【06】302号室の怪異

「ここです」


 自称霊媒師の高木を連れ、俺達は問題のアパートに到着した。

 高木はアパート全体をじっと眺めている。

「どうでしょうか?」

「ここからは何も見えないですね」


 そういって彼はアパートへと入っていった。慌てて俺も後を追う。

 階段で3階まで登り部屋の前に着いた。

 俺は鍵を使いドアの施錠を開ける。ガチャリと重苦しい音がした。


「神崎さん、今からでも遅くはない。本当に一緒に来ますか?」


「……はい」


 俺の決意は変わらない。


「わかりました。では、玄関の扉を開けたら、絶対に閉めないでください」

「はい?」

「万が一の時にすぐ逃げられるように。それと、このタイプの悪霊は密室を好む傾向があるので」

「そういうことですか。わかりました」

 それを聞いた後、俺はゆっくりと玄関の扉を開ける。


 ドアを開けると高木がすぐに部屋の中へと入る。続いて俺も部屋へと入る。

 高木の忠告通り、高木に玄関にいてもらい、部屋から扉を固定できそうなものを探した。ちょうど扉と床の間に挟まりそうなプラスチック製のすべり止めがあったのでそれを挟めた。

「これでいいですかね」

「ええ、問題ありません」

 念のため、扉が動かないか確認し、二人で部屋の中へと入る。


 町田さんに相談してから部屋に入っていないため、3日ぶりだ。

 そのため、部屋の家具にはほこりがうっすらと積もっている。

「別に普通の一人暮らしの部屋に見えるけどな」

 部屋の真ん中できょろきょろと視点を変えながら高木がつぶやいた。

「神崎さん。怪奇現象があったのはどこですか?」

「部屋に向かうまでの廊下と、食器棚、そこの窓の外、あとは玄関周辺です」

「そうですか」


「……どうでしょうか?」

「特には、というのが正直な感想です」

「町田さんも同じようなことを言っていました」

 その後も高木は部屋を隅々まで観察していた。

 俺も何となく落ち着かなかったので高木のまねごとをしていた。


「ん?」


 部屋を見まわしているとき、玄関の方に一瞬目が行った。


 開きっぱなしになっていたはずの扉が閉まっていた。


「た、高木さん。扉が、玄関の扉が!」


「!?なんで閉まっているんだ!早く開けろ!」


 いきなり怒鳴られたため少し驚いたが、すぐに玄関へと向かいドアを開ける。

 いや、開けられない。

 力を込めてみても扉はびくともしなかった。

 ドアの下に目をやったが、さっき仕掛けたストッパーがどこにも見当たらない。


 誰かが取ったのだろうか?誰が?なんのために?

 そもそも、先ほどまで扉が閉まる音など全く聞こえなかったのに、なぜ扉が閉まっているのだ?

 嫌な予感がする。


「高木さん!だめだ、扉が開かない!どうしたら?」


 俺は慌てて後ろを振り返った。


 着物を着た女性が目の前に見えた。


 その瞬間、聞いたこともないような大音量で赤ん坊の泣き声が聞こえはじめ、後を追うように複数の住職によるお経の合掌が俺の脳内を埋め尽くした。


 あまりの音の大きさに、咄嗟に両手で耳をふさぐ。


 しかし、音は弱まるどころかますます大きくなる。


「ふざけんじゃねぇ!話と全然ちげぇじゃねぇか!糞が!」


 高木の声がかすかに聞こえたような気がした。


 なんだ?いったい何が起きているんだ?


 混乱する意識の中で、町田さんの手紙の内容を思い出した。


 着物の女性を見たら、お経が聞こえたら逃げてください。


 目の前に見えるのがそうなのだろう。ひきつった笑みを浮かべた女性が、じっと俺を見つめている。

 いつの間にか部屋の中が真っ暗になっている。明かりが消えたから薄暗いという話ではない。文字通りの暗闇だった。その闇の中で女性の白い肌が目立って見える。

 赤ん坊の鳴き声とお経は止まる気配がなく、いつの間にか女性の叫び声や男性の怒鳴り声も混ざってくる。


 聞きたくない。もう聞きたくない!


 しかし、いくら手に力を入れて耳を塞いでも、彼らの悲鳴は一向に弱まらない。

 俺の声にならない悲鳴に呼応するように、目の前に見えた着物姿の女性の姿が変化し始める。

 白かった肌は、見る見るうちに変色し、腐敗し、どろどろした黒いヘドロのようになる。

 やがて、女性だったそれは、形容し難い化け物へと変化していった。どこが顔で、どこが身体なのかもよくわからない。

 目の前に見える黒い化け物はこの世のすべての憎悪を纏っているかのようだった。


 化け物の姿を見て、一連の怪異の正体がようやく理解できた。

 あの時の化け物、22年前、高橋理恵を襲った化け物が俺を追ってきたんだ。

 今度こそ俺を殺すために。


 逃げなければ。


 そう思い足に力を込めようとする。

 しかし動かない。どうしたら足が動くのかわからかった。

 普段あれほど歩いているのに!走っていたのに!

 そんな当たり前のことがわからなくなるほど、俺は混乱していた。


 黒い泥の塊のようなモノがゆっくりと俺に近づいてくる。

 怖い、こわい、こわいこわいこわいこわい。

 泥の塊が二つに割れる。中からは無数の手と、目、何十、何百もの歯が見えた。

 たくさんの白い手が俺の身体へと伸びていき、ものすごい力で引き寄せてくる。


 俺は死ぬのか?

 あの時のりーちゃんみたいに?体を奴に食べられるのか?


 嫌だ、いやだ。

 死にたくない。

 しにたくない。


 たすけて、まちださん、たかぎさん。りーちゃん。


 うう、いやだ。


 しにたくない、しにたくない、しにたくない!!!


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 無数に伸びた白い手に引きずり込まれる間、俺は声が続く限り、叫んでいた。

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