#017 星の少女、運命交錯
「新崎、ニナ――……、」
空音は、その名前を反芻していた。知らない名前だ。それなのに、妙に言葉にすることで、しっくりと来た。まるで、こうしてニナが現れることが、さも当然であったかのように。
ニナは、一瞬だけ、視線を動かす。その先は、空音だった。視線が交錯する。どくん、と心臓が高鳴ったような気がした。雰囲気が、椚夕夜に似ていた。
ニナはすぐに、ヤドリたちに視線を戻す。
呻くような反応をしたのは、秋人だった。
「アイツ……、まさか――」
「え、知ってんの?」
ヤドリが意外そうな目をしている。
「前に話したことぐらいあんだろ。二年ぐらい前だったか、黒天回収のとき、邪魔された連中がいる話。アイツがその筆頭だ」
「……………………へぇ、」
ヤドリは、興味深そうに、あるいは、酷く冷たくモノを見るかのような目で、ニナを見上げる。
「はじめまして、ヤドリ・ミコト」
「うん、はじめまして」
「早速なんだけど、今すぐ黒天をそこにおいて去ってくれない?」
いきなりすぎる。空音を含むセンジュも驚きで声を失っていた。ヤドリだけが、ニナの言葉にケラケラ笑っている。
「何言ってんのよー、この子はー。初対面でさぁ、ウケる」
「ユーモアたっぷり含んでるから。笑えて当然だよ」
ニナもニナで、おかしな返しをしている。
その不思議で、緊迫が立ち消えたような危うい空気の中でも、破壊者はいる。
「――ぶがいしゃは、だまって」
冬美の、極限まで冷え切った声音が、ピシャリと雰囲気をぶち壊す。ヤドリは面白そうにニヤニヤとした笑みを浮かべ、対して、ニナはつまらなそうな表情をしていた。
「部外者はそっちでしょ? 人が話してるときは黙って話を聞いてなよ」
「ぶぼっ!」
ヤドリが、吹いた。
「……なんなの、あの子は、」
空音の隣にいたセンジュは、その場にいる者たちの内心を見事に表していたと言えよう。
「……だまれだまれだまれだまれだまれ、」
冬美は止まらない。理性を失った冬美にとって、突然と現れたニナは敵として断定される。冬美が再び魔法を放とうとする。だが、その寸前。
「
「っ……!?」
不自然に、冬美の動きが止まる。
冬美は目を見開き、動こうとしているが、身体は動こうとしない。釘を打たれたかのように、硬直している。
「おいおい、言霊っつう、高等技術じゃねえかよ……」
狂が呻くように呟く。空音も、聞いたことがあった。言葉に魔力を乗せて、それを実現させる。言霊と呼ばれる技術。その技術を使える人は殆どいない。
ニナは、四階層から降り立つ。
冬美には、見向きもしない。
「どこで言霊を覚えたの?」
ヤドリがニナに訊く。
「勝手に覚えた」
答える気があるのか、真実を口にしているのか、空音にはわからなかった。狂は鼻で笑い、んなわけない、と口にしている。
だが、ニナがヤドリと対峙できることはない。二人の間を阻むように、仮面の男が立った。黒天と、椚夕夜に似た魔力を持つ存在。
「どいてくれない?」
ニナは、歩みを止めない。
男は、黒刀を構えていた。空音は目を見開く。まさか、あの男と戦おうとしているのか。
「貴方に用は無いよ」
ニナは素っ気なく、歩み続ける。
次の瞬間、男がニナに向けて、地面を蹴り出す。空音ですら視認することがギリギリの動きだ。
遅れて、轟音。
「え、」
「……うそでしょう?」
「……は?」
空音、センジュ、狂は三者三様の驚きを漏らしていた。いつの間にか、ニナの手には透き通るような蒼い刀が握られていた。刀身が揺らいでいるようにも見える。物体として曖昧であり、刀として凝縮したかのような。
