#021 再会、再来、再生③

 キリュウの登場にいち早く反応したのは、ニナだった。


「――貴方の名前なんて、知ったこっちゃないんだけどさ」


 ニナは、キリュウの目の前に立っていた。琥珀と赤の瞳が、キリュウを睨みつけている。身長差がありすぎるせいか、父と娘にも見えてしまう構図だ。


「文也さんを乱暴にしたの、貴方?」


 ニナの声は冷え切っていた。

 キリュウは、眉をひそめる。


「誰だ、お前?」

「質問に答えなよ」

「……気に入らねえな、お前」

「奇遇だね。私もだよ」


 一触即発。いつ、両方が爆発してもおかしくはない。それは同時に、ここが戦場と化すことを意味する。咄嗟に、私は口を出していた。


「ニナさん、少し落ち着いてください」

「あはは、空音さん。私は十分落ち着いてるよ。落ち着いた上で怒ってるんだよ」


 それを落ち着いてないと言うのだ。だが、確かにニナは暴れるような、野蛮的ではない。あくまでも冷静に、理知的に怒りを露わにしていた。それが逆に、怖いまである。

 だが、この場合、私が介入したのは、快方へ進んだ。


「ソラネ……? お前はまさか、神凪空音か?」


 キリュウの言葉に、私は驚く。

 何故、キリュウが私の名を口にしているのか。キリュウの反応は想定外だった。私を目に留めた瞬間、ニヤリと笑ったのだ。それが恐ろしいほど恐怖を覚える笑顔だった。生粋の悪人顔だ。


「そうか……、お前が」


 どこか懐かしむようなニュアンスが含まれているようにも聞こえた。


「――お前ら、オレと話がしたいんだったよな?」


 突然と、キリュウは言った。これに私は対応できなかった。咄嗟に、まるで掌を返したかのような態度に私は困惑するしかない。ニナはこの通り、キリュウに対して無視を決め込んでいる。必然的に、憲司さんが答えることになった。


「そうだよ。正確には、君が持っている黒天について興味があるんだけど、」

「ああ、持ってるぜ? で?」

「君たち〈百獣ビースト〉の目的は何なんだ? 黒天を持つ目的も、その意味も、できれば知りたい」

「教えてやってもいい。が、オレは複数人と話すつもりはない。そこのカンナギになら教えてやってもいい」

「え、私……?」

「そう、お前だ」


 指名された。

 これには憲司さんも困惑していた。一度、憲司さんが私を見た。私の答えに従う。そう視線は物語っていた。


「……ええ、わかりました。教えてください」


 私は、肯定を選んだ。

 遅れて、私は気づいた。この男を観察していて、キリュウという人物はかなりのオレ様気質であることがわかる。自己主張の塊のような存在。我が道を行く者の体現。……そんな男が、ハトにだけ一度も視線を合わせようとしなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 憲司さんの許可も無しに、キリュウは二階へ上がると客間のソファに座り込んだ。私は警戒しつつ、キリュウの目の前に座った。キリュウは足を投げ出し、テーブルについている。態度は最悪だ。


「――何故、私なのですか?」


 私は、キリュウに尋ねていた。不思議とキリュウは答えてくれるという予感があった。実際、キリュウは答えた。


「お前が夕夜の想い人だからだ」

「っ……、」


 思わぬ不意打ちに頬が赤くなるのを感じた。キリュウはそんな私の反応にケラケラと笑う。


「なんだその反応。まさかお前も夕夜のこと、好きだったのか?」

「からかわないでくださいっ」


 キッと私は相手も忘れて睨みつけていた。


「まあ、お前の色恋なんぞどうでもいいんだけどな」


 なら、話題にしないでほしい。

 私は視線でそう訴えたが、キリュウは全く意に介さなかった。するはずもない。ただ、足を組み直すと、ようやく本題に入る。


「オレたち〈百獣〉の目的は種としての繁栄。ただそれだけだ」

「繁栄――?」


 これもまた、想定外の言葉だ。口にすることすら珍しいのではないか、と思わせる単語。反芻しても、しっくりと来ない。


「オレたちは〈獣の一族〉なんだよ」


 獣の一族。その一族に生まれたものは、生まれながらにして〈獣の魔法使い〉である。そうやって血脈を広げていき、チカラを増やしていく。それを束ねる存在が、キリュウであった。


