#004 紅ノ夜③

 X機関第■アジト。

 茜と皇は、帰ってきた。

 茜は先程会ったばかりの、空音の姿を思い返す。憎いほどに、四年前と変わらず、空音は綺麗だった。

 けれど、それ以上に憎かったのは、彼女がまるで非魔法使いのように見えたこと。日常に自然体として溶け込み、当たり前のように、少女のように過ごしていること。

 椚夕夜は消えて、神凪空音は再生した。そんなことが、許されていいのだろうか。


「……なあ、茜」

「は? なに?」


 皇はビクリと肩を揺らした。茜から漏れた声が、ドスの利いた、憎しみが籠もったものだったからだ。


「な……、なんで、あのとき神凪空音を殺さなかった?」

「ミコトが怒ってたから」

「お前は、ミコトのこと、嫌いなんじゃねえのかよ」

「……」


 茜は黙り込む。


「別に裏切れって言ってるんじゃねえ。ヤツを殺すぐらい、できただろって話だ」

「……秋人くんは出来なかったけどね」

「ちっ、……だとしても、だっ。ミコトの言うとおりにする必要なんて、ねえだろッ」


 その時、皇は戦慄を覚えた。

 茜が殺意のこもったような、冷ややかな視線を、皇に向けてきたからだ。皇はゾクリとした、薄ら寒いものが背中に走る。


「……ミコトのこと、何も知らないクセに」


 茜は吐き捨てるように言う、皇から離れていってしまう。


「なっ、おいっ!」


 皇の言葉など、聞いてはくれなかった。茜を怒らせた。皇は直感的に理解した。


「……ああ、くそっ」


 皇は頭を掻いた。



「――うんうん、青春してるねぇ」



「――!」


 皇は、息を呑んだ。

 いつの間にか、皇の隣にヤドリ・ミコトは現れていた。気配すら感じ取らせない。二つのお団子結びに、黒のドレスを着込んだ少女。


「ミコト……!」


 皇は、少女の名を口にする。


「可哀そうだねぇ、アキト。茜ちゃんに見向きもされなくて」


 くすくす、くすくすくす。くすくす。

 ヤドリは、嗤う。


「茜ちゃんには人殺しをさせたくない。なら、自分でやってしまえばいい。茜ちゃんは、清くて、純粋で、濁りすら許したくない……エゴだねぇ」

「……どっから、聞いてやがった」


 皇は苦々しい表情を浮かべながら言う。


「えっと……『なんで、あのとき、神凪』――」

「最初からじゃねえか」

「それにしても、アキト。裏切りなんて、茜ちゃんに唆したりしちゃあダメだよ?」

「っ……、裏切りってワケじゃねえ。ただ、お前の言うとおりにしてる茜が気に食わねえだけだ」

「つまり、アキトは私が言いなりにしてると?」

「間違いじゃねえだろ」

「……………ぷっ、はははっ!」


 ヤドリは嗤い出した。可笑しそうに、狂ったように。但しその根底には、皇に対する嘲笑があった。


「無知は罪ではないけれども……、愚かだよね」

「なん、だと……」

「茜ちゃんを好きなのはわかるけど……、早めに身を引いたほうがいいよ? 茜ちゃんにはもう、想い人がいるのだから」

「っ……、」


 皇は、ヤドリを睨みつけた。

 ヤドリはただ、嗤っていた。ただの少女。奇抜なファッションをしただけの、ただのーー。

 それなのに、気圧される。

 何も、言えなくなってしまう。

 目の前の、少女の皮を被った化物。


「……茜ちゃんの想い人は、亡霊なんだから」


 ヤドリは小さく、呟いた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 東雲さんとの邂逅の後。

 私は、しばしの間、呆然としていた。

 彼女は非魔法使いだった。それなのに、X機関と手を組み、魔法使いとなって私の前に現れた。

 狂った運命の中に足を踏み入れてしまったのだ。魔法使いは、不幸な存在だ。決して、日常とは相容れない。

 ……私の、せいなのか。

 私がクヌギくんを魔法使いにし、そのせいで大戦が起きた。彼は消え、東雲さんは復讐を誓った。

 何もかもが、出来すぎている。予め決められたかのように、作られた物語。私たちは登場人物にすら成りえない。ただの駒として、物語を無意識に進行させていく。

 七つの黒天、X機関、東雲さん。

 私に次々と襲う。突きつけてくる。

 私だけが、取り残される――。



「――こんにちは」



 声が、響いた。

 私から少し離れた位置。

 一人の美女が立っていた。

 白の装束を身に纏い、水色の髪と瞳をした美女。暗闇の中、彼女の存在は際立っていた。彼女がその場に現れるまで、私は気配を察知することができなかった。

 間違いなく、手練れだった。

 皇の時のような失敗はしない。既に、私は白刀を構えていた。美女の口が、開く。