ニナは蒼刀を振り抜いていた。その先に、地面にめり込むように激突する男。たった一撃で、男を吹き飛ばしてみせた。
バチッッ――――――――――――、
閃光が、鳴り響く。
男は黒刀から雷鳴を轟かせる。〈雷の魔法使い〉の魔法。空音は背筋に冷たいものが走った。雷を纏ったあの男は、あまりにも速すぎる。
「逃げ――、」
空音がそれを口にすると同時。
一気に、男が飛び出した。電光石火の如く、音だけが響き渡り。
刹那、ニナの手によって、男は地面に叩きつけられる。
ニナは顔面から、叩き落していた。ガンッ、という重い音が響き、ニナは男を見下ろしている。刹那の時間。空音たちは何が起きたのかを、理解できなかった。認識できぬ間に、全てが終了していた。
ニナは、男から視線を外し、ヤドリを見ていた。ヤドリはどんな顔をしているのか。空音はヤドリを見て、ゾッとする。
嗤っている。今にでも笑いだしてしまうかのように、ニヤリと、嗤っていたのだ。
その異様な空間に、空音は呑まれていた。空音だけではない。センジュも、狂も、マギア状態であった冬美でさえ驚愕する。
ヤドリの後ろにいた秋人と茜は、目を見開き、固まっていた。
今この空間は、二人の少女によって掌握される。
「強いね、ニナちゃん」
「貴女にちゃん付けされる言われはないよ。せめて先輩呼びしなさい」
「ふふふっ、面白いねぇ」
「……世間話はもういいでしょ? 私の要求は二つ。黒天を手渡すこと。そして、この場から立ち去ること。簡単じゃない?」
「むりむり。簡単に言ってくれるなー」
「そちらの事情なんて知ったことじゃない。少なくとも、黒天はそちらが所有すべきものじゃない」
「それはそっちも同じでしょ?」
「私は
空気が、乾いていく感覚。
酸素そのものが消えていき、息が苦しくなるような臨場感。
「もう一度言うよ。黒天を渡せ。そして、立ち去りなさい」
「誰にものを言ってるのかな?」
瞬間、二人は動き出した。
ヤドリが手を突き出すのを合図に、空間が切り裂き、そこから魑魅魍魎が溢れ出す。口だけ開く化け物。もはや、化け物としか形容できないソレらが一斉にニナを襲う。
ニナも、魔法を発動した。無限の、星光の剣。その矛先はヤドリへ。ニナはヤドリを見据え、言葉として紡いだ。
「
直後、二つのチカラの激突が始まる。
「ッ――――――――!?」
空音は息を呑んだ。
それはもはや、異次元の戦いと言える。
ニナの剣が魑魅魍魎に触れる瞬間、音も立てずに消滅させていく。連鎖的に、伝播するように。
対して、魑魅魍魎は頭をもがれ、口を消し飛ばされ、悲惨な目に遭いつつも、消滅された先から無限に増殖を繰り返していく。魑魅魍魎は一気に膨れ上がり、ニナを呑み込もうとする。剣たちが縦横無尽に駆け巡り、破壊していく。
問題は、空音たちだ。
「……やばっ、」
センジュから、珍しく焦りの声が漏れた。
避難するためにつり上がっていた鎖が、音を立てて崩れた。巨大なチカラ同士の余波に、空音たちは巻き込まれたのだ。
落下していく。
落下する先には、ニナとヤドリの攻防だ。
「ちっ、くしょうがッ!」
狂が吠える。
風を
遅れて、溢れ返った魑魅魍魎が空音たちを襲いかかる。
「やばやばやばやば――、」
「っ……!」
センジュと空音は瞬間的に、魔法を発動し、魑魅魍魎を消し飛ばす。だが、無限増殖を繰り返す魑魅魍魎は圧倒的だった。波のように、増え続ける。
特に、センジュは圭人、哲朗、瞬といった負傷者を抱えている。明らかに、不利だ。
(マズイ――!)
