#006 残された者たち

嗤う死神グリラフ〉。

 かつて、三大クランとも引けを取らないエセたちを集わせ、勢力を拡大させていた犯罪系クラン。

 そのリーダー。死神と呼ばれた男・ブラッドは残虐非道、悪の体現者として、弓月市に闊歩していた。

 その日、〈嗤う死神〉は壊滅した。たった一人の魔法使いの手にとって。その後、〈嗤う死神〉の名は薄れていき、誰かが、無意識のうちに解散している、と。そう思い込んでいた。


「嗤う、死神……? それ、本当?」


 冬美の言葉には、殺意が籠もっていた。冬美がセンジュの方を見る。センジュは、素直に驚きの表情を見せていた。

 死神は、鴉にとって因縁の敵だった。夕夜は親友を殺され、哲朗たちにとっては、家族を殺される。そして、センジュのかつて所属していたクランだ。


「誰がリーダーを務めてるのかしら?」


 センジュが、口を開く。

 哲朗は、遅れて答える。


「〈力の魔法使い〉アンジュだ」

「あー、アンジュちゃんかぁ……」


 センジュは納得したように頷いている。冬美は一度だけ、目にしたことがある。〈嗤う死神〉のアジトへ突入した時、一瞬だけ顔を見た。


「そもそも、〈嗤う死神〉って確か、X機関の下部組織だよね? なんで〈ドクター〉を攫ったりしたの?」


 ここで、この場を代表するように、白奈が疑問を口にした。


「これは、多分なんだけど……」


 センジュは一度考え込む素振りを見せて、言う。


「夕夜クンが〈嗤う死神〉を壊滅させてから、事実上、下部組織って枠組みは消えたんだよ。実際、ブラッドもX機関に強制的に部下にされてた節があるし」

「つまり、仇討ち?」と白奈。

「その可能性が高いだろうねぇ。……けど、ぶっちゃけると、ワタシ、ドクターってどんな人か知らないのよねぇ」


 ドクターという名は度々口にされる。X機関所属の存在。しかし、その実態を知る人間はほとんどいない。


「俺は売人だった洲崎経由だから、ドクターは知らない」


 圭人が言う。洲崎、という言葉に真っ先に反応したのは、瞬だ。ビクリ、と体を揺らし、ちらりと圭人を見ていた。圭人は無表情に、何の反応も示さない。


「……ってことは、テツくんと白奈ちゃんか」


 この場で、ドクターを知るのは、哲朗と白奈だけだ。白奈はやや顔が青ざめていた。その時の、残虐の限りを尽くす実験を思い出してしまったのだろう。

 哲朗は白奈の頭をぽんぽんと、撫でていた。硬直した体を、溶かすように。

 哲朗が一歩前に出る。


「オレたちも、ドクターについて、そこまでは知らねえ。背が小せえ、ジジイだったってこと。それと――」


 言葉を一度、切った。


「E計画……つう、計画の代表者だったってこと」

「E、計画……?」


 瞬が、言葉を反芻する。


「内容は知らねえ。ただ、白奈が魔法使いの人格を複写した実験……その一端がE計画にあるらしい」

「全貌がよく見えてこないが……まあ、ドクターがヤバいやつってことだけはわかった」

「ゴミクズ」


 ぽつりと、呟く白奈。



「――そんなこと、どうでもいいよ」



 そう、口にしたのは、冬美。

 今まで、一度も言葉を発していなかった。この瞬間まで。

 ゾクリ、とした。この場にいた誰もが、寒気を覚える。冬美から発せられた負の感情に、気圧されたのだ。ごちゃまぜになったかのような、憎悪。


「その情報、本当なんですよね?」


 冬美が哲朗に訊く。


「あ、ああ。だ。間違いない」

「まあ、お金さえ積んでおけばあの人は情報を提供してくれるし、多分、本当かな」


 冬美は頷いた。


「〈嗤う死神〉は、ゆうくんの親友さんを殺して、ゆうくんを悲しませた、最悪の敵だよ。〈ドクター〉なんて、どうでもいい。徹底的に潰すよ。生きることが後悔するぐらいに」


