【11】手紙

 これは多分、遺書だ。




 僕は、2002年4月16日に生まれた。

 父は大手広告代理店の営業、母はモデル事務所の運営会社に勤めていた。

 二人とも、収入の高い職場に勤めていたため、かなり裕福な暮らしをしていた。


 しかし、僕の家庭に足りていたのは金だけだった。


 父は、同じ職場の年下の女性社員と不倫をしていた。きっかけは、母が妊娠したことらしい。

 僕の育児にひと段落着いた頃に、母はその事に気づいた。

 浮気されていたことに腹を立てた母は、父と同じようにモデル事務所に所属していた、仲の良い俳優と身体を重ねるようになった。

 本来なら、離婚するとか、別居する方向に話が進むはずなのに、両親はそういう風には舵を切らなかった。


 理由は、僕の存在だ。


 父も母も、僕の世話を任されるのが嫌で離婚しなかった。


 僕が5歳になる頃には、僕の家庭はすでに崩壊していた。

 両親は、仕事が終わってもなかなか家に帰ってこなかった。表向きは残業で忙しい、と言っていたが見え透いた嘘だった。

 僕の育児は、会社から雇われた家政婦さんがしてくれた。


 小学生を卒業するまで家政婦をしてくれた、飯島夏帆さんという女性は、とてもやさしい人だった。年齢は確か40代だったと思う。

 小学生の母親としては少し年を取っていると思うだろうが、彼女は僕の母以上に母親らしいことをしてくれた。もし彼女が本当の母親だったのなら、僕は多分こうはなっていなかっただろう。

