#018 黒の少年、廻る運命
圭人は、目を覚ました。
冷たい地面の感覚。視界の先に広がる満天の星空。自分が地面に横になっていることに気付く。だが、焦りはしない。記憶をゆっくりと思い出していく。
あの時、圭人は仮面の男――否、椚夕夜に似た男、否。椚夕夜?
仮に、Xとしよう。圭人は、そのXの戦いをした。最後の一閃を空音が放とうとした瞬間、Xは雷撃を撒き散らせ。そこで、圭人の記憶は途切れている。
少なくとも、生きていることだけは確かだ。
「すぅ……、」
隣から、気配を感じ取った。
圭人は起き上がり、隣を見た。
前髪が目に掛かっていた。圭人は、前髪に触れようとした。寸前、記憶が甦る。それは圭人の身体を硬直させ、瞬に触れることは許されなかった。
「……、」
圭人は頭を振って、周囲を見渡した。
ラボの外だ、と理解する。いつ、運ばれたのか。誰が、運んだのか。
「……よぉ、圭人。無事だったみたいだな」
背後から、声が聴こえる。
圭人が振り向くと、その先には哲郎がいた。隻腕のせいか、気を失っている白奈を背負っている。哲郎の表情には、疲労が色濃く残る。
「そっちこそ。
「ちょっと人と話してる」
「人と……?」
「それと、お前さんに客だ」
客――? 誰であるのか、圭人にはまるで心当たりがない。そもそもこの状況下で、誰が尋ねるというのか。
哲郎の後ろに、その人物はいた。かつ、かつ、とした足音が響き、圭人と対面した。圭人はその人物を見た瞬間、言葉を失った。動揺が顔に出た。
「久しぶりだね、圭人」
「…………憲司」
かつての仲間、〈平和の杜〉の一員であった、憲司が立っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は、改めて新崎ニナと対面していた。
ニナの隣には、小柄の、紫に近い髪をした少女だ。まだ、十二、三ほどの年齢に見える。
ニナは、世々という少女に説教を受けている最中だった。
「誰が、いつ、戦えと言ったっけ? ヤドリとはまだ戦うなって言われていたよね? というか、わたし、言ったよね? ラボも壊すし、何やってるのさ」
「えっと……、落ち着こうよ。戦ったわけじゃないから。ちょっと話をしただけで――」
「言い訳すんな」
「……はい、」
あの存在感溢れるニナの姿はどこにもない。幼女に叱られる、ダメ人間に見えなくもない。
ようやく世々の説教が終わると、世々は私に視線を向けた。一瞬、ドキリとする。まるで見透かされたかのように、瞳に引き込まれそうになる。どこか、幼女という姿に違和感を覚える。
「わたしは、
「……え、ええ」
「いくつか確認したいことがあるんだけど、椚夕夜を魔法使いにしたってのは、貴女なの?」
「っ……、」
私は心臓を鷲掴みにされたかのような、息が詰まる思いをした。東雲さんの言葉が甦る。クヌギくんを魔法使いにした。それは、私の罪だ。
「……はい」
「そう、」
世々は、ニナに視線を向けた。
「えっと、神凪さん」
ニナが、口を開く。
「私たちは、神凪さんの味方になるために、貴女を探してました」
私の仲間になる。ニナは今、そう言った。ニナの目的が読めない。その疑問と疑心が、表情として出ていたのだろう。ニナは苦笑していた。
「まあ、急に言われても戸惑うだろうし、疑ってしまうと思うから……、私たちは〈平和の杜〉とも同盟を結んでます」
不殺のクラン〈平和の杜〉。久しぶりにその名を聞いた気がした。同時に、罪悪感が襲う。
「もう一度、魔導大戦を終わらせるべく、そのキーになるのが、貴女なんです」
ニナの言葉がずん、と私の身体を重くした。それはいつか、自分から逃げてしまった責任か。あるいは、使命か。ニナはそれ以上、言葉を発することはせず、私の後ろに視線を向けた。小さく微笑む。
「ども、憲司さん」
私は、後ろに振り向いた。柔らかい微笑をした青年が、圭人たちと共に現れていた。憲司は私を見て、やあ、と手を上げる。
