【04】愚かな青春③

「……うっ!」


 頭に痛みが残る中、望月は目を覚ました。

 一体、自分の身体になにが起きたのだろう。

 意識が回復してから、望月は記憶を必死に呼び起こした。


 肝試しをするために廃病院を訪れ、そこで仲間の飯田美樹の姿が消えた。

 飯田美樹の捜索を行っていると、白い仮面を着けた男に遭遇して追いかけられた。

 男から必死で逃げる中、坂口がいる部屋の中に入って……。


 頭にまた痛みが走った。

 そうだ、あの部屋には俺達を追いかけてきた男と同じ仮面を被った者達が何人もいた。そいつらの一人に、俺は鈍器で頭を思い切り殴られて意識を失ったのだ。


 奴らはいったい何者なのだ。

 なぜ、坂口は俺達をあの部屋へと誘導したのだ。

 いや、その前に疑わなければならないことがある。


 あの部屋であいつが襲われていないということは、坂口は奴らの仲間だということか……?


 ということは、飯田の行方が分からなくなったというのは嘘か?

 ……いや違う。あいつは自分で飯田を襲い、その上で俺達に嘘をついたのだ。

「飯田さんがいなくなったんだ」

 望月はあの時の坂口の台詞を思い出す。

 とても嘘をついているようには見えなかった。

 だが、そうでなければ話の辻褄が合わなかった。


 望月は一旦考えるのをやめて、自身の状況を確認することにした。

 彼が目覚めた場所はどこかの部屋のようだった。

 しかし、お世辞にも綺麗とは言えない部屋で、部屋のあちこちにはごみのようなものが散乱していた。

 それに部屋の中はひどい匂いだった。

 その匂いに気づいて思わず手で鼻をつまもうとするが、できない。


 彼はそこで初めて、自分の手が縄で縛られていることに気づいた。


 両手が背中で縛られているため、身体を起こすことさえ困難だった。自力で縄を解くのはほぼ不可能だろう。

 仕方ないので望月は部屋の中を改めて観察した。


 とはいっても、部屋の中には明かりがないため闇に覆われていた。暗闇に目が慣れるにはもう少し時間がかかるだろう。

 それにしてもひどい匂いだ、と望月は思う。

 今まで嗅いだことのない匂いだった。まるで生ごみをそのまま数週間放置したような、吐き気を催す匂い。

 暗闇に目が慣れ始めて、部屋の中に望月と同じように拘束されて倒れている人物を発見する。


 あの服装は、鈴木健一だ。健一も望月と同じように床に寝てぐったりとしている。

 彼を見つけたことに一瞬安堵したが、すぐに撤回した。

 なぜなら、彼も望月と同じように拘束されていたからだ。つまり、一緒に行動していた和泉も彼らに捕まっている可能性は高い。

 和泉のことを考えて、藤原のことが頭に浮かんだ。

 望月が襲われた時、彼女の悲鳴声が聞こえたが、その後どうなったのかは知らない。

 なんとかあの場から逃げられたと願いたいが、その可能性は低いだろう。

 藤原のことが心配だったが、ひとまず健一を起こすことにした。


「健一!おい健一!」


 望月が声を掛けるが返事は帰ってこなかった。彼の顔はちょうど身体に隠れて見えなかった。

 望月の声に反応したのか、健一の身体が何度か大きく痙攣した。


 その動きを見て、望月は違和感を覚えた。


 なんだ、今の動きは?


 俺の声が聞こえているのか?なら、なぜ声を発さない?

 口を縛られていて声が出せないのか?いや、それでもうめき声の一つくらいは出せるはずだ。

 次第に目が暗闇に慣れてくる。すると、健一の向こうに何かがいるのが見えた。


 それは、何か、と形容するほか無かった。


 腕が4本生えた一つ目の化け物が胡坐をかきながら、健一を食べていた。


 健一の上半身は、至る所が無理矢理引きちぎられていた。

 先ほど見せた痙攣は、健一の身体がを引き千切られる時に反応して動いていたものだったのだ。

 暗闇に目が慣れたことで、部屋に散らばっていたごみの正体もわかった。

 様々な種類の服や、肉片、骨が乱雑に散らばっていた。それらがごみの正体だった。

 部屋に充満している強烈な臭いはそれらが原因だったのだ。

 既に何人もの人間が目の前の化け物に食われていたのだ。


 化け物が、4本の腕で器用に健一だった肉を引きちぎって食べる様子を見て、望月は言葉を失った。

 目の前の現実を理解することが出来なかった。


 なぜ、健一が食べられているんだ?