「武器を収めてください。私は、貴女と戦うために現れた訳ではありません」

「……?」


 切っ先が、震えた。

 実際、動揺は向こうに伝わったのだろう。美女は、動かない。戦闘の意思を見せなかった。


「…………わかりました」


 私は、白刀を下ろした。

 攻撃は来ない。どうやら、彼女は本当に戦うつもりはないようだ。


「貴女は、誰ですか……?」


 私は、訊いていた。

 美女は、答えた。


「私は〈イザナミ〉のリーダー・稀咲睡蓮。……貴女の力を貸してほしいのです」

「――!」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 どうして、こうなったのか。

 現在、私と稀咲睡蓮は私の部屋で向き合うように座っている。彼女は、私が出した紅茶を飲んでひと息ついている。

 秘密の話、ということらしい。彼女はそれができる場所を望んでいた。偶然、私が住んでいるマンションが近くにあったために、こうして彼女を招く形になった。

 それにしても、この緊張感。

 私の前に座るのは、稀咲睡蓮。

 三大クランの一つを束ねるリーダー。何よりも、彼女はクヌギくんを嫌っていた。実際、殺し合いもしたと聞いたことがある。

 そんな彼女が、なぜ私に――?


「……事の始まりは、『七つの黒天』という存在が現れたことです」


 睡蓮は、そう言い始めた。


「そのチカラは、想像にも及ばない。未知の力。魔法を無効化できる、唯一のものであると言っていい。私は椚夕夜と戦った経験があるからこそ……より理解してるつもりです」

「……」


 ここでもまた、椚夕夜。


「現状の三大クランは、非常に危ういです。勢力を伸ばす鴉と、争いを好む〈アグニス〉。おそらく、我々〈イザナミ〉に関しては、三大クランとしての、役割を果たしきれていない」


 三大クランの役割とは、大戦を大きく勃発させないことにある。それぞれが三竦みの状態となり、互いに睨み合っている状況にすること。それが、崩れ去った。


「X機関は、既にその一つを所有。〈火〉と鴉もまた、躍起になっている」


 睡蓮は、私に視線を向けた。


「これから三日後、ある場所にて、三つ巴の戦いが始まります。その場所に、黒天がある」

「……!」

「しかし、今の戦力だと、我々は乏しい。そこで、貴女の力を借りたいのです」

「……一つ、いいですか」

「はい」


 私は、言うのを躊躇ってしまった。

 それでもなお、睡蓮と目を合わした。透き通るような、綺麗な瞳。


「……なぜ、私なのですか」

「それは、貴女が強い魔法使いであるからで――」

「……そうではなくっ」


 声が、強くなってしまった。

 咄嗟に言葉を切る。一度、深呼吸。

 頭の中で、言葉を整理して。


「私は、貴女が敵対した、椚夕夜の仲間だったんですよ……?」

「……それは、知っています」


 睡蓮は、静かに頷く。


「あれから、から、四年。私も、椚夕夜について、少しだけ、わかったことがありました」


 睡蓮は、語るように言う。


「椚は、何かの為に、戦っていた。我々の知らぬ、何かの……誰かの為に。私は、椚を理解するのは、無理でしょう。けれど、その行動自体は、わかるのです。彼が誰かのために、動こうとしたのが。その行動自体は愚かではあった。しかし――」


 私は、目を見開いた。



「椚夕夜は、間違っては、いなかった」



 睡蓮は、椚夕夜を、赦したのだ。


「椚夕夜の遺したモノが、再び運命を狂わせようとしている。貴女も。椚夕夜の仲間であった貴女ならっ。彼の死が穢されているのを、赦せるのですかっ?」


 睡蓮は、頭を下げた。

 一大クランのリーダーが、一介の魔法使いに対して。


「お願いします、空音さん」

「…………」


 現状は、理解していた。

 その上で、この日常を過ごしていた。

 戦いから逃げたのは、誰かを失うのを、もう見たくなかったから。、私は沢山の人を失った。自分の世界が、壊される瞬間を、目の当たりにした。

 それは、決して珍しいことではない。

 いつだって、誰にだって、ありうること。

 ただ、私は、それまで人らしく、生きていなかった。最強の魔法使いとして育てられた人形だった。

 クヌギくんが、私は一人の人間に戻してくれた。世界を、日常をくれた。

 だから、哀しく、苦しく、辛く思う。そう、想える。



 目を、覚ますべきだ。



「――わかりました。わたしに出来ることがあるのなら……手伝わせてください」


 もう一度、戦おう。

 クヌギくんに、誇れるような。

 そんな、生き方をしよう。

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