#002 紅ノ夜①

 冬美と最後に会ったのは、魔導大戦が終わった直後。会った、というより、見かけたに近い。

 次々と撤収していく魔法使いの中で、冬美たち〈鴉〉のメンバーを見た。冬美は覚束ない歩みで、涙で腫れた目をしていた。但し、その瞳は、濁っていた。濁りきっていた。

 あれから四年。

 冬美は私と向き合うような形で、席に座った。珈琲を注文する。

 冬美を、見た。視線は自然と、黒髪の方へ。冬美も私の視線に気づいたのか、にこりと笑う。


「どう、似合ってますか?」

「え、いや……まあ」

「ゆうくんの髪の毛も、黒髪だったじゃないですか」


 不意打ちを食らった気分だ。誰かから、クヌギくんの名を聴いた。その名を、出されたことに。

 冬美は自分の黒髪に触れる。

 ここに来てから、違和感があった。冬美は終始笑っているのだ。微笑みを絶やさず、ずっと。ずっと。クヌギくんの名を、平然と出している。


「……それで、用件、とは?」


 私は自分から切り出した。

 なんとなく、嫌な予感がしたからだ。

 そこで、冬美の前に注文した珈琲が置かれる。冬美は珈琲を一口飲むと、私に向けて、口を開く。


「空音さんは、今のユヅキがどうなってるのか、知ってますか?」

「……聞きかじった、程度には」


 現在の三大クラン。

 古の時代から誓いを守り続け、王の解放を目指す〈アグニス〉。

 当てのない魔法使いにとって救いを提供する穏便派〈イザナミ〉。

 そして、かつて大戦を引き起こしたクヌギくんの意志を引き継ぎ、魔法使いを滅ぼす革命のクラン〈鴉〉。

 この三つのクランが、ユヅキの主な勢力図だ。

 また、魔法の存在が明るみになってから増えた後発的な魔法使いのクランも、ぽつぽつと現れだしているとか。


「大体、空音さんの言うとおり。勢力図として、拮抗してる。……けど、ほんの一ヶ月ぐらい前からかな。その勢力図が一気にひっくり返るかもしれない代物が、見つかったんですっ」

「……それ、は?」


 冬美の声に、違和感を覚えたのは、ここから。勢力図がひっくり返る。それは、冬美にとっては最悪の場合だ。それなのに、どこか、嬉しそうに。



「――椚夕夜の遺産……って知っていますか?」



 椚夕夜の、遺産――?

 私の反応で、冬美も察したらしい。


「あの日……、ゆうくんが王に敗北した後、その余波でゆうくんの魔法の一部がユヅキ一帯に散った。その数は七つ。それを、七つの黒天って呼ばれてるんです」

「それが、遺産…?」

「そう。既に、〈火〉はその一つを手に入れてるみたいです。その黒天は、ゆうくんの魔法である拒絶と、保存された魔法を使うことができる」

「――!」


 勢力図がひっくり返る。

 まさに、七つの黒天は、起爆剤だ。魔法を無効化できる能力と、保存された魔法を使える。使えるのが黒天一つに付き一人という制限があるが、単なる魔法使いが三種類の魔法を使用することができてしまう。

 それは、あまりにも、強い。


「わたしは、今、七つの黒天を探してるんです。空音さんも、手伝ってくれませんか?」


 冬美からの提案。

 それに対して、私は、即答することができなかった。

 私は、戦いから逃げてしまった。

 全てから、目を背け、クヌギくんが残してくれた日常を過ごしている。もう、政府としての役割も無い。ただ、何事もなく、生きていくだけ――。


「私は……、」


 声は、続かない。

 今さら、七つの黒天が、なんだ。

 それを手に入れたところで、クヌギくんが帰ってくることはない。彼はもう、死んでいるのだから。


「…………」


 言葉は出ず、心は動かない。

 沼に嵌ったように、身動きが取れない。私の体を半分呑み込み、自由を奪った。今さら、何も――。



 ドンっ!