 あの化け物は何だ?

 あんな動物、いや生物は見たことも聞いたこともない。

 見た目は人間に似ている部分もある。下半身はほとんど人間のそれだ。

 しかし、上半身に生えているあの4つの腕。腕の一つ一つは電柱くらい太い。

 顔と呼ぶべき場所には、大きな口と、目玉が一つ。

 そう、一つしか目が無かった。


 この世界に、微生物を除いて、単眼の生物は未だに存在しない。

 単眼で生まれた生物はいくつか確認されているが、それは病気が原因によるもので、本来は複眼の生物がほとんどだ。

 あれほど巨大な体で、単眼を持った生き物など、この世界にいる訳がないのだ。


 では、今目の前にいるアレは一体なんなのだ?

 胡坐をかいているのに大きさは2メートルに届きそうだった。直立したらどれほどの大きさになるのだろう。

 アレは生物なのか?人間を食べているということは、食事を必要としているのだから、生き物と言えるか……?


 目の前の光景を理解するために、望月は何とか合理的な思考をしようと試みた。

 謎の男達に襲われて、部屋に監禁され、謎の生物に友人を食われている。

 正気でいられる方が無理があった。

 それでも、望月は何とか現状を打開しようと思考を巡らせた。発狂しそうな精神を必死でなだめながら。


 その後、健一を食べ終えた化け物は、4本の腕で体重を支えながら望月の方へ歩いてきた。

 その歩行の仕方はまるでゴリラのようだった。

 ……まだ食べたりないのか?

 化物が彼の目の前まで来る。

 健一を食したそれは、望月の身体をじっくりと観察し始めた。

 両腕を縄で縛られて拘束されている望月はその行為を黙って受け入れるしかなかった。


 その過程で望月は化け物と目が合った。

 言いようのない恐怖が彼を襲った。

 得体の知れない存在に食べられるかもしれないという、生物としての本能的な恐怖。いつ叫び出してもおかしくはなかった。

 ただ、その一方で、望月は目の前の化け物に少しだけ興味を惹かれた。

 そのささやかな好奇心だけが、彼の正気を保っていた。


「たしろさん?」


 化物が言葉を発した。


 一瞬、何を言っているのか意味が分からなかった。


 それは、人を食らう化け物が、人と同じ言語を発音した戸惑いからだった。

 数秒後、化け物が苗字を聞いていることが理解できた。

 ……田代?


 恐らく化け物はそう発音した。田代とはいったい誰の事なのだろうか?化け物は何が目的でその名字を聞いているのだろう。

 望月が反応せずにいると、化け物は再び声を発した。


「りゅうざきさん?」


 また知らない苗字。


「しののめさん?」


 知らない。そんな名字の人物達に心当たりなど全くない。


 見当違いな質問ばかりに、望月は怒りを覚えた。お前がさっきまで食べていた鈴木健一の名前は出てこないのか?そんなにどうでもいい存在なのか?ならなぜ殺したんだ?

