【09】元凶の元へ

「神崎さん、迎えの車が来ました。行きましょう」

「はい」

 東雲さんの後をついて行き、玄関を出る。


 彼女が住んでいる所はどうやら高層マンションのようだ。

 エレベーターで1階に降り、そのままエントランスを抜け外に出る。

 マンションの出入り口には、黒い車が3台止まっていた。


 真ん中の車から運転手が出てきて、後部座席のドアを開ける。

「あれです」

 彼女はそう言うと車に向かって歩いていき、そのまま座席に乗った。俺もあとを追う。


「移動開始」


 無線機のようなものにそう告げた運転手がエンジンをかけ、車を発進させる。

 3台の車がゆっくりと動き出す。

 運転手の仰々しい態度に俺が驚いていると東雲さんが諭すように話してきた。

「彼らは私のボディーガードです。私が移動するときはいつもこうなんです」

「ボディーガード?」

「たまに、私の力を狙う人がいるので、その人たちから守ってもらうために警護してもらってるんです。私の力は幽霊には強いですが、人間には役に立たないことがあるので」


 車はそのまま進んで行き、高速へ入る。

 この分だと4時間ほどで目的地に着くだろう。

 車内で沈黙なのも気まずいと思ったのか、東雲さんはいろいろ話しかけてきてくれた。


「神崎さんの趣味は何ですか?」


「趣味ですか?」


「これから悪霊と会うというのに何を聞いているんだ、と思うかもしれませんが、リラックスしていただきたくて。緊張すると不安になります。不安になると悪霊がつけあがってしまいます」


「そうですか……。趣味、うーん。これといった趣味はないかもしれません」


「暇な時間は何をしているんですか?」


「家事、ですかね。一人暮らしなので全部自分でやっています。掃除をこまめにして、平日は仕事で、休日は……。あ、映画を見たりするのは好きかも」


「映画ですか。私も好きです。どんな映画が好きなんですか?」


「自分は洋画を見ることが多いので、『フォレスト・ガンプ』とか好きですね」


「私も見ましたよ、その映画。いい映画ですよね。主人公の軍隊時代が特に好きです」


「えっ、見たんですか!?いいですよね、あそこの流れ!その後、隊長と海老を取るシーンが一番好きです!」


「ほかにはどんな映画を見るんですか?」


「ほかには、ええっと……」


 いつの間にか、俺は夢中で映画の話をしていた。

 自分がこんなに映画が好きだったとは知らなかった。よく考えたら、俺の周りで映画が好きなやつなどいなかったかもしれない。だから、彼女と映画の話をしていてすごく楽しかった。


 4時間などあっという間に感じた。

 現地に到着して、運転手が声を掛けるまで、俺は東雲さんとお互いが好きな映画について話していた。




 高速から降り、村に着いてからは、口頭で板橋山への道を説明しようとした。

 しかし、俺の声は運転手には届かなかった。俺は不思議そうに東雲さんの方へ目をやる。

「お忘れかもしれませんが、あなたは今、幽体になっています。彼には霊感はありませんから声は届きませんよ」

 そうだった。俺の肉体は今東雲さんの家で寝ているんだった。


 正直、指摘されるまでそのことを忘れていた。

 幽体離脱というのはこうも平然としていられるものなのか。いまだに実感が湧かない。


 俺の声が届かないということは、今まで俺が東雲さんと話していた会話は運転手にとっては東雲さんの独り言ということになる。そんな状況にもかかわらず、この運転手は眉一つ動かさず運転していたというのか?いったいどういう人間なんだ……?


