【08】東雲愛
目が覚めると、知らない天井が目に映った。ゆっくりと身体を起こす。
俺は布団で眠っていたようだ。
窓からは太陽の光が差し込んでおり、外から鳥の鳴き声、自動車の走行音、子供の声が聞こえてくる。
「どこだここ……」
何故、俺はここにいるのだろうか。
俺は、あの時自室で化け物に襲われた。黒い泥の塊に食われたはずだった。
あたりを見まわすと、高木も俺と同じ部屋で寝ていた。何度か呼びかけたが返事はない。
襖の向こうからテレビの音が聞こえてくる。隣の部屋に誰かいるようだ。
鉛のように重い身体を動かし、襖を開ける。
「おはようございます」
テレビを見ていたスーツ姿の人物がこちらに気が付き、挨拶をしてくる。女性だった。セミロングで茶髪の髪を振りながら彼女がこちらを向いた。彼女を一目見ただけで、美人だと思った。
「あ、えっと、その」
「はい、わかっています。なぜ自分が生きているのかわかりませんよね。ご説明しますのでどうぞお座りください」
促されるままに座る。
「まずは昨日のことからお話しましょうか」
机を介して正面に座っている彼女は話し始めた。
「昨日、高木君はあなたの部屋に除霊をするため赴きました。しかし、油断していたのでしょうね。あなたと高木君の魂は幽霊に取り込まれてしまいました。ですが不思議なことに、あなたの魂は半分ほど残っており、私が駆け付けた後あなたをここまで運んだというわけです」
「え?高木さんなら隣の部屋に……」
「あれは彼の抜け殻です。残念ながら彼の魂は完全に幽霊に取り込まれてしまいました。今の時点では彼の魂がまだ残っているのかわかりません。あなた方を襲った幽霊はどこかへ消えてしまいましたので」
「そうですか……。アレは、あの化け物は、一体何なんですか?」
「私は直接対峙していないのではっきりとは言えませんが、とても強い怨念を持った悪霊だと思われます。」
「悪霊……。あの、あなたも霊媒師の方ですか?」
「自己紹介が遅れましたね。私、高木の上司にあたる、東雲愛と申します」
東雲。町田さんが手紙に残していた人物の名だ。この人がそうなのか。
「僕の魂が半分というのは…?」
「隣の部屋を見れば実感していただけると思います」
東雲は指をさしながら言った。
彼女の指が指し示す方向は俺が寝ていた部屋だった。
「え?」
その部屋に男が布団で寝ているのが見えた。あれは、俺だ。俺の身体だ。
「おわかりいただけましたか。俗にいう幽体離脱というものです」
幽体離脱。自分の姿を俯瞰的に見るというあれか。今の俺に当てはまる。
「あなたの魂も半分は悪霊に取り込まれていると思われます。このまま放置していれば二日も経たないうちにあなたの残りの魂は消えていき、意識がなくなるでしょう。そうならないためには、悪霊からもう半分の魂を取り返さなくてはなりません」
「そんなことができるんですか?」
「はい、できます。しかし、問題の悪霊がどこにいるのかわかりません。神崎さんの部屋にいたものは本体ではなく、悪霊の一部でしたから」
悪霊の本体。それを聞いて、背筋が凍る。すぐに幼少期の思い出が浮かんだ。
「何か、知っていることがあるようですね」
東雲が静かに言う。机に置いてあった湯呑に手を伸ばす。
「教えてくださいませんか?高木君のためにも、あなたのためにも」
どうやら彼女には筒抜けのようだ。
「あれは小さい頃のことです」
俺は夢で何度も見た、あの社のことをすべて彼女に話した。
「……そうでしたか。話していただきありがとうございます」
彼女はそういうと小さくお辞儀をした。
「悪霊の本体はその社にいるということで間違いはなさそうですね。神崎さんが昨日体験したお話と、町田さんの手紙の内容を照らし合わせて判断しても、特に問題なく除霊できそうです。ただ……」
「ただ?」
「神崎さんにお願いしたいのですが、もう一度悪霊に会っていただけますか?」
「えっ……?それはなぜ?」
「悪霊は今、あなたのことを血眼になって探しているはずなのです。どういうわけか、あなたの魂は半分残ってしまっているのだから。悪霊にとってこれほど気味の悪いことはありません」
「囮、ということですか?」
「そういうことです。悪霊自体は私が除霊しますので、安心してください」
「今更ですけど、正直悪霊だとか、いまだに信じられません。あんな化け物がこの世にいるなんて」
「信じられないのも無理はありませんね。ですが、アレは幻などではなく本物です」
「悪霊ってそもそも何なんですか?世間じゃ幽霊なんて半ば冗談のような存在なのに」
「そうですね。神崎さんには知る権利がありますね。それに、悪霊の正体がわかれば恐怖心も少しは和らぐでしょう」
東雲さんは続けた。
「神崎さんが仰った通り、一般的に幽霊は信じられていません。心霊スポットの存在や心霊現象等、認知はされていますが、本気にしている人は少ないでしょう。これは我々霊媒師とそれを支援する団体が意図的に先導したものなのです」
「意図的に先導?幽霊の存在をなぜ隠すんですか?」
「それは幽霊の性質のせいです。神崎さんを襲ったような悪霊は、人間の恐怖心により力が増大します。もし、幽霊の存在が信じ込まれ、報道機関などで幽霊の被害のニュースが取り上げられた場合、人々の間に恐怖心が生まれてしまい、悪霊の力が増してしまいます。それを防ぐため、幽霊の存在は隠蔽されています」
「でも、テレビで心霊番組の特集があったりしますよね?あれはいいんですか?」
「問題ありません。あの手の番組を見て本当に信じ込む人は少ないですから。子供でしたらあのような作り物の幽霊でも怖がるのでしょうが、年を重ねるにつれて馬鹿馬鹿しく感じるものです」
確かに。事実、今回のことがあるまで俺は幽霊など信じようとしたことがなかった。
「神崎さんを襲った悪霊はおそらく、数十から数百の魂の集合体だと思われます。町田さんの手紙に書かれていた風景や音などは、それらの魂が持っている記憶のかけらのようなものです。悪霊の多くはそうした音や映像を我々に与え、混乱させ、動揺させるんです」
「そうなんですか……」
その話を聞き、昨日の体験が鮮明に蘇る。
赤ん坊の泣き声、念仏、その他もろもろ、思い出しただけで吐き気がする。
「ご理解いただけましたか?」
「はい、なんとか」
「それは良かった。では例の社がある村の住所を教えていただけますか?」
俺は渡されたメモ帳に祖母の家がある住所を丁寧に書いた。
「ありがとうございます。これから迎えの者を呼ぶので、それまでゆっくりしていてください」
「はい、ありがとうございます」
そう言うと、東雲は部屋から出て誰かに電話をかけ始めた。
一人きりの部屋で、俺は外に広がる青空を無心に眺めていた。
空なんて、久しぶりに見た気がする。
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