空音は、抑えきれない、と悟る。
――次の瞬間、空音たちを囲っていた魑魅魍魎が、一網打尽された。
電光石火のごとく、閃光が煌めき、空音たちの前に、ニナが立っていた。
「貴女は――……、」
空音が言葉にするよりも早く、ニナは言う。
「六時の方角に四階層へ上がる階段があります。それを使って逃げてください」
ニナは、空音に視線を向けた。
「神凪空音さん、ですね?」
空音は、目を見開く。
この少女は、自分を知っている。
「……え、ええ」
「
「ま、待ってくださいッ。貴女は――」
次もまた、言い切ることができなかった。突然、ニナの身体が横へ飛んだからだ。――否、何かが、ニナの身体に突進したのだ。
ニナは、微かに表情を歪ませた。
仮面の男。雷を纏った黒刀の一閃。ニナは反射的に蒼刀で受け止めていた。性懲りもなく、仮面の男はニナを襲った。
「しっつこいなぁ……、」
ニナは一閃を弾き返した。
その勢いのまま、さらなる追撃を加えようとするが、魑魅魍魎の波が一気に埋め尽くそうとする。
四方八方から、攻撃が襲う。
呑まれる。
刹那。
ニナは、蒼刀を水平に構え、弧を描くように回す。すると、鋒から空中に絵を描くように、空間が割れる。綺麗な円の、光が生まれた。
キラリ、と。光は煌めく。
そこから、膨大な魔力が迸る。
「
突如、放たれたのは、光の乱流。
プラズマのようにも思えた一撃は、仮面の男を巻き込み、魑魅魍魎を一斉に消滅させてみせた。その余波は空音たちにも影響を及ぼす。空間全体が軋み、衝撃波が周囲を消し飛ばしていく。
ニナが攻撃を終えたあと、そこには一本の道ができていた。ニナの視線の先に、驚いたヤドリの顔がある。壁に激突する形で、茜と秋人がいた。
「…………強い、」
空音は、その様子を見て、呟いていた。
今、空音の前にいる少女は、自分たちの誰よりも強い。その圧倒的な存在に、気圧されていた。
ヤドリは、不敵に嗤う。
「いいね。いいねっ。ニナ、あなた、本当に強いね」
「褒めても何も出ないよ」
ニナは蒼刀を下ろしていた。
だが、立ち振る舞いは、一寸の隙も見当たらない。
「ふふふっ、ふふふ――……、面白い」
直後、ヤドリの背後に、
音を立てて現れたのは、空中へ浮かぶ時計。巨大だ。この空間にあまりにも不自然に、厳かにあるソレは、九の針を示している。
空音たちも、ヤドリの
「おい、ミコトっ!」
秋人だけが、焦燥感をあらわにする。
「俺たちも巻き込まれるぞッ!?」
「自分でどうにかしなよ」
一蹴。
何かが、起きようとしている。
肌で、本能的に、警鐘が鳴る。
ニナは、動揺しない。
「……そう、これは、本気かな」
ニナから、魔力が膨れ上がる。それは空音の想定をすぐに超えてみせ、さらに、さらに深く、重く――……。
「冗談でしょう……?」
センジュは、呻いていた。
ニナから解放される魔力は、一個人が持つ許容を超えている。その姿は、まるで――
二つの異次元が、衝突する。
そのとき。
――地面が、大きく揺れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――崩壊かッ!」
狂が叫んだ。
ヤドリとニナ。二つのチカラに、ラボが耐えられなかったようだ。私は、ヤドリを見た。既に、ヤドリは魔法を解いていた。僅かな、不満そうな感情を残しつつ。
「……お開きかな」
ヤドリは、そうして、私に視線を向けた。
何かを含んだような、そんな居心地の悪くなるような目だった。
「待って。せめて黒天は置いてって」
「置かないよ、ばーか」
ニナが、地面を蹴り出した。
早い。瞬時に距離を詰め寄る。
だが、ヤドリのほうが、一歩早かった。
「じゃあね、魔法使い諸君」
ヤドリの姿がかき消えるのと、ニナの蒼刀が空を切るのと同時だった。
いつの間にか、茜と秋人の姿も消えていた。
沈黙が、訪れる――。
私は、ニナに話しかけようとした。けれど、現状はそれを許さない。ラボの崩壊が進んでいく。
「おい、カンナギっ! 逃げるぞッ!」
狂が叫ぶ。