 俺の声は運転手には聞こえないので、山までの道は東雲さんに伝言してもらった。

 30分ほど車を走らせて、板橋山の入り口に到着した。


「ここが例の山ですか。いいところですね」

 車から降りた東雲さんは板橋山を見上げながら口にした。

 彼女はそう言うが、俺は内心怯えていた。この山には怪異の元凶であるあの化け物がいる。

 しかし、東雲さんからはそういった緊張感が感じられなかった。


「私は神崎さんと山を登るので、あなた方はここで待っていただけますか?」

 東雲は車に乗っている男にそう言っていた。


 車を後にした俺たち二人は山道を登った。


 足を一歩進めるごとに、あの社に近づくたびに、圧迫感のようなものを感じていた。

 山頂へと続く山道に、黒い霧のようなものがはっきりと見える。こんな霧は以前は見えなかったと思う。

「禍々しい霊気ですね。今の神崎さんになら見えるでしょう」

「あの黒い霧のようなものですか?」

「はい、地縛霊の周囲に多く見られるものです。あの霧の中に入ると彼らのテリトリーですから、注意してくださいね」

 何を注意すればいいというのかと内心思いつつ、一歩一歩慎重に足を進める。

 黒い霧の中に入った。


 中に入ると周囲の様子がわからなくなった。

 昼間のはずなのに霧の中は真夜中のように暗い。

 俺は足場に目を凝らす。かろうじて歩く道は見えた。


「もうそろそろ社に着きます」


 俺は後ろにいる東雲さんに声を掛ける。返事は帰ってこなかった。足音は聞こえるので付いてきてはいる。振り返ろうと思ったが、こうも視界が悪いと多分目で確認するのは無理だろう。


 そのまま進み続けることにした。

 しばらく進んで行くと、霧が一層濃くなる。

 そろそろ着くはずなんだけど。俺は道の先を見上げた。


 アイツがいた。


 華やかな着物を着た女。


 黒い霧のせいで周りの景色はほとんど見えないのにも関わらず、着物姿だけは不思議とはっきり見える。


「東雲さん、アイツが見えます。町田さんの手紙にも書いてあった着物姿の女性です……!」


 しばらく待ってみたが、またしても返事がない。


 おかしい。


 嫌な予感がする。


 しかし、東雲さんの足音はついさっきまで聞こえていたぞ?見えるとは思えないが、振り返ることにした。


 首が見えた。女の人の顔だ。


 しかし、首から下の身体が見えず思考が一瞬停止した。


 もう一度脳が働いたとき、心臓がぎゅっと締め付けられる感覚に陥った。


 鎧武者が女の人の、東雲さんの首を持っていた。もう片方の手には血の付いた刀を握りしめて。




「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」




 気づいたときには、駆け出していた。


 どちらに走ったかは分からない。真っ暗な道をとにかく走った。


 さっきまで俺が聞いていた足音は、彼女のものじゃなかったんだ。彼女を殺した侍の足音だったのだ。


 いったいいつから?俺が霧の中で東雲さんに声を掛けた時?俺が霧の中に入った瞬間?


 死んだ?東雲さんは死んだのか?こんなにすぐに?あんなに簡単に?