「生存本能ってやつだ。生きるために、オレたちは生きている。目的じゃない。本能だ」

「ならば、何故、黒天を所有しているのですか――?」

「おい、待てよ」

「……は?」


 私の質問に、キリュウは止めた。


「何故、オレだけが語らなきゃいけない。オレもお前に質問をする。ギブアンドテイクじゃなきゃ、公平じゃない」

「公平って……、」

「――お前は、この四年間何をしていた?」


 息が、詰まった。

 どう答えようか。どんな質問が来るのか。そればかりが先行してしまい、隙間を縫うようにして放たれた質問は、私の中の何かに突き刺さった。軋んだような幻聴があった。


「……何も、してません」

「何も?」

「……ただ、非魔法使いのように、生活をしていました」


 まるで懺悔している気分になった。何もしてこなかった。そう非難されても仕方がない。だが、キリュウはそれ以上追及しなかった。むしろ、ふっと、微笑んだようにも見えた。


「……私の質問です」


 無理やり、私は自分の番へ戻す。


「どうして黒天を所有しているか、だろ?」


 キリュウが先回りして口にする。会話の手綱を握られて、場の空気を支配されているかのように思えた。


「簡単だ。誰も黒天を持つだ」


 チクリ、と痛みを覚えた。

 同時に、苛立ちも。

 遠回りに、キリュウはこう言っていることになる。お前には黒天を持つ資格は無いと。


「……ならば、貴方には資格があると――」

「お前、この四年間で何ができるようになった?」


 私の問いなど、聞いちゃいない。

 ただ自分のペースで、私に尋ねる。それも先程から意図不明な質問ばかりだ。


「それは、……どういう意図の質問ですか?」

「四年間、ただ非魔法使いらしく生きてきたのだろう? なら、一つや二つ、できるようになったこともあんだろ? それを答えろって言ってんだよ」


 それぐらいもわからないのか? とでも言いたげな瞳。それが私をさらに苛立たせる。


「……自炊と、刺繍を、少々」

「はっ、自炊って。それまで出来なかったのかよ」

「っ……、」


 私はキリュウを睨んだ。恥と怒りと、苛立ちと。それなのに、キリュウはどこか嬉しそうだ。……意味がわからない。


「……話を戻します。貴方には、黒天の資格があると言うんですか」

「さあ? あるかは知るか」

「なっ……、」

「が、お前たちよりかは資格はあるな。特にカンナギ、お前や今の〈鴉〉など論外だ」

「…………どうして、」

「お前、日常生活は楽しいか?」

「……先程から、質問の意図が、」

「答えろよ。オレの番だろ」

「……………………つまらなくは、ありませんでした」

「そうかそうか」


 満足そうに、キリュウは頷いた。


「お前が論外なのはな、夕夜の意思でもあるからだ」


 キリュウは、質問してもいないのに、そう答えた。


「アイツは、何よりもお前の幸福を願っていた。再生することを目指した。そして、アイツは成功したらしいな」


 心が、かき乱される。

 土足で踏み込まれ、その場を荒らされたかのように。私は冷静さを失いかけている。夕夜、夕夜、夕夜――……。キリュウの口から漏れる彼の名を聞く度に、耳鳴りがする。


「私は、そんなこと、望んでない」


 私から出ていたのは、クヌギくんに対する文句だったのかもしれない。勝手にいなくなって、私たち魔法使いを救おうとして、置き土産だけ残して、また消える。生きているかも、死んでいるかもわからない。期待だけさせて、私に好きだと言って。全部、勝手すぎる。そんなもの、私は望んでなどいなかった。


「だろうな。お前さんはそんなこと、一度も望んじゃいない。人の願いなんていつだって自分勝手なもんだ」

「…………、」

「だから、お前は再生し、資格なんてあるわけがない」

「……私は、戦えます」

「いや、お前はただ流れに乗ってるだけだ」


 すぐさま、言い返される。


「お前は今まで自分から行動したか? 今だってそうだ。オレと話して、初めて夕夜の話をしている。夕夜について考えてる。それまでお前は何をしていた? 何もしていないだろ? 夕夜から渡された日常とやらを楽しんでいたんだろう? 何よりも、誰よりも夕夜はそれを望んだ。お前は受け入れたんだよ」

