#020 再会、再来、再生②

 センジュは今、目下最大の課題に追われていると言える。

 それはあるいは、所属する〈鴉〉壊滅の危機ではないか、とも怪しんでしまっているほどだ。


「ゆうくんっ! それでさ――!」


 この部屋は、異様な空間と化した。

 哲郎と白奈は完全な無視を決め込むことにしたのか、事務仕事をしている。その表情は暗く、緊張感に溢れている。

 圭人はここ数日、我心ここに在らず、といった様子で考え事をしている。そのため、この現状においてもどこか放任しているようにも見えた。代わりに、瞬が慌てている。どう対応をすればいいのか、まるで理解できずに混乱している様子だった。

 この場で何ができるとするならば、センジュしかいない。


『へえ、すごいね』


 アジト、三十階。その部屋の奥。

 異様な空間を創り出している元凶がいる。紋様無き黒の画面を被る男。それにべったりと付いている冬美。冬美は、この仮面の男を椚夕夜として信頼してしまっている。

 二人目の仮面の男の出現。

 それはセンジュたちだけではなく、クラン全体に動揺を伝播させていた。彼の出現から一週間は経過しているが、その正体は依然として不明だ。クラン内でも、彼が本当に椚夕夜であるのか、五分五分といった反応を見せている。

 ある一方では、一時的なクランのリーダーである冬美が信頼しているので、本物かもしれない、という意見。

 ある一方では、椚夕夜はやはり死んでいる。その男は完全な偽物である、という意見。

 また、あるときは、黒天は四つ所有し、椚夕夜と自称するため、椚夕夜の後継者ではないか、という特異的な意見もある。

 ――――――――――――しかし、

 センジュは、この仮面の男が椚夕夜であるとは、到底思えなかった。勿論、理由もある。

 既に、仮面の男とは一度だけセンジュは話したからだ。その記憶を思い出すと、今でも寒気がしそうになる。

 それは仮面の男の出現から翌日。誰もいないタイミングを狙って、センジュは直接男に話しかけた……というより、尋問を始めた。


『――アナタ、誰なの?』


 仮面の男は、センジュの直球にも動揺しなかった。


『センジュさん。僕ですって』

『なら、仮面を外して』

『それはちょっと無理です。人様には見せられないほどの怪我を負ってしまったので』


 曰く、王との戦いで受けた後遺症により、一時的に彼は戦闘不能に陥っていた。それこそ瀕死であり、回復しなければ動くことができない。顔の傷もその時に負った。だからこそ、仮面を被り、尚且つ、この四年間、姿を見せることができなかったという――。

 まるで事前に考えておいたかのような理由だ。それを信じてしまった冬美も冬美だが。


『アナタもさ、冬美ちゃんの状況を狙って現れたでしょ?』


 冬美は今、精神的に非常に不安定だ。

 椚夕夜であると誤認した第一の仮面の男。四年前、大切な人を失ったショック。三大クランを束ねる重責。それらは確実に冬美の精神を蝕む。そこを狙い、この男は冬美の信頼を勝ち取った。たとえ、それが椚夕夜であろうと無かろうと、もはや関係ない。そこに理想像として在り続けるだけで、冬美にとっての椚夕夜は成立してしまう。


『アナタは夕夜クンじゃない』

『僕は椚夕夜ですよ。センジュさん』


 何とか、この男から情報を抜き取れないか。センジュは思考をフルに回転させた。この男が椚夕夜であるならば、間違いなくしなければならないことを、この男はしていない。だからこそ、この男は椚夕夜ではない。

 いくつかの、質問をしていた。


『空音ちゃんは? 彼女には会わないの?』

『……空音さんには、会えませんよ。センジュさんだってわかっているでしょ?』

『そうかしら? アナタは空音ちゃんの状況を知ってる? あの子は今、苦しんでる。苦しんで苦しんで、迷子になってるのよ。そんな空音ちゃんを、アナタが助けないとは思えない』

『揺さぶっても駄目ですよ』


 ……これは、駄目か。


『――ねえ、アナタ気づいてる?』

『……?』

『ワタシと二人きりで話すとき、アナタはワタシのことをさん付けで呼んだこと、一度もないのよ』

『……嘘はいけませんよ』

『ほら。ボロが出た。だって、ワタシとアナタはあくまでも契約上での仲間に過ぎないし、何より、ワタシはアナタにとって最悪の敵よ。勿論、それはアナタは理解しているし、真の意味での仲間として、アナタはワタシを認めなかった。だから、呼び捨てだったわよ』