「おい!お前日本語わかるのか!?わかるなら返事をしろ!」

 化物は答えない。真っ白な目玉が望月を見つめているだけだ。

「何なんだお前は!この部屋に住んでいるのか?誰かに飼われているのか?頼む助けてくれ!俺はお前に危害なんて加えない!何の害もないんだ!」

 望月は必死に、化け物に対して命乞いをした。

 死を目の前にすると、人間はプライドなど気にならなくなるんだなと、彼は思った。


 不意に、化け物の腕が何かを引きちぎった。


 手だ。縄で縛られていた右手を、手首ごと引きちぎったのだ。


 体験したことのない激痛が望月を襲う。


「……っ、っああああああああああ!!!」


 右腕から強烈に発する痛みに耐えきれず彼は叫んだ。

 化物は望月の右手を辺りへ投げ捨てると、大きな目を望月の顔に近づけまじまじと見つめた。

 それは、まるで望月の反応を試しているかのようだった。


 その時だった。


 暗闇だった部屋に光が差し込んだ。扉が開いたのだ。


 入ってきたのは、ぼさぼさの髪と無精髭の男だった。傍には一人の女性が立っていた。


 藤原千里だ。望月と同じサークルに所属している大学生。

 一目見ただけで、優しそうだと直感できるかわいらしい彼女の姿はもうそこにはなかった。

 服を乱雑に切り裂かれ、外から見える素肌には生々しい傷がいくつもあり、出血していた。

 既に泣き叫んだのであろう彼女の瞳はひどく充血していた。

 もはや抵抗する気も起きずに、彼女は虚ろな目をしている。

 男は、藤原を投げ捨てるように部屋へと入れさせた。

 床に倒れ込む彼女を見届け、男が扉を勢いよく閉め、鍵をかけた。


 部屋に入ってきた彼女を、望月は、始めは誰だか認識できなかった。

 それほど、藤原の表情は変わり果てていた。

 望月が彼女を藤原千里だと理解できたのは、切り裂かれた服と黒髪のセミロングヘアを見てからだった。


 藤原が部屋に入ると、化け物の興味が望月から彼女へと移行した。

 一つ目の巨人は再び腕を器用に使いながら歩き、藤原の身体を持ち上げた。


「いやっ……」


 巨大な腕に首をつかまれて藤原はか細い声を上げた。


 そして、床に倒れている片手を失った望月を見つけた。


「……望月君?望月君!!!」


「……ふじ、わら……さん」


 脳を支配している激痛に耐えながら、なんとか声を振り絞る望月。


 しかし、その声に答えたのは全く見当違いの者だった。


 藤原を抱えていた化け物が大きく口を開いた。


 不気味なほど白く輝く無数の白い歯が藤原を顔に迫る。


「……いやっ、嫌!死にたくない!死にたくない!助けて望月君!」


「おい!やめろ!彼女に手を出すな!!!」


「嫌、いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 化物はそんな声を無視し、藤原の頭をかみ砕いた。

 一瞬のうちに、彼女の身体がだらりと垂れ下がった。血液がその場にだらだらと流れ出る。

 頭蓋骨をばりばりとかみ砕く音が部屋に響いた。

 顔の半分が失われ、脳漿の一部が飛び散る光景を、望月は目の当たりにした。

 その姿を見て、望月の正気は完全に失われてしまった。


「うわぁああああああああああああああああああああ!!!!!」


 身体を起こした望月は、駆け出して化け物に向かって突進した。

 化物はピクリとも動かなかった。

 煩わしいと思ったのか、空いている腕で望月の身体を掴み、部屋の扉が付いている方向へ放り投げた。

 望月の身体は金属の扉に思い切り叩きつけられた。


 衝撃で望月は意識が飛びそうになる。

 激しくせき込みながら、何とか身体を起こすと、再び藤原の身体が目に映った。

 化物は既に彼女の上半身を食べようとしていた。

 その姿を見て強烈な吐き気と恐怖が望月を襲った。

 もはや立ち向かう気にはなれなかった。

 その場から逃げたい一心で、先ほどぶつかった扉の方へ身体を向けた。


 望月の身体とぶつかったことで、扉に付いていたさびだらけの鍵が外れかかっていた。

 望月は扉に向かって何度も突進した。

 3回ほどぶつかって、扉が勢い良く開いた。

 扉が開いたことで、望月の身体は部屋を飛び出して床に倒れ込む。

 彼は振り返りもせず、どことも知れない廊下を一心不乱に走った。

 化物から引きちぎられた右手からは血がどろどろと流れ出ていた。


「おい!逃げ出した奴がいるぞ!」


 廊下をいくつか曲がったところで、望月達を誘拐したと思われる男に見つかった。

 しばらくして、その声に反応した何人かの男達が望月を捕まえようと追いかけてきた。

 望月はそれらの追っ手を振り切って逃げ続けた。

 走っている途中で、何人かの人間が拷問されている部屋を通った。

 望月にはその人達を助ける余裕も勇気もなかった。


 ただひたすら走った。


 幸か不幸か、望月は走っているうちに建物の出口を見つけた。

 出口を出ても追っ手は来ていた。

 望月は再び走り出した。なぜこんなにも息が続くのか、彼自身にもわからなかった。

 そこから先の記憶は曖昧だった。

 夜になり、追っ手から逃げ延びた彼は倒れるように眠った。

 次に目を覚ました時、望月は病院のベッドにいた。

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