 冬美は、嗤う。

 壊れてしまった少女を、彼らは、黙って見るだけしかできなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



〈嗤う死神〉の残党。

 それを率いるは、かつて私が戦った相手。〈力の魔法使い〉アンジュ。


「アンジュは細々ではありましたが、〈嗤う死神〉を密かに活動させていました。今回の強行に至ったのは、X機関との間に、何らかの齟齬が生じたからでしょう」


 睡蓮は、あくまでも淡々と、事実を告げていた。


「なんで、ドクターを攫ったのですか?」

「わかりません」


 睡蓮は首を横に振る。

 私はドクターが攫われた、という情報に衝撃を受けているが、睡蓮にその様子は無い。


「私は、ドクターと面識があります」

「えっ?」


 睡蓮の言葉に、俯きかけていた視線が上がる。


「ドクターはクズ中にクズです。……しかし、研究者、という枠だけで考えれば、ドクターの頭脳は世界トップクラスです。アンジュは、ドクターの力で何かをしようとしているのかもしれません」

「……なにか、を」


 それが何であるか、わからない。

 そもそも、アンジュが何故、〈嗤う死神〉を率いていたのか。この四年間、私は何もしていなかった。それを痛感してしまう。


「現在、残党とドクター、そして、黒天はユヅキ旧西区、第一ラボと呼ばれる場所にいます」


 西区は確か〈アグニス〉の領域だ。


「鴉とX機関、その両方が動いてます。最悪、ホムラたちも動いてくる可能性もある……」


 三大クランによる三つ巴の刻。

 魔導大戦以上の惨禍になるかもしれない。憎悪、憤怒、懐疑。ありとあらゆる感情が入り混じった、果ての戦場。


「――覚悟は、できてますか?」


 ファイナルアンサー。

 迷いはもう、無かった。


「はい」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 かつん、かつん、と。

 響き渡る足音。それは、頑丈な扉の前に止まる。牢獄のような、あるいは、外敵から身を守る篭城のような。……今回の場合は、完全な前者だが。


『久しぶりのラボじゃのぉ。まだ形として残っていたとは』


 扉の先から、声が聴こえてきた。

 足音が止まる。扉の前に、一人の女が立っていた。切り揃えられた髪と、知的そうな面差し。〈力の魔法使い〉アンジュだ。


『それにしてもお主が儂を攫うとは、一体どんな用件か?』


 そして、扉の前。

 そこにいる人物。

 ドクターと呼ばれた最高峰の研究者。


「七つの黒天。椚夕夜が遺した、三大クランの勢力図すら書き換える遺産――」


 アンジュから、言葉が紡がれる。原稿用紙を読むように、抑揚のない声音だ。


「――私に、黒天のチカラを移植してください」


 扉の先の声が、沈黙する。

 ドクターにとって、その言葉が想定外であったのか。表情が見えないため、察することは叶わない。

 返答に、数秒の時間を消費した。


『東雲茜と同じチカラを手に入れたい、と思うのなら、勘違いを訂正させておこうぞ。あれはのぉ――』

「そんなこと、どうでもいい。出来るか、出来ないか」

『出来ないことはない』


 何故、素直に答えないのか。

 アンジュは扉の……その先にいるドクターを睨む。


『しかし、お主……、――死ぬぞ?』


 ドクターの声音には、落胆と失望。

 それは、決して人情からではない。魔法使いとしての素材が無駄に消えてしまうのを、惜しく思う。まるで、モノの扱い方を見て、もったいないと思うような。

 アンジュは、唇を緩めた。

 どこまでも、ドクターはドクターに過ぎない。その在り方は、狂っていて、それでいて純粋だ。


「今更、死など恐れていません」


 アンジュから、声が漏れていた。



「あの化け物を、ヤドリ・ミコトさえ、殺すことができれば」

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