「うう……、ワタシ、かなりの重労働じゃないかしらぁ?」
負傷者を背負うセンジュが、出口へ向かおうとしている。ニナは、その場に立ち尽くしている。表情が窺えない。
「カンナギっ!」
「……はい、」
後ろ髪を引かれるように、私は、その場を去った。
それから数分も経たず、ラボは崩壊した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ラボ崩壊まで、残り数分。
あるいは、今にも崩壊するかもしれない。
そんな中を、私たちは駆け抜けていた。
現在、第三層。全速力で駆け抜けているが、思わぬ障害が私たちを阻んでいた。ラボ内に設置されていたトラップだ。突然のバリケードにより、何度も落とされる。
「ちょっとぉ、なんでこんなにトラップが多いのよぉ……!」
センジュは、ストレスのあまり、不満の声を漏らす。
壁に風穴を開ける、という選択肢も無い。無闇に穴を開ければ、それが崩壊の連鎖を生むこともあり得る。必然的に、先に進む足が遅くなる。
「やばい、」
狂が、呟く。
「なにか……、」
「そろそろ、眠くなってきやがった」
「――!」
「ここで荷物が増えるのはマズイな」
狂は今、白奈の身体を借りている状態だ。それもこれほど長時間人格が表面化しているのも初めてだ。既に、狂は限界に近い。
「道もほぼ埋まってやがるし……詰んだな」
「ちょっと、狂ちゃん。不穏なこと言わないで」
「ちゃん付けすんな。愚痴こぼしただけだろ」
その時、天井が崩れる音がした。反射的に、私は回避しようとしていた。
それと同時、先程私たちがいた地面に、亀裂が走る。音を立てて壊れ、閃光が放たれた。
降り注ぐ瓦礫を消し飛ばし、現れたのは、ニナだった。ニナは、気絶していた冬美を片手で担いでいた。
「冬美ちゃん……!」
ニナは私たちを目にとどめて、不思議そうな表情を浮かべた。
「まだいたんですか?」
「まだって……、そりゃあ、この状況見りゃあわかるだろ」
狂が、そう返す。
ニナは首を傾げるだけだ。
「地上まで魔法で通路を作ればいいのでは?」
「それだと、崩壊するだろうが。……つうか、さっきのお前が穴開けたせいで、余計に崩壊するのが早くなったっての」
「……………………たしかにー」
ニナは今更ながら気づいたような表情をした。思わずガクリとしてしまうような反応だ。
私は困惑していた。ヤドリと対峙していたときのニナ。あのときの彼女は明らかに異次元の怪物であり、圧倒的な存在感のもと、君臨していた。それが、今は空気自体が砕け、霧散している。それはセンジュも狂も感じ取っていただろう。
「まあ、大丈夫です。私に付いてきてください」
ニナはそれだけ言うと、天井に視線を向けて立ち止まってしまう。付いてこい、と言った割に、すぐに動こうとしない。そうしているうちに、崩壊は連鎖的に起きている。
ニナは天井を……というより、どこか遠い場所に視線を向けているかのようだった。
「……わかった、世々」
セセ――? 人の、名前だろうか。
ようやく、ニナは動き出す。
「まだ動けますか?」
「え、はい」
「マーシャル・アーツをお願いします。私が合図すると同時に、一気に駆け抜けてください」
「……おい。小娘、何するつもりだ」
狂が嫌な予感を覚えたのか、聞いていた。ニナは振り向きもしない。
「小娘じゃないです。新崎ニナです」
「んなことを言いたいんじゃ、」
「風穴を開けますよ」
ニナは、蒼刀を構えた。
それに、今、なんと言った――?
風穴を――……、
「まさか、」
ニナは、放つ。
「――
一閃。それは三層分に風穴を開けるほどの威力を誇り、同時に崩壊を決定的なものとさせる。刹那の時間の道が出来上がる。夜空が見えた。
「進んでください」
「アホか、お前はッ!」
狂はそう叫びながら、飛び出す。
「……」
私は答えず、ニナの後を付いていった。
そして、地上へ。
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