「……」

「戦うには、覚悟が必要だ。お前にはそれがない。そんなヤツに、オレは黒天を渡すつもりはない。たとえ、縁のものであってもだ」


 何も言い返すことなど出来なかった。


「お前はそのまま夕夜の望む非魔法使いらしい在り方をしてりゃあいいんだよ」


 キリュウはそれだけ言うと、立ち上がる。

 もう、私への興味を失っていた。


「もう二度と会うことはないな。カンナギ」


 キリュウは現れるときも去るときも、堂々と嵐のように消えていった。

 覚悟。

 そんなもの、あるはずがない。

 首元に触れた。何もない。空を切る。以前、クヌギくんに貰った黒のマフラー。私はあの日から一度も付けてない。


 ……ねえ、クヌギくん。

 どうして、こんな残酷な置き土産を残したんですか――



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ハト、あの〈真夜中のケルベロス〉と知り合いだったの――?」


 空音がキリュウと共に二階へ上がっている間、世々は居心地の悪そうにしていたハトにそう訊いていた。

 ニナは起き上がった秤の手当をしていた。この手の作業があまり得意ではないニナは消毒するとき、必ず怪我の部分を押し込むようなことをする。当然、秤も痛がる。が、ちょっと役得、みたいな表情もしているので、世々の方からは何も言わない。


「私、あの人嫌いだ」


 イー、とニナは舌を出した。


「喧嘩腰だったからね」


 憲司もその時を思い返してからか、苦笑している。


「ああいうオレ様キャラ、自分が世界の中心に立っていると思ってるんだよ、きっと」


 ニナは相当怒っていたらしい。秤の手当が雑になり、頬に貼ろうとしていたガーゼが完全にズレて顎辺りに貼られていた。


「ニナさん、場所が……」

「あ、ごめんなさい」


 ニナはそう言いつつ、強引にガーゼを剥がす。その勢いだけでも、今の秤には激痛だ。


「痛っ……、」

「えっと、こうして……、」

「あー、もうニナ良いって。男爵、代わりにやって」

「わかったでありますよ」


 苛立つのはわかるが、それが無意識のうちに秤の手当に向けられてしまっているので、秤が可哀想だった。男爵に代わると、ニナの四分の一の時間で、十倍丁寧な手当がなされた。


「ああ、それでハト。キリュウとの関係は?」

「なんか刑事の取り調べみたいな聞き方だなぁ……」


 秤は心底どうでもいいことを口にしていた。


「えっと……、その……、あの――……、」


 ハトは、言いづらそうに、あの、その、を繰り返す。すかさずミラが助け舟を出した。


「ゆっくりでいいよ」

「……あの、わたしと、キリちゃんは、」



「――ソイツとは何の関係もねえよ」



 声は、階段先からあった。

 視線は自然と集まる。当の本人であるキリュウが、ミラたちを見ていた。キリュウは決してハトに目を向けようとしない。


「ソイツはただの弱者だ。戦場に相応しくない。資格が無い」

「………………、」


 ハトは顔を青ざめ、キリュウを見ていた。ハトの瞳は揺れていた。

 ニナは真っ先に食ってかかろうとした。世々が脛を蹴ったことにより、口を噤む。ただ、睨みつけた。


「……話は終わったのかい?」


 憲司が、代表で尋ねた。


「ああ、邪魔したな」


 キリュウはそう言うと、喫茶店から出ていった。


「べー、だ」


 と、ニナがいなくなったキリュウに向けて、悪態をつく。


「こら、やめなって」


 世々がため息をついた。

 ハトは、今にも泣きそうだった。ニナは耐えられなくなり、訊いていた。


「ハト。あの男とは、知り合いなんだよね?」


 遅れて、ゆっくりと、こくんと頷く。


「き、……キリちゃんは、わたしの、幼馴染み、なん、です。わたしは、〈獣の一族〉の出で、落ちこぼれだから、捨てられて……」


 言葉は最後まで続かず、ハトは黙り込んでしまった。

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