『…………』

『――まあ、勿論、嘘なんだけどね』

『……………………、』


 椚夕夜は……、否、センジュは椚夕夜とは認めない誰かが、黙り込んだ。

 この反応で、確定はできない。

 ただ、この存在が何らかの目的を持って現れたことだけは間違いないはずだ。


『センジュさん』


 目の前の男は、何者なのだろうか。


『僕は、椚夕夜ですよ』


 もしかすると。

 椚夕夜はやはり、死んでいるのかもしれない。センジュは、そう思ってしまった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『――次の黒天は、刃霧山にある』


 男はそう言った。センジュたちは、眉をひそめる。

 仮面の男が突然と言い出したことでもあったし、それよりも何故、その場所にあることを知っているのかの方が疑問に残った。男は反応に構わず続ける。


『そこにある黒天は〈真夜中のケルベロス〉と呼ばれる男が所有している』

「〈真夜中のケルベロス〉だぁ……?」


 思わず哲郎が口にしていた。そう言いたいのもよくわかる。ネーミングセンスが微妙なのだ。瞬ですら笑いたいが、空気的に笑っていいのだろうか、とどうでもいい葛藤をしてしまうほどだ。


『まあ、この際、異名はどうでもいい。は、僕と三日三晩に続く戦いをした。実力は三大クランにも劣らないよ』

(いや、そもそも。貴方が夕夜クンかどうかは不明なんだけど……)


 センジュはそうツッコミを入れたかったが、冬美たちの手前飲み込んでいた。


「そういえば、三日間ぐらいゆうくんがいなかったとき、あったような……」


 冬美のいう期間とは、夕夜が〈嗤う死神グリラフ〉を壊滅させ、片っ端から悪と断定する魔法使いを処刑するようになった一カ月の間を指している。このたった一カ月で椚夕夜の名前は広がり、魔法使いに畏れられる存在となる。確かにセンジュの記憶にも夕夜が一度、三日ほど行方が分からなくなったときがあった。まさか戦い通していたとは思わない。


「もし、仮に。貴方が夕夜であるとするなら。〈真夜中のケルベロス〉さんから黒天は返してもらえるんじゃないの?」


 白奈が、男の向けて言った。仮面の奥に苦笑している気配があった。白奈の言葉には目の前の男を疑っていることが十分に含まれている。それは白奈だけではない。冬美だけが、白奈の言葉に不愉快そうに表情を歪ませた。

 さて、男の言葉はいかに。センジュは微かな期待を感じつつ――


『それは無理なんだ』


 平然と返され、唖然とする。


「それは貴女が、夕夜でないから?」


 白奈もまた、直球で訊き返す。


『それもまた、違うよ』


 やんわりと、どこか包み込むような声音で否定された。


『これは、〈真夜中のケルベロス〉の性格上の問題なんだよ』



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「真夜中の、ケルベロス――……、」


 茜はヤドリから告げられた新たな黒天の所有者の名を聞いたとき、泣きそうな顔になった。秋人はそれを見て、表情筋が動かないようにするのに必死だった。茜がその顔をするとき、決まって誰かを思い出しているときだ。その誰かも、当然、秋人には心当たりがある。