「――!」


 息を、呑んだ。

 冬美がテーブルを叩きながら立ち上がったからだ。沈黙が、続く。やがて、冬美は飲みかけの珈琲を一気に飲み干すと、私に視線を向けた。

 にこりと、微笑みを向けてきた。

 ……目が、笑ってない。


「そうです、よね。空音さんは、もう戦いから身を引いたんでしたもんね。急に変なこと言って、ごめんなさい」


 まくし立てるように、冬美は言った。


「じゃあ、空音さん。またいつか」


 冬美はそれだけ言うと、お金をテーブルに置いて去ってしまう。扉が開き、がたん、と閉じる音が背中から聴こえた。

 ふと、窓を見た。

 冬美の背中が、見えた。

 鴉のシンボル。羽を大きく広げている。冬美の隣に現れた人物に、少し、驚く。

 スタイル抜群の美女。冬美と同じく漆黒の衣服を身に纏う。私の視線に気づいたのか、目が合った。

 四年前に一度だけ会っている。

 名は、センジュだ。

 ふりふり、と手を振ってきた。過去も今もセンジュは何を考えているかわからなかった。

 それから、二人は去っていった。


「……、」


 私は、項垂れた。

 今さら、何を――……



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 冬美たちは裏路地に入っていく。

 冬美の歩みは早かった。かつっ、かつっ、と。足音から冬美が怒りを表しているのだと、センジュは気づく。


「冬美ちゃん〜、足早いよぉ」

「別に、付いてきてなんて言ってないけどね」


 冬美は間髪入れずに答えた。キッと、冬美の視線がセンジュに突き刺さる。

 センジュは体を微かに震わす。……興奮していた。冬美もそれに気づき、視線を外した。センジュにとっては、ご褒美になってしまう。


「空音ちゃんの勧誘、失敗しちゃったの?」

「元々、は期待してない」


 突き放すような言い方だった。失望。諦観。冬美の言葉は、吐き捨てるように言う。


「それならなんで勧誘なんてしたの?」


 センジュは続けて訊く。

 ピタリと、冬美の歩みが止まる。


「だって、フェアじゃないでしょ?」

「……?」


 振り向く冬美は、嗤った。


「一応、ゆうくんの好き人なんだし、形式上は、言っておかないと」

「……怖いわねぇ」


 冬美はそれだけ言うと、再び歩き出してしまった。センジュは一度、空音の方へ視線を向けた。


(たった四年……されど、四年、かぁ)


 センジュは、ため息をついた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 冬美と別れると、私はすぐに家には帰らなかった。何も考えず、ただ散歩をしていた。ここ最近、家にいることが多かった。

 街の様子も、随分と変わっていた。

 最初の頃、避難都市ということもあって、何とも言い難い、重い空気が蔓延していた。今も、修復しているとは言えない。けれど、必死に、懸命に生きている。

 彼らは、彼らの日常を、謳歌する。

 なら、私は?

 私は、どうなんだろう。

 冬美と別れてから、頭の中には、七つの黒天という単語がぐるぐると回っている。こびりついて、離れない。

 椚夕夜。今や、その名前は、魔法使いにとって、二つの意味となる。一つは、悪魔。忌みすべき魔法使い。全ての、元凶。特に、非魔法使いにとっては事情を知らないために、原因はクヌギくんにあるという認識だ。

 もう一つの、意味。

 革命の寵児。理想の魔法使い。最強の、魔法使い。

 あるクランからは神格化され、あるクランからは悪魔のように忌み嫌われる。その存在は、あまりにも、大きすぎた。

 それは、消えてもなお、影響を与え続ける。

 七つの黒天。……クヌギくんの、魔法は、今もなお、生きている――……。

 なら、私は本来取るべき行動は、



「――お前が、神凪空音だな?」



 足を、止めていた。

 街中にある一本道。私の前に、一人の男が立っていた。赤のラインが入れられた髪に、鋭い目つき。ジャケットを着込んだ男。

 見ただけで、すぐにわかった。

 男は、魔法使いだ。


「……誰ですか」

「X機関所属のスメラギだ」

「――!」


 X機関。久しぶりに聞いた名。

 影で暗躍する、秘密結社。エセを生み出していたのも、魔法使いの存在を明るみにしたのも、全てX機関の策略だ。


「X機関が、なぜ?」

「俺個人としては、お前に用事は一切無い。……が、がお前をどうも憎んでるようだから、俺が代わりに殺してやろうかと」

「なにを、言って……」


 スメラギ、と名乗った男は魔法を発動した。

 同時に、注入に一本の刃が生まれる。バッテン印のように十字の形をした刃。切っ先を、私に向けた。



「――逝ね」



 一歩。

 スメラギは、私の間合いに入り込んでいた。気づかない。認識したとき、スメラギは既に刃を振るっていた。


「――!」


 息を呑んだのは、一瞬。

 直後、私の腕が吹き飛んだ。

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