「久しぶり、神凪さん」
「……お久しぶりです」
思わず、視線を逸らしてしまっていた。圭人と背負われていた気絶する瞬に自然と目がいく。圭人は難しそうな表情で、黙り込んでいた。
「久しぶりの再会のところ悪いけど、そろそろ解散かな」
憲司はあくまでも自分のペースのもと、そう口にしていた。微妙な空気を察してなのか、憲司の言葉によって場が僅かに和らぐ。
「神凪さんも、僕たちのもとへ来てくれないかな?」
「はい」
一瞬だけ、ニナが別の方向に視線を向けていた。どこか遠くを見るように。その姿は先程見た強者としてのものだった。
「ニナ。ぼおーとしてないで、さっさと行くよ」
「あ、うん……」
急かされるように、私たちはその場を後にすることになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……おっと、バレてたな、こりゃあ」
ホムラは、微かに捉えた視線に苦笑した。まさか、この距離で気づかれるとは。よほどのイレギュラーと見える。
「名前は新崎ニナ。疑似特異点。〈星の魔法使い〉ってことかな。情報はそんくらいしかない」
ノラは続けて追加情報を口にした。
情報屋のノラですら、この程度のものしかない。むしろ、知ろうと思えば知ることができる情報であるので、実質的な情報は皆無と言えよう。
「……いや、むしろそこが肝なのかな?」
ホムラは、新崎ニナという存在は、僅かながらの興味を覚えていた。ここ数年、新崎ニナの姿が確認されたことはなかった。おそらく、意図的に隠れていたのだろう。こうして、情報が出回らないようにするために。
「僕たちの目を意識してる感じがするなぁ……」
「あっちには、ミラがいるからね」
ノラは小さくため息をついた。考えたところで仕方ないだろう。そう雰囲気が告げていた。
「それはそうと、ホムラ」
ノラは話を変える。視線は、崩壊したラボに向けられていた。もはや、形すらも残さない、完全な崩壊である。
「結局、ミコトの正体は掴めたワケ?」
「いや、全然」
あっけらかんとした返答だった。
「なんとなく、
「――そんでさ、ホムラ」
ホムラの言葉は、途中で独り言と化していた。覆いかぶせるように、ノラが言う。視線がホムラへ向く。その目には、どこか試すような、疑いを持ったような感情が垣間見えた。
「キミさ……、実は、色々と知ってるんじゃないの?」
「色々って?」
「そりゃあ、色々さ」
ノラは一度、言葉を切る。
語るように、それでもホムラを言及する。
「本当は、ミコトの正体について知りたいんじゃなくて。その正体について、何かしらの予想があって、確認していたんじゃないの?」
「さあ、どうでしょう?」
ホムラはそう嘯いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とん、と。
ヤドリたちは、ラボから離れた場所に転移していた。X機関が用意した、ヤドリたちのアジト入口。廃ビルの屋上だった。ビル自体はカモフラージュであり、地下にアジトは存在する。茜と秋人は突然の視界の変化に、微かに酔った気分だ。
「茜ちゃんに、秋人。先に戻っててよ」
ヤドリは背を向けた状態のまま、言う。茜は眉をひそめる。が、何か口を開くことはなく、秋人と共に地下へと戻っていった。
ヤドリは小さく息をついた。それから、ボヤくような口調で、言う。
「――ほら、出てきていいよ?」
ヤドリの言葉から、数秒後。
ヤドリの正面の、風景が歪む。
そこから、人の形が現れる。水色の髪が風に靡き、ヤドリを見据えていた。〈イザナミ〉のリーダー・綺咲睡蓮だ。
「水分身かぁ……、ユキフルとの戦いでもソレを使ってたワケ?」
「貴女が介入してくることは、なんとなく予想出来ていましたから」
睡蓮は、この瞬間を望んでいた。