 秋人は、無性に苛立ちを覚え、強引に話を進めた。


「ミコト。場所も所有者もわかってるなら、何でさっさと回収しねえんだよ」

「理由は二つあるよ」


 今日のミコトは、黒のフリルのあるドレスを着ていた。どこかメルヘンチックさがある雰囲気だ。


「一つは、真夜中のケルベロス――名前は、キリュウって言ったかな? ちょっと面倒な相手でね。手が出しにくい」


 ヤドリがそう評するのは珍しいことだった。


「そもそも、キリュウが束ねるクラン〈百獣ビースト〉は特殊なクランなんだよ。真夜中のケルベロスを起因とする、〈獣の一族〉って呼ばれてる」

「獣の一族――?」

「獣の一族は、代々獣のチカラを持った魔法使いが生まれる家系のこと。だから、誰もが〈獣の魔法使い〉である。けど、そこには獣のチカラを束ねる存在がいる」

「それが、〈真夜中のケルベロス〉なんだね?」


 再機能した茜が言った。


「そのとぉーり。……いわば、縮小社会の〈頂の魔法使い〉。それが、〈真夜中のケルベロス〉の正体なんだよ。アイツは、は最強だよ。アキトじゃあまず勝てないね」

「一言多いんだよ。……んで、二つ目は?」

「二つ目はね、今はね、黒天は別にそこまで必要性を感じていないんだよ」

「…………はぁ?」


 ヤドリのあっけらかんとした言葉に、秋人は首を傾げるしかない。


「黒天は拒絶のチカラがメイン。二つ目のチカラはあくまでもオマケ。拒絶は一つでも十分通用するし、沢山あったからって、扱い切れなきゃ宝の持ち腐れでしょ?」

「……」


 茜も秋人も一応の納得はできたが、釈然としなかった。だからといって、放置できる代物でもない。


「まあ、人まずは様子見ってことだよ。わたしも疲れたし……」


 ヤドリはそう言いながら、欠伸をした。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



■FILE256案件

 2月15日深夜未明、C市に殺人事件が発生。遺体はまるで何かに喰われたかのような食い跡を残し、遺体の状態も半分が損なわれていた。近隣からの証言によると「遠吠えのような音を聞いた」と残しているが、決定的な証言には至らなかった。その後も同様の事件が何件も続くが、明確な犯人像は発見されていない――。



 憲司さんが持ってきたのは、古びた手帳だった。几帳面に書かれた文字は見たことがない人のもの。


「これは、椚君が前に土浦さんの残したものだ。彼の親友・相模良太の手帳らしい」


 相模良太。私も何度か話したことがある。クヌギくんの親友。彼とだけは、クヌギくんも素の自分をよく見せていたように思える。きっと、本当に親したかった。だから、クヌギくんは覚醒した。皮肉にも、それに足る絆がクヌギくんを絶望へ陥れた。


「これの正体が、〈真夜中のケルベロス〉っていうことですか?」

「おそらくね」


 憲司さんは頷く。


「今は文也……、ああ、ニナさんの仲間ね、彼に調べさせてもらっているんだけど。詳しい事情は情報が集まってから、ということになる」

「……にしても、文也さん遅くない?」


 ニナが今更ながら、言った。

 私にはその文也さんはわからないし、いつ出かけたのかも知らないので肯定できない。


「まあ、そのうち帰ると思うけど」

「〈真夜中のケルベロス〉は、どんな人物なんですか?」


 私は代わりに、尋ねていた。


「会ったことは無いけど……とても凶暴だって聞いたね」


 憲司さんが言う。


「――噂じゃ、椚君と三日三晩に渡って戦い続けたことがある……っていうのも、聞いたけど。事実としてもわからないし、勝敗なんかも聞いたことがない」

「なんとなく、性格上に難ありって感じがするなぁ……」


 ニナは笑いを噛みしめるような顔をした。世々に脛を蹴られていた。

 憲司の言葉を聞きながら、空音は思った。

 もしかしたら、あるいは――。クヌギくんと真夜中のケルベロスの間には、二人しか知らない何らかの絆が結ばれていたのではないか。だから、黒天を今でも護っている、とも。



 それは、不意だった。



 喫茶店の扉が無造作に開かれる。

 それと同時に投げ出される人影。ボックス席に衝突し、呻き声を上げた。


「文也さん――!?」


 ニナは殆ど反射的だった。

 文也の元へ瞬きのうちに移動し、扉の方へ体を向けていた。私もまた、扉に目を向けた。

 獣。そうとしか形容できない。大柄な男がいた。身長は軽く二メートルを超える。ギラついた瞳。鬣のような黒髪。発せられる重い空気が、私たちの場を支配する。生まれながらの強者の君臨。


「――お前らか? オレの周りをコソコソとしてた連中は?」

「誰だい、土足で踏み込んでくるなんて、ちょっと非常識じゃないかな?」


 憲司が、努めて冷静に問いていた。


「お前らが先に土足で踏み込んできたんだろう?」


 男は、多くを語らない。

 ただ、その場にいるだけで、言葉以上に物語る。ただの人では非ず。もはや、この男が誰であるのかを、私たちは十分に察しているつもりだった。

 その時だった。

 ぐわぁんぐわぁん――――――…………、

 ボウルを落とす音がした。それは、静寂した空間の中、よく響いてしまった。



「……、」



 そう呟いていたのは、ボウルを落とした本人である――ハトだった。

 男は、ハトを見て、一言。


「……ああ、ここが〈平和の杜〉だったのか」


 誰もが、驚いていた。ハトと男の関係性を。しかし、それ以上に、男の雰囲気が変わった。獰猛で凶暴で、それでいて理知的なまでの、獣のように――



「――オレはキリュウ。お前らがコソコソと嗅ぎ回っていた〈真夜中のケルベロス〉だ」

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