 しかし、飯島さんはしばらくして、体調不良が原因で家政婦をやめることになってしまった。


 飯島さんの後釜で来た家政婦は、はっきり言って最悪だった。名前を思い出すのも不愉快だ。

 とても高圧的な態度をとる彼女は、事あるごとに僕のことを叱り、時には暴力まで振るった。

 中学生の多感な時期に、調子に乗らないよう敢えて厳しく接していたのかもしれないが、それは逆効果だった。

 その家政婦が原因で、僕は家に帰る時間を出来るだけ遅くするようになった。


 部活動に所属していなかった僕は、学校の図書室で時間を潰していた。

 始めは、本棚に置かれている漫画本を読んでいた。

 図書室にある漫画を全て読み終えて、次に読み始めたのは小説だった。

 始めは慣れない読書に苦戦したが、時間を潰すのにはちょうど良かった。


 僕が小説の面白さに気づき始めたころ、同じクラスに所属している図書委員の朝倉みおという女子生徒と仲良くなった。

 きっかけは彼女からだった。

 僕が毎日、放課後に図書室へ通っていること、読んでいる小説が彼女の趣味と合っていたというのが理由らしい。

 朝倉さんは眼鏡をかけたショートヘアの女の子だ。あまり明るい性格ではなく友達も少ないので、クラスでも一人でいることが多い人だった。

 しかし、顔はまぁまぁ可愛いので、男子の中での評判は悪くなかった。公言していないだけで、何人か彼女のことが好きな生徒もいたくらいだ。

 そんな朝倉さんも放課後図書室にいることが多かったので、必然的に、僕らは話す機会があり、一緒に帰宅するまでの仲になった。


 いつしか僕らは周りから付き合っているとからかわれるようになった。


 あまり人と関わるのが好きじゃない自分からしたらそんな野次は気にならなかった。

 それは彼女もだった。

 だが、その噂が流れて事態は良くない方へと転んだ。


 朝倉さんは学校でいじめを受けるようになってしまったのだ。

 いじめの主犯格は、同じクラスの佐藤百合子という女子生徒だ。


 どうやら、佐藤は僕のことが好きだったらしい。


 噂が流れて、僕のことを朝倉さんに取られたと思い込んだ彼女は腹いせにいじめを行うようになった。

 男子からは好印象の朝倉さんだが、女子からはあまり好かれていなかった。

 友達もいない根暗な彼女のことを助ける女子生徒は誰一人いなかった。

 佐藤達のいじめを受けて、朝倉さんは学校を休む日が増えてしまった。

 僕は休んだ彼女にプリントを届けたり、彼女の家で勉強を教えたり、小説や漫画の話をしたりして、一生懸命に彼女を支えた。多分、好きだったんだと思う。


 そんな彼女は、ある日突然この世から居なくなった。


 自宅で首を吊っていたそうだ。朝倉さんのお母さんから聞いた。


 いじめを受けてから1年を過ぎた頃だった。


 朝倉さんが自殺をして、僕の心にはぽっかりと穴が開いた。


 そうして、この世界はイカれていると思った。


 結婚して子供がいるのに、不倫をする親。子供を思い通りに躾けるために手を上げる大人。好きな人を取られたという理由でいじめを行い、自殺に追い込む子供。

 学校の図書館で歴史の本を読んだが、過去の世界にはもっとひどい人がいたという。


 子供だけを襲う大量殺人者。肌の色が違う人間を大量に船に詰め込んで奴隷として運んだ商人。特定の人種をガスで大量に殺害した独裁者。


 暴力だ。この世界は暴力で溢れている。


 朝倉さんが死んだ次の日。僕は学校で佐藤百合子を捕まえて何十回、何百回と殴った。

 朝倉さんを殺した犯人を殺してやろうと思った。どうせ家には帰りたくないし、両親は僕のことなど興味はない。失う物など何もない。失いたくなかった物はもうすでに無い。

 当然、学校の先生達に佐藤を殴ったことがバレてしまい、1か月間停学処分となった。

 なぜ朝倉さんをいじめた佐藤が登校出来て、アイツを殴った僕が停学になるのだろうか。


 1か月後、今度は僕がいじめの標的になっていた。


 佐藤を殴ったことで、佐藤と仲が良かった男子連中から目をつけられた。

 だが、僕はからかわれるたびに、相手につかみかかった。

 取っ組み合いの喧嘩になることが多かったが、彼らは及び腰だった。

 はっきり言って、僕は覚悟ができていた。相手を殺すつもりで殴っていた。

 だから、喧嘩の時、やれることは何でもやった。

 指を目に突っ込んだり、椅子を鈍器代わりにして、思い切り殴ったり。

 そういう喧嘩を何度かしている内に、僕のことをいじめる奴はいなくなった。


 中学校の記憶はそれくらいだ。


 高校は地元の進学校へと進学した。

 勉強はそれほど頑張らなくても出来ていた。授業を一度受ければ、ほとんどの問題は解くことが出来た。逆に、勉強が出来なくて困っている奴らが理解できなかった。

 僕が高校へ進学してすぐに、恐らく人生で最も不愉快な出来事が起きた。


 それまで家庭に関心の無かった両親が、人が変わったように仲良くなったのだ。


 何を血迷ったのか両親は、お互いに浮気をしていたことを謝罪して、育児を蔑ろにしてきたことを僕に謝って来たのだ。

 二人の謝罪を受けた時、全身の血液が沸騰するかのような感覚を味わった。

 今更?今更そんな謝罪が何だと言うんだ?

 そんな薄っぺらい言葉で今までのことを水に流せと言うのか?