睡蓮の魔法の一つに、水分身というものがある。大気中の水分から創り出した、文字通りの分身体だ。当然、オリジナルよりも実力は劣るが、この魔法の真骨頂は分身が限りなくオリジナルに似ていることだ。よほどのことがない限り、分身であることにも気付かない。
睡蓮はこの分身体を多く設置し、ヤドリを常に監視していた。途中、ユキフルとの戦闘は予想外だったが、何とか戦線離脱を図ることができた。
睡蓮の目的は、空音にも言わなかった。
X機関のアジトを突き止める。それはあくまでも、建前だ。
「……生きて、いたんですね」
睡蓮の声は、震えていた。
ヤドリは、どこか冷めた目で、睡蓮を見ていた。
「そりゃあ、どーも。そっちも。元気そうじゃない」
「どうして、X機関に与するんですか?」
「どうして? わからないの?」
小馬鹿にするような、ニュアンスが込められている。
「冗談よしてよ。
その名に、睡蓮は表情を歪ませた。
「わからない。わからないよ」
口調が砕け、綺咲睡蓮という皮が剥がれていく。本来の素の部分が、見えていく。
「私には、わからない。私は貴女が生きていて、本当に嬉しい。今だって、本当に混乱している。けど、けどね。貴女は、なんで、そっち側にいるのか、全然わからないよ」
「わからなくていいよ。スイちゃんには一生わからないよ」
「…………どうして、」
「わたしが、わたしであるためだよ。わたしは、運命を司る、ヤドリ・ミコトなんだから」
「違うっ! 貴女は、貴女はそんな名前じゃないでしょう!」
ヤドリは、首を横に振る。
「わっかんないなぁ……。結局、スイちゃんは何しに来たワケ?」
「……貴女を、助けに来たんです」
「は?」
「X機関から、救いたいんです」
「……は? はぁ?」
ヤドリは、眉をひそめて。
くすくす、くすくすくす、くすっ。
爆発した。
「救うっ? 救うって言ったのっ? 巫山戯るのも大概にしないよッ!」
それは、ヤドリが見せた、初めての感情であった。メッキが剥がれ、本性である少女が現れる。憎悪と悲愁に塗れた、悲劇の存在。睡蓮は、ただ言葉を失う。
「誰も、私を救ってくれなかった! 救いの手を差し伸べてくれなかった! 今更ッ! 今更なんだよッ!!」
ヤドリは、睡蓮を睨みつけた。
「――スイちゃん、あんたは結局、我が身可愛さで、私を救うことで、罪悪感を晴らしたい。それだけなんでしょうッ!?」
「――!」
突然、熱が冷めたかのように、ヤドリは冷静さを取り戻す。そのかわり身の早さは、ある意味不気味だった。
「――けど、もう大丈夫だよ。スイちゃん」
「……」
ヤドリは、嗤う。
「わたしが、みんなを救ってあげるから」
――――――――――――――カチ、
不意に、ヤドリの背後に大時計が出現する。秒針は、十の数字を示していた。
「運命流転――、」
睡蓮は、目を見開き、咄嗟に魔法を発動しようとした。流石は三大クランの一つ。そのリーダーである睡蓮の魔法は、すぐさま展開する。水の刃が、放たれる寸前。
睡蓮の全身から、血が噴き出す。
まるで、攻撃という概念を、受けてしまったかのように。
「……、」
睡蓮は、少女の名を、呼んだ。
だが、ヤドリは、それには答えなかった。
意識が、暗転する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今回の戦いは、敗北なのだろうか。
センジュは、ふとそう思った。
センジュたち〈鴉〉の今回の目的は、第一に〈
だが、第二の目的に関しては、殆ど達成されていない。ヤドリと、仮面の男の登場。それにより、盤上は狂わされた。センジュは、ため息をつくしかない。
センジュの足は、鴉のアジトへ向かっていた。既に、哲郎や圭人たちは一足先に帰らせてもらっている。背負っている冬美を確認しながら、センジュは戦いを振り返る。
やはり、一番の疑問は、あの仮面の男だろうか――?
