外れ」



 ゾッとした。ハトは〈平和の杜〉と出逢えていなかったら、どうなってしまっていたのか。想像するだけで、ゾッとする。

 ハトはただ、小さく呟いていた。

 幼い子どものように。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ハトはそのまま、上の階で休むことになった。今日の話はこれまで。そうミラが言うと、各自解散の流れになる。〈シエル〉のメンバーもまた、〈灯の集い〉に住んでいるらしい。


「空音さんも泊まるかい?」

「……いえ、私には一応、家はあるので」


 今日は多くのことがありすぎた。このまま泊まるという選択肢もあったが、居心地はあまり良くない。家のほうがゆっくりできるはずだ。


「そっか」


 憲司さんも何も言わなかった。


「……あ、せりさんにも挨拶を」


 そこで、私は思い出す。

 憲司さんも思い出すと、そうだねぇ、と呟いた。


「それじゃあ、私はお先に失礼します」


 ニナは素早く二階に上がってしまった。世々もニナに付いていく。不思議と、ニナはせりさんの話に避けているようにも思えた。


「よし、じゃあせりの所に行こうか」


 ……何故だろう。

 どうして、こうも嫌な予感がする。

 そもそも。最初の段階でせりさんが現れたのも不自然だった。あの性格だ。真っ先に会いに来てもおかしくないのに。

 憲司さんは私を二階へと連れて行った。一番奥の部屋。憲司はその扉をゆっくりと開けた。


「せり、空音さんだよ」

「っ……!」


 私は、息を呑んでいた。

 せりさんは部屋の奥にあるベッドにいた。少し薄暗い部屋に、暖色の電気が灯っている。

 せりさんは、眠っていた。気持ち良さそうに。それでいて、死んでいるかのように。


「生きてるよ、せりは」


 憲司さんは、私の内心を読み取ったのか、そう言った。言われたのに、すぐに飲み込めなかった。

 儚い。透き通るように、透明がそこにある。命の輝きが無いのだ。ただ、そこに在るだけ。


「四年間、色々あったんだよ。僕たちもね。せりは、この二年間、ずっと眠ってるよ」

「…………起きる、可能性は?」

「今のところ、……無いね」


 憲司さんの声はどこか遠い国の言語のように聞こえてしまった。

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