 ふざけるのも大概にしろ。

 今すぐ殺してやりたい。僕の身体はすぐにでも動きそうだった。


 だが、今両親を殺しても、彼らは息子のすることを受け入れるかもしれない。

 ごめんね。殺したいほど憎いよね、本当にごめんね。

 そう心の中で納得されてしまう気がした。

 両親にはできる限り苦しんで死んでほしい。

 そう思った僕は、両親の口車に合わせることにした。

 表面上は謝罪を受け入れて喜ぶ振りをした。

 そうして、息子に許されたと勘違いした両親を、数年後、数十年後に殺してやろう。

 僕はそう決めた。

 僕の渾身の演技に、両親は愚かにも感化され3人で号泣した。


 その後、母は仕事をやめて、家事に専念することになった。

 父も、できる限り仕事を早く切り上げて家に帰るようになった。

 夕食を家族3人でとり、寝るまでの時間を、リビングで談笑しながら過ごす。

 そんな偽りの生活が本当に嫌だった。


 その頃僕の心を支えていたのは『悪魔』に関する本だった。


 高校でも図書室にはよく通っていた。

 そこで『世界の悪魔辞典』という本を見つけた。

 本に描かれていたのは、古代の人類に恐れられていた悪魔の姿やその概要だった。

 僕はその本に書かれている悪魔達に強い興味を惹かれた。

 本の中で描かれる悪魔の圧倒的な容姿と、力。

 人間の欲を見抜いて、言葉巧みに騙す。

 その本がきっかけで、僕は悪魔の虜になった。


 あれは確か高校2年生の冬だ。

 偽りの家族との生活に耐えかねて、自殺しようと試みた。

 この手で両親に復讐できないのは歯がゆいが、息子が自殺するというのも、彼らにとっては苦痛のはずだ。

 僕はそう思って、自殺スポットで有名な橋を訪れた。

 大きな川を渡るための大橋で、下には流れの急な川が流れている。

 頭から落ちれば即死、万が一死ななくても溺れ死ぬというわけだ。

 僕が橋から身を乗り出した時、男に声を掛けられた。

 それが、今僕が所属している教団の教祖との出会いだった。

 教祖の名を、森田秀一という。

「悩みがあるのなら是非聞かせてほしい。助けになれるかもしれない」

 彼はそう言った。

 僕は森田の提案に乗った。

 やはり、心のどこかで死にたくないと思っていたのかもしれない。


 今思えば、あの時飛び降りていなくて、本当に良かった。


 森田に連れられて到着したのは、山奥に佇むたたず古めかしい洋館だった。

 その洋館は、森田の家で、死んだ両親から譲り受けたそうだ。

 大きなリビングに案内されると、そこには4人の中年の男性がいた。

 その時初めて聞かされたが、彼らは悪魔を信仰している宗教団体のメンバーだった。

 世間でいう所のカルト宗教だ。

 僕のように自殺しようとしている人を度々勧誘しているのだそうだ。

 森田もそのために僕を誘った。

 僕にとってその宗教との出会いはまさに奇跡だった。僕と同じ考えを持つ人がいるだなんて。

 そこで僕は、自身の家庭と境遇について彼らに打ち明けた。

 彼等はそんな僕を温かく迎え入れてくれた。

 彼等の全員が、僕と同じように社会や家庭に傷つけられ、復讐心を持っていた。


 森田との出会いがきっかけで、僕はその宗教のメンバーになった。

 団体名はサタン教会。悪魔の中で最も偉いサタンを信奉する会。ありきたりな名前だがその方がいいのかもしれない。

 僕らの最終的な目的は社会や個人に対して復讐を行うことだった。

 それを行うためには犯罪もいとわない。


 僕らには失う地位や名誉、家族などいなかった。だから犯罪を犯すことに何の躊躇もなかった。

 僕らがまずやらなければならなかったことは、メンバーの増員と資金調達だった。

 個人はともかく、社会へ復讐するには組織を大きくする必要がある。

 組織を大きくするのにはその二つが必要不可欠だったからだ。

 メンバーの補充は引き続き、自殺スポットを巡って声を掛けたり、夜の街で暗い表情の人に話しかける等して少しずつ増やしていった。

 資金調達のために、始めは各自仕事をして集めることにしたが、社会に適応出来ていればこんな所にはいる訳がないので、仕事は長く続かず、別の手段を取ることにした。


 そこで、僕はホームレスの人間を襲うことを提案した。

 無一文の彼らを襲っても金は集まらないが、目的は別の所にあった。

 通報されても面倒なので、誘拐したホームレスはそのまま殺した。

 死体は洋館がある山の奥深くに埋めた。

 もしかしたら警察が行方を調べるかもしれないと不安だったが、それは杞憂だった。

 誘拐を始めてから3か月。洋館に警察が事情聴取に来ることもなければ、ホームレスが行方不明になっているというニュースを目にすることもなかった。