あの男は、本当に椚夕夜なのか。
それはわからない。だが、わざわざ椚夕夜として偽装させたという可能性も否定できない。椚夕夜の存在は、もはや名前だけでも大きな影響を与える。
しかし、センジュはあの男がどうしても椚夕夜とは思えなかった。
そもそも、だ。
椚夕夜は、生きているのか。
今の椚夕夜は、存在自体があやふやなのだ。だからこそ、こういった偽物
「んっ……、」
背負っていた冬美が、目を覚ましたようだ。
「起きたぁー?」
「……センジュ、」
冬美の声は、沈んでいた。
「……どういう状況?」
マギア状態であった冬美には、その間の記憶が無い。センジュは詳しい事情は省き、簡単な説明をした。冬美は、それを黙って聞いていた。
「……あの、仮面の男は?」
やっぱり、その話題にも触れるか。
センジュはどう言葉を選ぼうか、悩んだ。
「さあ? 多分、生きているんじゃないかしら?」
「……そう」
冬美は、そう呟くと、センジュの背中に顔を押し付けた。身体が、震えていた。遅れて、すすり泣く声がした。
「…………あんなの、ゆうくんじゃない」
「そうね」
「………………もう、いやだ」
「うん」
センジュは泣き止むまで、アジトまでの道のりを遠回りに歩くことにした。
それから、冬美が泣き止むと、センジュの背中から抜け出した。目は充血していたが、毅然に振る舞っていた。そこがなんとなく可愛らしい。
「戻るよ、センジュ」
「ええ」
冬美たちは、アジトへ戻る。
これから、新しくX機関及び〈
――その矢先だった。
異変に気づいたのは、アジトへ帰ってからだ。アジト全体がやけに騒がしい。興奮と疑念と、名も無き感情が渦巻いている。何か、嫌な予感を覚えるほどだ。
「何かあったの?」
冬美は近くにいたメンバーに訊いた。
「いや……、それが……、」
言いにくそうに、言葉を詰まらせる。
冬美は眉をひそめた。そのメンバーは三十階に行けばわかる。幹部たちが対応している、とだけ言った。つまり、哲郎や圭人たちが対応しているということだ。
ますます、冬美は疑問が深まる。
仕方なく、三十階まで上がる。
「何があったんだろうねぇー?」
「さあ?」
センジュもまた、軽い口調だが、言葉の端々に緊張が含まれている。……ように、冬美に聞こえただけかもしれないが。
三十階に到着する。
『――久しぶり、フユミちゃん』
沈黙。
冬美は、目を見開いていた。
「……そんな、馬鹿な」
センジュもまた、息を呑む。
その異様な空間は、ある人物が創り上げていた。哲郎も、目を覚ました白奈も、圭人も。皆が同様の反応だった。どう、返せばいいのか。どう受け取ればいいのか。
部屋の奥に、陣取るように座るのは、仮面の男だった。黒い仮面。だが、ヤドリが召喚した仮面の男とは、仮面が異なる。この男の仮面には、模様が一つとしてない。完全な無地だ。
男から放たれた声は、合成音だ。
『あれ、どうしたの?』
あっけらかんとした声。
だが、驚くのは、そこではない。
男の背後には、四つの黒天があった。
「――あなた、……だれ?」
冬美の声は、震えていた。
そこに微かな期待が含まれていたのを、センジュは感じ取ってしまった。――否、危険な匂いがする。
『僕だよ。僕は、椚夕夜だよ。みんな、ただいま』
鴉のアジトから僅かに離れた路地裏で、音羽は電話をしていた。
「あー、はいはい。〈鴉〉はやっぱり、黒天は持ってないみたいでしたよー?」
音羽の任務は、鴉へ潜入し、内部調査をすることだった。その一つが、黒天を所有しているかどうか、というもの。
「それで……、問題のクヌギ様の件なんですけど……、」
もう一つ、椚夕夜の生死について。
鴉は実は椚夕夜を匿っているのではないか。そう、ヤドリは推測していた。勿論、あくまでも推測であり、死亡しているだろう、とは考えられている。だが、ここ最近、急速に椚夕夜の生存説の噂が蔓延していた。一応の調査だった。
「――よくわかりませんでした」
音羽の調査結果に、通話先の相手はくすくすと笑い出した。
「それと、
はぐらかされた。
まるで、嘘とも本当も解釈できるような、上手い躱し方だった。
「あー、はいはい。それじゃあ、ひとまず調査は終了ってことでいいんですよねっ?」
次なる任務が、音羽に下される。
「えー、ちょっとなぁ……、気が引けるなぁ……、いや、今更なんですけどもねっ」
音羽は、ケラケラと笑った。
「はあ、まあ。任務ですから。――牧野冬美を殺しますよ。クヌギ様のいない〈鴉〉なんて、もう要らないでしょ?」
To Be Continue...
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