3日目その3
ガタガタという音がする。
強風で家が揺れたのかと思いながら、目を覚ました俺は室内をボケた視界で眺める。
ガチャンと食器が床に弾け、割れる音。
ドガドガと入ってくる乱暴な足音。
今までの人生で一度も聞いたことがなかった、男の声。
「ルーン!」
マリーの必死な声が響いた。
ベッドの柵に手を置き立ち上がった。
室内に、俺の家に、見ず知らずの男たちが二人乱入していた。一人はマリーの腕を捕らえ、ひねり、持ち上げていた。
マリーの顔は苦痛に歪んでいたが、ベッドの上の俺だけを見ていた。俺だけを心配していた。
「なんだ、ガキがいるのか」
下品な男の声、最悪な声だ。
もう一人の男がこちらに歩いてくる。どう見ても俺をあやそう、面倒を見ようというツラではない。
マリーは必死でその男を止めようとするが、腕を取っていた男に後ろから羽交い締めにされ制止される。
その男の顔に浮かんだ顔の醜さよ。
マリーに対してこれから行う行為に興奮し獣の本性が浮き上がっている。
マリーは、それでも俺の姿を見ていた。
俺とマリーの視線を、もうひとりの男の厚い体が塞いだ。
マリーが床に倒される音が聞こえた。
俺は、目の前の男の顔を、遥か下から睨みつけた。
「かわいい赤ちゃんだねぇ~。男の子?女の子。お~いこの子でどっちなの?」
後ろのマリーに訪ねたようだが、彼女の口は塞がれていて荒い息しか聞こえない。彼女がなんと叫んでいるかは、俺にはわかる。
俺の名前だ。
殴る音がして、その声も止んだ。
「なんで泣かないんだ?」
ふところのナイフを抜いてから、この男は俺に尋ねた。ナイフをゆっくりと、ゆっくりと、俺の顔に近づける。
「泣いてないと、楽しくないんだけど」
こんどは切先を眼球に向ける。近づけて、近づけて、近づけてくる。
今の俺のステータスは、体力は1を超え、素早さが0.9になっている。
もうすぐ、もうすぐだ。
0.9999999999999998…
数値の末尾が高速回転している。
赤ん坊の体に、人並み以上のスペック。
それがいかなるモンスターであるか。
無抵抗の者をいたぶり殺そうとしている、この男は知らない。
「ザクゥッ!」
男はナイフを赤子の頭に突き刺した。
数値はすでに、
1.0000000000000001…
1を超えていた。
ナイフは空を切っていた。
赤ん坊のまとっていたおくるみだけが、空中に存在し、その中身は消えていた。
おくるみが生きているかのように回転し、ナイフと男の手を縛り上げる。
「なに!」
男が反応するよりも早く、無力化された彼の腕を、
高速の赤ん坊が駆け上ってきた。
それは恐怖の光景だった。
「人並み以上の素早さを獲得した赤ん坊は」
大人の肩まで登った赤子は、肩を蹴り、顔面の前を通過する。
「弾丸だ」
男の目の前を、赤ん坊が横切っていく。
恐ろしい怒りの顔だ。
その怒り顔を見た瞬間、男の視界は真っ暗になった。
「ぐあぁあぁ!」
赤子の小さき拳が両の眼球に叩き込まれたからだ。
失明の恐怖と痛みで男が暴れ、机の上の本の山を崩す。
「どうした!」
マリーを襲おうとしていた男は、騒ぎに驚き体を上げる。
彼が見たのは、一人で苦しんでいる仲間の姿だけで、害している敵の姿はまったく見えない。
いや…いる。
室内の明かりは、赤子を目覚めさせないように消してあった。外の日も暮れ始め、室内は薄暗闇になっている。
その闇の中を、
ビュン!
ビュンビュン!
なにか小さな物が飛び回っている。
その影が見える。
「怪物?」
壁にかけてあった紐が、ひとりでに飛んだ。
いや、小さな怪物がつかんで飛んだのだ。
その紐は、目を押さえて苦しんでいる仲間の首にまとわりつき、
ギュッと背中に向かって締め始めた。
「グァ!」
仲間が背後にのけぞりながら苦しみ始めた。
仲間は背中側に引っ張られながら、ぐるぐると回る。その光景を見ていた男は、仲間の背後にへばりついた怪物の姿を見た。
仲間の首にかかった紐を、背中に立った赤子が全力で引っ張っているのだ。
むしろ怪物であってくれた方がマシという光景であった。
無垢であるべき赤子が、全力で人を殺しにかかっているという光景は、悪逆に染まった男の人生観であっても、受け入れがたいものがあった。
「チッ」
赤子の舌打ちが聞こえた。男の手が邪魔で窒息に至らしめることが難しくなったのだ。自重が軽すぎてこれ以上は紐に負荷をかけられない。ならばと、赤子は紐の締める角度を変えて、頸動脈を締めだした。
コレがうまくいき、あっというまに男を失神させる事に成功した。
マリーを襲っていた男も、立って臨戦態勢に入っていた。仲間の男は気を失って床に倒れた。その倒れた瞬間に紛れて、赤子は姿を消した。雑多な物が並ぶ室内だ、赤子のサイズなら隠れる場所はいくらでもある。
シャ!
物陰から物陰へ、影が高速で移動する。
男がそちらを向くが、すでに何者もいない。
シャシャ!
影が動く、目で追っても何もいない。
しかし、徐々に徐々に、赤子は近づいてくる。
「ふ、ふざけんな、ふざけんな…」
男は震えながら、傍にあった剣を抜く。
赤子の身長よりも長い刃物だ。姿さえ見えれば頭から真っ二つにできるだろう。
暗闇から飛んできたのは、分厚い本だった。
一冊はおでこに当たり、もう一冊はみぞおちにあたった。
強烈な一撃だったが、とうてい死にいたる威力はない。
「ダーハッハ!ガキがぁ!しょせんガキだぁ!てめーに大人がやれるわけないんだよ!」
体の大きさが違う、重量が違う、体力も力も、速さも違う。
男は気力を取り戻し、自分こそがこの場を支配しているという覇気を取り戻した。
「じゃあ、試してみるかい?」
闇の中から、赤子とは思えない、大人の男の声が聞こえた。
その声を共に、赤子がとんでもないスピードで、
弾丸の様に闇から飛び出した。
「拳ではダメだ」
赤子の拳は小さく柔らかく、人を殴るものではない。
「蹴りもダメだ」
赤子の足は柔らかく短く、かわいらしい。
「ならばどうする?」
赤子は回転し、手足を縮め、その身を弾丸に変え、
ケツから突っ込んできた。
「そのケツは、人の拳よりも大きく重い」
男の顔面にケツがあたった僅かな瞬間、男の頬肉は揺れて波立つ。
赤子の体もプニプニと柔らかく揺れる。
吹き飛んだのは男の方で、後ろにあった柱に後頭部をしたたかにぶつけた後、崩れ落ちた。
赤子はきれいに着地した後、自分の赤くなったシリをかいた。
「マリー!」
思わず叫んでしまった。マリーのそばなのに。
彼女は、気を失い倒れていた。上半身は裸に剥かれていたが、それ以上の狼藉には至っていなかったようだ。赤子が素早く行動を起こした事が功を奏した。
マリーの上半身は呼吸をし、揺れている。
赤子はそばにへたり込んだ。
フッと気が緩み、大声で泣き出してしまった。
マリーは、その泣き声で目を覚ました。
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