 それはつまり、世間にとっては社会的弱者のホームレスなど、どうでもいいということだ。

 ホームレス達も警察に助けを求めるようなことはしなかった。

 恐らく彼らは、警察が自分達を助けるようなことはしないと悟っているのだ。


 それからしばらくして、町にいたホームレス達はどこかへ消えた。

 みな、襲われることを警戒して別の場所に移ったのだ。

 時を同じくして、僕らの元に来訪者が来た。

 関東圏で広く活動している暴力団組織、西城会。その構成員の一人だ。

 僕はこれを狙っていた。

 僕達は裏社会で生きるべき人間達だ。そういう組織が大きくなるには、遅かれ早かれ暴力団のような連中と付き合っていかなければならない。

 そのために、ホームレス達を殺したのだ。

 浮浪者を何人も襲う事件が起きれば、誰がやったのか噂は勝手に流れていく。

 後はその噂を、僕らが必要な人間の耳に届くまで待つだけだった。

 正直半分賭けで、上手くいくといいな程度で思いついた案だったが。


 僕らを訪ねてきた暴力団員の名は、島田という。

 どうやらサタン教会の噂はかなり広まっているらしかった。

 ホームレス狩りをしているやばいカルト宗教の集まりがいるらしい。

 イカれているが、利用価値があると判断されて警察には噂は流さなかったようだ。

 島田が依頼してきた仕事は、殺人の依頼だった。

 標的は、借金が払えなくなって夜逃げしようとした30代の男。

 殺しだけやってほしいとのことで、死体の処理は暴力団の方でやってくれるとのことだった。

 暴力団の魂胆はわかりやすかった。つまるところ、汚れ仕事の代行だ。

 最近は警察の取り締まりが厳しく、殺しの容疑がかかると、組全体が潰されかねないそうだ。

 だから、最悪使い捨てができる僕達のような者が求められている。


 こちらとしては断る理由が無かった。

 ひったくりやホームレス狩り等とはけた違いの金が手に入る。

 それに、教会の中には殺人を楽しんで行う者も少なくなかった。

 初依頼を難なくこなしてから、島田は定期的に殺人の仕事を持ってくるようになった。

 それほどまでに、世の中には殺された方がいい人間で溢れかえっているということだろう。

 安定した収入が手に入り、教会の人数も20人を超えるようになった頃、転機が訪れる。


 パズズ様が姿を現してくださったのだ。


 今から3か月前の出来事だった。

 パズズ様とは、顔に大きな目玉を一つ持ち、4本の木の幹のような逞しい腕を備えた、我らの神だ。

 あの方が初めて姿を現したのは、教会でよく使われていた拷問部屋だ。

 島田の依頼で、ある会社員から自宅の金庫の番号を拷問して聞き出す、という仕事をしている時だった。

 僕は現場に居合わせていなかったので、他のメンバーから聞いた話だが、どこからともなく急に2メートルは超える化け物が現れたと言う。

 始めは戸惑ったが、拷問途中の男を、一捻りで肉塊にする姿を見て、これこそが我々が追い求めていた神の姿だ!とその場にいた者は感じたという。

 僕もパズズ様のお姿を初めて見た時、美しいという感情がこみ上げた。

 その日から、教会はパズズ様を信奉し、仕えるようになった。


 首こうべを垂れて祈りをささげる我々に、パズズ様はあるお言葉を仰られた。

 魂を、持ってこい。痛みや苦しみを持った魂を持ってこい。

 パズズ様は、生贄を欲していたのだ。

 言葉の意味をくみ取った我々は、拷問された人間を捧げればいいと理解した。

 暴力団からの資金を元に、車を3台手に入れた我々は、生贄を捧げるために遠方の街まで出向き、人を攫うようになった。

 パズズ様は、人間を食する。

 これは文字通りの意味だ。

 血肉はもちろん、頭髪、内臓、骨、全てをかみ砕いて飲み込む。

 唯一食べないのは衣服だけだった。

 つまり、死体の処理を行う必要がないのだ。

 これは我々にとって非常にありがたいことだった。

 殺人を犯したとき、最も面倒なのは死体を処理することだった。

 しかし、もうその心配をする必要は無くなった。

 パズズ様が人を食らうことが分かった我々は、教会の活動を次の段階へ進めることにした。


 会員の復讐を実行することにしたのだ。

 最近世間を騒がせている連続行方不明事件の犯人は我々だ。

 警察はもっと早く我々の存在に気が付くべきだった。

 もっとも、パズズ様が現れた今、警察にどうこうできるとは思えない。


 パズズ様を止めることなど、誰にも出来ないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る