 鼓動がどんどん早くなる。焦る気持ちを落ち着けようと考えを巡らせるが、思考がまとまらない。


 どれほど走ったのだろうか。霧は一向に張れる様子もなく辺りを黒く塗りつぶしている。


 ふいに足の裏で柔らかいものを踏んでしまい、思い切り転んでしまう。


 両手で身体を受け止める。


 足の方に目をやると赤ん坊がいた。


 俺に踏まれた赤子が目を覚ますや否や、思い切り泣き出した。


 これだ。またこの声だ。


 町田さんの手紙に書いてあった音。おれが化け物に襲われたときに聞いた音。


 赤ん坊の泣き声に呼応するようにお経が流れ始めた。


 頭に激痛が走る。あまりの痛みに俺はその場でうずくまった。


 霧の向こうで何か音がする。


 どろどろの粘土を地面に叩きつけたような、汚らしい音。


 激痛に頭を抱えながら、音の方に目をやった。


 真っ赤な血が流れ出ている。


 さっきの赤ん坊の血だろうか。


 それとも、武者が右手に持っていた、うつろな目をした東雲さんの血だろうか。


 ぐちゃ。ぐちゃ。


 音はゆっくりと近づいてくる。


 あいつだ。あの化け物だ。


 俺と高木の身体を飲み込んだあの黒い化け物だ。


 しかし、再び奴を目にした時、以前とは全く見た目が異なっていることに気が付いた。


 化け物の身体に手足が見えた。


 人間の手足だ。


 その手足は、本来あるはずの皮がはぎ取られ、赤々とした肉がむき出しになっていた。


 そうした何十、何百もの手足の塊がゆっくりと、確実に俺に近づいていた。


 流れ出た血は彼らの手足から出ているものだった。


 この世の物とは思えなかった。


 その姿を目にしたとき、強烈な吐き気に襲われ俺は再びその場にうずくまる。


 もう逃げだす元気も残ってはいなかった。


 化け物から手のような、棒のようなものが伸び、俺の身体を持ち上げる。


 あの時と同じだ。


 化物の身体が大きく二つに割れた。


 割れた身体の向こう側から音がした。


 低く、淀んだ男や女のうめき声。


 割れた体の向こうは真っ暗だった。暗い暗い壁の向こう側に目が見える。


 一つ、二つ、三つ。徐々に白い眼玉が増えていく。


 もはや数えるのも億劫だ。


 黒い影の向こうに女の子がいた。


 りーちゃんだ。


 あの日、虫取りをした時と同じ笑顔を俺に向けてくれていた。


 そうだ、こいつに食われたらりーちゃんに会えるんだ。


 もう、それでいいじゃないか……。


 ほかのことなんて、もうどうでもいい。


 彼女に会えれば。それで。




 瞬間、化け物の手が引いた。宙に浮いていた俺の身体が地面に落とされる。




 なんだ?食べるんじゃないのか?


 そう思った時だった。


「大丈夫」


 女性の声が聞こえた。


 とてもやさしい声だった。


 まるで、母親が子供を寝かせるとき子守唄を歌うような優しい声。


 声のする方から手が伸び、俺を抱き寄せる。


 さっき首だけになったはずの、東雲さんがそこにはいた。


「目標を視認、攻撃開始」


 東雲さんがそう呟いた。


 その瞬間、彼女の身体から何かが飛び出した。


 俺達の周りを包んでいた霧よりも黒い、禍々しい何かが。


「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」


 甲高い悲鳴が聞こえた。


 東雲さんから発せられた何かが、化け物の身体を包み、奴が悲鳴を上げている。


「大丈夫ですか?神崎さん」


「東雲さん、あれは一体?」


「毒を以て毒を制す。害のある悪霊には同じく害を持つ悪霊をぶつけるのが最も効果的です。ですから、私が持っている悪霊に襲わせているのです」


「東雲さん、身体は何ともないんですか!?」


「何の話ですか?」


「だってあなたは刀で首を切られて……」


「あぁ、それはおそらく、悪霊があなたに見せた幻覚です。いくら悪霊と言っても、肉体に危害を与えることはできませんから」


東雲さんはさらに続けた。


「実は神崎さんが黒い霧の中に入ってから、ついて行くのをやめたんです。神崎さん一人の方が悪霊に隙ができますから。怖い思いをさせてしまい、申し訳ありません。ですが、おかげですぐに済みそうです」


 先ほどまで聞こえていた赤ん坊の声やお経はもう聞こえなかった。


 化物が悲鳴を上げれば上げるほど周りの霧は薄くなり、ついには山の木々が見えるほどになった。


「悪霊とは不思議なものです。他人を恐怖に陥れる力が強い悪霊ほど、別の悪霊に襲われた時に激しく動揺する」


 しばらく悲鳴が聞こえていたが、それも聞こえなくなった。


 先ほどまで化け物だったものはひどく小さな、肉の塊になっていた。


 それを見た東雲さんは立ち上がり、肉塊に向かって歩み寄り、手でそれを持ち上げた。


 手のひらほどの大きさの肉塊を、なんと東雲さんは食べ始めた。


 その姿にも驚いたが、もっと不思議なものが東雲さんの隣に見えた。


 小学生くらいの女の子。短パンにシャツを着た、女の子には似つかわしくない姿。


 大きくなったね、いーくん。


 そんな声が聞こえたような気がした。


 しかし、それを確かめる術はなかった。


 俺は急に意識が遠のき、その場に倒れこんでしまった。


 もう、あの夢は見なくて済む。


 そんな気がした。

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