【19】阿部正憲の最後

 館が警察に包囲されたことがわかり、教会の構成員は忙しなく動いていた。

 ある者は大量の刃物を抱えて移動したり、ある者は拷問道具をテキパキと片付けている。

 そんな中、阿部正憲は水谷が捉えられている部屋の前に立っていた。




 阿部の人生は、実に中途半端だった。

 有名企業に勤める両親のもとに生まれ、何不自由のない幼少時代を過ごした。

 中学生からは有名私立大学の付属中学に進学し、大学まで進級した。

 学生時代の彼は良く周りに流される性格だった。

 勉強に秀でているわけでも、運動が得意だったわけでもない。

 そんな彼の学生時代は地味なものだった。


 大学生の時、阿部は水谷と出会った。

 出会いの場は他大学との合同サークルの飲み会だった。

 趣味の音楽の話で二人は仲良くなり、二人で遊ぶようになった。

 何回か遊んだ後、阿部は水谷に告白した。

 優しそうで好印象だったからという理由で、水谷はその告白を受け入れた。

 大学生の時は良好な関係だった。

 しかし、二人が社会人になると次第に状況は悪くなっていった。


 阿部には特にやりたい仕事もなく、親の勧めで地元の企業に就職した。

 親のコネで広告代理店の営業に入れたものの、周りに流されやすい性格の阿部は体育会系気質の職場に慣れることが出来なかった。

 水谷も食品販売会社に総合職として入社し営業として配属されたが、人と話すことが得意な水谷はすぐに仕事に慣れることが出来た。


 仕事が忙しいという理由で、二人はあまり一緒に遊ばなくなった。

 そのため水谷は休日に友人と遊ぶことが多くなった。

 その際、阿部は水谷が誰と遊んだか、男と遊んでいないか、などとしつこく彼女に聞いた。

 阿部からしたら、仕事が上手くいっていて、休日も充実していた水谷が妬ましかったのだ。

 しだいに、水谷は阿部のことを煙たがるようになった。


 そういったすれ違いがあり、二人は別れることになった。

 水谷が別れようと切り出した時、阿部は必死にそれを断った。

 もう拘束するようなことはしない。悪いところは直す。阿部はそう言った。

 しかし、水谷にその言葉は届かなかった。


 どうしても彼女のことが忘れられない阿部はストーカー行為を行うようになった。

 しかし、そのストーカー行為も、水谷が依頼したと思われる探偵に妨害され、証拠を掴まされて、二度と彼女に近づくなと脅されることになる。


 水谷と別れたことと、仕事が上手くいかないことが原因で、彼は自殺を考えるようになった。

 そうして、自殺スポットに足を運んだ時、坂口広樹に声を掛けられた。

 坂口は、阿部が悩んでいることを真摯に聞いてくれた。

 その後、阿部はサタン教会に入るよう勧められた。


 その時断ればいいものを。

 ここで阿部の流されやすい性格が災いする。


 坂口に何のかんのと言われて、阿部は教会に入ることになってしまった。

 教会に入ってからは、仕事も辞めさせられ、家族や友人との連絡も禁止された。

 代わりに、教会のアジトである館での雑用の仕事を任されることになった。

 逃げたら殺す。阿部は教会の幹部達にそう脅された。

 彼らがハッタリでそんな脅しをしているのではない、ということはすぐに分かった。

 なぜなら、館の中で何人もの人々が拷問され、殺されていることを知ったからだ。


 いつ殺されるかわからない恐怖と緊張が彼を狂わせることになる。

 誰か復讐したい人物はいるか、という質問に、彼は水谷杏奈の名前を上げた。

 自分がこうなってしまった原因は彼女のせいだ!

 阿部はそう考えることで、自らを正当化しようとした。


 水谷の住所は把握しているので、誘拐は簡単に成功した。

 しかし、拷問部屋に彼女が運ばれるのを目にして、後悔の念が押し寄せてきた。

 その後、自分の証拠になりそうなものを処分するために自宅に訪れた時、水谷の知り合いと思われる男に出会う。

 そこで、彼から掛けられた言葉がきっかけで、水谷を館から逃がそうと決意することになる。


 今なら、みんな警察に夢中で混乱している。

 やるなら今しかない……!

 阿部はその一心で扉を開けた。


 拷問部屋には、手首を鎖で縛られた水谷がいた。

 彼女は固いコンクリートの台の上に寝かされていた。

 目の部分を布で縛られていた。恐らく逃げられないようにするためだろう。

 阿部は足音をなるべく立てないように彼女に近づいた。

 衣服を強引に引き裂かれ、ほとんど裸の状態の彼女の皮膚にはいくつも傷跡が残っていた。

 それを見て阿部の脳内に、吐き気を催すほどの罪悪感と後悔の波が押し寄せてきた。


 僕はなんて取り返しのつかないことをしてしまったんだろう。

 ちょっと痛い目に遭ってほしい、などという浅はかな理由で彼女を襲ってしまった。

 その結果、水谷は拷問の被害者になってしまった。

 こんな状態になってしまったらもう彼女は元の生活に戻ることはできないだろう。

 たとえ体の傷が治ったとしても、心に植え付けられたトラウマが消えることは決してない。

 阿部は吐きそうになる口元を必死で押さえつけた。


 彼女を無事にここから連れ出して、保護してもらったら、警察へ自首しよう。

 そして、一生をかけて犯した罪を償おう。


 阿部はそう決意して、水谷を縛っている鎖を解いた。

 拷問部屋には、人を運搬するための車椅子が置いてあった。一つ拝借する。

 車椅子に座らせるために彼女の身体を抱きかかえようとした瞬間、背後から声をかけられた。


「何をしている」


 声の主は坂口だった。

 阿部は、坂口に対してどこか親近感を感じていた。

 教会の幹部でありながら、自分と近い年齢。中年の男性が多いこの教会の中では珍しい存在だった。

 それに、坂口は普段、阿部に対して優しい態度で接していた。

 そうしたことから、阿部は坂口の声を聞いたとき、少し安心した。


「教祖様から頼まれたんだ。大至急女の生贄をパズズ様へ運べ、と」


 阿部は敢えて振り向かずに忙しく対応する素振りをした。

 そうした方が説得感があると思ったからだ。

 それに、教祖様の命令となれば、幹部と言えど無下にすることはできない。


「……そうか。それはすまなかった……」


 上手くいった!

 阿部は安堵して、水谷を抱きかかえる。

 そして彼女を車椅子に座らせて移動しようとしたその時。


「教祖様はさっき、僕が殺してしまったよ」


 え?


 坂口のその言葉を聞いて、阿部は思わず彼の方を向いた。

 坂口は拳銃を阿部に向けていた。

 二人の目が合った時、引き金が引かれた。

 弾丸は阿部の頭に直撃した。

 一瞬、頭に激痛が走り、その直後に全身の力が抜けた。

 頭を打ちぬかれた阿部は、その場に倒れ込んだ。


 意識を失う直前、彼が見たのは、テーマパークのアトラクションで楽しそうに笑う水谷の姿だった。

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