第1章 太陽をつかむ草原 第1話 外への憧れⅢ

 兵舎へいしゃの食堂で食事を摂りウリムトに別れを告げたのち、アーチェスとマチルダは駐屯地を後にした。

 すでに日は頂点まで達しており、後は西へと沈むだけであるが直に日光を浴びると水を撒いてある都の中でさえ猛烈な暑さを感じるほどであろう。

 2人はジャガイモと玉ねぎを木籠に入れ、帰路についているところであった。

 最初はマチルダが籠を持っていたが、額から流れる汗をぬぐうためにアーチェスと持ち番を交代した。

 ツェペーニュの中心部は高い建物も多く、日陰もできやすい。暑さをしのぐために早朝の畑仕事から帰ってきた人々と日陰の中ですれ違うことも多い。

 ツェペーニュの人々は早朝から営み、次の朝が来るまでは働かないのが慣習である。例外として兵役をしている者だけが昼夜で交代しているくらいであり、午後は誰もが昼寝をする。

 早朝とは異なり、昼間ともなると涼しい砂浜も一変して灼熱地帯と化す。そのため、アーチェスとマチルダは都の中を通り、マーサの元へ戻るところだった。

 水路からの打ち水があるとはいえ、小さな体躯たいくに石畳からの照り返される熱は大人が感じるそれとは比べ物にならないものがある。

 都心から離れ、居住区に近づいて行くごとに人気も少なくなっていき、やがて外を歩いているのは2人だけになっていた。

 真っ白な岩壁が立ち並ぶ居住区入口に辿り着くと、2人は遠目から人影が入口をうろうろしているのを見つける。

 初めこそ何も思わなかった2人だが、人影が2人を視認するや否や居住区に走り去って行った。

 その様子を見た2人は、はてと顔を見合わせる。

「さっきの人は?」

「わからない。けれど慌ててるようにも見えたね」

「あんな人都にいたかなー?外からの人みたいだったけれど…」

「居住区は住んでる人しか入れないはずだけれど、ちょうど門番の交代の時間で人がいないか、それとも―」

「お昼寝?じゃあさっきの人、一応呼び止めた方が良い?」

 アーチェスが「でも相手は大人だし、大人の人を呼んできた方がいいかも」と思考を巡らせていると、マチルダはすでに走り出していた。

「マーッチ!大人の人を呼んだ方が良いんじゃないのー!?」

 マチルダは走りながらくるりと身をひるがえして「早く行かないと何するかわからないでしょー!?」と叫ぶとそのまま誰もいない居住区の門を走り抜けていった。

 どうしようか、とジャガイモと玉ねぎの入った籠に目を落とし、アーチェスは姉を1人にするわけにはいかないと決意して「ごめんね」と呟き玉ねぎを一玉だけ持ち出し、籠を日陰に置いたまま走り出す。


 入り組んだ迷路のような白壁が立ち並ぶ居住区を夏の日差しが照らし出す。

 多方向に反射する白い熱線は直視し続けられないほどまばゆいものである。

 それと同時にできる影も非常に対照的で目を休めるには十分すぎるほど光によって生み出されていた。

 居住区の門を抜けた男も、彼を裸足で追いかけるマチルダも当然ながら日陰の中を走っていた。

 そんな2人を他所に、アーチェスは厳しい日差しが照り付ける大人二人分の身長はある白壁の上から2人の行き先を目で追っていた。

 ツェペーニュの居住区で隘路あいろになりそうな場所は限られている。

 なんとかしてそこまで誘導できれば追い込むことができるが、闇雲に追い回している現状ではいくら子供の割に体力のあるマチルダでも追いつくことは叶わない。

 休息をしている大人が気付くのが一番であるが、いつものように日課で寝静まっている彼らの時間を取るのは忍びないという思いが先行して、何かが起こることを期待してアーチェスはなんとか回り込めるように壁の上を走りだした。


 男は変わらず走り続けていた。

 ところどころで立ち止まっては門の方へは行くまいと男は北へ走ることを意識しているが、どこもかしこも白壁が男と並走し続けて一向に居住区を抜けることができない様子である。

 その挙動を見たマチルダもまた、都の住人ではないことに気付き、少し休もうと足を止めていた。

 壁の上を走っていたアーチェスは壁に寄りかかって日陰に座っていたマチルダを見つけ、壁の上から声をかける。

「大丈夫ー?怪我はない?」

「うん、大丈夫だよー。それよりもさーあの人多分都の人じゃないよ」

 道を知ってる風じゃなかったと告げるとマチルダはたっぷりと息を吸って肺に溜まった熱気を逃がすかのように大仰おおぎょうに吐いた。

 ひとまず安否を確認できて胸を撫でおろして、アーチェスも気付いた事を教える。

「あの人は、そこまで悪い人じゃないと思う」

 壁の上で立ち上がって男の場所を探しながら話を続ける。

「走っていても花が咲いてるはちを踏み越えてたり、家や壁を傷つけるようなことはしてないみたい」

「言われてみれば、大きな道しか通ってなかったなぁ。よく気付いたね」

「マッチが昔ここを走り回って花瓶を割って大騒ぎになったでしょう」

 あっ、とマチルダは思い出して顔を伏せた。

「ただでさえ暑いのにー」

 アーチェスは過去を思い出して悶絶もんぜつしているマチルダを見て微笑ほほえむ。

「そこでだけれど、今回も似たようなことができないかなって」

 マチルダが上気した顔を上げて「なになに?」と好奇の声色こわいろでアーチェスに訊ねる。

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